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中国ではその昔、異民族を「東夷、西戎、南蛮、北狄」と呼んで蔑んで来た過去がありましたが、我が国日本にもアイヌ民族を「エミシ(=野蛮人)」と記録した書物があります。
日本も中国も、何故中央国家から遠方の異民族を野蛮人呼ばわりして来たという共通点があるのでしょうか?
どなたか御回答を宜しく御願いします。

A 回答 (9件)

 No9の者ですが、「中華」について補足したいことがありましたので再度書きます。


 用語「中華思想」自体を削除させて頂きます。「中華思想」(儒教的観点)と「中華」(中国人の考え方)に関する考えとをここでは分けたいからです。
 従いまして、No8内の「中華思想」→「中華」という考え、と変更して下さい。 また、「古代から」のところは、「殷代」から、と変更して下さい。

 また、「夷」の文字につきましては甲骨文字自体が存在しており、殷代に殷の東方に暮らしていた異民族を指す言葉ともなっておりますので、四夷(夷・蛮・戎・狄)の用語自体につきましては、このままに致します。

 本サイトは、学術専門のQ&Aサイトではない為、参考図書などは記しませんでした。また、誤った記述もあるかもしれませんが、そこは取捨選択して頂ければ幸いです。
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現中国の正式国名は「中華人民共和国」ですが、この「中華」という言葉は「世界の中心」という意味を含んでおります。

そもそも中国には、「中華思想」というものが古代(厳密な意味での年代・時代については、忘れてしまいました。すみません)から存在しています。「古代から」とは、商(殷)か周王朝の頃から、だったと思います。
 古代中国では、黄河中流域の「中原」と呼ばれる一帯が世界の中心でした(「世界の中心」を中原と呼んでいたのかも知れませんが)。確か、殷代だったと思いますが、中原(殷王朝)より東方に住む集団(殷王朝とは異なる姓を持つ人々)を(東)夷、南方に住む集団を(南)蛮、西方・北方に住む者を(西)戎・(北)狄と呼んでいました。殷代(後期頃)の人は、殷王朝外の人々を人間扱いしていませんでしたので、殷代以来上記の用語は差別用語となったのだと思います。
 また、中国の勢力範囲が拡大するにつれ(後漢頃から?)、朝鮮や日本が「東夷」とよばれるようになりました。

 日本は、弥生・後期頃より中国への朝貢もしくは何らかの関係を持ち続けて来ました。平安・初期(797年)に坂上田村麻呂が征夷大将軍となって東北の蝦夷を征伐した時に「征夷大将軍」が使われていることなどから、平安時代以前に既に中国の官職名(征夷大将軍など)や東夷・南蛮などの用語等も日本へ入ってきて、また日本が中国をモデルとしていたからではないでしょうか。
 因みに、蝦夷とは元来北陸・関東北部から北海道にかけて居住した人々のことでした。が、大和朝廷から異民族視され、大化の改新後は朝廷の征伐によって次第に北方に追われて、主に歴史書に出てくる蝦夷が「東北・北海道の人々」ですので「東北・北海道の人=蝦夷」となったのだと思います。それが原因で未だに、ある地域に東北蔑視が残っているのかも知れません。サン○リーの誰かさんのように(少し昔の話ですが)。

 余談ではありますが、「アジア」とはそもそも欧米列強の頃に出来たアジア(人)を蔑む差別用語でした。
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日本書紀で初めて登場するのが「愛瀰詩」です。



愛瀰詩烏 田比人嚢利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽田比毛勢儒

これを可愛そうな(哀調)(愛鳥)歌と訳した方がいますが
違います。^^;

愛(え) 瀰(み)詩(し)です。
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民族的に異種なものに対する、人がもつ自然な感覚ではないでしょうか。


とくに古えの時代からつい20~30年くらい前までは、インターネットはもちろん、テレビやラジオさえ入手困難な貧しい地域は、アジアにはたくさんあったわけで、他地域の民族や国の名前しか聞いたことがなく、実際の生活の様子は見たことも聞いたこともない地域を、異種扱いするのは当然のように私は感じます。
現在でも中国の内陸部には、ラジオも普及せず、普通話(標準中国語)が話せない地域があります(チベットの奥深い地域もその1つ)が、彼らは歴史的に、逆に中央の漢民族を、異なる民族文化の違う民族として、捉えていると思います。

ちなみに、70年代~80年年代に、「沖縄人お断り」をかかげたお店が、沖縄の人が多く移住した九州の都市や大阪にあったそうです。
現在は「外国人客おことわり」「日本人オンリー」を掲げる店があります。
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まず、


> 我が国日本にもアイヌ民族を「エミシ(=野蛮人)」と記録した書物があります。
がそもそも間違い。

一点目として、エミシ(蝦夷)とは「中央(大和政権)の支配の及ばないところ」を指す言葉であって、アイヌは関係ない。例えば征夷大将軍として征服するのは、精々東北地方だったりします。

二点目として、アイヌ=エミシと記述されるのはかなり後期の時代であって室町時代の終わり頃(戦国期)ですが、この当時で言えば北方からの輸入品は蝦夷錦などの工芸品であり、日本からの輸出品は米などです。アイヌは、中継貿易で栄えていました。なので野蛮人として遇していたようには思いません。


野蛮人としてのアイヌが登場するのは早くとも江戸期か、遅ければ明治期になってからです。それまでは、松前藩の支配下として見られているとしても、野蛮人として見られていたとはいえないでしょう(この点は当時の琉球人が野蛮人として見られていないというのと同じ事です)。もっとも、異人という括りで好奇の目で見られていたとは思いますが。



中国の場合は、ちょっと事情が違います。
漢民族にとって、中央政権とは基本的に、
秦・・・いわゆる西戎
から始まり、近代にいたる
清・・・いわゆる東夷
におわる、一種の征服民族なのです。言い換えれば、漢民族は被征服民族だったといえるでしょう。
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夷蛮戎狄とは礼記より来ておりますのでぜひ研究してみて下さい。



唐の時代以降尊重された物なので遣唐使も尊重した物だと考えられます。つまりエミシを蛮夷と表記するのは礼に反しない事になります。

また、貢物を持たず、中国と対等な関係を結ぼうとしていますので
朝廷は思いの他自尊心が強く周囲を見下し、周囲を攻略しようと野望を抱いていた。(任那)

攻撃的な外交方針だった可能性もあります。
また、対中政策も、追いつき追い越せの感もあります。

日本は攻撃される危険性をあまり感じていませんでしたので
弱い=蛮人(劣る人間、劣る文化、劣る国家)
の思想は強くあったと思います。
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> 中国ではその昔、



 その昔だけじゃないですね。現在進行形。
 今でも、華夷秩序の中心だと思っているから、チベットや台湾や沖縄を狙っているわけですし。

 文化の中心にいると思えば、そういう意識になるものです。
 実際、日本は遣唐使を廃止してからは国風文化という独自の文化を創りましたから、それ以外の文化を「劣った文化」と見てしまうのは、ヒトの性のようなものでしょう。
 もっとも、現代においてそれが主流でないのは、レヴィ・ストロースが「悲しき熱帯」という著書で構造主義哲学の道を開いたからです。

 文化には優劣などなく、単に違うだけ、だということを熱帯地方のフィールドワークによって実証的に検証した書物です。これが当時世界を席捲していた啓蒙主義哲学に取って代わって、現代の中心的思想になっています。だから、華夷秩序が単なる妄想であることは西側諸国のあるていど知識のある人には分かっているのですが、中国共産党はまだ啓蒙主義の世界にすら入っていませんら、それが理解できないのです。
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全世界共通ですから、人間の本能から来ていると言えると思います。


国家の場合為政者にとって、自分の身を脅かすかもしれない存在は徹底的に弾圧したり、排除しないといけないと思うのは「保身本能」だと思います。結果、野蛮人呼ばわりすることになるのです。
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別に日本や中国だけの話じゃないですよ。


古代ギリシャやローマだって異国民を蛮族呼ばわりしています。
人類共通の性みたいなもんじゃないのでしょうか?
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