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 神の否定、定義の定義等の議論などを行う際、自分は懐疑論をよく持ち出します。
 しかしながら、相手側から「それでは議論が無意味」との意見を受けます。

 其処で質問ですが。
(1)懐疑論に生産性はあるのか?
(2)懐疑論を持ち出す場合の注意は何でしょうか?
(3)神の存在否定をする場合の注意すべき事は何でしょうか?

A 回答 (10件)

神は死にました。

現在は差異のみがひしめき合っています。
このテクストも何の意味も外部との係わり合いも持ちません。

宗教的、形而上学的見地からの神の論議はいまさら無意味ではないかと思います。それこそ、デカルトやカントの読み替えに終始するだけでは?
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>>どっちにしたいのかな?



>それは目的であり、手段ではないのですが。

貴方自身が絶対という言葉を使い
自身の内に絶対というの概念を持っていながら
絶対=神の存在否定を懐疑論によって証明したいということでしょうか。
だから言葉の遊びのように見えるし
貴方の懐疑論に生産性がないといわれる所以なのではないですか?
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言葉をもてあそんでるだけなのか。

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この回答へのお礼

 貴方がそう思うなら、それで良いと思いますよ。

お礼日時:2008/02/05 22:14

神は存在する


神は存在しない
どっちにしたいのかな?
自分を懐疑したことはあるのかな?
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この回答へのお礼

 自分を懐疑した著名な方がいましたが。

>どっちにしたいのかな?

 それは目的であり、手段ではないのですが。

お礼日時:2008/02/05 22:13

僕自身は神の存在がどうのこうのとかは


どっちでもいいのですが

>懐疑論を手段とすれば、神の存在否定は可能だと個人的に考えています

自信を持って言ってる割に
ここで自分のやっている懐疑論の意義やら注意すべき点とか聞いてるし
懐疑論で神の存在否定が可能とかいっておきながら
絶対とか平気で使っているし。
笑っちゃうよ。
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この回答へのお礼

 そうですね。

お礼日時:2008/02/05 22:11

>量子力学では答えは絶対に出せないと思います



貴方の使う絶対は自分を神として言っているということでしょうか。
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この回答へのお礼

 違いますよ。
量子力学は確率の問題ですから、答えが永久に出せないのでは?という事です。

お礼日時:2008/02/05 21:22

>分からないという事が本音でしょうね



分からないということと
無記とは違いますよね。

この回答への補足

 「分からない。」「無記。」の違いを説明して下さい。

補足日時:2008/02/05 21:24
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まず前提について


>相手側から「それでは議論が無意味」との意見
そう言われるのは、アナタの懐疑論が懐疑論の洗礼を受けていないからではありませんか?
例えば「絶対は存在しない」と言い切れるのは「絶対は『絶対に』存在しない」と言っているのと同じ事です。(←この意味が分からなければ以下を読む必要はありません)
アナタの懐疑論は、「『神は存在しない』に違いない」という考えが根底にあって、他者の意見のみ懐疑して論破しようとしている、という可能性はありませんか?
自分の考えが正しいか否か、自分の常識や思い込みが正しいのか、を懐疑するのが真の懐疑論であって、他者の意見や主張を疑ってかかるのでは懐疑論の名を借りた攻撃でしかありません。それは、証明義務を一方的に相手に課す行為ですから、無敵ですが無意味な議論になるのは明らかです。

以下回答です。
(1)自己の常識を問い直す懐疑論には生産性があります。より一層理論が精緻になるからです。
(2)最低でも命題(or対象)に対して中立でなくてはなりません。神の存在証明or不存在(非存在)証明であれば、最初から「存在しない」という立場で懐疑論を持ち出しては意味が無くなります。世に・・・という理由で神はいるorいない、と言われているが、その・・・は正しいのか?という地点から始めなくてはいけません。「存在そのもの(結論)」ではなく、「その理由(論拠)」を、です。
(3)既に述べてしまいましたが、神の存在否定をしたいのであれば、神が存在すると言われる理由を懐疑する事から始めなくてはなりません。神の存在そのものを懐疑するのは、既に神が存在しないであろうという推論から発しているからです。(逆もまた然りですが)

と、言う訳でアナタの「神は存在しない」or「絶対は存在しない」という主張が本当に正しいのか、を最初に懐疑しなくては懐疑論を用いる資格は無い(キツイ言い方ですが)と思われます。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

>自己の常識を問い直す懐疑論には生産性があります。
 より一層理論が精緻になるからです。

 それをやると、最終的に「個人(の価値観)」という答えに到達します(個人的には)。
 何処を何処まで疑うのか、それが分からないです。
それ故に混乱してしまいますし、同時に分かる事もあります。
 という事で生産性はあると言えますね。

>中立

 なる程、それは知らなかったです。
ただ「神」の議題になりますと、二種類の場所に辿り着きます。
 「個人の自由(信じるか、信じないかの問題)。」「存在しない(存在しては、存在しない事になる)。」
 理由が結果に必然的に結び付いていると思いますが、どうでしょうか?

お礼日時:2008/02/05 19:53

>相手側から「それでは議論が無意味」



神のみではなく、他者の存在否定にもつながるから当然です。神を否定するなら他者に対する配慮も無いということ。他者と共有する知識を得ないので生産性がまったく無いということを注意すべきです。これが(1)(2)(3)の回答です。

「一人で勝手にかってなさい」と言われて、お終いです。

デカルトの方法的懐疑のように、懐疑主義を手法として用いることで、他者が共有できる知恵を導こうと試みるなら、「議論の意味」を見出せるかもしれません。手法と仮定は、使いようなのです。
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この回答へのお礼

 神を否定する時の注意として、やはり他人の価値観を否定してしまう事を考えておくべきですね、汗。
 神の否定をする場合、やはり知識を得ないと駄目ですね(当然ですが)。

>一人で

 そうですけど、アメリカの進化論否定派が多くて、あの国は大丈夫なのかなぁと思ったりもします。

>デカルト

 可能性として、ですけどね、汗。

お礼日時:2008/02/05 18:52

質問者さんの求める回答にはならないかも知れませんが



無記では嫌なのですか?
釈尊は悟りへの道だけを説いたそうです。
無神論者であったというよりはそれについて言及しようとはしなかったのではないでしょうか。
悟りに至るのに邪魔になるとして。
また数学者でリーマンという人だったと思うのですが
旧約聖書の天地創造の七日間を数学で解こうとして失敗したというのを何かの本で読んだ記憶があります。
量子力学の領分かも知れないですね。
跳躍も現象としては確認されているのかも知れませんが
解明され理論的な数式化にはまだされていないと思います。
今のところ
何か違うような気がする
という自然に生ずる感性でよろしいのではないでしょうか。

>それでは議論が無意味
そのままなのです。
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この回答へのお礼

 分からないという事が本音でしょうね。

 懐疑論を手段とすれば、神の存在否定は可能だと個人的に考えています。
 量子力学では答えは絶対に出せないと思います。
早い話し、全知全能と言われる宇宙を科学で解明していく事が一番の近道かもしれませんね、笑。

 人それぞれですね、汗。

 回答、ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/05 18:48

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