
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
同時代のほかの御三家も見てください。
徳川光友 1650年 尾張藩主となる。
1653年 正三位中納言
1690年 権大納言
1690年 従二位
徳川綱誠 1667年 従三位右近衛権中将
1691年 参議
1693年 尾張藩主となる。
1693年 正三位中納言
1699年 従二位権大納言(死後)
徳川光貞 1653年 正三位中納言
1667年 紀伊藩主となる。
1690年 権大納言
1690年 従二位
徳川綱教 1676年 従三位左近衛権中将
1690年 参議
1698年 紀伊藩主となる。
1698年 権中納言
1705年 従二位権大納言(死後)
徳川綱吉 1653年 従四位下右近衛権中将兼右馬頭
1653年 正三位
1661年 参議
1680年 将軍後継者となる。
徳川綱條 1690年 右近衛権中将
1693年 従三位参議
1705年 正三位権中納言
上記を見ると各藩とも二代目は時間をかけて極官に昇ったが、三代目は比較的に昇進が早いが、水戸藩を除くと極官は死後に贈られていることが判る。また、昇進の年がほとんど同じであるので光圀の叙任が遅れた背景に将軍家との軋轢はなかったのではないでしょうか。
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