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いまさらながら・・・
他県の者です。

田中知事は少し変態っぽいですが、がんばっていたように見えました。
少なくともなにもやらない知事や首相とちがって行動していたと思います。
けっこうまともな知事のように映りました。

でも、負けましたね。

新しい知事は官僚的そう(?)ですね。
一昔前の知事という感じです。

あの知事が当選して東国原知事が当選したのも不思議です。
芸能人知事は世論が反対した結果、田中知事が敗れたと思いましたが。

無党派層はやはり田中知事に入れたのでしょうか?
保守的な団体が動いた結果なのでしょうか?

あるいは無党派層含め、田中知事にNOをつきつけたのでしょうか?
長野県民は田中知事が嫌だったのでしょうか?

負ける要因となったのは性格?
それとも政治手法?

長野県民の方かどうか、だいたいの年齢を書いて
ご回答願います。

他県の者として当時少し不思議に思ったことを
思い出したのでいまになって質問させて頂きます。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 まず、基本的に田中康夫の支持勢力は実質共産党ぐらいで、自民は当然のこと、民主の支持母体でもある連合すら村井支持を打ち出していた(ここの民主は羽田元首相がいるなど保守色が強い。

村井を積極的に支持しなかったのは、相乗り禁止と自民に対する嫌悪感ぐらいが理由)。正直、地元は田中以外なら、どうでもよかった面がある。

 で、田中は議会とも当然うまくいくわけがないし、市町村ともうまくいかない。田中自身にも100条委を立てられたり、無党派の割になぜか郵政造反組(守旧派といったらこれ以上ない)に担がれたり、とちぐはぐ。さらに県庁人事をやりすぎて、身内をイエスマンで固めたような印象が出てきた。ビジョンを示しても(この人の場合、そのビジョンが余人には理解できない言語で語られるのだが)足元はぜんぜん固まっていない状態になっていた。
 たとえば、脱ダムも、「じゃあ、ダム抜きで治水できるのか」という明確な回答を在任中にはついに示せなかった。

 本人は直前に起きた水害対策-脱ダムとはまったく関係がない地域だが、やはりマイナスイメージは出ただろう-に選挙戦の前半を費やし(選挙対策のパフォーマンスとも見えるが、ともかく選挙活動は出足が悪かった)、危機感が出たのはかなり終盤になってから。それを煽りきって無党派風を吹かせれば勝てたのだろうが、それはできなかった。

 回答子は選挙前はタマの悪さから田中辛勝と読んでいたが、お日柄もよく、投票率が伸びず(=組織票が強くなる)、あけてみれば開票開始で村井当確が打たれる有様。また、どっちもいや、という層が不投票に回った可能性もある。

http://info.shinmai.co.jp/2006chijisen/2006/08/1 …
に選挙後の世論調査が乗っているが、ご祝儀を含めても、村井に対する無党派の支持率は結構高い。特に支持層の「田中離れ」が結構激しい。
http://info.shinmai.co.jp/2006chijisen/2006/06/2 …
http://www.nagano-yoron.or.jp/pdf_report/2006/20 …
では支持率動向。
 このページで気になるのは、過半が対抗馬擁立を望んでいるが、一本化には興味がない、としているところ。つまり、何でもいいからほかを!という感じ。
 また田中の全体的な手法にはかなり強い拒否感が出ている。

 つまり、改革ムードは維持してほしいが、田中は選挙時においてかなり飽きられており、その手法ではこれ以上の打開が見込めない。だったら安定性のありそうな村井で、ということになったのでは。

県外人、30至近。商売上の都合でウォッチ。
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昨年の知事選挙で田中先生が落選したのは


マスゴミの偏見報道のせいです。
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田中知事は他県から見たら、かなり頑張ったように感じます。


私は生理的に合わない、「カマっぽい」「キモイ」ですが、知事としては応援したかったです。

ただ、全議員を敵にまわすやり方は利口ではなかったのかな?と思います。

周りの人間は田中知事の周りを嗅ぎ回り、スキャンダルを探しまわったと思います。
当然、どんな議員でも県費で本(まんが)を買うなど探せばいくらでも出ます。
出ない議員はいないでしょう。
したがって敵が多かった田中知事はスキャンダルによって失脚したわけです。
ある意味、民意の操作をしたのだろうと考えます。
知事が失脚したおかげでダムの再開発が決定しました。
ダムの開発は数十億の仕事です。半分は国からでしょうが、結局税金です。
得する人間はわずかなのです。
しかし、得する人間に限って権力があります。

長野も夕張の二の舞にならないように気をつけて欲しいと思います。

最終的にダムを作った知事は何の責任も取りません。責任は県民に掛かるだけですから!
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傍観者が知名度に釣られて飛びつき、秋田ウルズラ。

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見た感じは・・・



『ヘン』でしたが?!
やってられる事、主張されてることは、

現、日本のアメリカ属国政策と相反することだったと
感じます・・

そういう意味で、
見た感じは『国民・県民思い』実は『5年後のアメリカユダヤ政商らに国・県・府・市の地下鉄はじめインフラ事業ら公的資産を
民営化し、
その大株主ユダヤ政商ら大株主のやりたい放題にさせる政策を
着実に進めている

公明党とは

対角線上にある政治家という位置づけが合うと思います・・・

なお・・

共産党と言っても・・
志井氏は気がついたときから、、
小池氏は竹中経済破壊が実施されるとき、
郵政民営化とか国土交通省道路公団の問題のときに、、

その時点までの非常によく調査され、研究された鋭い主張から、
一転して、、
まるで・・やる気が失せたように、
弁論に精彩を欠き、
しかも、、一時、、周防社長らが出演決定実権を持ってる
お茶の間政治番組に出演されたり・・・

あまり、
二元的に、自公VS共産という二元論で見ることには疑問があります。。

民主でも、、、
小沢氏が優柔不断なのは、、
すでに自公人脈に雁字搦めになってる要素が濃いように感じます。。?!?

渡辺こうぞう氏の90才の人に訴えかけるような
とぼけた演出も、、
自公の刺客、、条件次第では民主党内部でどうにでも動くよ・・
ってタイプの政治家に思います。。。?!?

今、議員を見つめるとき・・・

党で見ると謝りやすく、
彼ら一人一人が、
A)日本国民を米軍の傭兵にしたり、
  経済属国化という自由主義経済を推し進めることに加担してるかB)否かで、、

二元するなら、すべきではないでしょうか・・?
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長野県人です。



田中県政の終りころには、田中知事を全面的に支持する人は、皆無という状況になっていました。
それは、知事が議会や市町村長などを徹底的に敵視し、そのため議会や市町村長たちと対立したため、県政が実質的にマヒしてしまったためです。
基本的に田中知事の支持者であると思っています私でさえ、疑問のある人事や行動が多発していました。
そのため、田中氏は、東京のメディアを積極的に使用するようになりますが、それが県民には県政を放棄したように見えたりもしました。
特に、公費出張で東京に行った時、私用でテレビ番組に出ていた事などが問題になったりしました。

私が田中知事の行動に疑問を持ったのは、泰阜村への住所移転でした。
田中知事と長野市長とは犬猿の仲で、田中知事にすれば、「長野市に住みたくない」という気持ちはわかるのですが、県庁まで片道5時間ちかくかかる所を住所とするのは大いに疑問でした。
さらにそれに伴う裁判沙汰などには、はっきり言いまして県民はうんざりしていました。

新党日本の党首になったことも、県政を軽んじていると反発を大きくした事も事実です。

また、談合対策を行いすぎて、その弊害が各所に現れてきてしまいました。
また長野新幹線開通に伴い分離された「しなの鉄道」を県から切り離す事を表明し、沿線住民の反発を買い、撤回せざるをえなくなった事も、尾を引く事になりました。

村井氏の擁立が決まった時点では、ほぼ半々の勢力状況でしたが、知事選前から問題になっていた高校統廃合問題で、統廃合を既定事実としたため、各地区の反発が高まり、一挙にバランスが崩れ、村井氏の勝利へと雪崩れてゆきます。
(高校統廃合は、少子化に伴う生徒減少に対処するため、県内8高校を廃止し近隣の高校に統合し、県内4高校を定時制・単位制の専門高校とするというもので、削減の対象となった地域から総反発を買い、現在村井知事は、それを保留しています)

基本的に、
1.田中知事の理念に反対している勢力(自民党・公明党・民主党の羽田氏支持者など)
2.理念には賛成するが、田中氏の手法を支持しないので、反対の勢力(民主党左派、社民党、改革派市町村長など)
3.田中氏の手法には問題が有るが旧主派の村井氏よりはましであるとする勢力(共産党・勝手連など)
の3勢力が知事選直前の状況でした。
田中氏が知事に再選された時は、2と3の勢力が田中氏を押したため圧倒的多数で再選されましたが、今回の知事選では、2の勢力の人が、村井氏支持や棄権したため、村井氏の勝利となりました。

民主党本部は、自民党候補との安易な相乗りはしないように通達し、心情的に田中氏支持を打ち出しましたが、ほとんどの民主党支持者からは無視されました。
と言いますのは、田中知事以前の県議会は、自民党県議と民主党県議が統一会派を結成しており、自民党と民主党は一体で県政にあたってきました。
田中知事の改革は、当然民主党議員の対応にも向けられていたため、民主党議員も自民党議員と共同して田中知事との対立姿勢をとってきましたから、党本部の指示があっても、田中氏に協力する事はできませんでした。
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私は30年前まで、本籍が長野にあったというだけで、長野に住んだこともありませんが、



田中氏は、例の郵政総選挙で、国政に色気を出したのが致命傷だったと思いますね。
県民は、落下傘で来た県知事は、県に骨をうずめてほしい。
そうやって、県のために尽くして欲しい。

地元出身なら、国政に飛び出してゆくのは応援するでしょうが。

そういう長野県民の心情を、思い切り逆なでしてしまったと思いますね。
結局は、自分の出世のために長野を利用しているだけではないか、という過疎県人の被害者意識を、軽く見たと思います。

ところで田中氏の名刺を破った県幹部氏は、結局田中氏に尻尾をふって、田中氏もそれなりに使っていたようですが、今、どうしているのでしょうね、
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