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 漢字に関する質問です。
(1)中学校で、「転注」、「仮借」は教えられていますか?「転注」に関しては、諸説あり、定説がないとされているようです。参考書によっては、省略されていたりしますが、実情はどうなのでしょうか?
(2)教えられている場合、どのような例があるのでしょうか? 
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

次の順で述べます。


一 教科書での扱い
二 受験における「漢字の成り立ち」―テキストやテスト
三 補説(蛇足)―部首について

一 教科書での扱い
「転注」「仮借」に言及している教科書は、五社中、三社で、次のように述べています。
学図中一(P47)
>(象形・指事・会意・形声について解説した後、「六書」という見出し名で)このような分類を「六書」と言い、代表的なものは『説文解字』(西暦100年)という書物にあります。象形・指事・会意・形声のほかに漢字の用法からの分類で転注・仮借がありますが、こちらは余りはっきりしない部分があります。

東書中一(P141)(象形・指事・会意・形声について解説した後、「既にある漢字の新しい使い方」という見出し名で)
転注 もともとの意味と関係のある別の意味に使い方を広げること。
 例 楽 もともと「おんがく」を意味する漢字が、「おんがく」はたのしいので、「たのしい」という意味を持つようになった。
仮借 字のもとの意味とは無関係に、字の音だけを借りてほかの意味を表すこと。
例 我 もともと「戈」(ほこ)を表す漢字が、「自分」を意味する代名詞「ガ」にあてられた。
  印度 外国語の音を漢字で書くのも、漢字に音だけを借りるので一種の仮借である。

教出中三(P223)
>(象形・指事・会意・形声についての解説に続けて)漢字は以上の四つの方法で作られているが、そのほかに、すでにある漢字を活用法として、次の二つがある。
転注
 すでにある漢字に別の意味をもたせる用法。
 例えば、「楽」という漢字は本来「音楽」の意味しかなかったが、音楽は人の心を楽しませるところから「たのしい」という意味でも用いられるようになった。それに伴って、「安楽」のような「ラク」という音も生まれたのである。
仮借
 すでにある漢字の音を借りて読ませる用法。「釈迦」「印度」などはその例である。

以上です。大手二社(光村、三省堂)では、「象形・指事・会意・形声」(つまり漢字の出来方)については説明していますが、転注・仮借については触れていません。

二 受験における「漢字の成り立ち」―テキストやテスト

塾向けテキストを作る際には、「転注・仮借」についても言及することがままありますが、最も気を遣うのは、上記教科書の記述にもあるように、「出来方(成り立ち・構成法)」を表す四つと、その使用法・運用法である二つとは別の概念だということを明確に理解させることです。「六書」という言葉から、同列の概念が六つあるように誤解されがちです(誤解させるぐらいなら「転注・仮借」には触れない方がまだましです。光村・三省堂は、異説が多いというほかに、そういう理由もあって「転注・仮借」について言及していないのではないでしょうか。)。
例えば「楽」は、出来方は象形(ここにも異説があり、会意としている辞書もあります。)ですが、「転注」ともされるわけです。その場合、「楽」という漢字それ自体が転注なのか、「楽」が「たのしい」の意で用いられる場合その字が転注なのか、あるいはまた別の概念なのか、はっきりしません。「常用字解」(平凡社 白川静)では、次のように述べています。
>転注については、[説文]に「建類一首、同意相承(あいう)く。考老是なり」と説くが、その意味があまり明らかでなく、研究者の間にもまだ一致した解釈は得られていない。

よって、テキスト・参考書を執筆する際も、上記の東書・教出ぐらいのことしか書きません(書けません)。また「楽」を見ると、意味の変化が字音の変化(ガク→ラク)に対応しているので、この点を転注の属性のように考えがちですが(だいぶ以前、私もそう書いたこともあるのですが)、例えば、同じ現象が見える「省(ショウ・セイ)」や「易(エキ・イ)」が果たして転注なのかはわかりません。よって、字音の変化から一般化した理論を導きだすのは辞めた方が無難です。

テキスト類で漢字の成り立ちについて問題演習をさせる場合は、「○という字の成り立ちは何か」などという問題は一切出さず、ここで述べているようなことをまとめ、文章題にして、「「楽」のように、もとの意味が転じて新しい意味を表すようになったものを□□□という。」の空欄に入る語を書かせたり(選ばせたり)、「□は部首(意符)のさんずいと、「エイ」という音を表す漢字を表す□□□文字である。」の空欄に入る語・字を選ばせたり(この場合は書かせたくない)すべきだと思います(私はそうしています)。

転注・仮借に限らず、「六書」には異説も多く(上記の「楽」もそうですね)、私の手元の漢和辞典を見たところ、「三」について、指事・会意・象形としたものがありました。
そのようなことから、二十年ほど前に群馬かどこか(はっきりしませんが)で出されて以来、公立高校では出されていません(約15~5年前についてはほぼ完全に目を通していたので間違いありません。ここ五年ほどは以前ほど過去問研究を熱心にしていないので断定はできませんが、私が見る限り一問もありません)。国私立高校や中学入試についてははっきりしたことは言えませんが、やはり私が見る限り(有名校)では、一問も出されていないようです。そんなことで、模試に漢字の成り立ちを出題する場合は、解説に、”異説が多く入試には出ないが、漢字を覚えたり漢字について考えたりする手段としては非常に有意義である”と書くのが常です。「転注・仮借」については、問題としては出題しません。

三 補説(蛇足)―部首について
「部首」というのも、共通した概念ではありません。一般には「伸」の部首は偏の部分であり、名前は「にんべん」であると思われています。実際、光村以外の四社ではこのような説明をしていますし、実際の公立の入試問題でも、「伸」の部首は何かと問うた場合、答えは偏の部分であり、その名前はにんべんです。その立場は、”部首=意符説”といっていいと思います。
しかし光村の考えでは(実際にそう説明している)そうではありません。中一P29に次のようにあります。〓はその部分の形です。
>漢字は数が多いので、漢和辞典では、似ているものを集めて同じ部類にまとめてある。
〓(にんべん)……体・作・伸・仁
〓(ひとやね)……今・会・余・介
〓(ひと)……人
 これらは、人の動作や状態に関係するものが多いので、「人」の部にまとめられている。このときの「人」を部首という。部首のあつかいは漢和辞典によってちがうこともあるので、注意する必要がある。

光村の考えでは、偏や旁などは、漢字のどの位置にあたるかを示す概念に過ぎません(それは他社の場合も同じなのですが)。それは一理あると考えます。子供(というか人全般)は、偏や旁などと部首を混同しがちです。その結果、塾の国語教師の中にさえ、「偏や旁とは部首の異名だ」と考える人が出てきます。そうした人は「伸」の部首はにんべん(これはいいとして)で、「申」の方は部首ではないから旁とは言えないと思いがちです(実際に何人かこういった人に会ったことがあります)。しかし、それは、光村以外の立場に立ったとしても間違いです。
その間違いを、光村の立場(偏や旁などと、部首とを全く切り離して教える立場)に立つと、理解させやすいのです。
また光村では、”部首≒意符”説ではなく、”部首>意符、時には部首≠意符”説を採っているともいえます。つまり「部首」とはあくまで辞典を引くときの目印に過ぎない、という考え方です。
以上のような考え方の方が、学界の常識には近いようで、光村としては、自分のところだけが異端のようだが実際には他社が俗説に染まっているだけだと言いたいのではないでしょうか。私も理屈の上では光村に賛成です。
ただ、実際問題として、「伸」の部首は何かという問いに対し、光村と他社とでは答えが違うという大きな問題点(混乱の元)が残るのは事実です。
塾の先生にはその点、十分ご配慮いただきたいと思います。

なお、どちらがより本来的かというと、上記のように光村の方のようです。ただ、他社の説の方がわかりやすく、また巷間広く受け入れられているのは間違いありません。その状況を苦々しく思っていたのかどうかわかりませんが、光村では、二回前の改訂まで、中学校の教科書で「部首」という言葉を使っていなかったと記憶しています(曖昧な記憶です)。そして二回前の改訂時に、満を持して、光村の考える”正論”を出してきたようです(もちろん想像ですが)。ちなみに小学校の教科書では、光村も昔は便宜的な定義・説明の方をとってきていました。今の教科書では次のように書いていますが、「形のうえで目印となるもの」としているところに、意地のようなものを感じます。
小四上P33 「漢字辞典の引き方」の項目
>漢字辞典では、漢字が部首別に分類され、画数順に並べられています。漢字を分類するとき、形のうえで目印ととなるものが部首です。部首にはふつう、漢字のへんやつくりなどの部分が使われます。

なお、上記の少し前にあり、偏や旁について説明した単元である「漢字の組み立て」(小四上20)では、「部首」という用語は一切出ておらず(他社なら必ず「部首」を持ち出してくるところ)、ただ次のように書いています。ここにも「部首」概念と「意符」概念を切り離したいという光村の意図が読み取れます。( )内は私の補注です。
>〓くさかんむり)」は、主に植物に、〓(れっか)は、主に火に関係のある漢字を作るというように、意味をもつ部分(他社なら「部首」とするところ)もあります。

小学校で「部首」を定義しているのは三年生以前の教科書のようです。残念(恥ずかし)ながら私は持っていないので、これから書店へ行って見てきます。
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この回答へのお礼

 お礼を書くのが遅くなりました。申し訳ありませんでした。
 漢字や漢字の成り立ちはおもしろいので、なんとか教えてあげたいのですが、教科書によって扱い方が違うので、注意して講義したいと思います。私が教えている生徒は、三省堂の教科書を使っているものと、光村の教科書を使っているものにわかれるので、さらに注意が必要ということですね。
 漢字の問題の作り方は、とても参考になりました。ありがたいです。
 また、質問なのですが、補説の部分で、
 「光村の考えでは、偏や旁などは、漢字のどの位置にあたるかを示す概念に過ぎません」とあります。
 これは、つぎのようなことと等価ですか?
 たとえば、「伸」の人偏は、「伸」が漢字の中の、部首であるところの人部に所属するということを示す。
 
 

お礼日時:2007/06/21 00:05

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