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1500年頃から2000年に至るまで、世界に名を馳せた大国というとポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、ロシア、そしてアメリカの九ヶ国が思い浮かびます(オーストリアを含めるかどうか迷いましたが世界大国というのは違うなという気がしました)。
そこで質問したいのがポルトガルとスペインの繁栄と衰退についてです。
例えばオランダの衰退については、
・中継貿易を基本とし、自国製産業の育成を怠った
・英蘭戦争での敗北
・ユトレヒト条約でイギリスがスペインの植民地での最恵国待遇を与えられた
といった理由で説明できるのだと思います。

オランダより以前の、ポルトガルとスペインの衰退について、教えていただけたら幸いです。例えば軍事的な理由としては無敵艦隊の敗北や三十年戦争での損害などがあるのでしょうが、経済的な理由について、良くわからないのです。植民地で手に入れた富をどう消費したために、英国のようになれなかったのか?逆に英国は富をどう活用したのか?そもそも軍事的な理由、経済的な理由、という風に分けること自体ナンセンスなのでしょうか。

ちなみに関係ない質問なのですが、ポール・ケネディの『大国の興亡』って高校生でも読めるレベルですかね?もちろん世界史を一通り習っている高校生です。

A 回答 (9件)

今までに出てこなかった回答を。


スペインについてだけ回答します。

スペインがなぜ没落していったか?
スペインがインカ帝国を滅ぼしたときの話しを、イギリスやオランダが銅版画などを使ってさんざん世界に流した。
それにスペインは反論できなくて、結局情報戦に負けて暗黒の国になってしまった。
同じようなことをしているのが、日本に対する韓国と中国。韓国の場合は慰安婦問題。

というのが保守主義のリーダー格、西尾幹二氏の主張。
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ポルトガルやスペインは没落というほどの没落じゃないだろ?モンゴル人に悪いぞ(笑)



「世界の覇者」であったかも些か疑問。植民地にしているのは弱い国ばかりだし。確実に、日本(戦国時代だから兵力が半端ないし、鉄砲を自前で生産していたから、軍事力もなかなか。)や明朝(唐代とかに比べればかなり没落したが、まだまだ西洋と対等なぐらいの力はあると思う)を侵略するだけの力はなかったしな。先進国ではあったことは否定しないが、産業革命以後のイギリスほどの圧倒的な力はなかったと思う。
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過去に石原現都知事が原発擁護の立場からの発言で、スペインの没落は「産業革命に乗り遅れたから」というとんでもない発言をしていましたが、それ程スペイン・ポルトガルについての認識は低いのですね。


ただ産業革命以前の欧州の経済力は、面積や人口から見て決して高いものではなく、世界の中ではまだ辺境の一地区でしかありませんでした。
モンゴル・トルコの侵攻に対して、先方の内部事情によって侵攻を免れていた時期も遠くなく、イべリア半島自体がイスラムの支配地であった訳ですから、欧州史観によって過去まで世界の中心であったと言う考え方は見直す必要があります。
スペイン・ポルトガルは先進国トルコ支配の好影響を受けて、欧州内で発展しただけでなく、キリスト教イデオロギーをもって世界各地に進出し、さらに後進地区であった南北アメリカ大陸に辿り着き、そこを支配することが出来ました。
従って、軍事的優位の基での収奪があっての覇権であり、軍事面での敗北がその衰亡に直結しました。
そう言う意味では、戦争勝ち負けが国の盛亡に直結し、生産力より交易が冨を実現する時代の出来事であったと思います。
英国は覇権と産業革命による経済発展、生産力の増大が両輪となり、その巧みな外交もあって長期に亘り君臨する事が出来ました。
但し、その生産力自体には狭い国土と人口と言う制限があるため、後発のドイツやソ連には対抗出来ず、米国に寄りかかった政策で凌いでいるのはご存知の通りです。
またその米国も、ボロボロの生産力を投機・軍事支配によってカバーする、見かけだけの繁栄路線をとっているのは歴史の皮肉ですね・・・。
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要するに馬鹿だったんでしょう。


わたしはブラジルに長年住んだのですが、ブラジルではポルトガル人はとんまな男としてジョークのタネにされています。
ポルトガルではそれに対抗してブラジル人をとんまな男としてジョークのタネにしているそうですが・・・
ポルトガル人は船を操って遠くに行き、現地のものを略奪する才能はあったようですが、オランダ人やイギリス人のような知恵がなかったので没落したのでしょう。ブラジルでもあまり良いことはしなかったので評判は悪いです。回答になってないか。ごめんね。
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スペインとポルトガルでは、ポルトガルのほうが先に没落しています。


16世紀のポルトガルの人口は、100万程度と少なく、広大な植民地を得てしまったため植民地ばかりか自国の維持すらままならない状況におかれてしまいました。
そのため、外国人(特にスペイン人)に主導権を奪われ、最後には王維すらスペインに奪われる事になります。

スペインの場合ですが、スペインの植民地は、スペイン本国の延長として造られました。
つまり、植民地で必要とする物は本国スペインと同じであり、また生産されるものも本国と同じ物を生産する事になります。
そのため、殖民当初は、本国の余り物でも飛ぶように植民地で売れるため、スペイン国内では、すさまじい勢いでインフレが進みます。
また、質の悪い商品でも高値で売れるため、製品の質が低下してゆき、スペインの基礎的経済力が落ちてゆく事になります。
植民地が一人立ちできるようになると、植民地で生産される物は、スペイン本国との競合商品ばかりになります。
植民地としては、本国からの質の悪い商品よりも、植民地で生産される商品を使用するようになる一方、生産される商品は、本国との競合商品ですから、スペイン以外の国との取引をするようになります。
スペイン本国は、それを阻止しようとしますから、勢い密貿易が盛んになります。
17世紀にカリブ海で海賊が横行したのは、海賊が密貿易にかかわっていたからです。
この時点で、スペイン本国が植民地から得る利益のほとんどが、銀ばかりになってしまいます。
スペインが植民地より得た銀は、莫大な量でしたから、一時はスペインの基礎的経済力の低下を新大陸からの銀で賄う事ができたため、スペインでの改革が行われませんでした。
しかし、新大陸からの銀は、1600年前後から減少に転じます。
そのため、スペインの経済状況は急速に悪化してゆきます。
(1596年~1600年に4100万ドゥカードの銀がスペインにもたらされましたが、1646年~1650年には1400万ドゥカードと1/3になっています)
このスペインへの銀の流入の減少は、採掘しやすい場所の銀を掘り尽くした事と、新大陸がスペインから購入する商品が減少した事があげられます。(スペイン本国で生産される物は、植民地でも生産できるため)

このような経済状況にありながら、スペインはヨーロッパで大国として振舞ったため、経済が全くそれに追いつかず、破産を繰り返し、没落してゆきます。

イギリスの場合、イギリス本国と競合する植民地として、アメリカがありました。
しかし、イギリスが世界帝国として君臨できたのは、アメリカではなく、植民地インドの存在です。
イギリスやフランスの植民地は、真の意味での植民地ではなく、現地人を従属させて、本国の利益になる物を生産させ、また本国の市場として存在しました。
つまり、本国が必要とする物だけを生産させて、本国で生産される物と競合する物を生産させないで本国から買わせるためだけの植民地で、本国人の殖民は、ほとんどありませんでした。

スペインの植民地が、スペインと陸続きであるか、近隣にいちしていたのであれば、スペインという広大な国が今も残っていたでしょうが、距離が離れすぎていたため、植民地を失い、国力の低下がおこってしまいました。
逆にロシアの植民地であるシベリアは、本国と隣接していたため、現在の広大なロシアとなっています。
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スペイン・ポルトガルの衰退の原因は、buchi-dogさんの仰るとおりでしょう。


広大な帝国は、維持するだけで莫大な経費がかかります。
両国は、その経費を植民地からの物資で補っていましたが、いかに金銀財宝でも、帝国と植民地を維持するだけの量をヨーロッパと言う狭小な市場に持ち込めば、インフレを進行させます。
また、イングランド等の海賊行為もあったでしょう。
他国との戦争もあったでしょう。
でも、最大の原因は、帝国の大きさです。
のちのイギリスは、植民地の住民をして植民地軍を編成していましたが、スペイン・ポルトガルは、自国の軍を植民地にまで展開していました。
その兵站を維持するためには、とても国内の生産物では足りず、輸入に頼ることとなります。
それがインフレを加速する悪循環です。
当初は高価でも、インフレが進行すれば、幾ら運び込んでも追いつきません。
それらが結局、両国の国力を疲弊させ、衰退して行ったのです。
スペインの無敵艦隊など、その建造・整備自体が衰退の一因とさえ言えるでしょう。
オランダも然りです。
オランダの場合、フランスの脅威に対抗するための陸軍を整備するという足枷がありましたから。
イギリスの場合、大陸から離れた島国という地政学的立場から、強力な陸軍を常備する必要が無く、かつ植民地軍を活用した点が異なります。
また、インドのアヘンを清に売り、清の茶をアメリカ大陸で売る等、いわゆる三角貿易で儲けるとともに、産業革命に成功しました。
ですから、アメリカの台頭するまで、世界の工場として、大儲けし、軍隊を整備できたのです。
ポール・ケネディの『大国の興亡』は、結構解かりやすく、面白いですよ。
併せて孫子や春秋等、中国の昔の本を読むと、更に面白いです。
特に、孫子の「兵は凶事」「およそ戦いは、交を攻め、謀を攻め、人を攻める。城を攻めるは下の下なり」等の言葉の意味がよくわかります。
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スペイン没落の原因


経済的要因が一番大きいのではないかと思われます。
カルロス1世が領土を二分し、富の大きなスペイン・オランダをフェリペ2世に譲りました。しかし既に宗教改革の混乱とイタリア戦争でカルロス1世の、財政は弱まっていた。
後を次いだフェリペ2世は一方で欧州内領土拡大を目指すため、軍事費増大を招き破綻寸前。新大陸の銀は一般に言われているほど富をもたらしたわけではなく、むしろオランダの貿易収入によってスペインは支えられているところが大きかった。しかしそのオランダが独立したことにより、スペインの衰退は決定的となった・・・と言うわけです。

>ポール・ケネディの『大国の興亡』
読めるとは思いますが、I.ウォーラーステイン『世界史システム論』の方が面白いとは思います

英国繁栄に関しては、広大な原料供給地を有していたこと。産業革命の前提となる技術革命により、物流のスピードが上がり効率化したこと。植民地からもたらされた原料(砂糖・綿)が三角貿易のみならず、対欧州に向けた貿易でも、独占化したこと。それによって大陸からの富も上がり、英国の相対的な経済力がぬきんでたことがあります。また欧州内での領土拡大をはからなかったことも大きいでしょう(要所のみ条約で奪い取った)。
実際、英国の税率は仏国のそれより高いものでありました。それを効率よく活用したのが英国です。一方英国よりも安い税率にもかかわらず、革命が起きた仏国は領土拡大を目指した代償であるといえます。
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http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&q=&ll= …

googleマップを見れば一目瞭然なのですが、船を作る木材が無くなったからです。
フランスに比べて禿山なのがわかりますか?

自国の金はローマ時代には掘り尽くされてしまい、残るは木材資源だけでした。それも大航海時代に使い果たし、海軍(アルマダ)は英国海軍に破れ、商船団は海賊(英国の私掠船)に襲われて壊滅しました。
そしてヨーロッパで産業革命が起きてもあるのは奴隷貿易くらいで、それも英国海軍によって壊滅させられてしまいます。
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「オランダの衰退」についてですが、若干事実誤認があるように思います。



オランダが一時期「世界最強国家のひとつ」だったのは事実ですが、当時の最強国家であったイングランドやフランスと比べると国家としての「地力」が落ちますから、数次の英蘭戦争を経て、少なくとも海上権力(シーパワー)においてイングランドに「屈服」する結果となったのはオランダにとって避け得ない運命だったと思われます。

英蘭戦争終結から20年ほどして、オランダ王のウィレム3世がイングランド王ウィリアム3世を兼ねるに及んで、イングランドとオランダの直接的な争いはなくなりました。オランダは、イングランドの海上覇権を承認し、その海上覇権に逆らわない範囲で国家を運営するということです。
英蘭戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%98%AD% …
ウィリアム3世 (イングランド王)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3% …

これ以後、オランダは世界史の主役からは降りて現在に至りますが、スペインやポルトガルと違って「没落」したとはいえません。オランダは東インド(インドネシア)の植民地を維持し、17世紀から現代に至るまで一貫して欧州の中でも高い生活水準を保ち、政治的な混乱にも陥らず、様々な国内産業を育成・維持しながら現在に至っています。
イングランドと覇権を争った時期のオランダについての良書として
「繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える」岡崎久彦 著
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=09980219
があります。単行本、文庫本ともに絶版ですが、図書館や古本で是非お読み下さい。
※ 質問者様は既にこの本はお読みでしょうか?その場合はご放念下さい。

一方、ポルトガルとスペインは本当に「没落」しました。
このテーマは、高校生にはかなり難しいと思いますし、私も正確に理解しているか心許ありません。

没落の理由をいくつか挙げると

「植民地の富を本国へ輸送するだけに終始し、国内の産業育成を怠った」

「国土が砂漠化し、農業生産力(国力の基礎)が落ちた。農業生産力が落ちたことは人口を増やせないことを意味し、フランス、イギリス、プロイセン、オーストリアなどの他列強との競争に不利となった」
※ 現在のスペインは「半砂漠」のような気候の場所が多いようですが、いつ頃からこのような惨状になったのかは詳らかに存じません。ギリシャや中国の黄河流域のように、「森林を全て伐採してしまった故の砂漠化」の結果だろうと思いますが。

「カソリックの信仰が過激化し、プロテスタントやユダヤを激しく迫害し、技術や資本を持った彼らを国外へ追いやった。産業革命の可能性を自ら潰してしまい、前記のように農業も振るわなくなり、植民地からの収奪以外に生きる道を失った」

「植民地からの収奪の恩恵に与れるのは一部の富裕層のみ。中間階層が育たなくなり、少数の金持ちとそれ以外の貧民という社会構造が固定した」
※ イタリアのローマより南と共通しています。

といったことが挙げられるでしょうか。

質問者様は知的好奇心から「ポルトガルとスペインはなぜ没落したのか?」に興味をお持ちなのだろうと思いますが、取っ掛かりとして、山川出版社の
スペイン・ポルトガル史 新版世界各国史 16
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30704500
を通読されることをお勧めします。スペイン・ポルトガルの衰退の原因を詳細に論じた本については他の回答者さんに譲ります。
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