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ここでの質疑は品詞に形容動詞を立てることを前提とします。
手元の辞典によると形容詞「愚かしい」も形容動詞「愚か」も存在します。一方、形容動詞「静か」はありますが形容詞「静かしい」はありませんし、形容詞「美しい」には形容動詞がありません。
形容詞と形容動詞の両方が存在する単語は咄嗟には思い浮かばず、形容詞か形容動詞の何れか一方しか存在しないのが一般的に思えます。

さて、お願いと質問です。
1 「愚か」と「愚かしい」の如く、形容動詞と形容詞の両方が存在する単語は特殊ではありませんか。可能であれば他に幾つか挙げて下さいませ。

1で形容詞と形容動詞の両方が存在する単語を困難なく幾つでも挙げることが可能なときは2の質問を撤回します。無視して下さい。
2 手元の古語辞典には形容動詞「愚か」はあり、形容詞「愚かし」はありません。このことから「愚かしい」は比較的新しい用法だと考えます。この推理は不当ですか。また、何故「愚か」には形容詞と形容動詞の両方が存在するのか、心当たりがありますか。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

>毎度、時間をかけてのご返事に恐縮しています。

またの機会にもよろしくお願いします。有り難うございました。

こちらこそ、ご丁寧な返信(といってよいでしょうかね?)、心温まります。
本来はこういうメールや掲示板的な書き込みをするのはおかしいのでしょうが、私の回答によって、かえってsono-higurashi様にあれこれと気を遣わせてしまいまして申し訳ございません。

>『形容動詞の形容詞化(「暖カナリー暖カシ」など)』との一文を見つけました(P9、上段)

見逃しておりました。おっしゃるとおりかもしれませんね・・・。
ますます難しいもんだなぁと改めて考えさせられます。

こちらこそありがとうございました。
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この回答へのお礼

『日本語史』(沖森卓也 編/桜楓)は本日夕刻、借用して来ました。
ぱらぱら捲っただけですが、結論の連続のようで基礎知識のない者には難しそうな印象です。専門知識の蓄積のある方が辞書的、備忘録的な使い方をするには、よいのかなと思いました。もともと、国文法の教養書、啓蒙書としてお薦め戴いた訳ではないので当然といえば当然です。
今後とも、よろしくお願いします。

お礼日時:2008/01/20 23:59

>折角、手数を掛けて下さったのに噛み合った御礼が述べられず、張り合いのないことで済みません。



とんでもない!こちらこそ長々とまとまりないことを書いてしまいました。にも関わらず、ご丁寧にありがとうございます。

さて、さっそくですが、ない知恵しぼって(ホントにないなぁと反省しつつ^_^;)書きますね。

ア)について。
>「真ん丸し」「四角し」「黄色し」「真ん丸かり」「四角かり」「黄色かり」なんて不自然ですよね。このことは何かを暗示していませんか。何かを物語っている気がしますが

はい。それは不自然だと思います。何かを物語っている・・・のかもしれませんが、私自身、単に、ご質問の文章中の
>手元の古語辞典には形容動詞「愚か」はあり、形容詞「愚かし」はありません。
に引っ張られて、現代語で書いてしまったせいで、他意はありません。

イ)について。
>例示された形容動詞は全て終止形が「なり(真ん丸なり)」であって「たり」はありませんね。偶然ですか。このことは何かを暗示していませんか。何かを物語っている気がしますが

これも ア)と同じです。単に形容動詞を現代語で選んでいたために、タリ活用のものがなかっただけです。他意はありません。

エ)について。
>一口に形容動詞といっても形容詞的色彩の濃いものと物質的色彩が濃いものとがあることを意識しました。

すみません。言葉足らずでした。私としては、形容動詞を認める前提としても、その作られる過程といいましょうか、語構成上は、形容詞的な意味を持つ名詞と物質的な意味を持つ名詞によって、「形容動詞」となったり、「名詞+助動詞」となったりするのでは?つまり、形容動詞に名詞っぽいものがあると言いたかったわけではないですし、おそらく、名詞っぽい形容動詞ってのはないでしょうね。(そもそもが形容動詞っていうネーミングや考え方自体が「形容詞」と「動詞」の合体ですし、ね。)

実は、あの書き込みのあと、あれこれひっくり返してみましたが、どうもしっくりくるものが探せずじまいで・・・。
先に引用したものと重複する部分もありますが、以下も発見しましたのでご参考までにお伝えしておきます。

『日本語史』(沖森卓也 編/おうふう)

これには、時代ごとに文章が書かれており、多少、必要事項を発見するのに苦労しますが、段落ごとに音声や文法等が分かれていますので、通時的にいくつか拾ってみます。

*****奈良時代までの日本語*****(P.11)
形容詞は、語幹が独立的な用法を持っていて、活用語尾は付属語的でした。(中略)動詞に比べると活用の整備が遅れていました。(中略)一方、形容動詞は十分に発達していませんでした。

*****平安時代の日本語*****(P.17)
形容詞の活用が整備され、形容動詞もきわめて発達しました。特に、タリ活用の形容動詞はこの時代に漢文訓読文の世界に発生したものです。

*****室町時代までの日本語*****(P.28)
形容詞ではク活用とシク活用の区別がなくなりました(この形容詞の変化にはイ音便もかかわっています)。形容動詞は、タリ活用が衰退し、ナリ活用の連体形の「る」を落とした「な」という形が多く使われるようになりました。

といった、私にとっては大変勉強になる概説部分と、その他、別項として「文法史」の中で形容詞・形容動詞を見出しに立て(P.90~)、形容詞は語彙が少ないので、歴史的考察の際、動詞よりもはっきりしていること、形容動詞の歴史も比較的よく分かることが書かれています。
また、タリ活用はさすが漢文訓読起源だけあって、息が短かった旨も書かれておりますので、こうした概説書でなく、詳説された文献もあるのだろうと推察されます。(すみません。今、手元にございません)

なお、他に、手元に
『古典文法質問箱』(大野 晋 著/角川文庫ソフィア)
にも、似たような形容詞・形容動詞についての記述が見られます。

以上のことから、「愚かなり」「愚かし」 の辞書収録の有無から「愚かしい」が新しい用法とするのは推察可能だとしても、国語史的、品詞論的観点からは必ずしもそうではないことが言えようかと思われます。(もちろん、概説的なことからだけで、例外なく単語レベルで新旧を断じる、なんてことはできないでしょうし、これらの概説にしても、突然、時代・幕府が変わった!といって、形容詞が突然なくなってみたり、タリ活用が突然姿を現したり消えたり・・・なんてことはないですから、まぁ、一つの目安にしかなりませんが・・・)

まったくの余談・蛇足ですが、私の学生時代の卒論のテーマが、接尾語の「さ・み」で形容詞から名詞を派生させる過程の考察でした。
「温かさ/温かみ」が言えるのに、「冷たさ/冷たみ」は言えないといった具合に、主に現代語を考えたのですが、当然、形容詞の「~を―み」の用法では「冷たみ」ってのもあったはずで・・・昔のことですので、卒論の結論がどうだったのか、果たして結論づけたのか(笑)すらもはや覚えていないような状態ですが・・・勝手に、懐かしいテーマに関連させて首を突っ込ませていただきました。

言葉は、あるいは言葉を考えていくことは、難しくもおもしろいですね。

この回答への補足

字数オーバーのため、こちらに記します。
ア)、イ)の暗示云々、物語っている云々について
挙げて頂いた例から、形容詞と形容動詞が並存する単語は現代語に多く古語には少ないであるとか、タリ活用には少ないであるとか、何かしら発展的な新しい疑問なり仮説なり法則なりを探そうとしてみましたが手に負えなかったと述べようとしたものです。それをしておくのが、教わった者のあるべき態度というものだろうと、知った風な口をきいておきます(もっともらしい絵空事を言うときも尻こそばゆくなることが分かりました)。

エ)について
>>一口に形容動詞といっても形容詞的色彩の濃いものと物質的色彩が濃いものとがあることを意識しました。
これを
一口に形容動詞といっても語幹には形容詞的色彩の濃いものと(きれい)名詞的色彩が濃いもの(親切、静寂)とがあることを意識しました。
に訂正します。こう直したからといって、ご回答の流れに乗れるわけではないですが。
ANo.4を頂いた後、はてな?と思い、改めてANo.3を印刷して読み直しました。読解力のなさは自覚していましたが、これほど”曲解力”があるとは自覺していませんでした。テーマが”愚か”ですから止むをえません?ご回答は形容動詞のもつ造語力について述べられていて、その観点から「愚かし」誕生の経緯に触れられているのを、今確認しました。
私の勝手な遣い方ですが、古語が話題になっているときに新しいとか、比較的新しいとか言えば鎌倉か室町以降を念頭においています。誤解のないようにきちんと伝わるように心掛けます。

『日本語史』(沖森卓也 編/桜楓)は町内の図書館にあるそうです。本来は閲覧してからでないと実のあるお礼は言えない筈ですが、先回りをしてお礼を記してしまいます。週末には入手できるでしょう。

その後、既に紹介していただいてある『概説 日本語の歴史』(佐藤武義 編著/朝倉書店)に
『形容動詞の形容詞化(「暖カナリー暖カシ」など)』との一文を見つけました(P9、上段)。これから、品詞は形容動詞、形容詞の順でつくられるのかもしれないと、ちらっと思います。この話は「おろか」が先にあって「おろかしい」が後から出来たのではないかとの説に偶然か否か符合します。

『古典文法質問箱』(大野 晋 著/角川文庫ソフィア)は心がけておきます。

接尾語の「さ」で名詞を派生させるのは気付いていました。確かに「み」も名詞を派生させますね。「温かみ」があるのに「冷たみ」がないのは日本人にとって「冷たみ」が重視される場面が少ないからでしょうか。こうして口先の直感ばかりが働いて実証しようとの気持ちが少しもないのは我ながら困った性分です。

毎度、時間をかけてのご返事に恐縮しています。またの機会にもよろしくお願いします。有り難うございました。

補足日時:2008/01/15 23:00
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No.2さんのお礼のコメントを見て、「おおっ!回答の準備とは私のことか?!」と驚きながら準備も調ってないまま書き込んでおりますがご了承ください。



1.形容詞・形容動詞のおおよその数がどのくらいか分かりませんので推測の域を出ませんが、特殊か否か?と言えば、特殊なんでしょうね。というのは、「ほら、両方存在するよ!」というのがそんなにたくさん浮かばないからです。
ただし、実はこのご質問を拝見してすぐに、幾らかは思いついていました(この「幾らかは」がやはり特殊性を物語っている気がしますが・・・)。
・真ん丸い/真ん丸だ
・四角い/四角だ
・温かい/温かだ
・黄色い/黄色だ
などなど。

などなど、などとしましたのは、他にももちろんあるからです。
(参考文献等は今探しておりますがどれだったか・・・すみません。不確かなことを書き込む失礼ご容赦くださいませ。)たしか、
・色に関する形容詞(形容動詞)
・形に関する形容詞(形容動詞)
には、結構二つの品詞にまたがるものが多い、ということです。さらに、そうは言っても、「まっ白」のような「まっ(接頭語)」が付く場合に両品詞存在することが多いということ。ただし、古語としての色も現在の24色とか48色とかの色鉛筆・絵の具とは違って、それほど色数がそろっておらず、必ずしも形容詞形があるわけではないことも申し添えておきます(たとえば、「桃色い」などということは言わないが、「黒い」は言う、といった類のことです)。

ただし、以上をもって「特殊かどうか?」と言えば、「特殊です」が回答となりそうな気がします。むしろ、パッと思いつくものを挙げてみても、数の問題としては両方の品詞がペアになるものは片方のものより少なそうですから。

どうも、基本的な色に関しては古語でも形容詞化して使われており、さらに接頭語「まっ」がついて、その色味が濃い場合には形容動詞としても使われることが多いように感じます。

2.妥当だと思いますよ。この「愚か」「愚かしい」に関することだけから推論する場合は当然の帰結ではないでしょうか。
ただし、これが「愚か」以外についても当てはまる一般的な規則かどうかというと、じっくり考える余地がありそうに思います。
形容動詞を立てる・立てないの論議に絡みそうですが、「~なり(古語)/~だ・です(現代語)」いずれも、「~」に来るものが名詞あるいは名詞的要素が来ますよね。この「~」部分の性質が形容詞的なものである場合にのみ「~なり(だ)」が認められるのだと思うのです。つまり、「便利」「親切」という「名詞」は多分に形容詞的要素を含む名詞だと思われます。一方で「公園」だの「机」だのは物質的なモノそのものであり、特別にそういう状態を示しているとは思われません。
では、「愚か」はどうか?と言えば、当然、これは状態を形容するのだと考えられる「名詞」なのでしょう。
そこが「便利なり/便利だ」「親切なり/親切だ」が一つの品詞と言えても「公園なり/公園だ」「机なり/机だ」が一つの品詞とは考えられない一つの理由になっているのだと言えます。

逆に言えば、「~なり/~だ」は「~」に当てはまる「名詞」が形容詞的要素を持っていれば、いくらでも語彙を増やしていけるような、強力な造語力を持っているとも言えそうです。
(古語を考える場合は外来語なんてのは考えられませんが)現代語においては、例えば、「チャーミングだ」とか「トレンディだ」など作れますし、漢語で言っても「魅力的だ」とか「積極的だ」「自己中心的だ」等々結構な数を作り出せます。

一方で、形容詞の場合は「~し/~い」という語尾は元来形容詞のためだけにあるようなものですから、断定の「なり/だ」とは異なり、造語力という点からすれば弱いと言えるでしょう。

つまり、「愚かし」に関して言えば、決して最近できあがったものとは考えにくいとも言えると思うのです。(ま、どこを「古い」ととるのかは難しいところですが・・・)「~なり/だ」がホイホイ新しい言葉にくっついていくのに対して、なかなかくっついていかない「~し/い」。新語として「愚かしい」が誕生する・・・ということはなかなか考えにくいような気もします。

・・・と思って、あれこれ引っぱり出していたら、参考になりそうな記述を見つけました。
『概説 日本語の歴史』(佐藤武義 編著/朝倉書店)
P.120 形容詞の活用の整備
***********************
形容詞の成立は比較的新しく、上代にはまだ活用が十分整備していない反面、語幹の単独用法が多彩だった。
***********************
として、「うま酒」「太敷く」「遠のみかど」「遠つ人」「都を遠み」の例を挙げていました。

一方形容動詞はと言えば、
P.121 形容動詞の発達
***********************
形容動詞ナリ活用、タリ活用は、それぞれ語末が「-ニ」「-ト」の形をもつ情態副詞から生じたもので、形容詞が生産性を失ったのを補う形で平安時代に勢力を伸ばした。
***********************
とあります。

活用が整ったのは(他の品詞)に比べて、のようです。しかも、それは上代。それ以降の平安期には形容動詞が盛んに生まれた、といったことのようです。
(ただ、私が探している文献はこれじゃぁなかったのですが^_^;)

>なぜ形容詞と形容動詞の両方が存在するのか

ですが、すみません・・・こちらは見当すらつきません^_^;
というよりも、こういう問題が出るから形容動詞を認めない立場というのが出てくる国語学の大きなテーマになりうるんでしょうね。
回答になっていなくて、しかも、思い付きを無計画に並べただけですみません。
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この回答へのお礼

ご回答には重要なヒントが沢山詰まっているのでしょうが、宝石箱をひっくり返して貰った猫みたいで、どこをどう喜んでよいものやらよく分かりません。思いつくままに羅列してお礼とします。

1について
ア)探せばあるものですね。例示された形容詞のうち「温かし」はよいとして終止形「真ん丸し」「四角し」「黄色し」「真ん丸かり」「四角かり」「黄色かり」なんて不自然ですよね。このことは何かを暗示していませんか。何かを物語っている気がしますが掴み切れません。
イ)例示された形容動詞は全て終止形が「なり(真ん丸なり)」であって「たり」はありませんね。偶然ですか。このことは何かを暗示していませんか。何かを物語っている気がしますが掴みきれません。
ウ)色や形を形容する語には、形容詞と形容動詞の両方が存在するものがある、このご指摘は記憶しておきます。

2について
エ)一口に形容動詞といっても形容詞的色彩の濃いものと物質的色彩が濃いものとがあることを意識しました。
オ)他品詞から形容詞を作るよりは形容動詞の方が作りやすいということでしょうか。みたいですね。
カ)町内の図書館に『概説 日本語の歴史』(佐藤武義 編著/朝倉書店)があったので当該ページは読んでおきました。
キ)その後「愚かしい」と「愚か」のほかに「清い」と「清らか」があることに気がつきました。

折角、手数を掛けて下さったのに噛み合った御礼が述べられず、張り合いのないことで済みません。このご回答に触発された専門知識の所有者が新たに投稿する気になられないとも限らないので20日(日)24時までは締め切らないでおきます。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2008/01/14 20:34

>「かそけし」に対応する形容動詞が分かりません。


「かすか」です。音変化がありますね。「すむやけし」も「すみやか」が音変化しています。
ついでですが、「おほし(多し)」という形容詞が古語にあります。この形容詞は唯一終止形に「おほかり(多かり)」の形を持つ形容詞として特別視されますが、「おほき-なり」という形容動詞を派生させています。形容詞が元で、形容動詞ができた例です。
もう一つついでに、動詞の形容詞化には、「うらめし」というのもあって、必ずしも未然形でないものもあります。しかも古語の「うらむ」は中古においては上二段活用で、「うらめ」の形は、近世になってからの四段活用の已然形または命令形ということになると法則性がわからなくなりますね。やはり、変化が起こった時代に関係するのかもしれません。つまり、「うらめし」は、近世になってからの言葉であるとか。
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この回答へのお礼

確かに「幽(かそ)けし」に「幽(かす)か」が対応するのは確認しておきました。

なるほど、手元の辞典の活用表の特記事項にもカリ活用の終止形「かり」、已然形「かれ」は中古の「多し」にみられる程度だとの記載がありました。

動詞から形容詞が派生する場合、未然形から誕生するとは言い切れないことを心得ておきます(多分、粗悪な頭には定着しない)。

言葉は一般大衆が勝手に遣って変化していくのに、その割りには無秩序でなく、よく文法で括れてむしろ例外が少な過ぎるくらいに感じています。
回答の準備を始めている方があってはいけないので、早くても14日(月)24時までは締め切らないでおきます。ご了承下さいませ。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2008/01/13 11:42

1について


 おっしゃるように、現代語で探すとなると「愚かしい」以外には思い当たりませんね。しかし、少し「……かし」ではなくて「……けし」となって形は違いますが、古語であればいくつか存在するようです。たとえば、「さやけし」「かそけし」「ゆたけし」「はるけし」「あきらけし」「すむやけし」「たひらけし」「のどけし」「しずけし」などです。「おろけし」はないようです。
2について
 国語辞典によると、文語は「おろかし」だとしていますね。ただし、上の「……けし」の形との関連から見て、ご推測の通り、比較的新しい言葉なのかも知れません。
 これは私の推測ですから、根拠はありませんが、「おろか」という言葉は、中古においては、「なおざりだ」「いいかげんだ」「おろそかだ」の意味で使われています。今のように「愚か(思慮が浅い・ばかだ)」の意味で使われるようになったのは、中世以降のようです。それまでは、状態を表す言葉であったものが、人の性質(属性)を表す言葉となることで、人を形容することが多くなり、その結果、「愚かな人」という直接的な表現よりも、やや、婉曲的なイメージを持つ(?)「愚かしい人(愚かな感じの人)」という表現が生まれたのではないでしょうか。あるいは、動詞の未然形に「……し(しい)」をつけて形容詞にするもの{のぞまし(しい)・かがやかし(しい)・ほこらし(しい)など}と関連があるかも知れません。

この回答への補足

1について
「かそけし」に対応する形容動詞が分かりません。事情が許せばご返事を下さいませ。決して急ぎません。
これ以外は分かりました。古語には、まぁまぁそれなりにあるのが理解できました。

補足日時:2008/01/12 17:08
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この回答へのお礼

2について
>>国語辞典によると、文語は「おろかし」だとしていますね。
そうなっていました。漢字を当てないことを確認しておきました。

>>「愚かな人」という直接的な表現よりも、やや、婉曲的なイメージを持つ(?)「愚かしい人(愚かな感じの人)」という表現
理解できます。今日に於いて、女性が「馬鹿ね」と断定せずに「馬鹿みたい」と一歩和らげる心理に共通していそうです。

>>動詞の未然形に「……し(しい)」をつけて形容詞にする
形容詞の作り方の一つのパターンとして初めて意識しました。そうだったのだと発見した思いです。

形容詞「愚かしい」の誕生の経緯を述べる一つの説として納得させられました。
どうやら今日では形容詞と形容動詞のどちらか一方があれば形容には困らないので、両方ある単語は例外と考えてよさそうなことが判りました。
ありがとうございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2008/01/12 17:11

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