プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

柳生や武蔵と当時の運動神経抜群の農民が真剣で勝負したとします。農民が無茶苦茶刀を振り回して破れかぶれで立ち向かったとして、勝ち目はどの程度あるのでしょうか?また負けるとしてどのような戦いになるのでしょうか?世界チャンピオンのボクサーにけんかの強い小学生が殴りかかっていっても瞬時に決着がつくでしょうが、それほどの差があるのでしょうか?映画のように達人が刃をかいくぐって常に勝つのでしょうか?私の身近な剣道の有段者が、「真剣で昔の人が勝負したのが信じられない。」と言ってました。(自分は怖くてできないといいたかった)と解釈しているのですが。また、剣道の試合を見ても勝者も結構竹刀を体に受けていますよね。達人とその他の人の歴然とした勝負の差があるのかどうかの判断材料を教えてください。

A 回答 (6件)

古武道の修行者です。



#5さんも書いていらっしゃいますが、「真剣に」戦うのと「真剣で」戦うのは、全く違います。
私たちは真剣を使って居合の練習をしていますが、真剣はうっかりしてちょっと触っただけで切れます。これが目の前に来たら恐いです。

また、私たちは木刀で形の練習をしますが、激しく打ち合うので木刀はぼろぼろささくれ立っています。これで首の頚動脈を斬る技の練習なんかした日には、背筋が寒くなります。間違って首に触ってしまうと、木のささくれの棘が頚動脈に刺さるかもしれないんです。

そんな練習をしていると、素人がめちゃめちゃに振り回す真剣はとても恐いです。
素人はコントロールができないので、斬ろうと思ったところを斬ることができず、違うところを斬りつけてしまいます。ですから、うかつにかわそうとすると、そっちへ刀が飛んでくるかもしれないのです。

私が真剣を振り回している素人と戦うとしたら、切っ先が触れ合うぐらいの間合いで、切っ先だけチョコチョコと触って見せます。すると恐らく相手は恐怖心から、刀が私に全く届かない距離で、ムチャクチャに振り回すでしょう。そうやって疲れさせ、疲れてへばったところで切伏せるなり、なんなりして料理します。

まともに戦うなんて恐いことはしません。


ところで、津本陽氏は時代小説というフィクションの作家であって、歴史的な事実を調べる考証家ではないので、彼が「誰それは何人斬ったと思う」と言っているのは空想であって事実ではない、ということは承知しておく必要があると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。実際に真剣を扱っておられる人の意見を聞けてうれしく思います。「切っ先だけチョコチョコと触って見せます」という点が素人と達人の差なのだとおもいます。私がもしそうされたら、おじけづいて確かに距離を置いて刀を振り回すでしょうね。しかし、逆に最初の段階で相手が自分よりも上手だと思ったら、背水の陣で、破れかぶれで前進しながら振り回すかもしれません。そうなるとやはり達人といえども簡単に負かせるわけにはいかないと思えました。それほど日本刀の威力はそれをあやつる人間の実力というか訓練の差を埋めてしまうものだと思いました。それにしても素人はまったく達人には歯が立たないという意見と、それほどの差はないという意見があるように思うのですがどちらのほうに私の考えを組したらよいのか決めかねます。

お礼日時:2007/10/06 01:03

アメリカで使えなくてはならないとする伝統空手を教えています。

 (詳しくは私のプロフィールを見てください)

その素人がどれだけラッキーだったかによりのです。 この考えは実際に武器を持った(使えなくても)と戦買わなくてはならない立場にいる人が勝つために訓練するときに必要な考え方なのです。

それがナイフであろうと拳銃であろうとバットであろうとなんであろうとなのです。 そして、これらに対して素手で戦えないのであれば空手ではない、と信じ、できるように教え、出来るように教えられる指導者を指導してきました。

居合い道を真剣で(真剣に、ではなく)身に着ける訓練をしている私ですが、真剣と言うものを知らない人が多すぎるのです。

竹刀を怖がる人はまずいないでしょう。 木刀であればその恐怖は高まりますね。 そして、それが居合い刀に変わり、真剣に変わるときに、綺麗に技として切られなくても自分の肉が、骨が切られるのです。 そして、奇麗事なしに、相手の体を、鶏の裁いたり、ステーキをステーキナイフで切ったりする以上に、切りさばくのです。

この感情はほとんどの日本人が感じることは出来ないでしょう。

しかし、自分は立ったままの状態でいるときに、精神異常者がよく砥がれた出刃包丁で自分の体を刺したり、もっとグロテスクに言うと、病院の手術室の解剖と同じことをその精神異常者がすると考えください。

台所で調理しているときにちょっと指を切る、と言うのとはわけが違うのです。

武道で流派の動きに忠実すぎる生半可な(結構すごいと言うことです)技術を持っていれば、相手が出来る人であれば、決まりきった動きをするその忠実な人の技はよけたり避けたり反撃することは出来るのです。

「おぬし、柳生流だな」なんてわかってしまったらその時点でもう負けだと言うことなのです。

決まりきった動きのない、その動きをすでに土台として自分の武道を自分に作り上げた人であればそれだけ負ける確率が低いと言うことでもあるのです。 だから、使える儀実を自分のために作れと言っているわけです。 

さて素人の方です。 めちゃくちゃにかかってくる決まった動きがないと判断したら負けなのです。 動きが見えない、と言うことだからなのです。 素人であれば素人であるほど、実は、決まりきった動きしか出来ないのですね。 つまり、武器の使い方を知らないから自分の筋肉だけを使った動きをするわけです。

よって、かなり「命を懸けて訓練してきた」人にとってはそれなりに「相手の殺すかもしれないけど」負けないわけです。 

だからこそ、真剣での武道では、相手を殺さずに自分も傷つかない、と言う目標が存在するわけですね。

また横道にそれてしまいました。

私は真剣と言うすばらしい、そして長い「出刃包丁」はどんな武器よりも一番怖いと弟子や指導員養成員にはっきり言っています。 相手の真剣に当たれば自分の肉が削がれるのです。 触っただけでも切られるのです。 これはお分かりですね。

めちゃくちゃとしか判断できない素人の真剣は、マシンガンで一秒に10個の玉が出てくるの避ける以上に危険が自分を襲ってくると言うことなのです。

木刀と木刀との戦いではないのです。 もちろんしないとしないとの戦いではないのです。 一秒に10回死神が襲ってくるのです。

時代劇では主人公がばっさばっさき切っていくを見ているわけですが、想像してください。 地面に倒れている人たちの体を。 自称ぶどうをやっていると言う人でも言われて見なければ想像することもないでしょう。 

真剣は「切れる」と言う知識を持っていても、その犠牲者がどのように「切られている」のかはその知識の中にはないのです。

小さなナイフでいわゆる「ずたずたに切られた」と言う被害者を見たことがある人はどれだけいるでしょう。 それが、1メートル近い鋭く研かれた出刃包丁なのです、刀とは。

この事実を体で知らざるを得ない立場の私からの回答は、よほどの実力がある人でも50%の確率くらいしかない、と言わざるを得ないのです。

もう少し書かせてくださいね。

この50%は自分が刀を持っているから50%なんだと私は言うのです。 

???ですか?

なぜ、空手(試合やテストだけの空手ではなく)が「使える」のか、と言うことになるわけです。 空手を誇張しているのではなく、いわゆる「武器を持たないからこそ」武器に勝てる自分を創る、と言う根本的な観念があるからなのです。

相手の攻撃を避けるのもひとつでしょう、よけるのもひとつでしょう。 しかし、ちょっとでも触ったら肉がそがれてしまうめちゃくちゃにかかってくる相手には避けたりよけたりは出来ないのです。 もちろん「素手で」受けることも出来ませんね。

真剣と言う両手を使う武器を持っていては「動きが取れない」と言うことでもあるのです。

相手の止めなくてはならないのですね。 とめることが出来るのは空手しかないのです。 1秒でも2秒でも体の接触を許す、あるいは自分からするほかの武道ではその1秒で殺されるのです。

自分のすべてを使う空手だから立ち向かえるのですね。 素手だからこそ立ち向かえる自分を創らなくてはならないと言う根本的な原動力が違うわけです。

と言うことで、また横道に反ってしまった感がありますが、ご質問の状況で100%勝てる、少なくとも負けないと言うことでさえも、事はまずないということを知ってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。めちゃくちゃな素人の動きは実はきまりきった動きしかできないというのはなるほどと思いました。それを見切れる実力者が勝つということですが、ただ、真剣の恐怖の前にはよほど実力があっても50%ぐらいの確率でしか勝てないということですね。今までの方のご意見とは少し違うみたいな感じを受けました。要するに剣の実力の差はそれほどはっきり、切り結ぶ刃の下では現れないのではということだと思いました。それにしてもプロフィールをみて驚きました。

お礼日時:2007/10/04 22:41

サバイバルゲームのチャンピオンとアメリカ海兵隊の兵士が戦う以上に差が出るでしょう。


私は西洋剣術(フェンシングではなくもっと歴史的な物)をまなんでいますが教師の一人、盾と剣のエキスパートは1:7でも勝利しました。(相手は経験1年ほどの練習生)
遊びでやっている我々でもこのくらいの差が出るわけですからそれを本業でやっている人は24時間、365日頭の中でイメージトレーニングをし、練習を繰り返し、経験を積んでいるわけです。
もう一つ、やぶれかぶれで剣を振り回してバーサークできる時間は長くて10分です。本職なら、それを冷静に判断します。いかに冷静に行動を取れるかは経験が長いほうがパニックになりません。パニックになったら終わりなので体力のある農民は100%負けます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。西洋剣術のお話は参考になりました。また、やぶれかぶれは10分しか続かないという点はなるほどと思いました。すぐに相手する必要はないわけですから。

お礼日時:2007/10/04 22:26

たとえば、暴れん坊将軍や桃太郎侍のような大人数を相手にした立ち回りというのは、ただの空想の産物です。

宮本武蔵VS吉岡一門というのがあるじゃないかと言われるかもしれませんが、あれも後日脚色されたもので、史実ではあんなことは行われていないというのが通説です。勝負という意味では、まだ必殺仕事人のような1VS1で不意打ちというほうが、確実に現実味があります。
先に出た武蔵と吉岡清十郎の最初の一騎打ちでも、ひと太刀入れたほうが勝ちというルールで行ったもので、負けた吉岡は死んでいないといわれていますし。

まあ、そう言いながらも、技術の差は歴然ですから、素人では、よほどの偶発事故でもない限り、勝てないでしょう。たとえ竹槍で襲ってきても。弓矢ならそうも行かないでしょうが、素人では射れませんし。

剣道は、べつに当てられても、切れはしないから、俗に言う骨を切らせて肉を絶つ戦法ができるので、有効にならないようにすればいいということです。そもそもルールが違うということ。また、たとえば手甲などの防具をつけての果し合いなどもあったでしょうし、それなら剣道と同じような攻め方はありえます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。長い竹槍でも歯が立たないのですか。技術というものが当然真剣の世界にもあるのですね。

お礼日時:2007/10/04 22:23

 津本陽氏のファンです。


 彼の本では、ひとかどの武芸者と言われるためには、最低でも三百人、柳生兵庫助や宮本武蔵クラスなら五百人以上は切っているはず、と述べられています。しかも、相手は彼らのような有名な武芸者を、どんな卑怯な手でもいいから倒して士官の口にしようという荒くれ者ばかりなのです。彼らはそのような者達を相手に、24時間あらゆる方法・あらゆる種類の武器で命を狙われている状態の中を、大した怪我もせず(一説には無傷で)生き延びて来た怪物達です。
 近年の道場剣法は「武士は正々堂々と」などと言ったコンセンサスが固まった、江戸中期以降に徐々に形成されてきた形でしょう。戦国時代の殺伐な空気の中で勝ち抜いてきた、彼ら剣豪達とは環境が違いすぎます。
 柳生兵庫助や宮本武蔵は、殺しのプロ中のプロです。モンスターです。人間は勝負になりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。確か宮本武蔵は彼の著作で60数回戦ったと書いていたと思いますが、3桁もの殺人を行っていた可能性があるということですか。驚きます。

お礼日時:2007/10/04 22:20

こんにちは。


達人の圧勝ですね。
闇雲に振り回す人に対してでも使える技というのがあります。
また、刀というのは振り下ろしたら簡単にはその反対側には振れません。
佐々木小次郎のツバメ返しのようなすごい太刀さばきが必要になります。
#ツバメ返しその物がどんな物か詳細は伝わってませんけど。(笑)

従って隙を見つけることは結構簡単なのです。
また、振った刀を受け止めてしまう方法もあります。

要するに勝つ手段はいくらでもあるので、よほど達人がヘマやらない限り、闇雲に振り回す人に勝ち目はありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。闇雲に振り回す人に対して使える技があるのですね。

お礼日時:2007/10/04 22:17

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