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歴史学者や歴史の専門家は左翼系が多いというのを聞いたのですが
本当ですか?
だとするならなぜ左翼系が多いのですか?

A 回答 (14件中1~10件)

国家権力の圧政とそれに対する人民の闘争といったふうに図式化され、日本の近代を暗黒一色にとらえるマルクス主義系の歴史学が、敗戦からしばらく隆盛だったという事実がありますが、



こういった偏頗な史観が全盛を極めたのは、戦前の反動、揺り戻し、とはよく言われます。政治体制が大きく変わると、先行する時代・体制を全面的に否定する政策が意識的に打ち出され、また前代を否定する空気が世の中に充ちるのは、どの時代や国でも見られることです。そういった流れのなかに彼らもあったわけでしょう。
まあ、皇国史観を解毒するには、それに対応するだけの偏った毒も、存在意義があったのでしょうがね。

また日本の場合は、ヨーロッパ諸国のように戦争で勝った負けたを繰り返してきた歴史的な経験が不足していたため、敗戦・占領のショックが甚大で、したがって反動も大きく、より強く長期にわたって戦前を暗黒一色に見る史観が横行した、とも指摘できるでしょう。

と、以上は質問とは直接関係のない、そのむかし連中が幅を利かせていた理由の一端ですが、戦争の後遺症は何世代にもわたって続くといいます。現在の君が代・日の丸の問題でも、「戦前の苦い記憶」を持ち出す人が若い世代にもいるくらいですから、昔の左翼史観の横行のことも質問とまったく無関係ではない、と思う次第です。

ところで、#10の「公平な判断の元書いた歴史教科書」とい言葉で思い出したのですが、前述の左翼史家に『条約改正』(岩波新書)という小本があります。不幸にして私(#7)と同じレベルまで品性を下げてしまった回答者「たち」の発言ほど、この著者の叙述はユニークではないのですが、当時欧米に注目されはじめ、条約改正にあたっての大きな要因となった、極東での日本の軍事プレゼンスを考察の外に置いた極めてユニークな本です。もうだいぶ前に読ませられた本ですが、あのときは、イデオロギー史観の曲芸的なバランス感覚に恐れ入りました。
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 一口に歴史と言っても、いろいろと肌色があるようです。

まず歴史ドラマなどという場合の歴史は、詰まるところ現代劇のアンチーク仕立てに過ぎませんし、純然たるサイエンスとしての歴史科学の場合は実証が必要になる分、書証のほとんどは信用性が得られず、結果、縄文時代の糞にはこんな成分が含まれていただとか、そんな以上の話は出て来ようがないでしょう。

 次に支那の史書などにいう歴史ですが、これは典型的には王朝の史官が前王朝の滅びざるを得なかった理由と現王朝がこれに取って代った正当性をドキュメンタリーとして公示するものでしょう。つまりは自然科学的な事実とはほとんど何の関係もありませぬ。もちろん自然科学の発達した今日においては事実と明らかに矛盾する資料は用い難い筈であるが、それでも「南京事件」の如き客観資料の乏しい事実が一人歩きしているのが実際です。

 最後に最も忘れられているのが、我々が文字を知る以前から持っていたカガミとしての歴史です。これは本質的に我々が持っている幼児期の記憶と同じであり、思い出としての歴史である。全歴史を思い出すには全歴史と同じ長さの時間が必要であるから、思い出としての歴史はもちろん事実では有り得ないが、我々人類が長い間抱えていた歴史には違いないでしょう。

 結局、アカデミーとしての歴史は科学としての歴史となる筈が、その余りにも捗々しからぬ成果の末に登場するのがドキュメンタリーとしての歴史であり、その拠って立つところの政治的立場に從って事実があるだの無いだの詰まらぬ論争を繰り広げているのが現在の歴史学の現状であれば、右翼の流行らぬ昨今、左翼ばかりが目立つのも尤もなことだろうと思います。
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此も一つのご意見でしょう・・・ 大切なのはご自身の歴史観だと思います。

歴史学者の中には右翼を信奉する方も、左翼を信奉する方も居られます。昨今は体制に偏った歴史学者の声が大きいように思います。歴史は史記の時代から為政者の都合が表に出るようです。その色合いを取り除く目を持つ事が自分の歴史観を持つことになります。邪馬台国論争も一つの例で、近畿圏の学者と北九州圏の学者では根拠とする処が異なったっています。奈良県や京都府の歴史を国の歴史とするか県の歴史とするかは自分の足で資料を求め考えを纏める事だと思います。ちなみに小生は旧石器から平安までの遺物、遺跡のデータベースを作成しながら本物を見る目を養う研鑽を続けております。
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「これは(日米安保のこと)アメリカが日本を基地にアジアを侵略するのに日本が積極的に協力し、また日本の帝国主義的政策にアメリカ軍を後ろ盾にしようとする、軍事同盟条約である」と言うと左翼だとか、「南京大虐殺は無かった」と言わないと左翼だとすれば、大部分の学者は左翼でしょうよ。

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はっきり言ってしまえば、


公平な判断の元書いた歴史教科書が
共産思想に思えるならば、何を教えようと時間の無駄なのです。

右翼に共産思想を理解させる事はできませんし、左翼に右翼教育はできません。

公平な判断が左翼思想と判断される場合には、その個人を放棄するしか手段がありません。思想の教育義務など規範にはありません。

零戦ヲタクと言う、理解の妨げをする脳内物質がある限り、
教科書以外の雑誌が教科書になってしまいますし、
また、逆に赤旗が常に規範になるだけす。

ある問題に於いて、
日本人の場合は無罪。外国人の場合は有罪。
間違えた年齢で精神年齢が停止するだけです。
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 30年以上も前に大学を卒業した人間の目から見ると、全く違いますね。


 当時は、大学紛争の嵐が吹き荒れた直後で、大学の歴史の講義ではマルクス史観全盛期で、「おいおい、ちょっと待て。いくらなんでもそれはこじつけだろう。」と言う感じの講義でした。(さっぱり面白くなく、試験は論文で、やや批判的な解答を書いたら、60点の最低点で可。不可にして落としてくれたほうが、成績が下がらないだけ、ありがたかったのに。)

 ちなみに、ソ連の崩壊や時代の変化で、当時のマルクス史観の先生方及びその弟子は、ほぼ壊滅状態です。
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そもそも右翼・左翼とは何かと言う問題があります。


極めて乱暴な分け方ですが、人間の行動の原点を経済的・物理的利益追求におくものが左翼・唯物主義、精神的なものにおくものが右翼・唯心主義とすれば、学問的には前者が優勢になるのは必然ではあります。
そういった意味では、即物的な動機で行動(ゆすり・たかり)する右翼と称する輩は単なる、保守拝金主義者であり美意識を根源におく右翼とは相容れないものではありす。
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とくに昔は左翼史家全盛、ショウケツ(猖獗)を極めていたと言ってもいいんじゃないですか。



・・・・これは(日米安保のこと)アメリカが日本を基地にアジアを侵略するのに日本が積極的に協力し、また日本の帝国主義的政策にアメリカ軍を後ろ盾にしようとする、軍事同盟条約である・・・・・

↑これは井上清という有名な左翼史家が一般向けに書いた本からの引用です。
『新書日本史8 昭和の五十年』講談社現代新書(初版1976)
【通史】、【新書】といったジャンルでもこんな調子の本が平然と出回っていたくらいですから、いかに彼らが跋扈し、ひろい裾野を持っていたかということが伺えます。
左翼史家が「ほとんどいない」なんてのは何かのサクゴでしょ、でなければ願望でしょ。

付け加えれば、政治的活動は歴史解釈(つまりは歴史の研究)という形でいくらでも出来るしね。
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No2の方が本質をついています。


GHQの統治時代に極一部の大学以外は自由な言論が出来る状況ではなくなりました。この時に追放されたり意趣替えなどがあり左翼系又は左翼的な考えの方が教授の殆どを占めたのです。
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まともに歴史を研究するなら、経済史的なアプローチは避けて通れませんので、マルクスの手法なども古典として参考にするでしょうが、政治的に左翼な学者や専門家はほとんどいないと思われます。


政治活動なんかやってたら、研究する時間がなくなりますので。
研究者としてのマルクスやレーニンがこしらえた、用語や枠組みを用いることがあるから、素人目には左翼と思われるのでしょうかね?
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