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恋愛において、自信をつけると良く聞きますが、
そもそも、仕事や趣味で自信を付けることと
異性に対して自信が付くことはまったく別であり、
異性に対しての自信は恋愛をした経験数からでしか自信はもてないのはないかと思います。

例えば、努力の末ある資格を取得したからといって、
女性を口説ける自信が持てるようになるかといえば、
そんなことは全くないです。
資格の取得と口説くことは別物だからです。
なので、自信をつけろとか言われてもよく分からないのです。
仮にその自信というものが持てたとしても、
それは結局のところ、所詮勘違いであって、
状況と環境が変えれば簡単に消えてなくなるのではないでしょうか。

恋愛における自信というのは恋愛の経験数に比例すると思うのです。
恋愛経験というのは一人では経験できないので、一人の努力ではどうにもならない。
だから恋愛の経験のない者は自信を付ける機会すら得ることができず、
悩んでしまうんだと思います。
恋愛も経験できない人間が恋愛に自信を持つことなどありえないと思うのです。
もちろん、それは私のことなのですが、
恋愛において、自信をつけるとはどういうことなのでしょうか。

趣味や仕事における自信が恋愛における自信に反映される
因果関係が分からないです。
難解な数学の難問が解けるようになることが恋愛に自信を持てることになる
とは到底思えないのです。
恋愛における自信とは何でしょうか。

どのような意見でも良いです。
自信というものを私はこう考えているという方に教えて貰いたく思います。

よろしくお願いします。。

A 回答 (4件)

こんばんわ。


難しい質問ですね。
人生とは、何か?愛とは、何か?恋愛の自信とは、何か?
こういう答えは、やっぱ個人的な価値観で決まるんでしょうね。ですから、十人十色の答えがあると思います。

でも、それじゃこの質問の答えにならないんで、、、僕は、男なんで、男と女をわけてですね、男の視点から抽象的にというか、多くの男はという感じで、一般論として、簡単に答えてみようかな。

例えば、今の横綱の朝青龍を説明のモデルとして使っちゃいます。
フランチェスコ・アルベローニによると、女の恋愛観は、「男のポジションに恋する」みたいな感じのようです。(もちろん、すべての女性に言えるわけじゃないですよ。)やっぱ、十両以下の朝青龍より、横綱の朝青龍のほうがより多くの女性に、モテモテです。(朝青龍なんてタイプじゃないわ!ってのはなしで^^;あくまで、例えです。例え。)でモンゴルの英雄になった朝青龍は、そりゃモンゴルの女性に、モテモテですよ。異性からモテモテになると、自信になります。仕事のポジションがあがると、さらにモテます。これの繰り返しです。

たしかに、いくら朝青龍がモテても、恋愛0なら、恋愛の自信にはならないでしょう。でも、仕事で横綱や国の英雄という自信は、必ず恋愛の自信につながります。そして、より多くの女性と恋愛するチャンスが増えます。朝青龍が、誰かと恋愛していて、15連勝中と15連敗中では、恋愛における自信は天と地ほど違うと思いますよ。つまり、男は、特にポジションという自信が、恋愛の自信にかなり影響されるんじゃないかな。

ナポレオンも、ヒットラーも、ムッソリーニもモテたようです。まあ、社長の愛人って言葉ありますけど、新入社員の愛人って、何それ?って感じですよね。ポジションが違えば、女性の見る目が違います。

何事も例外がありますから、仕事で成功して、女性もよってくきて、恋愛してるけど、なかには、恋愛の自信に繋がらないってのもいると思います。まあ、個人によって、理由はいろいろですからね。
あくまで、一般論としてってことで、捉えてくださいね。
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では、女性の意見を・・・(笑)



>なので、自信をつけろとか言われてもよく分からないのです。
自信をつけろとは「自分の魅力に自信を持て」ということではないでしょうか。

>趣味や仕事における自信が恋愛における自信に反映される因果関係が分からないです。
趣味のない人より趣味のある人の方が魅力的です。
仕事のできない人よりできる人の方が魅力的です。
そう思われませんか?
容姿や収入が同じレベルなら、趣味の合う人の方に魅力を感じるだろうし、たとえば私は絵を描くのが好きですが、自分より上手な人により魅力を感じます。

>努力の末ある資格を取得
努力家であり、しかもきちんと結果を出せる人だという証明になるではありませんか。
かなり分かりやすい魅力ポイントだと思いますが・・・。

充分な実力(魅力)があっても、「いや私なんて・・・」と卑屈になってしまっては、その魅力は半減してしまいます。
自分の実力を把握し、自信を持っている人は素敵だし、恋愛でも成功すると思いますよ(もちろん自信過剰は禁物ですが)。

恋愛における自信とは。
自分は好まれるに足る魅力を持っていると、自ら信じることではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>趣味のない人より趣味のある人の方が魅力的です。
仕事のできない人よりできる人の方が魅力的です。
そう思われませんか?

そう思います。
しかし、恋愛の不思議なところは、
趣味が多様であるからといって、
恋愛できるわけではない。
仕事ができなくても、
恋愛ができることがあるということです。

ある指標における優劣がそのまま、
恋愛の経験の優劣(有無)に結びつくわけではないかもしれません。

>自分は好まれるに足る魅力を持っていると、自ら信じることではないでしょうか。

この考え方にははっとさせられました。
好まれるに足る魅力があると信じること。
自分に対する理想が高いと、
なかなか劣等感から開放されません。。
自己評価の場合独りよがりになる恐れがあるので、外的評価が最も信頼できます。
外的評価は、恋愛に限れば恋愛経験数となるので、
どうしても自信は持てないという結論に陥ります。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/07/17 22:25

相手との信頼関係をどのように保っていけるかどうかという、自分自身に対しての<強さ>みたいなモノではないでしょうか?


いつも、頭の中で<この先、どうなってしまうのだろう?>なんて、考えていたら、恋愛自体がつまらないものになってしまうのでは。
質問者さんの言われるとおり、数学的なことではないので、色々な人と付き合って、相手の良いところを吸収して次のステップに生かすことが、恋愛の自信に繋がっていく事と思います。
一人の人の事を好きになり、その人のことで悩むのもいいかもしれませんが、私は泣いても笑っても、自分の中に<良い思い出>になるように、相手と徹底的に付き合うほうです。
ですから、一つの関係が終わっても、そこに<執着>してた事ってあまり、無いかもしれません。
恋愛も場数を踏むことでしょうか?
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この回答へのお礼

これまで多くの皆様に回答を頂き感謝します。
当方の不手際により、一部の回答が削除されてしまいました。申し訳ございません。以後気をつけますので、お許しください。
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回答ありがとうございます。
>色々な人と付き合って、相手の良いところを吸収して次のステップに生かすことが、恋愛の自信に繋がっていく事と思います。

私もそう思います。しかし、質問でも記したように、
恋愛経験というのは一人では経験できないので、
一人の努力ではどうにもならないと思うのです。
よって恋愛を経験できない者は自信を付ける機会すら得ることができないので、
いつまでたっても自信は得ることはできないと思うのです。

やはり回答者様もおっしゃるように、結局のところ、
恋愛で自信をつけるには恋愛をするしかない。
恋愛を通して、異性を通して人間関係の場数を踏むことが恋愛における自信に結びつくという結論となってしまいます。

恋愛が破局に終わったとしても、恋愛をすることができたという事実は残り、一時的であれ、異性としての存在価値として認められたことは、それは認められた経験となります。
認められるだけの素養と可能性があることを、自己認識することができ、それは自信に繋がると思います。

しかしながら、それを経験できない、あるいは回数が少ない者にとっては、恋愛に自信を持つことはできないのかもしれません。

但し、恋愛そのものがある種の過当競争であると考えた場合、ある事柄において、自信をつけることが、結果的に同性の者よりも勝っている場合、それは競争における同性に対する威嚇となり、それが異性に対するアプローチの自信となることはありえると思います。

しかしどの世界でも上には上がいまして、大抵の場合、次のステージに上がれば自信は自己満足でしかなかったことに気づかされ、いつまでたっても自信は得られないというループに陥ってしまいます。
鍛錬に鍛錬を重ねたであろうオリンピック選手の
ドーピング反応の問題を考えれば、人は自信を持つことはできないのかもしれません。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/17 21:57

自分もその気持ち、状況わかります。


私の場合は10代の頃にある宗教の影響を強く受けてしまったのが原因で、恋愛に全く自信がもてません。宗教を脱退したため、世間についていけない状況です。いわゆる「3高」と他人から言われます(稀にですが)。しかし、恋愛経験はずっとなく、寂しくなって、ある年齢で風俗で初体験を済ませたという悲しい者です。話はそれますが、多感な時期の宗教の影響はとても強いものがあります。熱心な分、辞めると恨みも出ます。
さて、なぜ恋愛ができなかったかというと、「理想が高すぎる」からではありませんか。自分自身に対しても、相手に対しても、関係に対しても、です。ずっと一人でいる人は、孤独の中で、想像力(妄想)もずっと進展する可能性があると思います。その結果、ある他人からすれば十分恋愛といえるような「片思い」や、「ちょっとしたデート」でも、こんなのは恋愛じゃねぇ、恋愛ってのは例えば、「相手のことを完全に理解する」とか、「目を見ただけで何を考えているのか即わかる」という風に、恋愛そのものを美化しすぎてしまう・・・ということもあるのではないでしょうか。
よしんば、「自分は恋愛たくさんしてる」って思ってる人の隣で、「自分は全然恋愛できてない」って嘆いている『もっと恋愛豊かな人』がいるってことも有るのでは、、、と書いていて思いました。
以上です。
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