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幸福とは「満ち足りていること」である、とします。

この定義でも、矛盾を見つけることはできますか?

A 回答 (14件中1~10件)

 こんにちは。



 No.1の回答内容と あるいは重なるのかと思いますが 問題は――社会的動物である人間にとって―― ひととのカカワリ(関係性)です。

 マジワリ(交通)をいっさい断っても ひとは ひとと互いにカカワリを持ちます。無人島にいるひとは 有人の世界とかかわっています。


 このような社会性という場において見ると
 ★ 幸福とは「満ち足りていること」である 
 ☆ という定義が どういう意味合いを持つようになるか? または 持つべきところでの意味が 放ったらかしになっていないか? といった見直しを迫られるかも知れません。



 たとえば 《独り満ち足りている存在》と言えば 神の定義(または かんたんな説明)です。

 とすれば たとえば

 ○ 幸福とは「社会という人間関係において わたしもほかの人びとも互いにそれぞれが 満ち足りていること」である 

 とでも捉えるなら 社会性という人間の条件を満たすかも分かりません。

 ということは おそらく――人間と社会とは 動態なのですから(そして ほかの回答にあったかと思いますが)―― 道をゆくその一つひとつの過程が 互いに大事であるということなのでしょうか。


 でも ヒラメキをとおして得られるわれわれ人間の目覚めは その世界観をあたえられたことについて《しあわせ》であり そのときひとは
 ★ 満ち足りている
 ☆ はずです。と考えます。




 ★ 矛盾を見つけることはでき
 ☆ たのか どうなのか。・・・
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矛盾はないけれど、定義とするには不十分。



辞書のコピペ。

こう‐ふく〔カウ‐〕【幸福】. [名・形動]満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。「―を祈る」「―な人生」「―に暮らす」

じゅう‐そく【充足】 [名](スル)十分に補い満たすこと。また、満ち足りること。「精神の―を求める」「人員を―する」「―感」

てい‐ぎ【定義】. [名](スル)
1 物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること。「敬語の用法を―する」
2 論理学で、概念の内包を明瞭にし、その外延を確定すること。通常、その概念が属する最も近い類と種差を挙げることによってできる。


充足=幸福でないとするなら、少なくとも充足と幸福を区別しなければならない。
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ただし、他者の人権等を侵害している場合 その幸福は長く続かない



すみません。うっかり、ストーカー殺人的なものを思い浮かべてしまったので・・・


瞬間の満ちたりを求めるならば、渇きの時間の方が長くなり 幸福を求め続ける事になる

とか? 格言ぽいなぁ・・・
一瞬でいいなら本人にとってはそうでも、前後にどうなるかは判らないから トータル?いや その後かな?まとめて幸せなのかは不明だよね?

幸福・・・定義が難しいですね。

幸福な状態とは心があたたかくなっている状態である とか状態を入れないとうまく思い浮かばないです。
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あえて粗探しのような見方で言いますが、この定義は曖昧すぎてどちらでも解釈できます。


なので矛盾と言える事も見当たりませんが、そもそも定義としては曖昧すぎないかとも思います。

アメリカのどこかの研究機関では、「幸福とは愛する人と愛し合う事」と定義したらしいです。
これに関しても個人的に異論や矛盾を感じますが、このくらいの具体的な定義は指し示さないと定義として成り立たないように思います。

定義を具体化すると矛盾が出てくるし、曖昧にすると矛盾は消されるが定義として不十分。
と言う感じになりがちです。

私もこの答えを見つけられていません。
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定義であるから、一つで矛盾することはないです。



矛盾とは、複数の定義の間でだけ発生しうる概念です。


「この矛はいかなる盾をもつき通すことができる」という矛の定義がひとつだけ存在した場合、なにも矛盾は起きません。
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「 幸福とは、満ち足りてることである 」


素敵な言葉 ですね。

愛する人に愛されるとか、目標を持って邁進するとか、安心して暮らせる環境とか
何によって満ち足りるのかは、それぞれ違うのでしょうし
またその時々で満ち足りる内容も変化して行くのでしょうけど、満ち足りてたら幸福だと感じますよね。

自分で自分を満たせる方法や方向を、見据えて動けたら
その瞬間瞬間が、輝いて満ち足りているようにも思えます。

幸せは止まっているのではなく、動体であるようにも感じますね。
心は動くからでしょうかね。

幸福とは満ち足りていることである。
とても賛同しました。
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>幸福とは「満ち足りていること」である、とします



逆に「満ち足りていることを幸福という」とも言えます。
こういう定義を「トートロジー」と言います。
言葉の定義をそのまま転換しているだけで、矛盾はしま
せんが、かといって何か新しい知見を引き出すものでも
ありません。
大事なのは、「満ち足りていること」とは何か、という
事です。たとえば;

意志があり、そこにおける目的の達成を感受した時に
感じる充足感
→意志とは、環境の感受において、脳内に再構成された
環境における行動の志向性
→目的=行動の志向性とは、生命を生み出した進化=
淘汰によって、環境との相互作用において導かれる
特定の行動や対象
→意志の充足とは、「脳の発達における環境の再現性
(認識の深まり)×欲求の強さ×その達成度×感受性」
といった関数によって大きさが決まる

といった環境との相関性や原理的な分析が加わってこそ、
定義が深まるのです。
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幸福というのは人によってばらばらなので理解は厳しいですが、



死ぬときにいい人生だったと思ったら幸せなんではないかな。

生きているときは先があるので欲が先走るので感じることは

ありません。
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人類最大の敵は「退屈」である。



満ち足りている、ということは退屈と
結びつきませんか?

そんな状態で「幸福感」が得られるか
疑問です。

希望に溢れている時の方が幸福です。


満ち足りていることを幸福と定義するなら、
幸福と幸福感はもって非なるモノだ、という
ことになるでしょう。
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幸福とは、幸福であることを実感することである・・・・・・・・・・・・・・・

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