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僕はクラシック音楽など全然詳しくないんですが
ベートーベンの月光という曲は好きです。
今も聴いていてふと思ったのですが、なぜベートーベン
などのクラシック音楽はこんなに有名、というか、
昔の音楽が今の時代まで生きているんでしょう。
なんだか昔の音楽家の人達の音楽が
今の時代にも生きてるって事が不思議な感じです。

また同じように今の時代の音楽家の人達が作った音楽は
これから未来に残っていくんでしょうか。
なんだかとても不思議な気持ちになったので
投稿しちゃいます(^^;

A 回答 (3件)

非常に素敵で、純粋なご質問だと思います。



ですが、ここで述べ切れてしまうほど、単純な回答はできないと思われます。

>なんだか昔の音楽家の人達の音楽が今の時代にも生きてるって事が不思議な感じです。

そうなのです。それも音楽の魅力の一つであり、神秘であり、人類共有と錯覚させるほどの喜びなのです。

人種、国を問わず、人という生き物が同じように心地よく感じたり、感動してしまったりするような音楽を、時として音楽家は、作ってしまうのですね。ベートーベンを始めとした、その頃のヨーロッパからは、そういう種類の音楽が、大量生産されたといっても過言ではないでしょう。

これには、いろんな要素が関係します。
・それ以前に音楽家が残していた財産の下敷き
・楽器の進化や楽譜の記譜法などの発達
・音楽を市民が共有できる、世の中の変化  そしてもちろん、
・立派な音楽家の存在
…などです。これらが一時に条件としてそろい、音楽の文化は、大きく花開いたといえます。ベートーベン、という名前を聞くと、「良くぞ自殺せず、音楽に真剣に向かい、生き続けて下さった。」と、未来永劫人類が感謝せねばならぬほどの、大人格者であり、徹底的に音楽を研究し続けた偉人です。

ただどうしても私がここで述べておかなければならないことは、当時の彼らは、「後世に残るような、後の人からも尊敬されるような芸術作品を作ろう」などという安っぽい考えで曲を作っていたわけではないはずだ、ということです。今の自分にとって、最高と思えるものを作ろう、それだけだったと思います。たとえそれが、楽譜を売って生計を立てるための、商業的必然に迫られていたとしても、です。

しかし、今、彼と同じぐらいの才能の持ち主で、同じぐらいの努力をしている人がいないかというと、絶対にそんなことはないはず。

ただ…ねえ…

ある意味、「やり尽くされている」という感もないではないです。
現代の私たちの、「気づいていない、どこかで飢えている感覚」に突っ込んでくる、別の切り口からの音楽が表れない限り、「名を残す」という意味だけで言えば、もうビッグネームは出現しにくいのではないかと。

現代人は評価しなくても、未来の人が再評価をする音楽が、現在作られている、という可能性は大いにあると思いますが。
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この回答へのお礼

興味深く読ませていただきました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/22 00:25

クラシックは、ヨーロッパでは一つの伝統文化です。


日本で能、歌舞伎、雅楽等が残されて、いまだにそれらを熱望する観客が存在するのと同じだと思います。
需要があれば供給する側の作曲者も多数出てくるわけで、数が多ければ優秀な作曲者も生まれやすくなるでしょう。
クラシックの土壌がいまだに脈々と生きているんです。
ただ、日本の伝統音楽がクラシックほどポピュラーでなく、それほど身近に感じられないのは、明治時代に起こった欧米文化至上論が浮上したからでしょう。
もしこれが無かったのなら、日本でも琴、横笛、鼓、三味線等の伝統楽器が今よりもなお盛んに習われていたと思います。
そうすれば、クラシックと同じように素晴らしい日本の作曲者も続いていたでしょうね。
今日本で有名な作曲者はみな、すべて欧米の音楽を貴重とした人たちばかりです。
明治後に若干はいますが、童謡、唱歌は欧米の音階で考えられています。
でも最近になり、小学校や中学校で和楽器の指導が取り入れられはじめ、TV等でも三味線や雅楽のアーティストが活躍するようにはなりました。
それでもクラシックと同じくらいに身近になるのは難しいでしょうね。

「現代の音楽」ですけど、それはロックやポップスと考えてもいいんでしょうか。
何十年も昔の映画音楽が、今でも盛んに演奏されているのを見れば、たとえ時代は変わろうとも、良い音楽は残っていくと私は思います。
流行はあるとは思いますが、存在さえ忘れらさられるということはないでしょう。
いったい50年後、100年後の時代では、どういう聞き方をされているんでしょうね。
目の前にヴァーチャルでオーケストラが映し出され、いつでもどこでもライブで聴けたりしたら良いかもしれないですね。
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この回答へのお礼

百年後や二百年後、どんな音楽が流行してるんでしょうね。そういう事を考えると、なんだかとても不思議な気分です。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/22 00:29

果たして本当に作曲者が意図した形で残っているのかはわかりませんよ。



ベートーヴェンは月光をピアノのためのソナタとして作曲しました。
彼の時代では、クラヴィーアと呼ばれていました。
さて、ピアノという楽器の原形ができたのは、モーツァルトやベートーヴェンの頃です。ということは、それから改良が加えられ、ピアノでできる表現の幅が広がったと考えることができるはずです。
ピアノの詩人と呼ばれるショパンや、超絶技巧を見せたリストといった作曲家の時代(ロマン派)には、ピアノの表現の幅は実際広がっています。

当時のピアノを使って演奏する、という録音ももちろんあります。しかし、それで果たして作曲者が聴いた音が出るのかというと、これはまた別問題です。
つまり、演奏法というのも時代によって変化しているということです。
楽器の進歩によって演奏法が変わったということはありますが、美学というものが言われるようになって、演奏法も変貌せざるをえなかったのです。

これは、ピアノに限ったことではありません。
オーケストラだってそうなのです。
ベートーヴェンの交響曲を演奏する際、昔だったら小さい編成で演奏していたものを、今では管楽器を倍の人数に増やしたりすることがあります。
弦楽器だって圧倒的に増えました。
それに、なんと言っても、響きがよく鳴るようになりました。
これは楽器の改良によるものです。
トランペットが半音階も吹けるようになったり、フルートが金属製になったりといった具合です。
また、チューニングのヘルツも、時代とともにどんどん上昇しています。

解釈もそうです。
書かれてある音符そのままに、という「即物主義的」な演奏もあれば、自分がのめりこんで弾く、「主観的」な演奏もあります。
それはファッションと同じで、この時代にはこういう演奏が受け入れられる、ということがあるということです。
時には演奏者が楽譜を書き換えたり、カットしたりする時代もありました。

そういう面から見ると、そのままの形って一体なんなんだろう、ということになってくると思います。

しかし、間違いなく言えるのは、形を変えつつも、よい音楽は生き続けているということです。
おそらく、ここまで来ると、誰もが演奏しなくなるということは滅多にないでしょう。
だから、ベートーヴェンは不動の地位を得たと言えます。

今の作曲家ですが、どうでしょうね。
クラシックに関して言うならば、難解な曲が増えてきました。
今人気の作曲家でも、次第に飽きられて忘れられていく可能性もあると思います。
一般人が聴いて簡単にわかるような音楽というのが、今の時代には少なくなっています。
あえて言うなら、ソ連の「社会主義リアリズム」という時代(スターリンがいた頃と説明すればいいでしょうか)には、誰が聴いても明確なように、という上からのお達しなるものはありましたが、ソ連も崩壊してしまった今、わかりやすい音楽は少なくなってきていると思います。

現代音楽は現代であるということに意味があるので、過去のものになってしまうと、ガラクタになってしまうおそれがあります。
現代音楽としての価値と不朽の音楽としての価値は別ものですからね。
こればかりはわかりません。
しかし、残るものは残るでしょう。
傑作も数多くありますしね。
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この回答へのお礼

とても勉強になりました。
楽器も演奏法も変化しつつ、現代まで生き続いている、
なんだかとてもすごい事ですよね。
現代で演奏される自分の音楽を、昔の音楽家たちは
どんな気持ちで天国で見ているでしょうか(笑
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/22 00:36

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