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日本は大日本帝国憲法草案作成時に、君主権の強いドイツの憲法を手本にしましたが、なぜドイツは当時君主権が強かったのですか?

A 回答 (4件)

通常近代化というのは、西洋史を見る限り、市民革命→産業革命という経緯をたどるのがふつうです。


ところが当時のドイツは、フランスと比べて100年、イギリスと比較したら200年も遅れをとっていたのです。
ドイツが統一されたのは1871年ですが、両国ともその時はとっくに市民革命も産業革命も経験していました。
ですからドイツは、市民国家だとか民主主義だとか、そんな悠長なことを言っていられなかったのです。
政府が、国家の経済的な近代化を最優先させるために、国民に有無を言わさない体制が必要だったのです。
そうしないと、イギリス・フランスという列強と互角にわたりあえなかったのです。

この回答への補足

僕の教科担任の先生は、かつてローマ帝国に支配されていたためと聞きました。授業中眠くてあまり聞いていなかったので、それしか覚えていませんでした。また、お暇なら回答お願いします。

補足日時:2006/11/24 20:41
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当時、ヨーロッパの君主制国家の中で最も新しくできた憲法でした。


しかも日本での幕藩制に近い群小王国の連合体を一つの君主国に統一して出来た国で事情が酷似していました。

中央政権の強化には打ってつけだったのです。 天皇制による統一を目指していた日本にとって参考になる点が多かったといえます。
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>なぜドイツは当時君主権が強かったのですか?



と言うよりも、ビスマルクという政治家が分裂状態のドイツを強力な君主の元に統一させる目的で作った新生国家がドイツ帝国なのでは?

http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%C9%A5% …
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大英帝國の様な、連邦制のプロシア王国だった為では無いですか?



参考URL:http://www.b-sou.com/pal-Ger19F.htm
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