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僕の大学だけかもしれませんが、教授が定年で退官をしたら他の大学から教授や准教授を呼んできます。
世の中にはPDの人たちがたくさんいて助教になりたくてもなれずに博士号をもっていてもフリーターになる人も多いらしいです。
教授が退官したら准教授を教授に昇進させて助教を専任講師に昇進させたりしてできるだけ助教のポストを空けるようにしたら若手の教育などができると思うのですが、なぜか外部から教授を呼んできて助教の募集をしません。
国立大学を退官した教授が私大に天下りみたいなことをするのも納得しません。PDの人たちにチャンスを与えてほしいと思うのは僕だけでしょうか?

A 回答 (9件)

>教授が定年で退官をしたら他の大学から教授や准教授を呼んできます。



研究者の流動性を促進するという意味では、質問者様の大学のように、他大学から良い教員を連れてくる方がよいのです。そうすれば、その人がいた大学の教授や准教授のポストがあき、他の大学(あるいは同じ大学)の優秀な人がそこに採用してもらえます。優秀な人はどんどん研究環境の良い大学に移り、そうでない人はそれなりの大学にいる、あるいは、研究をあきらめて研究者をやめていただく、というのが健全な姿です。
そういう健全な姿が、いずれは、優秀な若手にポストを与えることにつながるのです。単に退職者と同じ研究室にいるというだけで、業績もない助教やPDを昇進させるのは健全ではありません。(質問者さまの大学の助教やPDの方が優秀でない、という意味ではありません。)

内部の助教あるいは講師から准教授にそのまま昇進させることはしない(つまり、昇進したい場合には他の大学に移るしかない)、という内規がある大学もありますし、助教や講師には2~5年の任期をつけているところも多いです。また、公募については、内部からの応募者と外部からの応募者を区別せず、内部からの人が外部からの公募者と競争して勝てそうな人であれば昇進させるところもあります。そうやって、研究者の流動性を保ち、空いたポストに、より優秀な研究者を採用しようとしているのです。

質問者さまの大学での、他大学からの採用が、公募なのか一本釣りなのかわかりませんが、公平な採用という意味では、公募をするのが一般的になってきています。

公募でないとしても、教員は頭数がそろっていればいいだけではないので、年齢構成・専門分野構成(担当できる授業やゼミ)などから考えてその人しか候補者がいないということもあります。もし、退職された教授の先生が大学院で博士課程の指導を担当されているのであれば、同じく博士課程の研究指導ができる人(博士課程の指導ができるだけの業績があり、その審査に通る人)でないといけなという条件もあるかもしれません。

>国立大学を退官した教授が私大に天下りみたいなことをするのも納得しません。

一概に天下りだとは言えないと思います。その研究分野で業績をあげていない国立大学退官者には、私大どころか非常勤の口もありません。

大学や分野にもよりますけど、国立大学の方が私大よりも研究に割ける時間が多いので、単純に言えば、国立大学の教員の方が論文がたくさん書ける=研究業績が多い、のです。つまり、ある年代で教授になれるくらい業績が多い優秀な研究者を探したら、たまたま、国立大学退官者であった、ということかもしれません。

>世の中にはPDの人たちがたくさんいて助教になりたくてもなれずに博士号をもっていてもフリーターになる人も多いらしいです。

博士なんて珍しくもないのですから、博士号を持っているだけでは職は得られません。世の中には、博士号を持つに値しない博士号取得者もいます。准教授なみの業績があり、学会で何度も受賞しているような優秀なPDでも、常勤の職を得られないのが現状ですから、優秀な若手が就けるようなポストを新たに設けることも必要かもしれませんが、PDと言っても単なるモラトリアムで博士まで行っちゃったような社会性のない人もいますから、PDと一口にくくるのはいかがなものでしょうか。(私自身もPDをしていましたので、任期付きの職で糊口をしのぐ苦しさはわかりますが、愚痴を言っても始まりません。)
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定年教授を雇うのは、主としてネームバリュウのある人がほしい場合です。


助教は、特にPDの場合、能力が未知数な場合があるのと、やはり、ポスト削減のため、教授や准教授を雇うことが多いようです。
手前味噌ですが、私は、31才で国研から国立大学へ技官として移りました。そして、38歳で私大へ講師として移り、その大学で助教授となったのち、47歳で准教授として別の私大に移りました。
このように、いきなり助教になれなくても、業績を上げることにより入り込むことは可能です。しかし、ずっと、向上心をもって、頑張ることが必要でしょう。
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「3割経験則」というものが有るそうです。


Mr. Giantsこと長島さんの生涯打率は3割を超えているとの事、この事が如何に偉大なことかは誰もが認める事です。
これを大学に当てはめてみますと、
10講座有ると、研究業績を活発にだしている講座は3研究室ぐらいと考えられ、残り7講座はまーまー、そこそこ業績を挙げていれば良いほうです。それでも当事者は、能力がないからと自分で認めて職を辞し、若手に禅譲する事がないようですね。
現在、Ph.D.取得者は毎年5千人近くあり、3年に以内にパーマネントの職が得られのはその3割で、残りはポストドクを渡り歩き、それでも35歳までに職が得られないと悲しい事にポストドク渡り鳥となって行かねば成らないのが現状です。結構40歳を過ぎても独身でポストドクをしている人がおります。諦め切れないのですね。もうこの年ではよほどの即戦力にならないと会社は採用しません。
>PDの人たちにチャンスを与えてほしいと思うのは僕だけでしょうか?
優秀なPDはいつの時代でも職を得ていきますから心配は入りません。
一番困るのは、人生のモラトリアムとして大学院に残った人です。
>国立大学を退官した教授が私大に天下りみたいなことをするのも納得しません。
企業は年功を廃し、生き残りに必死です。大学も「競争の原理」を導入しないと沈滞してしまいます。優秀な教授の天下りならどんどん推し進めるべきです。
特に国民の血税を投入している大学、機関、研究テーマであれば優秀な人材を採用すべきです。
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私の学部(地方国立大、文系)のケースをお話しします。



今の大学病院などになる研究室制度というものが昔(教授の話では10~20年くらい前)は文系の研究室にもあったそうです。
「A研究室」があって、そこに教授、准教授、講師、助手と4つのランクがあったそうで、最低でも4人分のポストがあったわけです。
しかし研究費削減のため今は教授のみ、良くて教授&准教授しか残っていません。また准教授も教授の弟子というよりは、肩書きに准がついているだけで、やっていることは教授とほとんど変わりません。

つまり、単純に大学教員のイスが減ってしまったため、空きが出たとしても若手にまで回ってこないのではないでしょうか?
近年は国立大学が独立行政法人化したため、さらに教員の補充がされにくくなっています。

私の研究室は教授が二人いらっしゃいますが、一人が今年度で退官いたします。私学への天下りなどはなさらないようですが、その教授の跡を大学側が補充してくれるのかどうかさえ怪しいです。
私学へ天下りもどうかとは思いますが、まずは教員を増やせないところに問題があると思います。
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天下り教授を呼ばずに、その分、助教を・・・というのは、どうなんでしょうか・・・。

教員の年齢配分とかを考えた上で、あえて教授を募集しているのですから、それで若手のパイが奪われるって事はあまり無いと思います。むしろ、その天下り教授の人脈を使って、良い若手研究者を連れてくる事だってできるんじゃないですかね?

教授が退官後、その研究室の准教授が昇進できなかった場合というのは、その准教授が教授に嫌われていたとか言う場合や、転入してきた新任教授が兄弟子だった、とかでなければ、おそらく、学内政治で負けたって事だと思います。若手のチャンスどうのこうの以前に、その昇進できなかった准教授には「数年で出て行ってね」と、『肩たたき』されているんじゃないでしょうか。その研究室の若手にとってはとんだトバッチリですが、新任教授の師匠・弟子筋にとっては、ポストが増えたという事でしょう。

あえて穿った見方で回答してみました。
しかし、、ドクター就職の壁は年々厚くなるばかりですね。民間就職の間口さえ広がっていませんし・・・。
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同感です。


新設の場合は文部科学省の教員審査に合致できる教員を招聘します。しかしながら、ここで言う教員とは研究者で研究者が教育者というわけではありません。(文部科学省は論文数=業績と看做し、教育力とは合致しません)
准教授が教授になるには遵守すべき項目がありますが、(職位変更に伴って明確に表現されました)最近殆ど博士号を取得しているからその条項はクリアしていると思います。
では何故なれないか、それはその人ではまだネームバリューが無いからです。だからせっせと学会に行って名刺交換をするのです(と、風刺)
博士号を取得している人で研究者を目指し大学に採用された人は助教出しかるべきだと思います。(この立場は修士でもいいと個人的には思います)
先ず、大学は基礎教育機関、文部科学省の認識を改め、研究者育成は大学院大学で、そのような時代に変化しているように思います。
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むしろ、質問者さんの大学のようなやり方が最近増えている気がします。


これまでは、教授が退官>弟子の助教授が昇進>その下もくっついて昇進というパターンが良くありました。同じ研究室でなくとも、師匠ー弟子の関係にある教え子が後を継ぐのは良くありますね。
しかしながら、最近は全く研究室のつながりが無いところから、業績が豊富な比較的若手の教授をつれてくるケースが増えています。
国際・国内で競争が激しくなっていますから、どうしても活性が高くて素晴らしい結果を出せる指導者が必要になるんですね。
ある系列の研究の流れを守りつつ、新進の指導者を育てていく、というのも良いやり方だとは思うのですが・・・

>PDにチャンスを与えて欲しい。
私(PD)もそう思います・・・
大学院重点化以降、博士やPDは増えたのですが、結局その後の受け入れ先は増えていない、というか減っています。
アメリカに比べて、一般企業への就職も盛んではありませんし。
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私立大学に出入りの多い者です。



安直に国立を定年になった教員を招聘してテキトーな教育をしている大学があるのは確かで、それは批判されるべきだと思いますが、一般論として国立大教員の再雇用を否定するのは難しいと思います。

国立大学の定年はおおむね65歳だったと思います。文・社系の研究者の場合、むしろこれから一生の研究のまとめに入る時期です。また、教育者としてもベテランである方も多く、今日のように平均余命が伸びている状況のもとでは、早く引退せよと言うのは本人に対して酷であるだけでなく、社会的に見ても有効な人材活用とはいえないでしょう。実際、第二の職場で活躍しているベテランを何人も存じ上げています。

多少ともまともな大学であれば、教員の年齢構成のバランスを大なり小なり考えています。中核的な教員を自分の大学で育てる力量の弱い大学であれば、どうしても一定数の教員は他大学から招聘せざるをえないでしょう。

また、大学院を維持するためには、一定の研究教育実績のある教員を必ず一定の比率で配置しておく必要があります。この審査はこのごろかなり厳しくなっているので、若手ばかり採用していると、これが守れなくなる危険があります。

ただし、若手のポストをもっと作るべきであるというのには賛成です。私学助成などで若手の登用に傾斜配分されるようになれば(いまもごくわずかそうしたものがありますが)、多くの大学が現状を再考するでしょう。

あえて異論を述べましたが、あくまでこうした実情や考え方もあるという紹介ですので、ご理解いただければ幸いです。
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楽に稼げなくなるからです

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