アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

NHKの大河ドラマを見ていてふと思ったのですが
島津藩?薩摩藩?どちらが正しいのでしょうか?
そもそも島津藩と薩摩藩は同一のものでしょうか?
それともまったく別のものなのでしょううか?
薩摩藩、藩主、島津氏これは分かるのですが・・・

A 回答 (6件)

そもそも、江戸時代当時には「**藩」という言葉はありませんでした。

明治以降に、歴史学者が便宜上作り出した言葉です。

別に江戸幕府が公式に決めたわけでも、現在の法律で決まっているわけでもないので、お尋ねのことについては

1) 「鹿児島藩」
2) 「薩摩藩」
3) 「島津藩」

どれでも間違いではありません。特に、薩摩の島津家は日本第二の大藩ですから、1から3のどの表記でも間違える人はおりません。

ただし、現在の歴史の本では、(1)のパターンで「藩の政庁の所在地」藩、即ち「鹿児島藩」と呼ぶのが標準です。

なぜかというと、
A) この表記なら、日本に数百あった藩を全て識別できる。
B) (2)の表記では、一つまたは複数の国を全て領地とする僅かな大名しか表現できない。
C) (3)の表記では、同姓の大名が多数いたので、識別できない藩が多く出る。

例えば、
仙台の伊達家(62万石の大藩)
http://www.asahi-net.or.jp/~ME4K-SKRI/han/mutude …
を1から3のパターンで表現してみましょう。

1) 「仙台藩」でOKです。
2) 「陸奥藩」と呼ぶわけには行きません。陸奥国には多くの藩がほかに存在しましたので。
3) 「伊達藩」と言えば普通は「仙台の伊達家」の事を指します。
ただし、
伊予国・宇和島10万石の伊達家
http://www.asahi-net.or.jp/~ME4K-SKRI/han/shikok …
も「伊達藩」と呼ぶことが出来ますので、混乱が生じます。

(1)のパターンで呼ぶのが一番分かり易いことがご理解頂けたでしょうか。

ただし、何事にも例外があります。
長門国・萩(幕末には周防国・山口に政庁を移す)の毛利家36万石
http://www.asahi-net.or.jp/~ME4K-SKRI/han/chugok …
は、歴史の専門書でも、一般にも、「長州藩」と呼ぶことが普通です。萩藩と呼ぶ方が例外と言えます。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

丁寧なご説明ありがとうございました

そもそも「藩」というのは
「明治以降に、歴史学者が便宜上作り出した言葉です」
そうだったのですね!
納得です、大変分かりやすい説明ありがとうございました。

それぞれの呼び方についての説明も納得です。
WEBで検索しても、複数呼び方があり??でしたが
スッキリしました!!

お礼日時:2008/02/09 14:40

#1です。

二度目になります。

 そもそも藩とは中国の制度でした。日本では新井白石などの儒者が藩という言葉を使用し始めました。『藩翰譜』、『徳川実紀』などです。ここまでは私的使用です。
 明治になり、版籍奉還が行われると今までの大名が藩知事になり、公式に藩という単位が認められることになりました。このとき、同時にできた府、県もそうですが行政区分を示すために政庁所在地(ほとんどの場合郡名でした。)を名乗ることになりました。
 そのとき、長州藩は政庁が萩から山口に移動していましたので萩藩とは言わず、山口藩といいました。
 明治以降の歴史学者はこのときの藩の名乗りの方法を原則として江戸時代まで遡って使用しているだけです。
 山口に移動する前の家臣たちの系譜集は「萩藩諸家系譜」といいますし、吉井藩が吉井に移る前のことを矢田藩とも吉井藩とも言います。

 当然、歴史学者がその行政機構がなくなってから研究するために必要であるため、便宜上区分する単位ですので他の方法がないわけではありません。
 「島津藩」はないわけではないようですが、あまり聞かないとおもいます。「毛利藩」はないわけではないと思います。「伊達藩」はよく聞くというほどではないですがあります。たぶん、私が東北人だからかも知れません。基本的に「苗字+藩」はそう多い使い方ではないとおもいます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

何度もありがとうございます

概念というか、呼び方は「藩」でなかったにしても
別の言い方で当時はあったのですね
中国の制度だったのですか
なるほど・・・

明治以後正式に、公式に?付けたものが「藩」なのですね
ただその~藩という呼び方も便宜上つけたもので
いくつかの呼び方が生まれた

みなさん、ありがとうございます
大変勉強になりました

お礼日時:2008/02/16 22:13

正式名称は#1さんの通りとして、普通はやはり「島津の御家中」等でしょうね。



今で言う「藩」は、江戸時代「どこそこの御家(おいえ)」、「御家中(ごかちゅう)」等と呼んでいたそうです。
ただその御家で禄を食む武士が、自分の主家の「地域」を指す場合には「国元」等とも言ったそうです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

「おいえ」「ごかちゅう」
なるほど、時代劇なんどで耳にしたことがあるような気がします

有用な情報ありがとうございます

お礼日時:2008/02/16 22:06

江戸幕府と呼ぶか徳川幕府と呼ぶか


野球日本代表と呼ぶか星野ジャパンと呼ぶか
民主党と呼ぶか小沢民主と呼ぶか
というようなものでしょう。

薩摩もプチ徳川家と考えたら分かりやすいかも知れません。
徳川宗家(将軍家)と、尾張・紀州・水戸の御三家を島津に例えたら、高橋英樹の島津本家(薩摩藩主)、今和泉・加治木・垂水・重富の島津の分家になります。
今和泉島津の宮崎あおい篤姫が島津本家の養女になるのは、少々強引なたとえですが紀州の吉宗が徳川宗家を相続して八代将軍になるようなものでしょうか。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
なるほど、分かりやすい例えですね

しかし、
江戸時代は藩のことをなんと呼んでいたのでしょうか?
国ですかね・・・

お礼日時:2008/02/09 21:05

国会図書館に残る明治時代の太政官・内閣関係の内申書には、鹿児島島津藩というのもあるみたいですね。



個別としての呼び名と、後世が全体を包括して呼んだ呼び名(たとえば書籍などでそう呼んだほうがわかりますものなど)では異なるのでしょうね。

江戸時代に藩という言葉がないとは驚きです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
おっしゃるとおりだと思います

話それますが
例えば「坂本竜馬」も実際は「坂本龍馬」が正しいようですが
本等の影響で「坂本竜馬」が一般化した
などありますものね

お礼日時:2008/02/09 21:02

普通、薩摩藩でしょうね。

ただ、当時は松平薩摩守家中などといいますね
明治になると鹿児島藩といいます。
島津藩は聞きませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます
私もそう認識していたのですが、調べてみるといろんな呼び方が
あるので??となっていました

お礼日時:2008/02/09 14:41

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!