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以前 http://okwave.jp/qa2623743.html の質問をした者です。

モーツァルトにはチェロを主役にした作品はほとんどありませんが、モーツァルトは他にも調性の選択の幅が少ないように思います。
調性が絶対的な意味をもっていなかった時代でもありますが、バッハは「平均律クラヴィーア曲集」にて24の調すべてで作曲しましたし、ハイドンには嬰へ短調やロ長調の交響曲があります。一つは有名な「告別」ですね。その曲は最終楽章で嬰ヘ長調という異例の調性を採っています。
そんな中モーツァルトの曲はほとんど♯♭3ついないで書かれ、その他にはホ長調のピアノトリオがあるぐらいだとおもいます。
なぜモーツァルトはバッハやハイドンのようにロ長調などの#♭が多い曲を書かなかったのですか?

A 回答 (13件中1~10件)

モーツァルトは初めての独立プロフェショナル作曲家でした。

王侯貴族、教会の所属を離れて生きた人です。民衆のための楽曲、アマチュア音楽家のための曲の方が重要になっていったのではないでしょうか?
なお、バッハの平均律は誤訳です。wohltemperiertは「良く調律された」という意味で、平均律ではありません。
また、鍵盤楽器以外での合奏、弦楽器、管楽器、合唱などでは、5度は純正で演奏しますから、鍵盤楽器の調律を意識しすぎる必要はないと思います。
うがった見方ですが、チェロの高い音域の演奏より、ヴィオラを自分で奏でる方が良かったのかもしれません?
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No.11の補足です


ハイドンとベートーヴェンは鍵盤曲ではキルンベルガー音律を使用していました。この音律の特徴はC-durのトニックだけはミーントーン音律と同じ響きがしますが調号が増えるにしたがって三度の濁りが大きくなっていき、Des-durとAs-durのトニックの響きが最も悪く、ピタゴラス三度です。したがってDes-durを主調にすると和声的な曲が書けません。彼らのピアノ曲ではこの調を第一楽章の第一主題の主調にはしなかったはずです。そして、b-mollはトニックにピタゴラス三度を含み平行長調がDes-durなので第一主題の主調として嫌われました。
その他、重記号の頻出するgis-mollやes-mollは譜読面で第一楽章第一主題に相応しくないとされ避けられました。
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モーツァルトの調性を説明する前にバロック時代の鍵盤楽器の音律と楽曲の転調システム、オケや声楽おける音律のあり方、古典派時代のソナタ形式との関連性などについて知っておかねばなりません。


まずは鍵盤曲で使用出来る調性から説明します。
バロック時代はミーントーン音律が幅を利かせており、和声的解決感の観点から、主題の転調前後で両方のトニックが不快に感じることのないように主調を選択する事が求められました。ただし、極端に広い五度音程がトニックかドミナントに含まれる調は使用出来ないと考えられていたようです。ミーントーンを改良したウェルテンペラメントも純正な長三度音程がいくつか残っている場合は大体同じで、モーツァルトも改良ミーントーンを使っていたようです。
清→清
D-dur G-dur C-dur F-dur B-dur A-dur Es-dur
d-moll g-moll a-moll c-moll e-moll h-moll fis-moll
清→濁
E-dur
濁→清
f-moll

古典派時代以前の主題転調の調性についてですが長調は属調が殆どですが短調は平行長調以外にも属短調が数多く見受けられます。それ以外にも若干数ではありますが、長調・短調問わず下属調以外の近親調への転調も行われました。
古典派時代になると調性音楽のさらなる発達により、トニックのみならずドミナントの響きも快適であることが要求され、これが当てはまる調が楽曲の主調となりました。これはソナタ形式における副次主題の導入とオルガンポイントの響きの明瞭化が関係しています。具体的には、
長調
D-dur C-dur G-dur F-dur B-dur Es-dur A-dur
短調
d-moll c-moll g-moll a-moll

オケや声楽の場合ですが基本的に純正調です。旋律的・和声的に純正に音程を取るように日々訓練と努力をしていたようです。
そしてオケの最重要楽器はヴァイオリンです。この楽器の開放弦の多い調を基準にして管楽器とティンパニの製作やダブルベースの調弦を決め、楽曲も作られました。開放弦が最も多く使え、主要トニックの五度が全てオープンなD-durは祝典向け、d-mollは葬送向けで最も人気の高い調でした。続いて、C-durやc-mollは数は少ないですが弦・管の響きがニ調に続いて良く、C管のトランペットとティンパニも使えたのでよく書かれました(しかしながら、短調は主題設定や楽器の数や活躍の都合上殆ど書かれなかった)。
なお、ホルンの替え管はF・C・G・D・A・B・EsでトランペットはD・C・Es、ティンパニはD-A・C-G・Es-B、オーボエはC管、フルートはD管、バスーンはB管で、ダブルベースの調弦はA-F#-D-AA-FF(曲によってEE,EbEb,DD)でした。オケも室内楽もヴァイオリン中心の時代でしたからヴァイオリンの響きの悪い調、すなわち開放弦が使えない調は主調としては嫌われました。
そして、木管は原則としてクロスフィンガリングを使って半音下げたり、サミングで半音上げたりしますので、調号が4つ以上の曲では運指が困難で音程も不安定です。金管、特にトランペットはドミソ以外の音は困難であり、ホルンはストップ奏法ですが三度以上の音程の上下は困難で音がこもってしまい、悪いです。
なお、19世紀末まで中全音律は、鍵盤曲と劇作品を除いた鍵盤楽器を含む純器楽曲で音程を正確にとるために調律替えを活用しながら多く使用され続けました。
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#7です。


自由な転調が可能になったのはウェル・テンペラメントが普及して調の制約から自由になったためではないですか?ウェル・テンペラメントが広く使われるようになった時代からモーツアルトを見てもしかたがないのではという気がします。むしろ、伝統的な音律である中全音を愛好したモーツアルトを理解するには、ルネサンス~バロックの流れの延長線で見たほうがいいのでは?

無数のウェルテンペラメントが考案されたのは、まさにこの転調による表現の自由を獲得するためです。このウェル・テンペラメントの種類多さこそ、調律がいかに重要であったかを何よりも証明していると思います。

ハイドンはよく知りませんが、ベートーベンはキルンベルガーを使っていたといわれますね。ショパンは中全音の強烈な愛好者で、演奏会では調律をかえたピアノを3台、4台と並べて演奏していたといいます。

オケの場合はかなり事情が複雑なのですが(楽器ごとに基本となる音律が異なるので、それをどうゆう流儀で調和させていたのかがわからない)、映画のように勝手に頭の中で音がなってそれをただ書くだけなんてことはないでしょうから、自宅で鍵盤楽器に向き合いながら作曲をしていたとすると、鍵盤楽器がよく響く調に限定されるということはあると思います。
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Nr1です。

おせっかいとは思いますが回答の中に少し誤解が若干おありのようなので専門家としてもう一度回答させていただきます。
質問に誘導されてうっかり同調してしまいましたが、♯♭が3つくらいは19世紀中ごろまでのオーケストラ曲では少なくとも普通です。そのわけは主に金管楽器のせいです。詳しくは後で書きます。
ミーントーンで演奏できる調性が♯♭3つくらいと言うのも、少し短絡的かと思われます。
交響曲、弦楽カルテット、オラトリオなどの主調と言うものと、そこから転調して行くのとは全く別のことで、たとえばモーツアルトの39番の終楽章ではEs-durから短3度上のGes-dur(実際には譜面を読みやすくすると言う判断からエンハーモニックでFis-dur)に一挙に飛ぶ所があります。(スコアのお持のかたは50小節からです。)曲はこの後展開部でかなり大胆な転調(例えばE-durからe-moll、115小節)、主に3度転調を駆使いています。その他、ベートーヴェンもハイドンも枚挙に暇はありません。
詳しく調べてみたわけではないですが、これらの作曲家もその他多くの作曲家も生涯書いた曲中、すべての調性を使っていたことは経験上からもほとんど断言できます。転調の仕方と言うのは、不協和音をどううまく使うかと同じくらい作曲家にとっては大事なことで誰しもそれに精力を傾けていたと思います。決して調律法などで挫ける訳がありません。
と言うわけで交響曲第N番 N調というのは主調であるという意味しかありません。
では何故こういった調が圧倒的に多いか。それはオーケストラではナチュラル金管楽器の管のせいです。トロンボーンは別として、トランペット、ホルンは主に曲の主調の管を使います。この管は抜き差しして使うのですが、どのくらい種類があるかというと、C,D,Es,E,F,G,A,B(B♭)です。Asはありません。お分かりかと思いますが、この辺が主調の真相かと思われます。特にトランペットは記譜でドミソ以外の音かなり困難なのでモーツアルトはティンパニーとほとんど同じような機能でしか使っていません。こういった楽器は主に主調とその近くの調で活躍し、遠い調になると姿を消します。
では鍵盤楽器の入った曲はどうなのか。たとえばピアノコンチェルト。
これも同じような理由で主調は同じようなものです。しかし転調は自由自在です。どうしてか。ここからは想像ですが、例えばC-durの曲が転調で As-dur さらにエンハーモニックで gis-moll のような転調をした時の少し濁って不安定な響きになるのをこの時代の人は結構楽しんでいたのではないかと思います。それに第一作曲家たるものがC-durで始めたシンフォニーをG-durとF-durとA-moll だけの転調で書くわけが無いのです。(おもちゃのシンフォニーと言う例外もあるけれど)
さらに一言加えると確かに調律法の理由もそれなりにあって鍵盤楽器の響きが良い調を用いたのは確かです。しかしかといって曲中そのせいでこういった大家が転調に躊躇したとは到底思われません。ベートーヴェンの後期のピアノソナタなどを参照してください。
時代が少し下って19世紀中ごろから金管楽器が飛躍的に改良されて半音が出せる、現代の楽器とほとんど同じになりました。この頃になると作曲家も少し大胆になって、この間も話に出た「新世界」の2楽章は第一楽章のe-moll の同主調 E-durから金管楽器の美しいコラールで Des-durに転調します。そのほかボロディンの2番だったかFis-mollですね。そして終楽章は確かFis-durだったと思います。この辺は金管楽器の改良の成果ではないでしょうか。
因みに鍵盤音楽では、シューベルト(1797-1828)はアンプロンプチュで既にGes-durをつかっているし、ショパンは黒鍵系の調性の大家です。
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#7です。


例外については個別に検討して行く必要があるのだと思いますが、モーツアルトが中全音律を愛用したというのは結構有名な話のようです。検索してみれば分かりますが。たとえば、下のURLのページには

『・・・モーツァルトは、「正しい響きの伝道者」と呼ばれたほどの純正律主義者(鍵盤曲は中全音律で演奏していた)であり・・・』

とあります。(中全音律は器楽(主に鍵盤楽器)では実用にならない純正律を、3度を純正に保ちつつ実用に耐えるようにように修正したもの。)

どこまでご存じの上で書かれているのかわからないので釈迦に説法かもしれませんが、『モーツアルトだけが使用する調の幅が狭い』というのは誤解があると思います。アーロンのミーントーンの登場以来、ルネサンスからバロックにかけてミーントーンが主に使われていましたのでこの時期の曲はたいがいミーントーンで演奏できる調になっているそうです。下の方にも書いてありますが、バッハが多くの調を使ったというのも誤解で、バッハの曲のほとんどもミーントーンで演奏できる調が選ばれています。それは当時の状況から考えれば当り前の話で、そのような演奏できる調が限られているという常識の時代にあって、新しい調律法(ウェル・テンペラメント)なら24の全ての調で演奏できることを示したものが日本では平均律クラヴィーア曲集と訳される(誤訳といわれる)曲集です。バッハの調性も偏っているのです。そしてその理由は中全音律を使っていたからなのですね。(正確には使っていたと推定される・・・ですが。)

参考URL:http://www.archi-music.com/tamaki/string3.html
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素人が横から申し訳ないですが、モーツアルトの調性が偏っているのは、


ミーントーン(中全音律)を使っていたからのようですよ。
ミーントーンでは#三つ、b二つまでの調が使えます。
それ以外の調は、強い不協和音が生じて実用に耐えないらしいのです。

音律についての詳しい説明は、たとえばここ。
http://www5.famille.ne.jp/~dr-m/TALKING/temper/t …

この回答への補足

ん?
変ホ長調とかハ短調はどうなるのですか?

補足日時:2007/01/29 06:47
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Nr,1です。


この間の回答に私のブログにリンクを貼ったのがエチケット違反と言われました。知らずとは言え失礼いたしました。他意はございません。
tio_elemenさんのおっしゃるとおりチャイコフスキーとドヴォルザークのあまりに有名な交響曲もE-mollです。
ただ、ブラームスのそれとほぼ同時代だとは思いますがそれ以前だったか?調べればすぐわかることですが調べずに書く非礼をお許しください。いずれにしても交響曲と言うジャンルが出来てからほぼ1世紀近くE-mollのこれと言った交響曲が無かったことを言いたかったまでです。ハイドン、サリエリ、フンメル、ケルビーニ、などにもしかして在るかもしれません。ご質問の意図とは反対の事柄になりますが。
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どうもNo4です。



≫ということはモーツァルトはそのような実験を行わなかったというこ
 とですか?

いえ、必ずしもそういうわけではありませんが、ハイドンの方がよりチャレンジ精神旺盛だった、ということです。モーツァルトもかなり大胆なことをすることもありましたが、ハイドンほど多岐にわたっているわけではないのです。ごく簡単に言えば、ハイドンがどれだけ工夫を凝らせるかを追求していったのに対し、モーツァルトは音楽の純度を何処まで高められるかを追求していった、ということができると思います。
モーツァルトはやはり基本的には「他人の良いところを吸収して、より洗練された作品を作ることができる作曲家」だと思います。No2の方がおっしゃっているように、無駄をなくした簡潔な中での最高の音楽表現を目指していたのでしょうね。

ろくな回答になっていなくてすいませんm(__)m
う~む、あまり参考にはならないかもしれませんね…(T_T)
それではまた(+o+)
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モーツァルトとは直接関係ないのですが…



ハイドンの作品と言えば一般的には「温厚、明快、快活」といった扱いを受けがちですが、彼の音楽、特に中期の作品には
実験的な要素もかなり含まれています。彼は楽長としての職務を果たすかたわら、比較的自由に使える楽団を使って
いろいろと(楽曲構成、楽器の使用法、調性などを)試していったんです。これはハイドンが仕えたエステルハージ家が比較的
外部との交流が少ない土地に本拠を置いており、同時代の作品に幅広く触れる機会が少なかったことと、彼自身が
新しい可能性を自ら開拓していくタイプの作曲家だったことが主な理由だと思われます。
モーツァルトをして「ハイドンは人を楽しませたり驚かせたりする天才」と言わしめたその特徴は、この時期の様々な試み
あってこそのものなんです。

質問への回答にはなっていませんが、この薀蓄がtio_elemenさんの
ハイドンのロ長調の謎の解決への手助けになれば幸いです。それでは。

この回答への補足

ということはモーツァルトはそのような実験を行わなかったということですか?

補足日時:2007/01/08 13:41
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