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ベルリンの壁崩壊1989年から思えばもう20年も経つんだあ。いったい、共産主義って何だったんだろう。今でも共産主義者を自称する人は共産主義「失敗」の原因は何だったか?きちんと分析・評価・総括すべきだろう。その総括もせずに共産主義者を名乗るのは知的思想的怠惰以外の何物でも無い。そこで俺がなり代わってエラソーに分析することにする。以下、失敗原因と思われるものを経済・政治・思想・組織の4分野別に考える。

(1)経済原理:統制経済の失敗
かつてのソ連経済に典型的に現れたように、国家に経済を統制できる能力は無かった。アダム・スミスは依然として正しく、市場経済=見えざる手に委ねるのが経済合理性・効率性実現の唯一の道なのだ。
もっとも、社会的共通資本まで神の手に委ねるのは現実的でない。特に、食糧・エネルギー・水・環境。石油資源の枯渇や世界的貧困(食糧問題)を思うと国家乃至国家連合更には世界政府による政策的介入無しでは人類存続も危ぶまれる。

(2)政治原理:一党(プロレタリア)独裁の失敗
これは(1)より小さな原因に見える。なぜなら、ソ連は経済より政治の自由化を急いで崩壊したのに対し中国は政治の独裁体制を維持したままで経済自由化でなんとか存続しているからだ。要するに、人民にとっては政治より経済。食えてるうちは多少の独裁でも文句を言わないからだ。
封建体制が長かったり民度が低い国の近代化にあたって開発独裁はある程度必須だ。明治維新日本も言うならば天皇制開発独裁だった。そして、敗戦後「民主主義」日本もバブル崩壊までは自民党利権開発独裁に政治的合理性があったと言える。自社55年体制崩壊後の政治的混迷は開発独裁に代わる政治原理を発見できていないということかもしれない。

(3)思想原理:マルクスレーニン真理一元主義の失敗
我が敬愛するショスタコーヴィチの音楽まで統制、弾圧するなんてソ連はサイテーの文化国家だった。政治原理は開発独裁であっても思想言論文化は自由市場というスタイルもあり得たかもしれない(原理的には矛盾だけれど)。経済、文化は自由化、政治は国家崩壊による争乱を免れるべく多極化をソフトに排除するというのが、中国共産党が採るべき賢明な道である(その道を目指しているだろう多分、無理だろうけど)。
ちなみに、マルクスレーニン真理一元主義は西洋近代プラトニズムの必然的な行き着く先だった。最早、一元主義に未来は無い。時代は多元主義を要請している(「真理より道理、実在より現象」参照)。

(4)組織の問題:権力は必然的に腐敗する
権力に腐敗は必然。中国共産党が上記の賢明な道を歩めたとしても、汚職腐敗による権力の内部崩壊の可能性は残る。日本の開発独裁の最後の砦=官僚制、公的部門の改革が必要な理由もここにある。キャリアシステム及び天下りから手をつけよ。

以上を整理すると、ソ連共産主義の失敗は(1)~(4)の全てが原因、とりわけ(3)思想原理:マルクスレーニン真理一元主義の失敗が大きい。この点、実事求是、百家争鳴の経験がある中国共産党(結構、プラグマティズム、功利主義)は一見しぶとそうだが、(4)組織の問題:権力は必然的に腐敗するが弱点で、思想言論文化の自由市場をつくれなくていずれ倒壊する。
そして、日本は、公的部門改革と多元主義文化構築及び人口減少を経て世界のトップを走る中規模経済・文化大国になるだろう(と思いたい)。日本の未来は(1)反帝国主義(2)自由主義(3)多元主義(4)社会的共通資本の重視と共にあるのである。

A 回答 (16件中1~10件)

#12です


簡単に言えば共産主義とは戦時体制なのです。
戦時体制とは国民が己の意思より国家の意思を優先する体制とでも言いましょうか。
戦時ならそれは必要で効果的であったかも知れませんが平和が訪れた場合その体制はもろくも崩れ去ります。

例えば戦時には統制の取れた軍隊と自由気ままな一般人の集団ではどちらが軍事的に強いか、もちろん軍隊です。
では平和時経済を発展させる目的の場合どちらが有利か、考えるまでもありませんよね。軍隊に商売が出来るはずありません。

戦時には共産主義も有効だったかも知れませんが平和時には適応できない体制なのです。常に外敵が必要な体制なのだから肝心の敵が居なくなれば瓦解するのは当然です。現代でもかろうじて生き残っている共産国家も常に外敵を必要としているのが何よりの証拠。
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>富は無限なのでしょうか。


「冨は、無限」というか「神の恵みは無限」
それが自由主義経済の根底にある「キリスト教」の考え方でしょう。
しかし、有限と考えるほうが平等社会を志向して
無限と考えるほうが競争社会、格差社会をつくりだす。

冨というものを物質に限ったとしても、エネルギー保存の
法則もあれば、太陽のエネルギーや生命の輪廻は無限です。
一定の利回りのものに再投資すれば元利合計は無限に増大するし、
借金もまたしかり。
無限の冨を希求しないところに、豊かさの認識に対する誤謬があった。
私はそう思いますね。
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国民(人民)総て公務員だったところじゃないですか?



というのは冗談でw
生産物のみならず生産手段まで共有してしまったところ?
生産自体を競争化して生産物を共有したら・・・

ま、無理か・・・あは。
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能力という壁とカネと自己責任で押さえつけるのも



権力による押さえつけも同じでしょう
比較級の幸福の追求に変わりはない
心による幸福は人の心のあり方に委ねられるが
物による幸福は
政治を動かす人間によってもたらされる
人は心と物との両輪で生きている
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失敗も何も始めから大衆を力で抑えなければ成り立たない制度だったわけですから大衆はそれに対抗して暴力に訴えるかやる気を無くすかどちらかでしょう。

国民に知恵をつけては困る体制が自由主義の国民と競争しても勝ち目は無いと思います。

そのような状態であれは共産主義と言う一神教になじめない人は不満が鬱積するばかり、ガス抜きを出来ない社会はいずれ行き詰る事は目に見えています。
よく長年持ったものですね。
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競争において資本主義のほうがまさったという結果でしかない


ように思います
社会の福、祉は競争に勝つことにあると思いますか?
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資本主義も所謂共産主義も根は同じでしょう


同じ権利の主張という意味で

人は物につられることによって動くばかりなのではなく
心によって動くものでもあると思っております
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>「真理」とか「不変の実体」という発想を持ってはいません



経済原理、政治原理、思想原理という用語を使用していますね。「原理」は、根本法則とか普遍的な関係を含意しているので、「真理」とか「不変の実体」という発想を持っているのではないかと思ってしまったのですが、違うとするとますます矛盾しているように思います。原理を語りながら、真理でもなく、不変の実体でもない何を表現したいのでしょうか。空理ではなく、地に足のついた人の視点で、そのあたりの整理ができると格段に内容は良くなると思いますよ。
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質問自体が失敗しています。



No.6の回答と同様に、共産主義を実現した国家はそもそも存在したことがありません。もどき国家ができただけで、資本主義準備国家とでもいうべきものだったと思います。

「○○主義が失敗する」という一見客観的な真実の命題のように思える文が、失敗しています。「真理」とか「不変の実体」という発想を持っている時点で、知的レベルが低いので、学術的には相手にされません。そして、失敗するのは、主義ではなく、人であり、人々であり、組織であり、社会です。人を中心とした視点のみが、意味を持つので、そのように発想法から組み直すといいと思います。
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この回答へのお礼

「真理」とか「不変の実体」という発想を持ってはいませんし、そのような表現もしていないつもりですが、ご指摘は参考になりました。

お礼日時:2008/03/28 19:18

このレベルの意見は、ブログで書けば。

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この回答へのお礼

ご指摘、ありがとうございます。今後はそうします。

お礼日時:2008/03/28 19:19

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