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世の中には、子供の頃からやりたいことがはっきりしていて、
大人になってそれを叶えてしまっている人が多々います。
例えば、作家の角田光代さん。
子供の頃から作家を目指していた。そしてなってしまいました。
サッカーの小野選手(他にもいますが)
やはり子供の時分から、プロになってWカップに出ると決めていた。

このような人達は、なぜ飽きずにひとつのことを続けられるのか?

よく好きを仕事にしたらいいとか云いますが、その時「これが好き」
と思っても、大半の人は飽きてしまうと思うのです。
彼等はなぜ飽きずに「好き」でいられたのか?
いろんな方の意見を伺ってみたいと思います。

A 回答 (7件)

家具作家やってます。


子供のころから一つのことに熱中してきた、という意味では、
サッカー選手や著作家とは共通点があるかもしれないです(ただ、サッカー選手や著作家は「素質」も結果にかなり影響するような気もするので、家具作家とはちょっと違うかもしれませんが)。

>このような人達は、なぜ飽きずにひとつのことを続けられるのか?

>よく好きを仕事にしたらいいとか云いますが、その時「これが好き」
と思っても、大半の人は飽きてしまうと思うのです。

こんな感じなんじゃないでしょうか?
『好きさ加減』が違う、または、『努力そのもの』が好き。

後輩と一緒に作業していると、その後輩の性格は大きく分けて三種類に分けられるような気がします。
1. モノづくりが三度の飯より好きな人。
2. 努力することそのものが好きで、必死にもがいて結果を出したことで生きる喜びや意味を見出している人。
3. ちょっとクサい言葉ですが、『愛すべき対象(護るべき人)がいる』人(恋人、配偶者、尊敬すべき両親)。
4. 上記のどれでもない人。
※実際は1.から3.の複合型の人が多いと思いますが。

このうち「4.」にあてはまる人は、生涯同じ仕事をしたり(一つのことをとことん追求したり)、自分自身の仕事を尊重したりすることは難しいと思います。

私はものごころついた頃はすでに何かしら手を動かしてモノを作っていたと思います。作る「プロセス(あれこれ悩みながら作る)」が好きでした。また、両親に訊いてみると、初めて何かを作ったとき、誰からも教わらず、自分自身の意思で作り始めたそうです。私の先輩(師匠)もみんなそんな感じです。
そして、一つの事を十五年や二十年続くけてくると、結果、他のことを何も知らない(笑)ということも重要かもしれません。他の楽しみを知らないのですから「誘惑」にも強くなるのではないかと思います。

私自身は、1.と3.に当て嵌まるだろうと思います。
ものづくりをしていて「ああ、自分はとても『努力』したなあ、自分を褒めてやりたい」と思ったことはこれまで一度もありませんでした。
好きな仕事ばかりして、おまけにお金までいただいて、なんとなく申し訳ない思いになったことはありますが。。

対して大学に合格することができたときは、学校の勉強が嫌いなためか、自分を褒めてやりたい、努力したなあ。。とは多少思いましたが「うれしさ」はほとんどなく、やれやれ。。という疲労感が強かったように思います。

私の先輩技術者の講演、インタビュー記事を紹介します。
興味がないと読みづらいかもしれませんが、質問者さんの質問内容に関わることも少し書かれていますので、何か参考になるかもしれません(私は個人作家ですが、この記事に書かれているような生活を後輩とともに日々送っています)。

参考:
http://www.1101.com/education_ogawa/index.html
http://www.1101.com/life/2005-07-05.html
http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/og …
http://www.asahi-net.or.jp/~de3m-ozw/0toukai/ish …
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この回答へのお礼

>私はものごころついた頃はすでに何かしら手を動かして
>モノを作っていたと思います

素敵ですね。正直とても羨ましいです。
何か本能に突き動かされるものを持っている人に憧れます。

2の努力するもことそのものが好きな人って、集中力が半端じゃ
なくありますよね? と言うことは、集中力を保てない、もしくは
欠如するタイプの人が、物事飽き易いという傾向にあるような気が
するのですが、違いますか?

参考にして頂いたURLに眼を通してみました。
何かの本で吉本ばななさんも言っていましたが、その凄さは、
地道に地道に重ねていってようやく実を結ぶもの、サイトを観て
そんな言葉を思いだしました。
地道にこつこつよやれる性格を授かった人が、好きを持続出来るのか、
地道にやっていても苦にならないものを見つけた人が、そうなのかは
わかりませんが、世の中のためたっていることの素晴らしさを
感じました。

ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/12 01:43

こんにちは。



たとえば、
本音では一度は挫折や飽きがあるというのはザラだけれど、

ストイックな状況になると、すごく落ち着けるひと、
ある時がそれまでといまをつなげられるひと、
子供の時に感じた(ふとした)原風景といくつかの場面でその連綿としたつながりを大事にしているひと、
ある意味で女々しいひと。

誰でも、好きっていう面はあるんだなぁと思いながら、
興味をひかれたので回答してみたら、
こんな文になってしまいました。
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この回答へのお礼

よ~く考えたら、世の中には「好き」ではなくても、
(むしろ嫌いであっても)ずっとひとつのことを続けて
いける人っていますよね。

そっちの方が驚異かも(笑)

ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/12 23:40

それだけ信念が強かったか、あれをやってみようっておもってうまくできたときの喜びを味わいたくて、それを追求していったらなりたいものになっていたとかですかね? 


ちなみに自分は子供のころから車が好きでカタログを350~400ぐらいまでコレクションしました。ちょくちょくみたりしてるからぼろぼろのもありますが…。
あなたも子供のころから好きで集めているものとかがあるはずです。サッカーの小野選手とかはそれがものではなく技術だったというだけではなのでしょうか?自分はそういう人生はかっこいいとおもいます。
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この回答へのお礼

私はすぐ夢中になって、3ヶ月位で飽きてしまうタイプなんです。
なので、どうしたら飽きずにいられることが出来るのか、
その回答は難しいと思いますが、世の中には、確実に飽きずに
好きでいられる人がいますよね?
その人達と私との違いはいったいなんなのだろう、と常日頃思って
いました。

>自分はそういう人生はかっこいいとおもいます。

はい。私もかっこいいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/12 01:53

こんにちは。



皆さん、その道の「奥の深さ」に気づいてるからじゃないでしょうか?

例えば登山に例えると、一つの山を登り終えて終わりなのでなく、
登り終えて初めて見える、新しい山があると思うんです。

そこで見えた山を登ったら、またさらに新しい山が・・・。
というように、次から次へと目標が見えてしまうのでしょう。

言葉にすると「向上心」や「探究心」になると思うのですが、
「探っても探っても、探り尽くせない金脈」を見つけてしまった人が、
いつまでたっても飽きずにいられるのでないかな、と思います。

本を書く、という場合なら、「次はこういう題材を扱おう」
「次はこういう表現をしてみよう」とかでしょうかね。

サッカーなら、「次はこのコースでパスできるように」とか
「次はもっとこういった戦略でいってみよう」とか・・・。

おそらく、ある程度その世界で登り詰めた人にしか見えない、
新しい世界があるのでしょう。

そう考えると、野球の野村監督なんかもそうですね。
70過ぎても飽きずに野球を好きでいられるのは、
単に「打って投げて」という野球の世界にデータや戦術を盛り込んで、
「まだ新しい攻め方がある」「まだ新しい配球がある」というのを
探り続けているから、飽きないのではないでしょうか。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

野村監督とかスキーの三浦親子とか、ほんと極めて
ますよね。
探究心や向上心を人より強く持てる、というのもひとつの
才能である気がしてなりません。

あと、性格というか、感情に波のない人が「好き」を持続して
いると思いませんか?

ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/12 01:48

どっちかというと発想が逆だと思います




>このような人達は、なぜ飽きずにひとつのことを続けられるのか?

「飽きずに一つの事を続けたからああなった」と自分は思います
つまり飽きさせない手法論が先にあったのではなく、飽きないタイプ(性格)だった

そして成功したのは、その思いプラス努力プラス才能

正直なところで子供の頃から一つの夢を持って、それを飽きずにいられるのは十分な「才能」でしょう
あと「運」かも
これに加えて、いい意味で「バカ」だから
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この回答へのお礼

>正直なところで子供の頃から一つの夢を持って、
>それを飽きずにいられるのは十分な「才能」でしょう

やはり、持って生まれた才能はある、と私も思います。
でも、なぜ持って生まれて、なぜそれをやり遂げられるのか?
前世の行いですかね~???

ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/12 01:19

おはようございます


なぜ好きでいられたか?
「好きこそ物の上手なれ」「好きには身をやつす」
後者の意味は好きな道というのは苦労や困難などものの数
でなくやせるほど熱中できること。
好きでいられたのはその道の天才だからでしょか?
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この回答へのお礼

>好きでいられたのはその道の天才だからでしょか?

その道の天才に生まれついた・・・と考えたいです(笑)
三島由紀夫が小説を書いたのは7歳からなんて尋常じゃ
ないです(汗)

ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/12 01:22

ひとかどの人になってる人は「好き」はもちろん小さい頃から才能の芽を持っていたのでしょう。


けれど著名にならなくても好きな事を続けていける人って素敵ですよね。
飽きる程度では「好き」のうちに入らないかも知れません。
むしろもう辞めようと思っても辞められないのが「好き」なことです。
一方、器用貧乏という言葉があります。なんでも器用にこなせてしまうけど、便利に使われるだけで大成はできない人。
何かを究められる人って、それ以外のことがてんでダメだから、一つだけ持ってる長所を徹底的につきつめた結果、…というパターンもあります。
しかし多才で本当に何でもそこそこのレベルできてしまう人もいますね。

<よく好きを仕事にしたらいいとか云いますが、その時「これが好き」
と思っても、大半の人は飽きてしまうと思うのです。
そうかも知れませんね。だからこそ大半の人は凡人です。
好きな事をみつける才能。好きでい続けられる才能。それこそが天性の才能なのかも知れません。
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この回答へのお礼

>小さい頃から才能の芽を持っていた

随分前に矢野顕子さんが、子供の頃から自分は音楽に選ばれた
人間だと思っていた、と発言していました。
スピリチュアルな人達に言わせれば、人は誰にだってそういうもの
があるんだ、ただ多くの人は気づかないだけ・・・という言い方を
しています。
その才能に気づいたとして、飽きずにやっていけるのは、
環境? 運命?
大いに考えるところですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/12 01:15

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