アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

最近、「~させて頂きます」という言葉をよく耳にします。
ですがこの前、これは間違った日本語だと教えてもらいました。
しかし抽象的にしか分からなくて気になっています。
どなたか、具体的に説明してもらえませんか?

A 回答 (5件)

~させて頂くの使い分け


自分自身の行為をへりくだって相手に伝えるとき(例・・・この仕事は私がさせていただきます)
相手の方の行為(依頼されたことなど)をへりくだっていうとき(例・・・過日の文書編集の件は私が責任を持ってさせていただきます)
に使い分けるのだと思います。
芸能人が「この度○さんと結婚させていただくことになりました」などというのは間違いです、自分の行為ですから・・・
「結婚いたします」と肯定すべきです。

すみません、どなたか、具体的に説明してもらえませんか?と仰っていますが、説明をしていただけますかというべきですね。
もらえませんかは敬語ではありません。
    • good
    • 0

自分もよく「させて頂きます」は使う方だと思いますが、調べた感じだと、


「させて頂きます」というのは、相手に同意を求める意味が含まれているみたいなので、特に相手に同意を求めない時に使うのはおかしいそうです。
例:×それでは閉会させていただきます。
  ○それでは閉会致します。

日本人は決め付けた物言いを高圧的に感じて嫌う傾向があるので、相手の同意を得て進めたがる為によく使うようです。

あと、「~させて頂きます」は動詞につければよいので簡単で使いやすいと言うのも理由のようです。

以上 Wikiに書いてありました。
    • good
    • 0

下のURL文化庁(文化審議会答申)の「敬語の指針」40頁の6「させていただく」の使い方の問題の【18】の解説がわかりやすいと思います。



これによりますと、「させていただきます」は、使い方によっては「○」である場合と「×」になる場合があるということです。
【「○」の条件】
(ア)相手側または第三者の許可を受けて行い
(イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちがある

例を挙げて説明します。

例(1) 相手が所有している本をコピーするため、許可を求める。
「コピーを取らせていただけますか。」
・・・これは(ア)も(イ)も満たしていますので「○」です。

例(2) 「私は△△高校を卒業させていただきました。」
・・・チャンとした成績で堂々と卒業したのであれば(ア)(イ)とは関係ないので「×」。 (落第点であったのがお情けで・・・というのであれば話は別です)

例(3) 店の休業の張り紙
「本日、休業させていただきます。」
・・・普通は(ア)(イ)とは無関係であるので「本日休業いたします。」でよい。
(しかし、あたかも客の許可を得て、その恩恵をうけたかのように表現する方法もあると思いますので、一概に「本日、休業させていただきます。」を「×」にはできないと思います)

ポイントは「許可」とその「恩恵」があるかないかですね。

なにも、お国(文科省文化庁)の言うことを100%聞かなければならないということではありませんが、マスコミも下記答申に右へならえになっているようです。
http://www.bunka.go.jp/1kokugo/pdf/keigo_tousin. …
    • good
    • 0

ご質問に答えさせていただきます ( ^^



「させる」という助動詞は「使役」の意味なので、「~させてもらう」と言うと、それだけで相手の許しを得て何かをするという一種の謙譲語的表現(謙譲語そのものではない)になります。その「もらう」の部分を更に謙譲語として「いただく」にすると、

謙譲語的表現 + 謙譲語 = 過剰敬語(へりくだり過ぎ、非民主的)

という批判があるわけです。
この点に関しては hondafitさん(ANo.2)がお答えになっているように、「~させていただく」には敬語本来の目的とは別に言葉に柔らかさを持たせるという目的があるので、相手に同意が不用の行為について使用したとしても、一概に否定すべきものではないという意見も少なくありません。
ただ、中には丁寧さを心掛けようとする余りこれを次々に乱発する人があり、そうなると聴く側にとってはかなりうんざりさせられるわけです(笑)

以上のことから、「~させていただく」は決して言葉自体が間違いとは言えないが、しばしば “耳に障る” 言葉だということは言えそうですね。

なお、「~させていただく」が明らかに間違った日本語となるのは、いわゆる「さ入れ言葉」と併用されるケースです。
<例>
・明日伺わ【さ】せていただきます。
・一言だけ言わ【さ】せていただきます。

これ等の何が間違いかと言うと、助動詞「させる」は動詞の内上一段活用、下一段活用およびカ行変格活用動詞の未然形にのみ接続し、それ以外の動詞では「させる」の代わりに「せる」が付くことになっています。「伺う」、「言う」は共に五段活用ですから、正しくは次のように書かなくてはなりません。

・明日伺わ【せ】ていただきます。
・一言だけ言わ【せ】ていただきます。

「『~させていただく』は間違った日本語」とcrown224さんに教えた人は、もしかするとこの点を指摘された可能性もあると思います。
    • good
    • 1

耳障りな言い回しだと以前から思っていました。

「お客様は神様です」の精神や拝金主義にも通じているようで嫌悪感を感じています。

「させていただく」という表現を、目上の人であるとか、お客であるとか、敬意をもって接しなければならない人にではなく、友だちや弟、自分の子供相手に使うとするならどうなるでしょうか?

≪1≫
コピーを取らせていただけますか。<相手が所有している本をコピーするため、許可を求める。>
→コピー取らせてもらってもいい?

≪2≫
本日、休業させていただきます。
<共同経営者や出入りの業者に言う場合を考えてみる。>
→今日は休みにさせてもらうよ。/今日は休ませてもらうよ。わりぃね。
※お客に対しては「本日休業いたします。」で十分丁寧なはず。

【注目!】
「させていただく」を使うと、まるで相手の同意をとりつけているかのよう。実際には同意するかどうかの確認などとっていないのに、上っ面ばかり馬鹿丁寧なだけで、ドサクサにまぎれて自分のやりたいことを自分の都合のいいように敢行する、という印象をもたされる。
客が同意しなかろうと、休まなければならない事情があるのだろう、しかしそれはただ経営者側にだけ由来しているものであるはずで、休むことの理由を構成するものとしてお客の同意(ほんとは同意などしていないのだが)を援用するようなこと、休業理由をお客と折半・共有するような外貌にしてしまうのは何か卑怯な感じがする。(「卑怯」では言葉が強すぎるようだが、何かそういうニュアンスの言葉で表現してみたくもなってくる。)
政治の悪風に一般庶民が毒されてしまったようで、何ともいやらしい感じがする。「皆様のコンセンサス[総意一致]を確認の上で行なう次第であります。」とでも言われているような感じで。(そういえば、裁判員制度なんていつ決まってたんだろうか?)
「おいおい、なんかお前、まるでこっちの同意を得た上で、何かを実行に移そうとしているようにとれるようなことを言うけど、こっちはその行為について何の承諾も与えたつもりはないぜ」と言いたくもならないでしょうか?

≪3≫
(芸能人などが)この度○○さんと結婚させていただくことになりました。
→このたび、○○と△△は結婚することになりました。/じつは、○○と結婚することにしたんだ。
(「させていただく」という言い回しを使う必然性はどこにもない。下記参照。)

【注目!】
へりくだっているようでいて、実は尊大。“慇懃無礼”とはこういうことを言うのだろうか? 
国家元首が、「国民の恥辱となってしまうような、へたな相手を結婚相手には選べない、なぜなら私は公僕なのであるから」という意識をもって、慎重に結婚相手を選び、そしてそれが決まった際に、「結婚させていただくことになりました」と言うのなら理解できる。しかし、国民の99.9999…%が関心をもっていない…というより存在自体知られていない一般人が「結婚させていただく」などと言うのは何事かと思う。例えそれが知名度90%以上の芸能人だったとしても、「あなたがたが良ければそれでいいだろう。誰を結婚相手に選んでもそれが国政等に影響を与えるわけじゃなし。」一般人の意識はこの程度のものではないだろうか。「私たち、結婚することにしました!」で済むことを、もったいぶって「結婚させていただくことになりました。」とは、一体何様なのかと思う。
「“させていただくことになった”と言うからには、誰かにお伺いを立てて、許可や同意を得たことになるが、結婚なんて、基本的には結婚する当事者の間で決めることなので、いちいち他人にお伺いを立てて許認可を得てやるようなことではないだろう。しかも、実際にはお伺いなんか立てていないし…(そりゃ、双方の両親、所属事務所との間では協議や調整があったのかもしれないが。)単純な報告「結婚することになりました」なら何も文句はつけない。しかし、まるで、全国民の同意をとりつけて結婚が許されました、みなさんありがとう、というような言い方はやめてもらえないか、と私は思う。

≪4≫
明日伺わせていただきます。
(単純に、行く意向・予定を伝える場合と、相手の家が片付いてなかろうが病人が寝付いていようが、相手の都合や意向はおかまいなしに行くという意思を伝える場合とが考えられる。)
→明日、行くからね。/明日、行かせてもらうよ。

≪5≫
私は△△高校を卒業させていただきました。
→私は△△高校を卒業した。
(お情けで卒業させてもらった、あるいは貧困のために他人から多大な援助を受けながら通学し卒業までに至った、ということなら、分からないでもないが、そういう背景がないのであるなら、「させていただく」という言い回しを使う理由がどこにもない。謙虚さを演出したいのだろうが、見る目ある人には逆効果。蛇足。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。謙虚すぎるのは傲慢なのと同じである。――ユダヤの諺。人は傲慢からも謙遜でありうる。――モンテーニュ。(「悪人正機」という言葉を解くヒントになりそう。))

≪6≫
一言だけ言わせていただきます。
(単純に、発言したい意志を伝える場合と、周囲の人は黙らせたいのかもしれないが、その意向はおかまいなしにどうしても発言したいという場合とが考えられる。)
→一言だけ言ってもいいかな?/一言だけ言わせてもらうよ。

≪7≫
(飲み会・親睦会を)それでは閉会させていただきます。
→〈「じゃあ、そろそろおひらきということにしましょうか」が自然に出てくる言葉かと思うけど、〉それでは閉会します。/それでは閉会いたします。(これも、「させていただく」という言い回しを使う理由が全くない。「ほな、閉会させてもらいますわ」とか関西人なら言うのかな?)


【総括】

「させていただく」は、
本来、「あなたの意向がどうであろうと、私は私のやりたいようにやります」という意味であるはずです。これ以上礼を失した物言いがあるものでしょうか?

挙げた例を振り返ります。
≪1≫コピーを取らせていただけますか。<相手が所有している本をコピーするため、許可を求める。>
≪2≫本日、休業させていただきます。
≪3≫(芸能人などが)この度○○さんと結婚させていただくことになりました。
≪4≫明日伺わせていただきます。
≪5≫私は△△高校を卒業させていただきました。
≪6≫一言だけ言わせていただきます。
≪7≫(飲み会・親睦会を)それでは閉会させていただきます。

上の例のうちで、問題がないと思われるのは、≪1≫のみ。他の例文と違って、ありもしない同意を既成事実にし、前提にするような強引さはなく、これから同意・許可を得ようとしている。あなたの所有物に、私の行為が作用を及ぼしても構いませんか?という意味でも、「させていただく」が活きる。
≪4≫は、いきなりではなく、相手の都合を聞いたうえで、話のしめくくりの際に確認する意味で「それでは、」を最初につけて言うなどするなら全く問題ないと思われる。また、相手から来るように言われているのなら、「御意に沿うようにいたします」「任務を遂行いたします」とか「喜んでそのように致します」という意味を含ませるように言うのなら適切な使い方であると思える。都合を聞いてもいないのにいきなり「明日伺わせていただきます」では、「あなたの意向がどうであろうと、私は私のやりたいようにやります」、あなたの家が片付いていようがいまいが、病人が寝付いていようがいまいが、あなたの都合や意向はおかまいなしに行くのです、というようなことになってしまう。
≪6≫も、発言していいシチュエーションなのか、時間を取れるのか、というような確認ができているのなら、やっぱり「それでは、」を最初につけるなどしてから「一言だけ言わせていただきます」と言うなら、全く問題なし。また、疑問形で言うのなら≪1≫のようになって、適切な使い方となる。「一言だけ言わせていただいてよろしいでしょうか?」

傲慢な印象を与えたくない、腰が低いという印象をもってもらいたいから「させていただきます」がこれだけ多用されているのでしょうが、何の同意・承諾も得ていない状況でこの言い回しを使ってしまうと、「あなたの意向がどうであろうと、私は私のやりたいようにやります」という傲岸不遜な意味になってしまうのですから、言葉の感覚に敏感な人に対してみだりに使うのは慎むべきであると思います。

「させていただきます」を多用する人たちには「すっとばし」とでも言ったらいいかと思われるような品のない流儀、一種の“甘え”があるように思えます。

あらかじめお伺いを立てていたことにしていた。(←つつしみぶかい日本人は、そんな覚えはなくともつっこまないでいてくれるはずだ。)

同意・許可を頂きました、という意味にとれることを明言して、同意・許可を頂いたことにしてしまう。既成事実をこしらえあげてしまう。(←ものごとを淀みなく進める・まるく収めるにはやむをえない必要悪だ、という大方の日本人の賛同を得られるはずだ。)

決定に際しては、決定するに至る理由を構成するものとして皆様の同意(ほんとは同意などないのだが)がございますから、決定者にばかり決定の意志があったのだとはくれぐれもお考えにならないようにしてください。決定の意志は皆様と折半・共有されているものとお考えください。(←さすがに、この通りのことを口に出して言うことはないし、言う本人もこういう思想があることは意識していない、しかしこういうことを言っているのと同じ。)

お伺いなど立ててもいないのに立てていたことにする、同意など得ていないのに得たことにする、決定は自分たちだけでしたことなのに、相手の同意あるいは世間全般の総意のもとに行なわれたことにする・・・(この「すっとばし」は、国会でもよく行なわれていることですよね? 「政治の悪風に一般庶民が毒されてしまったようで、何ともいやらしい感じがする。」と上では書いたけど、逆に、一般庶民の悪習こそが悪政の根源なのだろうか…?)
ヤボでない日本人ならこの流れをケチをつける筈はない。ケチをつける人はヤボなのだ、と言わんばかり…。
日本人だけの内輪の世界でならこういうことは通じるのかもしれませんが、こういう妙なシステムを外国の方が理解するのは相当難しいでしょうね。

文法的に正しいのかどうかという以前に、最上級の誠意や最上級の設備、最上級のサービスを提供できる技量等を実際にはもってもいないのに、あたかもそれをもっているかのように、ただ「させていただく」という言い回しを使いさえすれば高級感や敬意(しかも最上級の敬意)がある風を醸し出すことができて便利だ、という安直で甘い考えがあるようであり、それはまるで耐震強度が不足している建造物を豪華な外装や内装でごまかして売りに出しているようなさまをみるようでもあり、それがどうにも私のような者には不愉快でたまらないのです。ほんとに誠意があるのなら、言葉は簡潔にするように努めるべきです。言葉が華美になると真心が薄くなってゆくようです。と言うよりも、真心がないからこそ、言葉が仰々しくなるのでしょう。

この言い回しに触れるたびに「そんな使い方は間違っている!」とか「そうやたらに使っていい言い回しではないはずだ」という批判的な気持ちが起こらないようになって慣れっこになってしまっては、「お上のすっとばし」にも鈍感になってしまい、悪法が国会をどんどん通過し、それらとそれらを都合よく利用する者どもがはびこり、我々国民は権力者のいいように操られる木偶となってしまいます。(既にもう、十分そうなっているか…)
気をつけようではありませんか。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別の嘘によってだまされ始めているにちがいないのである。――伊丹万作
http://hasimotohp.hp.infoseek.co.jp/sensou.htm
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!