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物語における「魔法」は「実現可能性」というくびきがなく、作者がそれ故に恣意的に設定を決めることができますが、

いま物語における「魔法」と「科学」の違いが「実現可能性による読者に与える感動の有無」とし、また実現可能性の無い方を「魔法」と定義し、
またかつ『魔法の文学的な価値に相当するものを最大限に活かせている』または『魔法が読者に「科学」以上に恐怖や美といった感情を喚起させ、虚構として成り立たせることが可能な場合、それが最大限できている』ということを「魔法として自然な形」と定義する場合、

魔法は形而上学的, 表象文化論的, 物語論的, 語用論的, 意味論的, 圏論的, 心理学的にどのような設定ないし形態あるいは「描写のされ方」「存在の仕方」であるのが「自然」だと言えますか?

A 回答 (2件)

イエスの起こす奇跡は実は手品


という見方は正しいか。
聖書の
聖人=手品師か魔術師

という形でオーバーに表現して描いたものという見方は
正しいですか。
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科学が進んだ未来社会を描くジャンルがSF。


魔法が存在する異次元社会または過去社会を描くジャンルがファンタジー。

両者は空想社会を舞台にするという類似性があるので、SFファンタジーと同一視することも多い。

どちらにしても、小説に設定した舞台の、歴史・社会構造・地理や自然環境を設定したうえで、科学や魔法の力が及ぶ条件設定も被せてストーリー展開を構想していくことになる。
つまり、科学であれ魔法であれ、それらの限界を設定することで、人現模様に機微やリアリティを持たせ、ヒーローの活躍と苦境、そして読者を驚かせる大逆転に向けて物語を収束させる。

そのように、現実社会とは異なる異次元社会に説得力・リアリティを持たせることが出来るかどうか、そしてそこに意外性をどれほどぶち込めるのか、それが駄作と秀作・傑作の別れ道になるのかと思います。
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