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もし、昭和天皇が戦犯として処刑され皇族も追放されていたら、その後の日本はどのような状態になったでしょうか。
イラクのような内戦状態でしょうか。或いはGHQの占領政策を従容と受け入れていたでしょうか。

A 回答 (19件中1~10件)

昭和天皇自身、自らの処刑も覚悟してポツダム宣言受諾の意思を示したようです。

実際、ソ連(一週間戦争で莫大な戦勝果実を得ただけ)は昭和天皇を侵略の責任者として処刑することを主張したようですし、「昭和天皇処刑、天皇制廃止」は十分ありえたでしょう。むしろ、「戦力を完全に失って降伏した国の王様が、天寿を全うするまで王位にあり続けた」ことの方が、歴史上稀なことです。

昭和20年の日本は、米軍の圧倒的な戦力によって全てを粉砕されて降伏したわけですので、占領軍(米軍)に立ち向かう気力はありませんでした。米軍に立ち向かう武器も民間には皆無でした。また、近代武器を持っていた日本軍をごく少ない損害で殲滅した米軍に、仮に天皇処刑に憤った民間人が竹槍を作って立ち向かったとしても「日本側全員射殺、米軍損害ゼロ」以外の結果はありえないと当時の日本人は骨身に染みて分かっていました。

昭和20年当時の米軍は、都市絨毯爆撃で非戦闘員を焼き殺し、非戦闘員を機銃掃射し、民間人を満載した商船を無警告撃沈する、今よりずっと「怖い」軍隊です。今のように「誤爆で民間人が3人死んだ」などということを問題にする欧米マスコミもありません。占領軍に竹槍で歯向かった日本人が全員射殺されるのは、当時の常識では当たり前です。
(現在、イラクやアフガンの内戦が容易に収束しないのは「21世紀の常識では、占領軍や政府軍に歯向かう民間人をみだりに射殺できない」からです)

昭和天皇は処刑に際し「敗戦の全責任は朕にある。国民は、朕の死を聞いて軽挙妄動せず、新日本の建設に尽くして欲しい」といったことをいい、占領軍はそれを宣伝したでしょう。これも、日本人を抑止する大きな力となったはずです。
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お礼日時:2007/06/01 20:51

 沖縄戦が集結し、本土決戦を準備していた米軍ですが、基本的には本土決戦はやりたくなかったのです。

米軍というのは物量で敵を圧倒するのは得意ですけれど、ゲリラ戦はいやがるというのは伝統ですからね。ベトナム戦争や今のイラク戦争を見ての通りです。

 米軍は天皇制の存続をある程度保証し、かつソ連の参戦があれば無条件に日本は降伏するだろうということを知っていました。日本はソ連を仲介としての停戦工作を模索していましたが、そのやりとりの暗号無線を全てアメリカは解読していましたから。実際ポツダム宣言の案文の段階では天皇制の存続を認める条項も含まれていました。ただトルーマンはその条項を削除しました。

 その理由は何か。原爆の開発です。トルーマンは原爆の開発が間に合うようにポツダム会議をぎりぎりまで引き延ばしました。原爆は対日戦略というよりも今後の米ソ冷戦を見通す形で、日本に投下されました。話はずれてしまいますが、本当に原爆投下は必要だったのか? こちらのほうが問題が大きいと思います。

 天皇を処刑したら日本は徹底抗戦となって、大変なことになるということを一番骨身に染みて知っていたのはアメリカということになります。ですから天皇制の存続はもともとアメリカの対日占領戦略として組み込まれていました。たぶん当時のアメリカ当局者の考えは正しいと思いますが。
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お礼日時:2007/06/01 20:48

したがって、相対的であるが、今も統治主権が日本と日本国民に確保されているとは、現実の国際間では疑わしい。

占領中そして今もそういう意味では憲法を確定すると言うのは、日本国民の名においてでもなく、国家の名においてでもない。占領が制度的であったとか、民主主義的であったということとは別の次元の問題である。
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お礼日時:2007/06/01 20:49

 畿内(大和朝廷ではなく)の集中(的)権力の創建、以来、様々に変化・断続してきたと雖も、その象徴となって、しかも昭和天皇は日本を考える人であり、行為してきた人であり、その中心できた人が処刑を免れたことは、ありがたいと惟うが、人類や世界史の一思想、一文化でしかない、寧ろ、印度を初めとするアジアの精神文化からすれば、非常に欠点の多い、欧米・連合国が支配するための、介在的権威となってきたことが何より、当時の、そしてその後の、また今のアジアと日本人にはとても残念であります。

維新政府は天皇制を非常に優れたものとしましたし、昭和天皇のご訓育もみかど教育としては素晴しい思想です。もちろん理想の日本人であられた陛下は素晴しい個人です。しかし連合国というアメリカはこれを利用し、超法規的に日本人とその国家とその文化を支配してきたし、対日平和条約後の、今もその継続にあります。日本人論でさ迷ったり、日本の文化や気持ちも錯綜しています。(もともと変化の柔軟な民族ですから)、陛下が利用されたことがひとえにその原因だとはとはえませんが、連合国の支配の中に組み入れられることになっていったことは無念です。もちろん他にとるべき道はなかったのですが。
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お礼日時:2007/06/01 20:49

今北朝鮮で「金」王朝が崩壊処断された場合を考えれば良いでしょう。


何れにせよ、それまでの価値観が崩壊した事に変わりがないのですが、イラクの様に宗教が力を持っている訳ではない事と、銃器が一般市民に渡っていなかった事から、内戦が続くと言う事はなかったでしょう。
経済的には当時の東西冷戦の中米国側にいた事は間違いないので、朝鮮特需による経済発展までは同じシナリオだったと思います。
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お礼日時:2007/06/01 20:49

ANo14 すみません誤植訂正。


戦後の民主主義者の私ですりません。戦後の民主主義者の私ですり。
“ません”は削除してください。すみません。
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お礼日時:2007/06/01 20:49

一時革新に担がれて都知事などしていた教育大の教師だった、美濃部亮吉のお父さんの達吉は東大の法学部に勤務していた憲法学者。

天皇機関説で当時権力の槍玉になったが、その機関というのが権能を権力者としては行使しない権力機関であったのか(国民の統一的象徴にして、地位の承認機関)、実際に権力を責任をもって行使する機関であったのかは、ご論文を検証しないと分りませんが、前者は権力者側の密教的で有効な共通認識であり、このことを、顕教の次元に持ち出した達吉教授は不敬、危険思想でしょう。実際はこの前者の密教的立場で、名君としての神話の中で、行動しておられたと存じますので、これは文明国たる立憲君主ではそうなので、英米も理解できることでしょう。だからこそ責任を求めなかった。仮に責任を求めて処刑していたら、英米は対等に対立する、相対的立場になり、日本の戦後を統率は出来なかったでしょう。我々の先輩の中にはしっかり自分の生きてきた、主義と教育に信念を確保し、自分性を、国民性を持し続けたと存じます。日本人論や、十字軍や大航海時代に遡れる、いやゲルマンなどの移動にも遡れる第二次大戦論もしっかり持ち続けることができる側面もあったでしょう。彼ら国連軍は、正義の、上位の立場は持ち得なかったでしょう。日本人としての信条の持し方も、もっと明確であったでしょう。西欧流の哲学、政治形態、社会に対して自国性を持す気持ちを持ちえたでしょう。戦後民主主義に小一の自分は、もっとも欧米ではなく、西欧哲学と民主主義できておりますが、やはり、そういう自分(の側面)欠落ではない、よりどころを探っていたでしょう。偉い先生方が四日後には、くるりと変えた欧米、西欧民主主義の教育宣伝に走り回った頼りない国民に属してきた一人ではありますが。過去のみんなの正義を忘却した言動も、そういうもしも論も反省しなければなならないと、今は無心に古いものも、新しいものも勉強している、文化勲章を、似つかわしくないと、お断りになった、大江さんよりもっともっと幼い、戦後の民主主義者の私ですりません。欧米の哲学と宗教の生徒です。
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お礼日時:2007/06/01 20:49

戦争に反対していたらしい高松宮が天皇になられていたかと思います。

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お礼日時:2007/06/01 20:49

歴史的に見て、天皇家というのは何度となくその存在の危機に遭遇しています。

第二次大戦後の米軍の占領なんてその何回もあった危機のうちの一度にしか過ぎません。
天皇家はその存在を存続させるために、世界でも極めてユニークな手法を使いました。それは「国家権力公認機関」となって時の権力者に「君が権力者である」と公認することによって自らの存在に意義を見出そうというものです。
すると権力者は天皇家を潰して新たな権力を作るよりは、天皇家から「はい、君は将軍」などと官位をもらってその「権威」を利用するほうがはるかにラクチンに国内を統一することが出来るのです。その典型が明治維新ですね。薩長は「錦の御旗」を手に入れることにより大義名分を手に入れ、江戸幕府は「賊軍」になってしまいました。

さて、米軍も結局のところこの「野心なきカリスマ」を利用するほうを選びました。天皇に罪を求めるより、東条首相などを血祭りにあげることによって彼らに責任を、ま、押し付けたような形にしたわけです。
で、もしマッカーサーが昭和天皇を処刑したらどうだったかというと、たぶん、その後の日本国内の共産主義運動がもっと盛んになったと思います。天皇を崇拝した愛国者は心のよりどころを失ってスターリン主義者や毛沢東主義などに「宗主変え」した可能性はあると思います。極右と極左ってよく似てるでしょ?(余談ですが、愛国心溢れる「新しい歴史教科書を作る会」の中心メンバーであるF岡先生はかつてはバリバリのスターリン主義者だったのはそのスジの人たちではつとに有名です(もちろん本人は否定しています)あのベルリンの壁崩壊から社会主義国が次々と崩壊する様を目の当たりにして右翼に転向したそうです)ソ連や北朝鮮、中国などが支援して国内治安はもっと不安定だったと思います。そのため、大きな権力を持った大統領制にして、ついでに(政権を安定させるために)独裁政権にしていたでしょうね。
ちょうど、第二次大戦後の韓国や南ベトナム、フィリピンや中米諸国みたいになった可能性はあると思います。

少なくとも、これほど豊かな国ではなかったことは確かでしょう。そう考えると、日本国内が不安定化することを望んでいたソ連が天皇処刑を主張し、結局アメリカがそうしなかったのも実に「理にかなっていた」ということになります。いやはや、「歴史にIFはない」というのはこういうことなのかもしれませんね。
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お礼日時:2007/06/01 20:50

GHQに国内統治政策上その権威の利用価値を見出され


利用価値があると判断されて身命をまっとうされましたが
やはりひとかたならず、戦争責任の一端は部分的にはありますよね・・・・
仮に、周囲にうまく丸め込まれたとしても
戦前はやはり帝国 みかどの国ですから
今後いつの日か再び政治的価値を見出されて
国家の求心力として利用される日が来るのかも 知れません
まあそういったことには決して巻き込まれないよう
某元総理などとはあまり歓談など 皇族の中心メンバーはされない方が
賢明かと存じますがね
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お礼日時:2007/06/01 20:50

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