プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

今、吉原についての小説を個人で書いています。その中にどうしても?なことがあり、ご存知の方にお答え頂きたいと思い投稿しました。
江戸時代の花魁道中とは、トップクラスの遊女が妓楼から、馴染み客のいる引手茶屋に迎えに行く途中の行列の事を言うそうですが、引手茶屋で宴会をするんですか?妓楼では宴会しないんですか?妓楼は床入りのみですか?

それと、引手茶屋へ客を迎えに行って妓楼へ戻る時はまた花魁道中するんですか?客も一緒に??

この辺りのことがはっきりと分かりませんので、何か以上のことが詳しく載っているサイトですとか、ご存知の方がいらっしゃったら是非教えて頂きたく思います。 宜しくお願いいたします。

A 回答 (1件)

遊郭には、大きくわけて


・置屋
・揚屋
・茶屋

3種類の店があります。細かく言うと長屋女郎のいる長屋とか仕出し屋とかいろいろありますが、今回は関係ないので書きません。
遊女がいるのは主に「置屋(おきや)」です。名前の通り、遊女を置いているだけの場所で、ここには客は上げません。
「置屋」の遊女、太夫・天神クラスがお客さんに呼ばれると「花魁道中」をしてお客さんのいる「揚屋(あげや)」に行きます。
「揚屋」は遊女と遊ぶための豪華な建物です。
「揚屋」で宴会をし、床入りも「揚屋」でです。
なので「花魁道中」のとき、遊女は「マイおふとん」を置屋の男に持たせて行くのです。
他にも着替えの衣装やなじみのお客さんならペアの杯などの道具も持ちます。「行列」というよりも、小旅行、まさに「道中」なのです。
お客さんは朝になると「揚屋」から家に帰り、遊女は「置屋」に帰ります。
とくにこのとき「道中」はしません。

ところで「揚屋」は江戸前半期に流行った、ゼイタクな作りのエッチ用ホテル兼宴会場ですが、
あまりにお金がかかるので、「揚屋」ほどの高級感はありませんがリーズナブルなおねだんで使える「茶屋」が江戸半ばからはやり始めました。
「茶屋」は、自前でも遊女を抱えていますが、「置屋」の遊女を「茶屋」に呼んで遊ぶこともできます。
一応、どの「置屋」の遊女をどの「茶屋」に呼ぶか、などは決まっていたようです。
江戸後期になると「置屋」と「茶屋」が遊郭の主流になり、「揚屋」は廃れてしまいます。
また、遊郭(官許非官許宿場町といろいろありますが)によっては「置屋」がなく、「茶屋」だけのところもありました。

だいたいこれで説明になっていると思いますが、他にお知りになりたいことがあったらおっしゃってください、書きます。

揚屋や茶屋のおねだんや細かいしきたりなどは、岩波文庫「近世風俗誌」の3巻あたりが詳しいです。ちょっと読みにくいですが勉強にはなりますよ。
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この回答へのお礼

somikakudaさん、こんにちは。うわ~、こんなに詳しく書いていただいて本当に有難うございます^^とっても分かりやすく、参考になります。では、もう一つお尋ねしたいことがあるんですが、私の書いている小説は江戸中期(天明です。1784年くらいです)の吉原なんですが、その頃にはもう「揚屋」は廃れたと書いてありますね。すると、置屋(これはいわゆる『○○屋』などと呼ばれる妓楼・遊女屋のことですか?)から引手茶屋に花魁道中をして、その引手茶屋で宴席&床入りをするという流れは江戸中期も変わらずだったのでしょうか?私のイメージではどうも引手茶屋はお客と遊女の仲介所(精算をしたり)で待合室であり、そこへ花魁が迎えに来て宴席のあと遊女屋(つまり置屋?)へ戻って床入りなのかなあと思っていたんですが、そうではなかったんですね?
歌舞伎の助六では意休が三浦屋(多分、置屋ですよね?上記にあるように置屋ではお客は遊ばないはず・・・)で遊んでるので、これはどういう事なのかな?と疑問に思っています。

・そもそも遊女屋=置屋と思っているのは間違いなんでしょうか?
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eve …

ここの説明によると遊女屋でそのまま上がっちゃう客がいたり、遊女屋に宴席の間などがあったりしてて、遊女屋でも客が上がって遊べたのかな?というイメージがあるのですが・・・う~~ん頭がこんがらがってきました><馬鹿ですねわたしは^^;すみませんこんな馬鹿を相手に><

somikakudaさんの文章を読んで大方分かりましたが、細かい質問で申し訳ありませんがシステムがちゃんと分かっていなかったものですから、再度質問をさせていただきました。宜しくお願いしますm(_ _)m

お礼日時:2007/04/03 10:41

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