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我々の視覚、、、などの感覚で脳内で色々と処理するのでしょうが、
その処理方法(解釈)は個人差がありますよね?

同じ行為をAさんにされても、
「優しい!」と感じる人もいれば、
「何か裏があるのではないか?」と感じる人もいれば、
「八方美人」と嫌悪する人もいます。

これは対、人への見方だけでなく、
すべての現象(ニュース、災害、事件、しぐさ、行動)に対し、あなた自身があなたの脳内で
解釈し対応していると思います。

あなたの目に映るものはすべて真実ですか?(という自信はありますか?)

質問者からの補足コメント

  • もう一つ追記。
    我々は実際に目で、見た視覚情報以外に脳内でイメージを想像して、意識的に映像化することも可能なんですが(いわゆるイメトレ)、睡眠時に見る夢と比較すると、夢で見る疑似映像の方が遥かに鮮明であります。

    これは、自律的に脳内で映像化するのは困難であると思われます。

    じゃあ視覚情報に頼らない、脳内が生み出した鮮明な映像が映し出されれるのが意味不明です。

      補足日時:2021/10/01 22:39

A 回答 (26件中1~10件)

見え方が違ってもそれが適応範囲内なら問題はありません。

何故ならヒトは言葉を用いて認識の共通化を図るからです。
仮に複数の人間が同じものを見ているときそれを「りんご」と言う言葉で認識の共通化を図ったとします。そうした場合それぞれの見え方が違っていても誰が見てもそれは「りんご」となるのです。これはあらゆる事柄で行われています。当然形や色についても同様です
ヒトは言葉によって認識の共通化を図ることで統一化の図るのです
因みに視覚能力においても認知感受性は人それぞれ違うことから程度はともかくとして人によって見え方は違いますね
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

あ、確かに言語化してますね。

>因みに視覚能力においても認知感受性は人それぞれ違うことから程度はともかくとして人によって見え方は違いますね

なるほど。

お礼日時:2021/10/05 18:05

人の視覚能力は太陽光の大部分を占める波長領域に適応するように進化したと考えられています。

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この回答へのお礼

なるほど。
参考になりました。

お礼日時:2021/10/05 18:06

視覚情報については「視覚野」と呼ばれ部位で処理してます。

視覚野は前頭葉ではなくて後頭葉に存在しています
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ただ、ソロバンを使う時や何かをイメージしようとするときは、
おでこの辺り部分が活発に活動している錯覚があります(笑)

お礼日時:2021/10/05 18:06

話をもどして


そもそも感覚器をとうして得た全ての情報は自分が理解出来るよう脳内で加工しているので、脳内で加工している限り見えている事象が見ている事象と一致しているかどうを判別する事は不可能なのです。
さらに言えば他人も同じように他人自身が理解出来るよう他人の脳内での加工しているので、同じ事象を見ていたとしても同じように見えているかどうかすらもわからないのです。
よってヒトは事実を客観的に捉える事は出来ません。あくまで主観でしか捉える事はできません。しかもその事実は都合がいい事実なのです
それを踏まえて言えば真の意味で人が真実を見ることは出来ませんし捉える事もできません
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この回答へのお礼

こちらもありがとうございます。

これについては、視覚障害がある場合を除き、すべての「人間」は同じ視覚能力を有すると思ってます。

そうでないと、美術の授業で「りんご」の絵とか描いた時、形、色などが一致しませんから。※ただし、もっと幼い頃に描かれる絵は個人差があり、あれは
知能の発達や表現力の差なのか、本当にそう見えるかは定かではありません。

我々は同じ写真、物体を見て、共通点を共有できることから「人間」そのものの視覚能力は同じと考えます。

ただ今回の質問は、人間の視覚は「万能」ではない可能性が高く「視える物=真実の映像」とは思えなかったため、質問してみました。

これは他の動物の、視覚、視力などの能力から逆算して、人間の視覚も万能ではないと考えるのが自然と思ったのです。

ーーーーーーーーーーーーー
暗闇の中でも、猫はとてもスムーズに歩くことができます。その秘密を解く鍵は、目の中の「タペタム」という部分にあります。タペタムは網膜の裏側にあり、目の中に入ってきた光を反射して増幅させる、反射板の役割を果たしています。そのおかげで、猫はたとえ暗闇の中でも僅かな光があれば、人間の6倍もの明るさでものを見ることができるとされています

人間はここで赤、緑、青の3色を認識でき、さらにそれらを組み合わせて他の色も認識しています。一方、猫が認識しやすいのは青紫や黄緑であると考えられています。

→このように、他の動物がどのように現実を視えているかは定かではありませんが、人間とは違うのがハッキリしてます。

当然、猫にとって猫の目から視た世界がすべてなのと同じく、
人間もまた、そのような錯覚(すべて視えていると)を起こしているのは間違えないと思われ、脳内で加工の際に、人それぞれにおいて「差異」が産まれるのは当然として、

もっと言えば、人間の視覚能力ではどうあがいても視えないものがあると思いました。

話が違う(別次元?)かもしれませんが、
宇宙のダークマター、ダークエネルギーは光などの電磁波で観測できない未知の物質と言われ、私たちの知っている通常の物質は約5%でしかありません。

→これはいまいちよくわからなかったのですが、人間はこの5%しか視えないとなると、現実で認知できる映像は相当簡略化されたものと思われます。

お礼日時:2021/10/04 20:28

「計算方法はソロバンを弾いているイメージ」とのことですがそれはいわゆる「体で覚えている」という事です。


「体で覚えている」と言うことは「脳が覚えている」という事です。
ですからソロバンを使った足し算での珠の動かし方を体で覚えているので暗算時に明確にソロバンを思い出さなくても暗算ができるのでしょう。
それに対して掛け算での珠の動かし方が足し算のそれと違うため一定桁数以上の掛け算を暗算だけでしようとすると上手くいかなくなるのでしょうね
質問者さんはどうやら視覚思考で暗算はしていないんでしょうね。とは言え質問者さんにとってそうする必然性も合理性もないようですから質問者さん的にそれでいいでしょうね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。身体が覚えているですね。
脳内でもソロバンは視えて無いのですが、前頭葉あたりを使っている認識があります(笑) 目をつむって計算する時は前頭葉あたりがムズムズします。

今お礼をして気づいたんですが、エアーソロバン使っている時は、間違えなく前頭葉が働いてるのがわかります。

そして、エアーソロバン以外でも何かをイメージする時も前頭葉を使っているのを実感しました(笑)

前頭前野の働きを調べましたが、
前頭前野の働きとして、
・考える
・記憶する
・アイデアを出す
・感情をコントロールする
・判断する
・応用する

とありました(^^;

映像も前頭葉で加工されているんでしょうかね。

お礼日時:2021/10/04 20:11

なるほど。

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この回答へのお礼

にゃるほど。

お礼日時:2021/10/04 17:52

洞窟の比喩、人は洞窟の壁に写った影をみて、真実と思っています。

けれど、それは現象appearance、単なる「見た目」です。プラトンは、物事のイデア=構造、仕組みをとらえなさいといいます。どうしてそのような現象、見た目が現れるのか、それを成立させるイデア=構造=仕組みをとらえましょう、といっています、イデアこそ真実です。またサイエンスはそうしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。
深いですね。

まぁ人間同士でも日常の会話をヒントに、相手の深層心理を感じ取る力がある人もいます。

 でも映像も深層心理も、深く考え過ぎちゃうと疲れてしまうから、
「視えたまんま」「発言そのもの」を真に受けた方が楽なんでしょうね。

お礼日時:2021/10/04 17:51

脳内リミッターは確かですね



現実がこれほど悪意にみちあふれてても、人間って平然と暮らせるのも

悪意への耐性ってより

脳内リミッターが作用してるのかも知れないですね
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

視覚障碍者で無いのに、音で距離を測れたらよくわかりませんが、頭が混乱するかと思います。

恐らく他の部分も、聴覚が無ければ読唇術みたいなのも発達するんだと思います。

お礼日時:2021/10/04 17:49

1. 世の中(または もっとも広義の現実)には 経験と非経験とがあります。



2. 経験とは 五感として感じられる世界です。非経験とは 超自然および超経験です。

3. 経験世界または世界経験が 《事実》であり 非経験なる場またはチカラは 《真理》です。

4. 人間も 世界事実に属しており 事実や真理というのは 人間たる《わたし》がそれらを捉えて 言葉にして言っています。

5. 事実というのは 実際にはわたしが世界を捉えた事実であり それは――事実の知覚から始まって――事実認識としての《真実》であるというかたちです。

6. 真理のばあいは 経験世界を超えた真理を われわれ人間が知覚や認識を超えて想定しており その真理想定としての《真実》です。

7. 真実は わたしの真実ですからそれは 主観真実です。つねにそうです。

8. わたしにとって広義の現実は すべて主観真実として成り立っています。それは 世界事実としての真実と超世界真理としての真実とです。



9. 
★ 
我々の視覚、、、などの感覚で脳内で色々と処理するのでしょうが、
その処理方法(解釈)は個人差がありますよね?

☆ つまり 世界事実についての主観真実が 多様性として成り立っています。

10.

同じ行為をAさんにされても、
「優しい!」と感じる人もいれば、
「何か裏があるのではないか?」と感じる人もいれば、
「八方美人」と嫌悪する人もいます。

☆ 主観真実の多様性は おもに事実認識において現われます。認識する精神には 自由度があるからだと見られます。同じひとを見ても さまざまに受け取っています。

認識に先立つ事実の知覚については ほとんど個人差はないと考えられます。だれもが その人は Aさんだと知覚しますし 錯覚しなければ同じように認識します。

主観真実は 知覚(感性)と認識(理性)とから成ります。後者に 多様性が現われます。精神の自由度からです。


11.

これは対、人への見方だけでなく、
すべての現象(ニュース、災害、事件、しぐさ、行動)に対し、あなた自身があなたの脳内で
解釈し対応していると思います。

☆ 世界事実は 経験事実であり それは モノ(事物)とコト(現象)に分かれます。事物と現象を合わせた経験事実を 経験事象とも言います。


12.

あなたの目に映るものはすべて真実ですか?(という自信はありますか?)

☆ これは 定義の問題です。目に映ったものは 視覚で知覚した経験事実であり その事実として認識したわたしの主観真実であると 規定すると思います。意志疎通のための共通の基礎としてです。

事実をめぐる主観真実には 人びとそれぞれの間に精神の自由度があり そこから差異(多様性)が生まれています。

そのように個人ごとの自由度の現われを〔同じ一つのことの〕多様性として捉えるのは 哲学が要素ごとに区別しそれらを分析し 共通の要素であるものごとに整理し分類することによってです。

主観真実は 真実と言っていても あくまで移ろいゆかざるを得ない相対的なものであり つねにあやまち得るものです。自信や確信の有る無しにかかわらずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
主観事実も、相対的。
わかります。

その瞬間での「真実」(感じ方)であり、
数十秒後には違った「真実」(感じ方)として捉える可能性はあります。

お礼日時:2021/10/04 17:46

視覚思考といわれると曖昧感が強そうに感じてしまいます。


人の言動は、だいだいが経験則に基づくものですから、人の話は聞いといて良いと思うし、年齢重ねている方のが、それは学生のいう事よりも信憑性はあるものだと思う。

一応、その人の言動は、自分の考えを示すものですから、目に映るものを自分の定規で判断しても、それはそれでいいんじゃないですかね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。経験が脳内に勝手に蓄積されていきますね。
だから、似たようなパターンに遭遇すると予測(予知)も容易になります。

>一応、その人の言動は、自分の考えを示すものですから、目に映るものを自分の定規で判断しても、それはそれでいいんじゃないですかね。

そうですね。
視えないけど、確実に存在する、認知できる一例として
「人の思い(気持ち)」というのがあります。

悲しい思い、愛情、辛い思い、喜んでいるなど、これらはたいてい、
言葉や表情で表現しないと相手に伝わりませんが、視えないだけで確実に存在するものです。

お礼日時:2021/10/04 17:43

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