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江戸末期で、276の藩があり、1万石から50万石以上の大名が存在したと理解します。そこで、例えば1万石とか2万石の大名というのは、何人くらいの藩士を抱えていたのでしょうか。
又これら藩士の数は、ほぼ石高に比例するのでしょうか。

A 回答 (3件)

一万石で約200名くらいだったようです。


二万石だとその倍かというとせいぜい300人くらいでしょう。
石高が増えれば、家臣の石高も増えて、比率としてはは一般的にはすくなくなりますが、島津、毛利、伊達など外様の大藩で江戸・豊臣以前は大領を領していた、ところは過剰な家臣をかかえていたところもあります。
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この回答へのお礼

大変迅速な反応感謝いたします。自分では、一万石で150人、二万石で200人くらいかなと漠然と思っていました。私の専門は経済学ですが、現在歴史が登場する論文を作成中です。役に立ちました。有り難うございました。

お礼日時:2005/06/17 10:57

お役に立てるかどうか分かりませんが、NO.1,2の方のちょっと補足です。



江戸幕府は「軍役令」というものを定め、非常時の際、最低限用意すべき武器や馬、人間を規定していました。これは時代が下るにつれて、負担が軽くなっています。戦がなくなったことが主たる要因ですが、財政建て直しのための余剰人員削除にも影響したと思われます。
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この回答へのお礼

「軍役令」という、具体的根拠が判ったのは大きいです。検索をかけてみたら、1万石に付200人の兵力、という記述がありました。お陰様で、理解を深めることができました。有り難うございました。

お礼日時:2005/06/20 09:47

#1の方の補足ですが、上杉や毛利、佐竹等は関ヶ原の戦いで負けた結果、なんとか改易は免れたもののかなり領地を削られたに関わらず、リストラをしなかった為、かなり余剰人員を抱えて苦しい藩制を強いられました。



ですから、上杉等は当時の同等の石高の藩の2倍の家来を抱えていたと記録されています。
逆に関ヶ原で大幅に領地を増やした藩は石高の割に家来の数も少ない例も見られます。

江戸中期以降は各藩とも当時の流通経済発展等とともに特に江戸表の人員を削減し、臨時雇用の足軽・中間等を雇用するようになり、リストラ及び給料削減を推進しました。

平均はとれるでしょうが各藩毎にかなり事情が異なったのが現状のようです。
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この回答へのお礼

武士の役職は世襲制であろうと思いますので、過剰な人員を抱えていた藩は、経営が困難であったろうと推察されます。有り難うございました。

お礼日時:2005/06/17 10:59

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