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以前、1月1日の決め方に付いても質問がありましたが、
以前から気になっているのは、
時間がどうして決まったかです。

1秒の定義ではなく、時刻の決定法についてです。
朝の10時が、日付変更時刻の0時でもいいわけですし、
(通常の労働時間ですから、ややこしいですけどね)
グリニッジの南中時間が12時なっていないようですし。

A 回答 (6件)

<<通常の労働時間ですから、ややこしいですけどね>>



まさにこれではないでしょうか。

太陽が南中する瞬間が一番正確に時刻を決定できますね。また、南中する(太陽が一番高くなる)タイミングは一番わかりやすいです。

ですが、みんなが仕事している最中に明日になったら話がややこしい、だから、ちょうどその反対の真夜中みんなが寝ている間に知らない間に明日になっている方が都合がよいのでしょう。


もちろん朝日が顔を出す瞬間が一日の始まり、も合理的です。が、

日の出、日の入りは季節によってずれます。

10時をちょうど1日の始まりでもいいですが、10時の時の太陽の位置も季節によって違います。

そんなわけで、真夜中が一番合理的かな、というわけです。

日本は昔は 明け六、暮れ六など日の出日の入りを基準に時刻を決めていました。それでもいいですが、季節により、1時間の長さが違いました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

結局のところ、こうして決まったという定義はないのでしょうかねぇ。

お礼日時:2007/02/08 20:57

西洋では日の出から日の入りまでを12等分していた。


これが原因らしいです。

もちろん、時間の長さが変わりました。
サマータイムはその名残りなのではないでしょうか?

時間を1時間も勝手に変えてしまう。
日本人には考えられない感覚です。^_^;

>グリニッジの南中時間が12時なっていないようですし。
12等分した結果だと思います。

海(航海)の場合、水平線がアテにならないので、
南中時間の12時を日の始めとしていたらしいです。

時計技術は相当進歩していたらしく、
13世紀には分や秒が既に決められていました。

日本は当時、鎌倉後期~室町前期と言う時代です。^_^;
これから約200年後、鉄砲、時計が伝わります。
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この回答へのお礼

十二等分して、なぜ夜中の0時と決定されたのでしょう。
別に現在の0:05が0:00分でもいい訳で、

そのあたりのきっちりした定義をご存知じゃないすか?

お礼日時:2007/02/08 21:00

ついでにいうと, 今の中近東では「日の入りが 1日のはじまり」でした.

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この回答へのお礼

知りたいのは、現在の時刻の決定法なんですよ。

お礼日時:2007/02/08 21:03

古代エジプトでは1日が24時間だったそうです。


http://www.bao.go.jp/stardb/his/data/his0075.html


こちらも参考に
http://www.bao.go.jp/stardb/his/his_list.html
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この回答へのお礼

今でも、1日が24時間ですよね。
一月一日は分かったのですが、午前0時の決定の仕方が
どうも未だ分からないですね。

お礼日時:2007/02/08 21:05

A1 です



<<結局のところ、こうして決まったという定義はないのでしょうかねぇ。・・・・>>

さがしましたよ

あなたがご満足いけるような(?) サイト。

ありました


<<1900年の初め近くで太陽の幾何学的平均黄経が279゜41'48".04となった瞬間を起点
 とし、この時を暦表時で1900年1月0日12時とする。>>

さらに

<<1984年からこの暦表時にかわる体系として採用されたのが力学時である。これは
次のように定められる。
oTAIで1977年1月1日0時0分0秒を力学時で1977年1月1.0003725日とする。
o力学時の1日は平均海面における原子時計による秒の86400倍とする。>>


これでいかがですか?


このサイトの上から下までごゆっくりごらんください。

そしてご理解ができましたら、小生にもわかりやすく解説してください

どうだ まいったか!(笑)

参考URL:http://www.ffortune.net/calen/calen/zikoku-taike …
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この回答へのお礼

おー、これが正解ですね。

結局、何のことかさっぱりですね。
まったく理解できませんね。

すっきりした様で逆にわからなくなりましたね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/08 22:12

http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX …

明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)
「時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ニ十二時ニ分チ午前幾時ト称シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称候事」

太陽暦を導入したときの条文です。

#1さんが書かれていますが、かつての日本では昼を6等分夜を6等分にし、午前0時を子の刻、午後0時を午の刻と、十二支で表記しました。卯の刻や酉の刻は季節によって2時間ぐらいの幅で変動していましたが、これを一日24等分することにし、時刻の基準を午前0時と午後0時に定めています。
子の刻と午の刻は季節による変動が一番少ないでしょうね。

これで文明国の仲間入り、「太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ」と気負った文章から時代を感じます。

江戸時代は一日の始まりが夜明けだったという話を聞いた記憶がありました。今回調べてみると、一日の始まりは「朝だった」「夜だった」「子の刻だった」と、わけが判りません。でも十二支の最初の「子」を深夜に持ってきた意図は、一日の初めをそこにおきたかったのではと想像します。
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この回答へのお礼

昔の法律文は、分かりにくいですね。
今の文も独特の言い回しがあって分かりにくいですけど。
法律にもあったのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/08 22:14

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