プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

現代は資本主義社会ですよね。経済優先の。でも、潤う人の影で、悲惨な目をしている
人や動物がたくさんいます。
このままいくと、自然が犯され、一見潤っているかに見える一部の人も、
自分で自分の首を締めるかのごとく、だめになっていくと私は思います。

自然を守ろう、全人類が平等に恩恵をこうむれるような世界にしよう。と、
いう考えにも疑問を抱いています。
今の社会があってこそ、そのように悠長なことが言えるという考えは
ないでしょうか。
もし仮に、農薬を使わない、工業排水などで水を汚染しない、ゴミを
作らない、肉食をやめる、温暖化の原因になる自動車の使用や電気の使用を
やめる、飢餓の国を救うなど、自然派の人がすすめることができたとします。
しかし、その先には、何が待っているのでしょう。
飢餓、病気、奪い合い、戦争。私には、そう思えます。

かといって、今の世の中にも辟易します。あまりにも自己中で。
ただし、私も社会から多大な恩恵を受けているのも確かです。

私には分かりません。どなたか、もっと大きな目で、社会が進むべき
より良い道を考えてらっしゃる人はおられませんか。
ちょくちょくチェックさせてもらいますので、
この質問が古くなってもぜひ回答していただきたい。

A 回答 (8件)

こんにちは。


私も、日常生活のなかで、これじゃどうなるんだろうと考えてしまうことが多い時代だなあと思わずにいられない場面に遭うことがあるんです。

そんなときには!!!
井戸端会議だとか、ちょっとした会話のなかに、そういったことをちょくちょく出してみるという手があります。
いきなり難しい話をし始めるのもどうかと思うので、ほんとにちょこっとだけ、「最近レジ袋をもらわない記録100枚よ~(実話)(特にコンビニで)」だとか、石けんシャンプーにしたら調子がよくなったみたい(これも実話)」だとか、ほんのなんでもないことを、意識して生活してるよ~っということをさりげなく見せるんです。
バス停でバスを待ってるときも、ちょっとしたことを話してみると、思わぬ効果がありました。いつか会って、次にバス停で会った時おばちゃんのほうから「ちょっとした」環境についての話題を出してくれた時はうれしかったです。
みんなが「どうにかならぬか」と難しい顔をしているよりも、「自分ができることを」「今ここから」はじめてみれば、そしてそれが一人でも多ければ、変わってゆけるんじゃないかと思ってます。
すぐには難しいと思えることも、やってみて案外簡単だったりするので、今は電車通勤、美容院でのシャンプーはやめて石けんシャンプーを利用、なるべくごみを減らして物をためこまない生活を心がけています。

今朝も「このあたりの川、きれいですね」と散歩先で歩いてた方に話しかけたら思いがけず話がはずんで一時間くらい立ち話をしてました。
参考になったかわかりませんが、書いた私が満足しちゃってます(笑)。何か意識してるということ、今日も、ひとつ何かを見つけたい、誰かに話したいと思っています。
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>女性は強くなったようで、まだまだなのでしょうか。



うーん、どうなんでしょう。
この面については私もよく解りません。
ただし、女性の能力が男性に劣る(性差による優劣)は無いと思うんですよ。(個人的には確信しているんですが)

ちなみに、私が尊敬している存命中の方は緒方貞子さんでして、私は100回生まれ変わっても、あの方にはかなわないと確信しているほど、あの方の能力と人格と実績には畏敬の念を抱いちゃいます。


>男性と女性の力のバランスが取れてないから、偏った方
>向に社会が進んでいってるのかも知れません。

これは言えるかもしれません。
冷酷に表現したら、世は2つの性に別れているわけで、その片方が(何らかの理由で)ある問題に無関心だったら、これは集団としての思考力や行動力が半分になるってことで、そういう状態でも解決できる単純な問題(私の誤解かも知れませんが、例えば皮相的な経済問題とか)ばかりの時代には通用しても、環境問題には不味いでしょうね。


>結局、お金がつきまっとってくる。お金、お金、…。
>それを逆手にとれる有効な手段ってないかしら。

まぁ、逆手に取っても良し、逆手に取らなくても良し...なんじゃないでしょうか。
なんちゅーか、金ってのは単なる尺度というかツールでして、人間が金を遣うんであって、金に使われる筋合いは全くないというか、何も金に発声機能や思考能力があるわけじゃない。 見えにくいかもしれないけども、結局は金って指標を通じて、裏には人間の意志が働いているんだと思います。(軽く考えてますが)

食料を輸入するにも、物々交換じゃ手間がかかりすぎ。だから「金」の多寡に置き換えよう....。
所詮、根本にあるのはそんなレベルと思いますよ。
で、問題はもっと他のところにあるんでしょう。


>エコロジーを追求する活動について、私も疑問を感じる
>ところは多々あります。グリーンピース(後略)

確かに疑問を感じる部分もあります。
例えば、「環境問題を論じる人間が煙草を吸っているのはおかしくないか」と云って居られる人を見かけたんですが、彼自身も環境問題を論じながらオートバイや車に乗っていると。 まぁ、人間ってのは、そういう自己矛盾には甘いのかもしれませんし、環境保護系の団体は、どうしても同じ様な性向の人が集まりやすいでしょうから、そこらの矛盾がチェックされていない団体があるようにも思います。

ただ、環境を汚染する人々(それは我々自身かもしれんのですが)も矛盾をさらけ出している現状ですわね。
そうなると、下手をしたら、矛盾と矛盾をぶつかり合わせても問題は解決しない....ってシナリオも見えますから、少なくとも保護施策を考えるというか、論じる上では、自分を律するとか、本当に隅から隅まで勉強して、環境だけでなく経済とか(食料などの)安全保障までも含めて考えている人々も多いですし、そこまで行かなくても、自分の動きがどういう風に影響するのか、本当に環境に良いのか?を真面目に考えている人は沢山居られますよ。

 ※:で、私もグリーンピースの具体的な行動方法に
   は賛成しかねているんですが、彼らは、ある断
   面においては結構ストイックというか、自己抑
   制をしていることも事実ですから、ここら辺は
   キチッと評価してあげるべきでしょうね。


まぁ、何と言うんでしょうか。
頭を柔らかくして、それで居て細かいところまでしっかりと見据えていかなきゃ駄目なんでしょうね。
(難しい道で、私も全然できてませんけどね。(^^;))

この回答への補足

環境問題について考える必要性に迫られているというのは、ひしひし感じてはいるんですが、一方で、自分の周り、近所レベルではというと、???です。

「紫外線、きついから、なるべく子供にはあたらせたくないし」というと、
「えっ、なんで?子供やから大丈夫やろ。日焼けなんかへっちゃらよ」と返ってきます。
いろいろなアレルギーを持った子供さんのお母さんは、子供にアレルギーを抑える薬を飲ませるだけで、食事は一切、制限させません。かかりつけの病院の先生が、「これだけアレルギーがあったら、食べるものがなくなって、成長できないから、薬を飲ませるだけでいいです」と、ど素人のようなことを言うそうです。「それでは、根本的な解決にはならないんじゃないの?まずいんじゃないの?病院変えたら?」と言ってみても、「無理」の一言で終わります。保育園の先生が、「今日は○○君、牛乳すべて飲めましたよ!」とそのお母さんに言うてはったのには閉口しました。

そら、あかんやろ、と思ったことをストレートに言うてしまうんですが。こんな身近な問題についても、ただのうるさいおばちゃんが何か言うてる、で、終わるんですよね。

補足日時:2002/05/15 10:47
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。お礼、遅くなってすみません。このお礼も、目にされることないかもしれませんね。実は、つわりで、PCを開く元気がありませんでした。

先日、どこだったか忘れましたが、「経済の一部に環境があるのか、環境の一部に経済があるのか」っていうテーマで、講演会があったとか。また、新聞などで、人口問題についてや、環境について、突っ込んだ意見を書いてはる識者も見受けられます。将来についてはやはり悲観してはりますが。

まずは、柔らかい頭で、勉強しなければと感じています。

お礼日時:2002/05/15 10:46

>結局、お金がつきまっとってくる。

お金、お金、…。
それを逆手にとれる有効な手段ってないかしら。

エコロジーを意識する時によく横槍を入れられる要因も「お金」ですね。
例えば、節電したいという質問がきた時に、見せ掛けの経済理論で「どっちがいくらお金がかかる。だから節電は無駄だ」と言わんばかりの理論を並べ立てて悦に浸る方がいらっしゃいます。

確かに、細かな数値を羅列すれば説得力があるように感じるでしょうが、その意識の裏にある「現状の生活を失いたくない」という『エゴ』が見え隠れしています。
エコロジーのひとつの指標に金銭換算がありますが、金銭換算を逆手にとってエコロジーを批判する方々がエコロジーの意識を疎外している現実があります。

当人は「正確な数値を公表することが正義だ」と勘違いしているのでしょうが、数値の出所がエコロジーを念頭に置かない産業界の常識から生まれたものだとしたら、それは『真の正義』となりうるでしょうか。

こういった方は「私は高所からものを見ている」との高慢な意識があり、草の根の意識の効用を低く評価しています。
逆の見方をすれば、産業界に飼いならされていることに気付かない、かわいそうな飼い犬とも思えます。

産業界の生命線である「経済性」を云々している限りは問題の根本解決には程遠いでしょう。
地球環境の持続性を思考の指標とした生活を目指してください。

餅は餅屋です。
細かな数字を並べ立てることが得意な方は、見せ掛けに固執することを止めて、地球の持続性から考えられる真の効率を公表する。
生活の知恵が豊富な方は「おばあちゃんの知恵袋」的な身近な工夫を披露する。

地道な努力をしている方々の気持ちを殺いだり、足を引っ張ったりするような方々の反省を期待しましょう。
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この回答へのお礼

なるほど。お金を介していては、問題の根本解決には至らないと。
確かにそうです。私自身、反省させられました。

>産業界に飼いならされていることに気付かない、かわいそうな飼い犬とも思えます

私は自分のことを、産業界に飼われていることを分かっていて、それに甘んじているアホな犬だと思っています。

いつまでも、甘んじているわけにはいきませんね。

お礼日時:2002/05/02 14:48

>どなたか、もっと大きな目で、社会が進むべきより良い


>道を考えてらっしゃる人はおられませんか。

この部分、「社会が到達すべき姿」という終着点と、「そこへ至る道程」というプロセスとして解釈すれば、多少は別にして、考えている人々は存在します。

ただ、最終的な答えが存在するなら、出版でもすれば人々が彼らの存在を認識できますが、現状では答えが出ていない、それ故に「研究者の姿」(ちょうどZONEやプロジェクトXの内容みたいな)しか伝えることが出来ない、そしてそんな物には誰も興味を示さない....って構図のように感じます。


何故最終的な答えが難解なのか....。
kawakawaさんの「やpoor_Quarkさんの文で非常に良く説明されていると思いますので、それを基礎として考えていただくとして.....。

先ずは生存の基本である「食料」から考えてみますね。

 1.人口の増加を元にした必要量の算出【需要】
  人口爆発は飢餓と貧困が主要因であると(仮定)して
  人口減少が発生している国々(例えば日本)並に
  それらの国を「発展させた(終着点)」としたら、
  世界の人口/エネルギー消費/食料必要量はどの程度
  になるか?
 2.それを支えるための方策【供給】
  終着点のスタイルを支えるためのエネルギー/食料
  居住地/政治体制の供給体制はどうなるか?
  また、廃棄物の量に対して地球が耐えられるか?
 3.現在の姿からの移行方策【施策】
  現在の姿と終着点(理想)を比較して、そのミスマ
  ッチを解決するための方策はどんなものか?


人間は「生存最低限の環境」では満足せずに、例えば利益配分や安全保障の欲求も持ちますし、悪いことに先進国って「彼らにとっての一つの理想型」が存在する現状では、彼らがその姿を目指す欲望が生まれやすいですし、その動きを否定もできませんし、実現のためのエネルギー消費も減少しないですわね~。

 ※:エネルギー
    化石燃料など「熱源・動力源」だけではなく
    「食料を消費して何かを成し遂げる人間の労力」
     もエネルギーとして捉えています。

これを、どうやって解決するのか....。
「なにを」「どの様に」いじると解決できるのか。
エネルギー制限や製品の制限なんて手法もありますが、単純にやると危なさそう。

 ※:日本は食料自給率がカロリーベースで40%前後。
   不足分は工業輸出による外貨で輸入しているわけ    ですので、経済活動の制限されると食料への影響
   も懸念されるでしょうし....。
   例えば、国際的に車の生産が制限されたら。
   日本の車輸出は確実に落ちますが、それ以外にも
   各国で余剰労働力が発生して、それが他産業に
   移動して国内生産が伸びると、日本の他の輸出品
   が各国々内生産されて、思いがけない部分まで
   輸出が伸びなくなって云々とか。


政治的手法や法律によって欲望を抑え込むだとか技術によ
ってエネルギー効率を向上させる、宗教の力(紛争の危険
性排除)なんて手法もありますわね。


他方では「エコロジーを追求する活動」に対してもキチッと評価しないといけないでしょうね。

つい先日現地を見る機会が有った事例ですが....。
日本では「エコ製品」というふれこみで、非合成系の洗剤(石鹸という奴ですが)が売られていまして、その原料に椰子オイルの生産工場を見たんですが、マングローブ林の破壊/近場の生態系破壊/汚水処理の不備etc...と、日本が快適に生活するツケが他の国に行っているなんて感じでした。

でも、トータルで見ると難しいんですよ。
日本でエコを目指す欲望とエネルギーは否定出来ない側面を持っていますから。


で、結論としては、やはり教育が大切なのかな?

 ※:教育者が存在し得るか?って難題もありますが

人は何か(エコでも良いし経済活動でも良いし)に対して人間は活動するエネルギーを持っていますが、それを一つの理想型に収斂させるために、キチッとした終末点を示していく必要があるんでしょう。

そして、そこへ至る方策については、ある程度の大綱を示して、些末な部分は個々人の考えや活動にゆだねる事になるんでしょうが、ここで教育が生きてくるでしょう。

 ※:問題意識はもっている人間の、そのエネルギーを
   空回りさせない為の指針っていうか、思考能力で
   すね~。


雑ぱくな文章でしたが....。

結局、経済活動を否定しては食糧問題も解決せず、自然保護活動も方向を誤れば無意味であり、かといって現状の方向性では早晩行き詰まりが発生しそうです。

そして、それに対して思考する人間も居りますが、彼らが考えても解決する能力が足りず、根本的に「彼らだけが思考するんでは、解決の根本要件を満たしていない」って現状ですから、より多くの人がこの件について正しく考えて、そしてリスク(欲求の制限)を甘受する覚悟が必要とも感じております。

結局は、正しい思考に基づいて行動することですかね?

 ※:何が正しいかについては、私も納得はして
   おりませんが.....。

この回答への補足

皆様、ご助言、ありがとうございました。この場を借りて、もう一言。
答えていただいた方は男性の人がほとんどでしょうか。男性は、多方面から物事を見ることができる能力を持った人が多いですよね。回答には感心させられました。一方、環境悪化や戦争を招く原因になるのも男性であるとも。

うちの夫でもそうですが、無意味(夫本人はそうとは思ってないんですが)なことに突き進んでいく性があるような気がします。

女性は、母性があり、感受性が豊かで、守る、という方向に意識が働きやすいのだと思います。だから、環境問題について感心のある人が多いのだと。

女性は強くなったようで、まだまだなのでしょうか。男性と女性の力のバランスが取れてないから、偏った方向に社会が進んでいってるのかも知れません。
男性と女性が協力して、この問題に対峙する必要性を強く感じました。

また、何か思うことがあったら、どうぞご助言、お願いします。

補足日時:2002/05/01 13:44
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
環境破壊による甚大な被害を実際、先進国の人々が体験しないことには
何も始まらないのではないかという気がしてきました。
虫歯でも痛みで耐えられなくなってから歯医者に行き、過去の不摂生を反省するもんですもんね。のどもと過ぎれば…っていうのもありますけど。

その時になって、子孫が、なんとかしてくれるのを期待するしかないのかもしれません。

皆さんのおかげで、私がすべきことも見えて来ました。例え小さな力であっても、環境の悪化を遅らせるための努力をする、ということです。

エコロジーを追求する活動について、私も疑問を感じるところは多々あります。グリーンピースなんて、その最たるものかな。
エコを追及する人って、純粋な人が多いから、利用されやすいという側面もあると思います。

結局、お金がつきまっとってくる。お金、お金、…。
それを逆手にとれる有効な手段ってないかしら。

お礼日時:2002/05/01 13:35

敢えて「自信あり」として困難なテーマに回答させていただきます。



質問を見てから考えをまとめる努力をしてきましたが、まとまらないまま回答する愚行をお許しください。

人間が、生物種としての『人』として、地球上で如何に生息環境を整えてゆくかに意識を集約することが重要でしょう。
言い換えれば、すべての親が種の保存の仲介者であるとの意識をもち、「自己意識」を放棄する必要に迫られるということです。

意識を変えるということは、すなわち「教育」を意味します。
現状の教育機関(学校)が行っている教育ではなく、親が子へ生きる力を授けるための知恵の伝授です。
現在、知恵の伝授はほとんどの家庭において行われておりません。

人が動ける範囲は昔から「四里四方」と言われてきました。
行動範囲を広くしようとすれば外部からのエネルギーを必要とします。
だから人の行動は身の回りに重点を置く必要があるといえます。

しかし、情報を広く共有することには多くのエネルギーを必要としません。
過去に人間が過ちを起こした原因として情報を広く共用しなかったことが挙げられます。
負の情報を共用することで、人はその英知を生かすことが可能となります。

一部の異端児によって人間社会が私物化され、個人の力の差のレベルとはかけ離れた『力』の差が生じて貧富の差が生まれています。
富豪と呼ばれる方々が、神から与えられた能力を間違った使い方をして、自分の利益を増殖するために使用していることに気が付かなければなりません。

世の多くのお母さん、心あるお父さん方にお願いしたい。
あなた方一人一人の子育てが今後の日本の方向性を決めます。
地球の進む方向を決めます。

百年後、千年後の自分の子孫が生存するためには今の自分はどのように行動するべきなのか真剣に考えましょう。
便利なことにインターネットが使えるお蔭で有効な行動規範に関する情報も入手できます。

あとは、真偽を見極めるための選択眼を磨くことです。
これは習う物でも教えてもらう物でもなく、自ら『会得』する物であると考えております。

人には向き不向きというものがあります。
政治の世界に飛び込んで高所から大改革を目論む者、草の根に埋もれながらも脈々と増殖する者、自らの居場所は確立せずともあっちこっちと動き回って情報屋となる者。
これらすべての者の力がひとつの方向性を持ち始めた時に世界の流れが変わると思います。

中国の故事に『隗より始めよ』とあります。
出来る人から、出来ることから始めることが肝心でしょう。
塵も積もれば巨大な山となることは、例えは悪いのですがゴミの処分場を考えれば理解いただけるでしょう。
一軒一軒から出るゴミの量は大したことはなくても、集約して継続することにより日本国から溢れ出すほどなのですから。

私は、地域の教育に変化をもたらそうと努力しております。
そのためには自分の子育てを根本から見直すことから始めました。

子供の子供(私の孫)が成長する時代に枯渇する化石燃料を今現在どう捉えるべきか。
二酸化炭素の吸収を期待されている森林が、実は窒息寸前であるとの状況をどのように広報し自らはどう対処するか。
まずはこの二点を重要点として生活を見直し、人生設計を再構築することからはじめて現在も試行錯誤の最中です。

皆さんも、『出来ること』はやりましょう。
出来ることをやらないから始まらないのです。
やり始めればものすごいエネルギーが生まれ流れは一挙に変わると思います。

それだけ一人一人の受け持つ役割は小さくないということだと思っています。
最後にもう一度、

----------  隗より始めよ  -----------
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
教育によって、子供の意識を変えることで社会は変わるという意見に私も共感します。皮肉なことに、子供までも食い物にされる、お金こそが際優先される世の中になったのも、教育やすりこみのせいだとも思います。

>すべての親が種の保存の仲介者であるとの意識をもち、「自己意識」を放棄する必要に迫られるということです。

ごもっともです。私自身、それに気づいたのは、2人目を産んでからでしょうか。
自己実現、自分探し、etc。ようするに自己中ですよね。世の中そういう風潮なので、つい、本来の目的を忘れ勝ちですが。私達は、子供を育てるために存在するんだと思います。遺伝子にプログラムされてるんでしょうね。だから、やがて来る苦難の時代を憂いながらも、3人目まで作っちゃったんでしょうねー。

最近、自己実現の放棄どころか、子育てを放棄するというのか、せざるを得ないというのか、そういう社会になりつつありませんか。
保育園が足りないからどうとか、自分達の生活が苦しくなるから子供は作らないとか。じっくり子供につきあって、母性を育てていく余裕がない。新たに保育園を作るよりも、保育園に預けないでいいようになった方がずっといいのに。

知恵の伝授…。私は、誰にも頼らずに生きていく力だと解釈します。大切だと思うんですが、いかんせん、私自身、親から受け継いでいないんで厳しい。ただ、私は自分の父親については真偽を見極めるための選択眼は持ってると思うし、そんな父の後姿を見て育ったということに誇りを感じています。同時に、子供のためにも、できるだけ誠実に生きようと努力はしています。頑固で、右へならへが嫌い、というだけかもしれませんが。

お礼日時:2002/05/01 13:06

 生命や文明は「環境」を必ず食います。

人が生活し、文明を築けば当然の帰結として自然の「環境」は汚れ、次第に生存に適さないものになっていきます。これは程度の差こそあれ、どんな生命、文明でも原理的に必ずそうなります。さらに環境への適用の能力が大きければ大きいほどそのスピードは速いでしょう。単なる「生命」現象の場合、自然の調整機能がはたらく間は、食物連鎖のヒエラルキーの動作原理を通じて、個体数の調整が行われる結果、長く存在を維持できる可能性がありますが、「文明」を持つに至った存在である人間の場合は、自然の調整能力の限界をはるかに越えて「環境」を変えていきます。結果「環境」を食うスピードは加速され、食べるものがなくなったとき、唐突に終末を迎える可能性があります。

 人類が直面している環境問題、食料を含むエネルギー問際、人口問題は密接に絡み合っていますが、そのうちベースとなるのは人口問題です。人口の増加をある程度押さえることができれば、他の問題も自動的に緩和されます。どっかの変質者が「理性」的に多弾頭核ミサイルを世界の主要都市1,000都市ほどに向けて発射すれば話は別ですが、戦争に限らず、何らかの自然の成り行きによって人口を急激に減らすことなどほとんど不可能でしょう。

 それに人間は生殖に関しては野生動物とほとんど変わらない特性を持っています。ライフラインが途絶され未来に対する希望をなくしたとき、その心理的圧迫や滅亡への強迫観念から逃れるため、やることは一つなのでしょう。大戦直後の日本でも出産数は急激に増え、結果として戦争関連死による欠損を大きく上回る人口増加がありました。また、昨年の同時多発テロの後アメリカでは出産数が増えたとか聞きますが、ことほど左様に戦争や混乱が人口を減らすということは、結果として絶対にありません。逆に過去の統計で見る限り戦争や混乱状態は地球人口は増やす作用を持ちます。

 人口抑制は衣食住が満ち足りた状態で極めて理性的に実行するか、今の日本のように子供を作り育てることが個人的に大きな経済的圧迫となるような政策を意図的に(?)実施しなければ成功しません。人類は地球上に登場して以降殺し合いを繰り返してきました。その結果人口を減らすどころか、指数的に増える一方となっている現状が、戦争は人口を減らすことができない何よりの証拠で、これを解決できるのは、逆説も含めて「理性」だけだと言うことになります。

 しかし、考えてみると地球上のほとんどの地域で衣食住が満ち足り、教育の普及によって理性が行き届いた状態にするには気の遠くなるほどの時間と手間が必要です。それに現在の広い意味での経済システムは、基本的に利潤の介在が前提となります。福祉、教育、環境行政等々理論的に短期の利潤追求とはなじまない社会活動でさえ、利潤という目的なしに行えない経済環境ができあがりつつあります。その例として、畜産業など一人分の肉を生産できる同じ面積に農作物を育成すれば100人分の命を支える穀物が生産できるとされていますが、利潤を追求すれば食肉生産に傾くのはしかたがないことです。(日本では、ほとんどの大規模営農家は大きな借金を負っています。)

 また世界中にあまねく「理性」を行き渡らせる過程ですら、さらに「環境」が食われることになるでしょう。具体的には森林は減少し、エネルギー消費は増え、化石燃料は消費しし、その結果大気はその汚染度を増し、農作物の作付け面積を大きく増やさなければならず、このことは逆に砂漠化のスピードを増加させることにつながります。

 具体的な解決策は愚かな私には分かりませんが、現時点ですら世界中の余剰に発生する経済価値をこの問題に解決のために本格的に使い始めなければ、いずれ目も当てられない惨状をを招くことになると予想しています。現に昨今発生している深刻な民族紛争の背景には南北の経済格差があり、それらすべての問題の底辺にあるのは人間による「人間性」の欠如であると考えています。

( 人間が他の野生動物と違うのは「人間性」を持っていることです。ここでは他人の立場に立ってものを考える「知性」と、人の痛みの分かる「想像力」を2つあわせて「人間性」と呼ぶことにしますが、人間性を持つ可能性がある存在は、地球上では人類だけです。)

 ところで、人類が生産した余剰の経済価値の大きな一部分は軍備に姿を変え、民族紛争や軍備自体の維持に消費されます。日本では生産性のない公共事業に巨額な税金を費やしたり、高級官僚が競争馬や愛人を買ったり、経営に失敗した大企業の経営者に巨額の退職金を与えたり、政策秘書の給与と称して大金を政治家にばらまいたり、細かい話はどうでもいいですが、そんなことをしている場合じゃないぞ、あんたたちはエリートだろうが、とついグチを言いたくなります。

 農薬を使うとか使わないとかの問題も大事ですが、じつは政治や経済と言った、普通の人なら避けて通りたい大きな問題と真っ向から向き合わないとこの問題に関する実質的な解決はないと感じますし、私は悲観的な見通しを持っています。生活の中でゴミを出さないようにする、多少高くても農薬を使っていない農作物を買うようにする、電気自動車に乗るなどの行動も当然必要ですが、環境問題に関しては政治や経済を含めた全地球的な視点がそろそろ必要になるかと思います。

 私自身は投票にもあまり行かないし、玄関の前にこんな話をする人間が立っていたら、声を荒げて「帰れ」と言いかねないほどのしょうもない人間ですが、突き詰めて考えるとそういうことにしかならないような気がします。どうでしょうか。

 野生動物のように環境の変化を甘受して滅亡するか、知性と人間性を発揮してそれをとりあえず先に延ばすか、ひょっとしたら今この時代が大きな分岐点にあるのかもしれません。悲観的だと書きましたが、あと千年はこの文明は持たないと思います。SF映画のような宇宙文明を築くことはたぶんできないでしょう。もし宇宙に神様がいたら、「もうちょっとだったね」と声をかけてくれるのかもしれません。その神様は人類が滅亡した後、ダイオキシンとか有機水銀、6価クロムとかPCB、トリハロメタンなんかを必須構成物質にした生き物に文明を築かせるかも知れませんし、どこか遠い星でアミノ酸の合成からまた始めるかも知れません。そこまで達観する意味も必要もありませんが、環境の維持のため個人としてできることは極力全部やる、だけどそれ以上は深刻にならないようにする、これが私のコンセプトです。


 ドブの中のゾウリムシが松島菜々子にラブレターを書くような文章でしたが、最後まで読んでいただき感謝します。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
なるほど!人口問題は本当に大きな問題ですね。貧困が人口の爆発的増加を招く。
そもそも、それを招いたのも先進国だし、助長しているのも私たち…。

>環境問題に関しては政治や経済を含めた全地球的な視点がそろそろ必要

ごもっともです。同時に人口問題についても。私自身、その視点が大きく欠落していました。

2050年には地球の人口は100億人になるという予測もあるそうです。
人類はいつまでもつのか--。私もかなり悲観的なんですが、子孫のためにも
とりあえず、環境問題について、もっと勉強してみます。

お礼日時:2002/04/30 04:39

世界の貧困を無くし,世界の環境を守る‥


本来はこういう姿をとるべきであろうということは誰もが考えることでしょう。
けれども‥
日常生活において,外国の資源を使った家に住み,外国の資源を使ったエネルギーを使い,外国の食糧を食べ‥国内では‥
現在の生活を維持するために他国の貧しさを利用し,他国の環境破壊を進めているというのが日本の実情ですネ。

昭和30年代の高度成長期からわずか30年ほどで日本は世界一裕福な国となっています。
失業率云々といっても,定職を持たずにフリーターとして生活を楽しんでいる人も沢山いますし,路上生活者であっても世界の多くの飢餓地帯からすると夢のような贅沢な食事を摂っているというのが日本の姿といえます。
けれども,この繁栄はほとんどが外国からの輸入に頼っているわけですネ。
これが平和裏に輸入され続けている限り問題はないのですが‥

太平洋戦争が起こった理由を思い返して見ましょう。
やや遅れて列強の仲間入りをした日本は積極的に外国の資源を狙いました。持たざる国としては,当時としては当然の行動だったわけですネ。
そして,アメリカがアジアでの領土や利権を得るために,日本のすべての外国での権利の放棄を要求するという理不尽な要求を最後通告としたことが発端でしたネ。
すべてを外国に頼っているという状態は,常に危険をはらんでいるものであると言えるでしょう。

ヒトというのは貪欲な生き物です。
仮に世界から国家という概念が無くなったとしても,地域格差として,教育レベルが低く,貧しい地域からのものを裕福な地域が「搾取」するという図式が残ると思うのです。

今の生活レベルを維持した上で「底辺」の国々をかさ上げするという方法ではなく,今のレベルを多少下げ,底辺を上げるという方法でなければ上手くいかないのではないかと思います。
教育レベルが上がると,当然自国と他国の格差に気付き,よりよい生活を望もうとするものですから,現状のような「搾取」ができなくなり,「先進国」は困ってしまうことになるでしょうからネ。

取り留めのない回答となってしまいました。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
そうですね。外国の資源ばかりあてにして、そればかりか、最近では、
海外向けに輸出するものを海外の資源でつくり、現地生産し、現地に売るという
よく分からないものになってきていますね。

日本という、小さな国で見れば、もし仮に、各国から干されることになって鎖国状態に陥ったとしても、なんとかなるんじゃないかと思っています。(もちろん、ミサイルを落とされればそれまでですが)
これまでの贅沢を見直し、無駄な食料や資源の浪費をやめ、また、営業に使っている労力を農業にまわすなどして、なんとかなるんじゃないかと。そういう精神、知恵は我々日本人にはあるんじゃないかと信じています。
(食料自給率は現在3割くらいかしら。でも6割くらい無駄にしたり、贅沢したりしてると思うのは言いすぎかしら)

しかし、現実問題、自分たちのことだけ考えていればいいということはない。
う~ん。

お礼日時:2002/04/30 03:25

100人の村という話が話題になっています。

その中で日本人は100人の中で最も恵まれた境遇にあるとされているようです。実際そうなのでしょう。
一方、最貧国とされている国々の人は、貧困や食糧難にあえぎ国連をはじめとする支援組織の努力にかかわらずその苦しみは一向に改善されません。
でもこう考えることもできます。最貧国で支援組織の努力が報われ、子供の死亡率が激減したとしたらどうなるでしょうか?
子供の増加は食糧難に結びつき、さらなる貧困の増加に結びつく可能性があるのではないでしょうか。(医療支援はするべきだと思います。)
最貧国の多くの貧困の原因は、戦争(内乱)と環境の悪化による農業の衰退による食糧難にあると私は考えています。人が生きるためにはどうしても火を使います。
火を使うためには燃やすための木を必要とし、木を伐採することにより砂漠化が進行します。いったん砂漠化してしまった土地に植林してもその植生には莫大な費用が掛かり実際に植林事業をしようと思っても出来ません。
砂漠化した土地には水もないために農業は衰退し食糧難が起こります。
栄養失調の体が不衛生な水と舞い上がる埃と寒さにより、病気を発祥しやすくし病人を看護するために、労働力がそがれます。そのような悪循環が起こっているような気がします。
もし国連が最貧国でその国の人々を雇用して植林事業をはじめたら悪循環を断ち切ることが出来るのではないかと私は考えています。生活が安定すれば教育が出来るようになり、時間経過することにより農業の回復も出来るかも知れないのです。
基本的に人間は食料の無い状況では生存することが出来ません。
そのことを考慮すれば、食糧自給が出来ない最貧国に現状のままでこれ以上の支援をしても回復は望めないのかも知れませんね。
偽善に聞こえるかもしれませんが、今後最も重要なことは環境の改善であるような気がします。地球全体の環境が悪化すれば貧困層はさらに増えます。そうしないためにも地球環境の回復は重要なものなのではないでしょうか。
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