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こんにちは。

江戸時代から明治時代の男性の髪型についての質問なのですが、
当時の男性の髪型は、髷だったりポニーテールだったり歴史上著名の人物でも様々ですよね。
これらには、何か特別な意味(武士・職業等)があるのでしょうか?
ご存知の方いらっしゃいましたら、教えて下さい。

A 回答 (1件)

維新によって武家政治が終わり、明治政府は西洋に追いつけ追い越せで、がんばったわけです。

その中で明治4年に「断髪令」が出されました。正確には「散髪脱刀令」で「髪を切りなさい、刀を捨てなさい」ではなく「髪を切ってもいいですよ、刀も持たなくていいですよ」です。これには古い歴史も関わってくるのですが、古来より男の髪型は「身分や立場を表すためのかぶりもの」によって違いました。たとえば平安貴族の男性は、あの烏帽子をかぶるために、髪を高くポニーテールして、さらにそれを細くきれいにくくり、烏帽子の中に納めてピンでとめるとか。いろいろかぶりものが考案されました。時代がうんと下がって武士が台頭してくると、最終的に何をかぶったかというと「戦場でのかぶと」です。武士の頭部のてっぺん(月代・さかやき)といいますが、つるつるに剃っているのは、兜をかぶったときしっかり固定するためと、蒸れないためです。だから武士の元服は前髪を落とし月代をそって「私はいつでも兜をかぶって戦場に出られる大人になりました」という証明だったのです。戦がなくなっても、この「かぶとをいつでもかぶれる頭」は、武士としての誇りであり礼儀であり、証しだったわけです。これが庶民にも慣習としてひろがり、月代を剃るのが大人の男の証になったわけです。
そういうわけで、武士の世界でなくなったとき、その象徴である髷を落としても、もう武士だとかそうでないとかそんなことは言わないよ、自由にしていいよ、ということだったわけです。でも、すぐに受け入れられる人もいれば、この年になってという人もいれば、幕府はなくなっても自分は生涯武士だ、という人もいれば…だったわけです。新政府の重鎮たちは、西洋化を推進するため、進んで断髪したようですね。おおざっぱな説明ですが…。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おおざっぱだなんてとんでもないです!
とても分かりやすく説明して頂きありがとうございます。
江戸や明治になるもっと昔から、男性の髪型には様々な意味があったんですね。
武士が頭部を剃っているというのも、改めて考えると、とても不思議な髪型でしたがそんな意味があったんですね。
とても勉強になりました。
最近、幕末~江戸のドラマや漫画を見ていて不思議に思いこちらで質問させて頂いたのですが、回答者様に教えて頂いた様に、もっと古い時代にも興味が湧いてきました。
では、ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/09 01:54

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