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先日来、数学の本を読んでおりまして、疑問が起こりました。
自然科学人文科学どちらも不毛だ。

なぜかというと、
自然科学は万人に納得されますね。実に協調的で、かかわる人間間のストレスがない。ところが扱っている対象が、まったく人間的とはいえないものです。いわば自然のワイルドな無味乾燥な世界を理解して満足している(これはもちろん人の感覚で、それに最高のエキサイトを感じることも自由です)こういう分野、人間的でない非生物的な分野でしか、人は全会一致で協調できないのかと。
人文科学は逆です。

それぞれ不毛だ。

これを何とかする考えというのはないものでしょうか。

A 回答 (4件)

 厳しいようですが、かなり偏見が多いと感じます。

もう少し幅広く勉強されると良いでしょう。まず自然科学と人文科学というのはある意味では分離されていますが、学問的には部分的に統合されつつあります。

 これはかつての学問のタコツボ化に対する批判が問題となりました。たとえば、経済学なら経済学、心理学なら心理学、生物学なら生物学・・・とかつては専門を出たら、その特定の専門を出た人たちだけの間でしか対話できなかったのです。
 今、良いか悪いかは別としてこういった区分をなくす総合的な学部が次々に出ているのはこういった歴史的反省にも基づいています。

 自然科学とか人文科学というのはやはり今は便宜上の区分でしかないというのが学問的な常識です。

 自然科学が万人に納得などされていませんよ。たとえば、あらゆる動物実験など、今でも動物愛護主義者たちからは批判の嵐です。自然科学は人間の知を高め、文明を発展させますが、その代償を抱えているわけです。
 人文科学が納得されていないというのも極端です。それが事実だとしたら、テレビでこれほどわんさか犯罪の分析に心理学者がテレビに出てくるのはどうなるのでしょう?

 もう少し幅広く知識を持つことを勧めます。

この回答への補足

少なくとも、人文科学を読んだあとに数学を読むと、どうしてもその乖離が絶望的です。

補足日時:2007/04/24 07:33
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この回答へのお礼

考え方によってはそういうこともいえます。
しかし、たとえばテレビの心理学者ですね。この人のいうことがまったくの全会一致妥当性を持っているか、それは疑問だし危険です。インターフェイスといっても、所詮数学はその証明性に文句をつける人はいない、しかし、人文科学はその余裕があまりにありすぎるということは言えます。

お礼日時:2007/04/24 07:33

私は西洋の格言「汝自身を知れ」ということが本当に可能かと思います。

いわゆる自己矛盾の典型のように思うのです。ご質問もこの格言と関係はないでしょうか。自分とは何かを知ることができると思っていれば感動なども理解の対象になるかもしれませんが、それが可能となってもの分かった感動なるものは求めていたものではなかったということになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

哲学の追求が答えを出してくれるのでしょうか?たしかに「感動」とはどういうものか定義できていずに、ただ感覚を頼りに判断しています。しかし、感覚を信じてもいいのではないかと考えます。むしろ、考えたい。

お礼日時:2007/04/21 09:43

>脳科学でさえ、人間精神に肉薄するという印象にどうも薄いのです。


>それは結局、自然科学の枠組みの中でもがいているように思えるし、

 逆に、そう思いたいだけではないでしょうか?
 それぞれの分野から、それなりのアプローチをしていて、どちらかと言うと脳科学や人間生理学の方が急速に本質に迫りつつあり、人間の精神生活上も実質的に役に立っているのはそういう自然科学のように思います。
 例えば、人間の感情に対するホルモンの影響や右脳左脳の役割、人間の錯覚現象の解明など急速に進歩していると思います。それによって、色々な精神的治療にも役に立っています。

>そういう方法で、本当に人間的な哲学感が深まるとは思えないわけです。

 自然科学では、そういうように必要以上に複雑に考えるのではなく、根本からのメカニズム解明をしていると言うことでしょう。
 
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この回答へのお礼

本質にとはいっても、人生観とか、哲学感とか、道徳律とか、愛とか友情とか信頼とか、そういう問題には到底迫れないのではという印象です。せいぜい「間脳」的な感覚と物質的な動きはどうつながるのかぐらいで、真に人間的な大脳皮質分野には科学は及べないでしょう。つまり
>自然科学では、そういうように必要以上に複雑に考えるのではなく、根本からのメカニズム解明をしていると言うことでしょう
とおっしゃるところに限界性が証明されているということで、これがひどく不満なのです。

自然科学と人文科学あるいは文学哲学道徳律のあいだには、広い無人の荒野が広がっていて、そこにはまさに空虚なくらい空間しかない、その感激を生めることは人間にはできそうもないと思うと、悲しいことです。

お礼日時:2007/04/20 21:58

>これを何とかする考えというのはないものでしょうか。



 どうしたいのですか?
 別に問題ないように思いますが。

 例えば、自然科学で脳の研究が急速に進み、人間の色々な仕組みや感情の発露の研究なんかも進んできています。
 このようなことでしょうか?
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この回答へのお礼

はい、そのような分野に期待したのですが、脳科学でさえ、人間精神に肉薄するという印象にどうも薄いのです。それは結局、自然科学の枠組みの中でもがいているように思えるし、そういう方法で、本当に人間的な哲学感が深まるとは思えないわけです。

お礼日時:2007/04/19 16:39

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