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西洋近代では突如16世紀中葉から髭が流行しなぜか17世紀に入ると若者の間では髭をあまり蓄えなくなります。やがて髭は17世紀中葉に完全に廃れ19世紀中葉に再流行しますね。これらはなにがきっかけやったのでしょうか?

A 回答 (3件)

1520年代以降の寒冷化に伴って髭を蓄えたとする説があります。

特に1550年代以降は目立って蓄えています。
しかし、1620年代になるとルイ13世紀の宮廷で若い貴族たちが嗅ぎ煙草を吸うようになると彼らは邪魔な襞襟を垂襟に、頬髭を剃り、長髪直毛鬘に合わせて顎髭と口髭を伸ばすことが流行しました。
1670年代後半以降はルイ14世の大巻き毛鬘の流行によって長さのいかんに関わらず髭は不似合いということで廃れていったようです。
以降1730年代以降流行したロココ式の弁髪鬘にも髭は似合わず(どう見ても気持ち悪いです)髭は剃られ続け、髭ブームは結局、1850年代前半の嗅ぎ煙草の衰退まで待たねばなりませんでした。
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ANo.1です。


すみません。訂正をお願いします。
(イスラム教の国々では今でもそうですね。)

イスラム教(誤)→イスラム圏(正)でした。

イスラム教で嘆きの壁の前で祈っている人たちも確かに髭を生やしている人が目立ちますが、髭を男らしさの強調としているのはイランとかイラクとかイスラム圏のモスレム教の人たちですね。^^);
『髭の生えにくい人はどうするのでしょう???』
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まだ、コメントが無いので、失礼して...。



30年戦争(1619~1648年)の頃にはドイツの森の木々は燃料として全てといっていいほど燃やされてしまいました。それほど寒かったのだと思います。(当時真冬の夜や明け方はマイナス10~20度なんて普通だったと思います。)
ドイツには確かに樹齢300~400年という樹木はほとんどありません。
髭は目だし帽のように寒さから顔の皮膚を保護する役もあったと思います。また、髭剃りの道具がなかったかも知れませんし、兵士の武将髭だったかも知れません。

また、ヨーロッパにおける髭の歴史を垣間見ると、髭は軍人にとって、勇敢さと男らしさを強調するためのシンボルだったようです。または、イギリスではサーの称号を持つ人たちは髭(男爵髭の由来)を生やしているのが普通だったようです。
神聖ローマ帝国の皇帝カール大帝(742~814)は胸まで白い髭を生やしていたのですが、自分の部下たちに、敵と見分けが付くように同じような髭を生やすように命令したそうです。

兵士が自分自身に自信を持つために、男らしく見せた事や敵に対して攻撃的に見せるなど、髭の流行は色々な意味で戦争と関係しているようです。特に攻撃的に見せる意味が強かったようです。(イスラム教の国々では今でもそうですね。)

おそらく17世紀頃のバロックやロココ調の貴族の服装や髪型や生活に髭は似合わなかったのではないでしょうか。当時の市民の流行も王様、貴族に「右へ倣え」だったのだと思います。
また、この頃に、シェービングようの折りたたみの剃刀が発明され、安全剃刀は1901年にジレットによって発明されたそうです。日本の剃刀は最高によく切れますが、ヨーロッパでの剃刀の切れ味はあまりよくありません。ドイツでは床屋(男性も美容院で髪を切ります。)で髭を剃る習慣はありません。トルコの床屋では男性の髭剃りなどもあり、日本の床屋に近いと思います。

参考URL:http://en.wikipedia.org/wiki/Shaving
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
西洋では16世紀初期から寒冷期になり作物の取れ具合が悪く人口が減少したという話を聞いたことがありますが寒さから顔を保護するために自然と流行したのですね。

確かにバロックからロココ時代の服装や髪粉を振りかけた袋かつらには髭は不自然ですね。どうしてもだらしなく見えてしまいます。衰退した理由が分かります。

お礼日時:2008/02/14 11:02

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