No.4ベストアンサー
- 回答日時:
仏教はお釈迦さんの教えがもとになっています。
その教えの内容をひとことで言うと、「自分の欲望と執着をコントロールすることで、この世の苦しみから解放されることを目指す」というものです。ですから、お釈迦さんの意図としては葬儀はほとんど眼中になかったといえるでしょう。そもそも葬儀というものが成り立つためには、対象がなければなりません。つまり「身体が死んでも生き続けるもの(=霊魂)」のようなものを想定してかかることが前提になります。お釈迦さんは、このような証明できないものに関わって時間を無駄にすることを戒めた人で、あくまでも「この世での解脱」をめざし、またそれを弟子に説きつづけたのです。
お釈迦さんの亡くなる前後の状況は、「長阿含経(じょうあごんきょう)」の中の「遊行経(ゆぎょうきょう)」とか、小乗の方の「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」などに具体的に描かれていますので、お釈迦さんが自分の臨終に際してどういう態度をとったのかがよくわかります。「歴史にてらして」ということですのでちょっとまとめてみましょう。
死期を悟ったお釈迦さんは「自分は遠からず入滅する」ということを口にします。やがて集まったお弟子たちの前で、臨終のお釈迦さんは「私や仏法や道について疑念のある者は今、私に尋ねなさい。あとで後悔することのないように」とおっしゃるのです(遊行経では三度)。
誰も声をあげる者はいないのですが、お釈迦さんは「私を気遣うために尋ねないのかもしれない。仲間に尋ねるように尋ねなさい」と言われ、それでも誰も尋ねません。
お弟子の阿難の「ここにいる者は誰も疑問がないので声をあげないのです」という言葉を聞き、お釈迦さんは最後の(有名な)言葉を述べられます。それが「私は、怠らずに励むことで悟りを得た。全てのものは移り変わっていく。お前たちも怠らずに励むことで悟りに達しなさい」という、お弟子への遺言でした。
恐らく実際にこのような言葉をお釈迦さんは口にされたのでしょう。この最後の言葉にさえ「世は無常であること」と「修行に精励すべきこと」という認識が明確に表されています。このことからも、お釈迦さんが「この世での苦からの解放」を目指す立場を貫かれたことは明らかでしょう。
その後、お釈迦さんの遺体は香湯で洗われ、新しい布や綿でくるまれ、棺に納められたうえで香油や香木で清められ、火葬に付されるまでの何日もの間、音楽や舞踊、散華で供養されたと書かれています(遊行経)。
このことを葬儀の始まりとみる人もいます。実際、現代の仏教の葬儀にはこの故事にならっている部分も確かにあるのです。
ただし、このような行為は、お釈迦さんの教えで積極的に触れられていないことですし、霊魂に対する宗教的な行為というよりむしろ、本当に偉大だったお釈迦さんの亡骸に対して最大限の尊敬を表そうとしたものだと思います。
事実、火葬のあと遺骨は8つに分けられ塔を建てて供養されるのですが、それにはお弟子は関与していないのですから。(詳しくは書きませんが、「塔を礼敬せよ…」という生前のお釈迦さんの言葉が引かれて没後供養を命じたように言う人もあるのですが、これは言葉の解釈を誤っています)
ただ、お釈迦さんの唱えた教えと今の日本の仏教が違っているからといって、ただちに現代の仏教が非難されるべき、とは私は全然思っていません。日本では日本なりの必要と意味があって千年以上に及ぶ「葬式仏教」の歴史があるわけで、その歴史を踏まえて論評すべきだと思います。
また、「葬式仏教」といって現代の仏教を批判する場合、現代の仏教のあり方そのものの批判というよりも、僧侶の質の問題であるとか、僧俗のコミュニケーションの問題、布施の金銭的な問題などを批判している場合が多いのですが、それはまた別問題として論じるべきでしょう。
少なくともお釈迦さんの教えを信じる者は、他人の態度を云々すべきではないし、そもそも批判するよりも先に自分が正しく実践すればよいのです。そのことそのままが、数多くの原始仏典に示されているお釈迦さんの人生の態度でもあるからです。
No.3
- 回答日時:
そのサイトに書かれている通り、「元々」仏教と葬式には、何の関係もありません。というか、仏教僧侶が葬式を司祭したというのは、仏陀釈迦牟尼没後何世紀とか十世紀とか経ってからです。初期の段階では、仏教修行者(沙門)は、死者の葬儀儀礼に一切関わっていませんでした。釈迦は、生者のために教えを説いたので、死者のために教えを説いたのではありません。
「歴史的」に言えば、大乗仏教の展開つまり、紀元前後辺りから、仏教僧侶が死者儀礼・葬儀などに関わり始めたとされます。大乗仏典にこう書いてあるので、こうだ、というのは、「歴史」と「宗教書の記述」の混同というか、区別するという発想が根柢になく、妄想を語る人と変わるところがありません。
「死者儀礼=葬儀」は、インドなら、インドでの風習・習慣に任せるというのが仏教の最初の基本的な考えで、中国でもそうっだのですが、段々変化して来ました。インドで、その地の習慣に任せるということは、ヒンドゥーの死者儀礼に任せるということで、元々、死後の生や輪廻転生については「無記」つまり何も語らなかったし、語ることを敢えて避けた仏陀の教えに、死者の供養だとか、お経を唱えて極楽に行くようにするとか、そんな考えはないのです。これは「元々」という意味です。
つまり、その後に、仏教僧侶(沙門)が葬儀を執り行い、やがて死者の葬儀は、仏教僧侶が担当するというような習慣ができて来たのです。どうして、そうなったかの一つの考えで、仏教沙門が死者の葬儀を担当したのは、仏教の修行の一つに、棄てられた遺体などの腐敗を観察し、人は無常であるということを観想する修行があり、死体い仏教沙門はあまり抵抗がないと思われたこと、また、文化によって、死者は「穢れたもの」と考えられ、これに触れるのをインドでも嫌ったのですが、仏教の教えでは、生者も死者も、清らかとか穢れているとかはなく、身分に上下差もなく、人間はみな平等であるという考えなので、死者の処理に下層のものが携わっていたのが、汚れなど関係ないという仏教沙門に依頼が来て、次第に仏教沙門が、死者の葬儀などを執り行うようになったという事のようです。
チベット仏教や大乗仏教は、輪廻転生を信仰に入れているようですが、釈迦本来の教えからすれば、そんなものはない、というか、考えなくともよいという教えです。輪廻転生とかはないのですから、極楽浄土への生まれ変わりなどもありません。というか、そんな教えはなかったのです。あるかないか関係ない……生きているあいだに、修行に励み、悟りに出会うべし、というのが釈迦の教えであり、原始仏教の教えです。また、通俗的外観を取り払った仏教の「神髄の教え」も、これと同じです。
直接、質問の答えではないのですが、以下の質問の回答などを参照してください:
>No.190778 質問:ブッダの教えと、仏教。菩薩。阿弥陀。
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=190778
>No.222292 質問:四十九日の起源は?
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=222292
なお、No.1 の回答者に述べますが、(別に議論ではありません。そもそも、何も回答していないのですから議論になりようがないでしょう)、URLだけ示して、何が言いたいのでしょうか? 質問者にも述べますが、ここは、後から質問を参照する人も前提にして、「質問-回答」を構成するようになっています。URLに書かれていることを参照に、説明回答を記すなりして、更に詳しい話は、このURLを、なら分かりますが、URL先のページは、何時消えるか分からないのです。だから、わたしはできるだけURLだけの参照はやめ、時間や手間がかかっても、具体的な答えを書くようにしています。
URL先のページがなくなれば、「無回答」と同じでしょう(ネットのページがなくなるのは、よくあることです。検索エンジンやリンク集でも、繋がらない場合がかなりあります)。こういう手抜き回答、更に時に完全な誤回答を「良回答」にすると、後から参照する人は、意味のないURLだけに、ポイントが付いているということを見いだします。
参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=190778,http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=222292
No.2
- 回答日時:
経文等を知らないからでしょう。
”弟子の阿難が、釈尊に対して「諸仏のご遺体に対して、私たちはどのようにしたらいいでしょうか」と質問したことに対し、釈尊が「お前達(出家の弟子達)は諸仏の遺骨の供養に関わる必要はない」と答えた”
というだけのものであろうと思われます。
なお、経典には、葬儀について、弟子である阿難に
「(遺体は)火葬しなさい。仏塔を造って供養しなさい」
と命じたことも説かれており、事実、釈尊入滅の際には、阿難ら僧侶の手によって葬儀が行われているのであります。
釈尊の時代における葬儀は以上のとおりです。
日蓮大聖人の御時代も、葬儀は僧侶の導師で執り行われていました。
No.1
- 回答日時:
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