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学校に提出するレポートで方言について書こうと思うのですが、そもそもなぜ方言があるのでしょうか?話しやすいからできるのですか?でも全国共通にしたほうが断然話しやすいですよね・・・?

A 回答 (12件中1~10件)

以前、アメリカの言語学者が行った方言の発生について研究した内容のTV番組(NHK教育)を見たことがありますが、内容としては以下のようなものでした。



あらすじ:
1.基本的に言語は変化するベクトルを常に内包している。
2.ある言語の話者のグループの中で、影響力のある人の口癖や、いい間違いなどを 周辺の人がマネをし、これを何世代も繰り返すうちに、その言語と出身グループ の言語との差が発生する。(比較言語学では言語距離が開くといいます。)

以下は私見です。
3.人間が直立し発声してから、短期間のうちに方言も発生したものと思います。

方言という言い方は、政治的中心にいる人々がそれ以外の地域の他者の話す言葉を侮蔑的に指していうもののように思います。
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そもそも方言って何なんでしょうね?


私は東北出身ですが、テレビなんかで聞く(年輩の人の)琉球方言を理解することは、ほとんどできません。
また私が本気を出して、ネイティブな東北弁をしゃべったら、
少なくとも東北以外の人は理解できないだろう、という自信があります。
それでも、沖縄も北海道も、同じ日本という国の中にあるので、
日本語というくくりの中の、方言という位置づけになるのです。

世界には、琉球弁と津軽弁より違いが少なく、通じやすい言語同士でも
別の言語と見なされている言語も多いのです。
たとえば、ノルウェー語とスウェーデン語、ウルドゥー語とヒンドゥー語など、
お互いの言葉でしゃべってもほとんど通じる、と聞きました。

でも、一方は「方言」と見なされ、一方は「言語」と見なされるのは、結局、
現在一つの国の中で使われているか、そうでないか、の問題だと言えそうです。

日本と同じか、それ以上に通じない方言を持っている国もたくさんありますね。
たとえば中国。北京語と広東語、福建語、は同じ中国語とはいえ、
それぞれ通訳が必要なくらいです。

方言と言語の違いは、とても難しいテーマで、
そもそも世界中にいくつの言語があるか、という問題に対する正確な答えさえありません。

つまり、日本語がまがりなりにも、日本語として存在しているのは、
歴史的政治的に日本が中央集権国家として成立してきたという背景ゆえであって、最初から「日本語」という形があったわけではない、
と言えると思います。
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原則的には、伝言ゲームのようなものだと思います。



公用語といったものが設定されて、これが各地に伝搬した、という形なら、中央からの距離に応じて、言葉や言い回しは変形していくのではないでしょうか。もともとあった地の言葉と公用語の融合、という事も当然あると思いますが、むしろ、伝わる過程で微妙にアクセントや言い回しが変化した、というほうが納得できる気がします。

近隣では方言でも似通った部分がありますし、中央から離れる程、変形の度合も大きいように思えます。

特徴的なのは、東京と大阪の二つが発信源になっていると思われるところです。東日本と西日本では、全く違った言葉が伝わったような気がします。関西から西へは方言に共通性が見られるものの、関西から東へ同じ距離のところの方言は全く異質です。これは関東圏の言葉との衝突が起こったからだろう、と勝手に解釈しています。同心円上に拡がったのではなく、二つの発信源から波紋のように拡がった結果、二つの点に挟まれた地域では波紋が重なり、2点の外側の地域とは違った形になった、という事です。

例外として、北海道のように開拓のような形で遠隔地からポンと移住した歴史のあるところでは、言葉も標準語色が強かったりするような気がします。
地名も、移住者が馴染みのある名前を用いたりした関係で、各地で同じ名前が使われたりしてますが、言葉も当然、地の言葉でないものが使われただろうと想像します。
しだいに両者は融合し、地理的・距離的な流れでは説明できない、独自の方言を形成した、という事もあると思います。
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方言とは政権のある地域で話される言葉に対する地方の言葉です。

従って日本という概念が生まれた後に地方で話されてきた言葉です。日本国が意識されない時代には方言は存在しません。夫々の言葉は同格です。政権のあった奈良、京都、そして現代の東京で話される言葉を標準語と考えたとき、その他は方言となります。
そしてその方言は中央の影響を書類や人を通じて受けています。交通通信手段が遅れていた時代には、中央の標準語は波紋のように周囲に広がったようです。従って北と南に似たような方言が存在する可能性が高いわけです。こうして時間をかけてある言葉や表現が遠い地方に到着したとき、発信地である中央部では、そのような言葉や表現は古くなり、新しい言葉(音)や表現に代わったとき、昔の中央の言葉(音、発音)を話しているにも拘わらず、方言だといわれるのです。

方言の誕生には他の要素も加わりますので単純ではありませんが、方言に多くの昔の中央の言葉(発音)が含まれていることは学問的にも解明されています。
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「ことば」は生き物だと思います。


たとえば、もし、日本人が南から北に移住していったのだとしたら、「しばれる寒さ」という表現は、南になかったはずです。そういう寒さの場所に住むから必要になったのでしょう。

風土や気候が違う以上は、言葉の発達にも差があって普通です。
テレビで自分の住んでいない場所のことがすぐわかるようになると、方言は死語となっていくでしょう。
言葉は何世代にも渡って受け継がれ、変化したり発展していくものです。

いま、同じ東北弁を話す人々が、一方が北に向かい、もう一方が南に向かい、そしてコミュニケーションなしに何世代かが経過したら、どちらのグループも別の訛りに変わってしまうと思うのです。
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昔は今ほど交通の便が良くなかったので、津軽の人が鹿児島の人とで会話が不自由でもあまり不便は無かったのだと思います。

おおよその文法だけ借りて、その土地で昔から使っていた名詞とか動詞を当てはめて使っていたのではないでしょうか。
読み書きが出来なかった大半の庶民にとって使ったことの無い言葉を覚えるのはとても大変なことですし、生活する上でそれほど大切なことでもなかったのでしょう。

書き言葉は中国から輸入してきてアレンジしたものだから、これはわりと全国共通だったんじゃないでしょうか?

蛇足:昔の伊勢参りなんか、大変なことになっていたかもしれませんね。
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何の根拠もない自説です。


こういったテーマは考えるのが楽しいですよね。
参加させてくださいね。

私は方言は進化の結果ではないか、と考えます。
つまり元々は似たような言葉しか使えなかったものが、
国という概念が形成され地域文化が発達したからだと。

書き言葉と話し言葉は異なっていたわけで、少なくと
も江戸時代まではきっちり別のものでしたし、書き言
葉には地域性が無いか非常に少なかった。
輸入された漢文がベースだった、という事もあるでし
ょう。

そうなると今のメールと同じことで、遠方の人とは文
書で近くの人とは話し言葉でコミュニケーションでき
ますので具体的な問題が発生しなかったのではないかと。

話し言葉はどんどん変化していきます。
同じ時代に居ても世代間で理解できない場合もあります。

地域性が加われば独自の変化を遂げていっても不思議
ではありません。

政略的に敢えて難しくした方言もあるようです。
薩摩言葉は中央からの密偵が紛れ込むことを警戒して
意識的に改造された、とも言われていますね。
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これから、見てきたようなうそをいいますが、あながちうそではないと思います。


とにかく、もっとちゃんと考えてみましょう。

大昔は言葉自体がなかったわけですよ。
各地で(たぶん)「あー」とか「うー」とか言うのが意味を持つようになり、
次第に複雑な言葉になっていった。

1000の村があれば1000の村でまったく違った言葉をしゃべっていたことでしょう。しかし、互いに交流にある村では、言葉が伝わらないと不便なので、近い地域では同じような言葉を使う。

言葉が複雑になっていくのと、言葉が伝わるのが、同時に、ゆっくりと進行したので、今のような状況になった。

また、ことばが発展するのは、(たぶん)文化が発展していた地域や、栄えた町などが早く、日本では京都から徐々に周りに伝わっていった。似たような言葉が同心円状に分布している。

蛇足:
地球語は、まだ一つになっていないので、日本語とか英語とかの方言があります。
普通はそうは言わないけど。
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昔は他の藩に分からないように暗号みたいにして言葉を話していたのが方言になったって聞いたことがあります。

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 方言は必要だからできた、といったようなものではありません(^_^;


 人間の生活圏は、もとよりそれほど広いものではないのです。今だからこそ、一瞬にして世界の裏側のことを知ることもできますし、共通語で放送されるテレビなんてものもあります。

 ですが、昔はそのようなものはなく、「10キロ離れた場所に住む人がどのような生活を営んでいるか」も知りませんでした。
 10キロといえば、自動車でなら10分ほどで走り抜けてしまう距離です。
 昔話にはよく「山の向こう」という言葉が出てきますが、これは「行くことのできない遥か彼方」という意味を含んでいます。

 人と人との交流がないのですから、当然お互いに違う言葉を使うことになります。交流がないので、言葉が違っても不便がないからです。
 だから方言ができたわけです。
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