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先日の秋葉原事件に関連して最近、犯人の素性などに関する情報がマスコミ等で報道されていますが、正直言ってこの報道に私は怒りを感じます。そもそもこれほど理不尽かつ凶悪な事件を起こした人間に何の同情の余地などないのでは?と思います。
「優等生からの転落人生」とか「心の闇・孤独」など、マスコミが好んで強調したがる表現ばかりで、はっきり言って「またか・・」という感じです。事件の検証のためには犯人の心理状況を分析することも大切なのは分かりますが、あまり詳しく調べすぎたりマスコミで面白がって報道するのはそれこそ犯人の思うツボのような気がします。彼は甘えているだけであり自分の気持ちに同情してもらいたいだけです。もし、彼と同じような気持ちの人がこのような報道を見ていれば「事件を起こせばこんなにも注目してくれるか」とかえって勇気付けられてしまうようで心配です。

今回の事件の犯人と同じような心理状況にいる人たちはたくさんいると思います。彼らの「心の闇」に注目して犯罪そのものを根絶しようというアプローチは不可能に近いと思います。
ですので我々としては、もっと被害者の身になって、どうすればこういった事件から身を守れるかということを考える方が重要だと思います。

みなさんはこの事件の報道をどう思いますか?我々は今回事件を教訓にどうすればいいとお考えですか?この事件に限らず、近年の凶悪事件全般に対する感想でも構いません。いろんな人の意見が聞きたいです。

A 回答 (13件中1~10件)

私も昨今のマスコミの報道のあり方に疑問を抱いておりますので、投稿させていただきます。



このような事件に対しての解決のアプローチとして、現在の世界には主にふたつ存在しているとおもいます。
ひとつは、被害者を追い詰めてしまった原因を探り、解決することにより、同じような事件を起こさないようにすること。
人間は生まれたばかりのときは無垢なわけですから、殺人を犯すような人間になっていくには必ず理由があり、それは一概に個人の責任だけとは言い切れない。社会や教育にも責任がある、といった考え方でしょうか。
表面的な例を挙げさせていただけば、幼少時に常に親から虐待を受けて育った犯人に対し、裁判でその悲惨な成長過程と照らし合わせて刑が幾許か軽減されるというような話です。親に虐待されて育った人間の犯罪はわかりやすい例ですが、近年の犯罪では犯人の心の闇はもっと複雑で、わかりにくい部分があるとされてきています。

ふたつめは、人間に与えられた環境は平等であるから、その中で法を破るような大それた行為をする有害な人間は、社会が監視・処罰もしくは再教育し、改めて社会に有用な人間として送り出そう、それが手に負えない場合には処分(死刑)しよう、というような方法です。

私は専門家ではありませんが、大雑把な思想の分け方ではひとつめは左翼の(裁判の例を除く)、ふたつめは右翼のアプローチと言うことが出来ると思います。
どちらが正しいと言うことは言えず、共に歴史的に必要とされてきた考え方です。
国家として最悪であったスターリン時代のソビエト下では、共産主義を掲げながらも極度に国家の建前と右翼的な思想を盾にとり、完全に個人の自由を制限するような政治が行われました。反対に日本赤軍は、左翼的な思想を掲げながら自分たちの不幸の原因を国家に求め続け、悲惨な事件をたくさん引き起こしました。しかし、おわかりのように、このような事件では左翼と右翼本来の価値が捩れてしまっています。

少々脱線してしまいましたが、私は現在の報道が悪しき左翼のスタンスに偏りすぎている気がしています。
“犯人は大虐殺を起こしたが、彼の不幸な境遇をわかってあげよう。政治が悪い!”
確かにそのような面はあるのかもしれませんが、このような報道の加熱は質問者様のおっしゃるように、犯人の予備軍が悲惨な犯罪へと勇気付けられてしまうことになりかねません。本来的な報道価値の捩れが生じてしまっているような気がします。

私たちが身を守るために最も重要なことは、犯人のような怒りを持つ原因を根絶することはもちろん、“無差別虐殺のような卑怯な手段を社会を変革する手段としては徹底的に否定していくこと、社会に対する訴えが行える新しい適切な場をつくること”だと思います。
私はあまりテレビを見ないのですが、後者の報道をまだ目にしていません。

さらに付け加えると、報道機関というのはある思想スタンスを背景として、そこから情報を発信するものです。日本では多くの人がそれを意識せずに絶対的な情報として聴取しており、警戒すべき点のひとつだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
ごもっともな意見ばかりで大変参考になりました。

お礼日時:2008/06/19 21:06

報道について



犯人の両親が謝罪する必要は無い 謝るんだったら本人がマスコミの前で謝れ

被害者の扱い方 個人的にいつも思うのですが被害者を悲劇のヒロインにして報道する必要があるのか?写真や学歴・評判・インタビューなど必要ない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
あんな形の両親の謝罪は必要ないですよね。せめて文面程度でいいのではないかと思いました。親にも多少責任はあると思いますが、あくまでも犯人本人の問題だと思います。

お礼日時:2008/06/19 20:47

確かにメディアは騒ぎ立てすぎですよね


毎度の事ですけど…
しかし、
この事件の教訓は防犯対策とかそんな単純な事で終わるような気もしません
今の腐った日本社会の歪みの氷山の一角ような気がするからです。
自社の利益だけを追求する派遣会社
人間らしく扱われない
未来のない労働
そこから抜け出せない人達の悲痛な叫びが聞こえるような気がします
また
メディアとマスコミの問題にもつながりますが日本の教育の問題。親の問題。

そもそも
親ってなんの為にいるんでしょうか?
子供を勉強させて大学に入れて就職させるのが親の仕事なんでしょうか?
それって違うと思います。
今の親はマスコミのダシにされている
ランキングに載ってるような企業に就職させるために
ランキングに載ってるような大学に入学させたいから
ランキングに載ってるような高校に行かせたいから
子供に勉強しろと言う。
それをする事が子供の幸せと自分の幸せにつながると信じ込んでいる
あるいは周りに自慢したいが為に高い金払って良い大学に入学させる

馬鹿げてる

子供とちゃんと向き合うのが親の一番の仕事

それさえもできていないくせに
子供を自分のモノのように扱う

昔は勉強させて良い大学入れれば幸せになれたに違いないけど

今は違う

大学出るだけじゃ幸せにはなれない

子供は親の背中を見て育つ
背中を見られても良いように
親はいつも自分と向き合わなければならない
そこではじめて子供と向き合える

親としっかりと向き合って生きてきた子供は
大人になって自分ともしっかりと向き合える

それができていなければ

いくら勉強させたって
子供には辛い世の中であるだけ
幸せにはできない

親ってなんの為にいるんですか??

親は一番身近な存在である
身近な存在の人とのはじめての付き合いは親である
この親と上手くいっていなかった子供は
自分にとって身近な存在の人間との関係が上手く行かない
だから心の休まる場所がなくなる

最近の親は子供を都合の良い道具のように扱う
しかし、親自身が自分で気づかない

子供の為になると思ってやってることでも
子供を途方もない深い穴の中へ突き落としている事に気づかない

確かに加藤容疑者自身が一番悪いのだけれど
親と上手くいっていない
という話を聞いた時は

なるほどなぁ

って思ってしまいました。
親と上手くいっていない子供というのはいつも孤独です
大人になりきれない
大人になる機会をうしなってしまった子供なのです

加藤容疑者も親とのすれ違いの連続で
いつの間にか後戻りもできないほど
大きな穴に落ちてしまっていたのでしょう

だから自分は加藤容疑者も被害者の一人だと考えております
彼のような人間を作り出してしまったのは
他でもない今の大人たちの作る社会です
これからもこんな社会が続く限り
防犯対策や刑の厳罰化だけで問題が解決するとは思えません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
犯人も被害者の一人ですか・・
ごめんなさい。私にはどうしてもそうは思えません・・

お礼日時:2008/06/19 21:03

事件には、「境遇」「内面」「きっかけ」「偶然」のような個人的側面と、それらの背景にある制度や経済のような社会的側面があるように思われます。


メディアが伝えるのは、親の躾が厳しく職場での扱いが酷だったといった個人的な事情の羅列が多いですね。
それに対して受け手は、「そんなの人を殺す理由になるか」と怒ったりしている。
私は、どっちもどっちだと思います。

人は不安や怒りを感じると、その背景にある原因を知ることで不安を和らげようとします。
事件を理解するには社会的側面にまで目を向ける必要がありますが、別にそこまで多くの人は興味を持たないし、仮に専門家が解説したとしても理解する人は少数でしょう。
はやく不安から解放されて、事件に対していろいろと意見したいのです。
そうなるとメディアは、受け手の欲求に即応するために、関係者のインタビューや現場中継といった分かり易いビジュアル的なものに終始せざるをえなくなります。
そこから導き出される答えも、ホコ天中止やナイフ所持禁止といった表層的なものになりがちです。

このような状況に対する受け手側の不満はネットでメディア批判の形で高まっていますが、その多くは事件のせいで自分の内面に生じた不安や犯人に対する怒りが十分ケアされないことへの不満の表明にしかなっていません。
つまりマスコミ批判のやり方がマスコミ的なんですね。

上記のメディア批判と容疑者に対する見解とをひっくるめて書きますが、私は我々の不安や不満に対するモニタ能力が何らかの理由で低下していることがそれらの根底にあると考えます。
自分がほんとうは何に怯えていて、何が不満なのか。
容疑者なのか、被害者への同情なのか、非モテなのか、携帯サイトなのか。
そのあたりを一度我々自身じっくり内省してみることが、報道の改善や凶悪犯罪防止のきっかけになると思います。

抽象的なことしか書けなくて申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても客観的で冷静な意見で大変参考になりました。

お礼日時:2008/06/19 21:01

>みなさんはこの事件の報道をどう思いますか?



事実と状況だけ伝えていただければ十分だと思います。
いろんな専門家さんが分析して語る部分は特に意味がないので見ません。

>我々は今回事件を教訓にどうすればいいとお考えですか?

まわりはどうあれ
被害に遭われた方の分まで
せめて自分だけは最期まで人として恥ずかしくない生き方をしましょう。

>近年の凶悪事件全般に対する感想

未成年が犯人という理由で公の場に顔を出せないなら
責任とって親や学校の先生が素顔さらけ出して謝れ、と思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。未成年者の犯罪は守られすぎですね。

お礼日時:2008/06/19 20:58

まず、質問者さんの意見の中で、明らかに違う部分が1つあります。

それは、

>事件の検証のためには犯人の心理状況を分析することも大切なのは分かりますが、あまり詳しく調べすぎたり

全く詳しく調べていません。
メディアに、心理学者であるとか、精神科医であるとかが出て「こうだっただろう」などと言っていますが、全て、「断片的な情報を元にしたただの感想」でしかありません。これは、事実を詳しく知るどころか、全くの憶測であり、何の分析でもありません。
心理学、精神医学などは、その相手と対面して、やりとりをし、その中で信頼関係を作り出す中でようやく、その相手について理解できるものです。それをせずにコメントしている専門家を名乗る人々は、それだけで「信頼に値しない専門家」と言って良いでしょう。

仰るように、そのようなものを報じればコピーキャットを生み出すだけで、意味がありません。
その一方で、身を守る方法、と言うのもないでしょう。No.7さんが仰るように、奇襲であるこのような事件は、防ぎようがありません。

>我々は今回事件を教訓にどうすればいいとお考えですか?

むしろ、このような個別の事件を教訓にしてはならないと思います。
このような特異な事件は、極めて例外的なものでしかないからです。そのような例外ばかりに影響されて、様々なことが決まってしまう、ということの弊害の方を恐れるべきです。
例えば、このような事件を受けて「警察による不審者パトロールを強化する」などと言うことがあるかも知れません。しかし、殺人事件は年間1500件程度しかありません。その殆どは、家族、親戚、近所、職場の仲間…など顔見知りによるもので、不審者パトロールで防ぐことは不可能です。
一方、交通事故での死者は年間6000人に上ります(この統計は事故後24時間以内に死んだ数なので、実際の死者はさらに増えるでしょう) 殺人事件に遭うより、事故で死ぬ方がよほど、可能性は高いのです。
そして、不審者パトロールを強化するためには、当然、予算、人員が必要になります。もし、無尽蔵に予算も人員もあるなら、効果はあるかも知れません。しかし、そうではないですね。ある場所へ予算や人員を加えれば、他を削ることになります。これによって、スピード違反や飲酒運転の取締りが甘くなるなどしたら、むしろ、危険を増やしている、と言うことすら考えられます。
このように、個別の、それも極めて特殊な事例によって方針を左右してしまうことこそが、最も危険なことではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに犯人の心理状況に関する考察はほとんど憶測ですね。ただ、私が言いたいのは憶測でも犯人の内面に関心を寄せているメディアに苛立ちを覚えたということです。もっと客観的に罪の大きさを強調すべきだと思いました。殺人を犯すくらいの人間は異常な心理状況に決まっています。そんなところに執着するよりもっとやるべきことがあるように思います。

お礼日時:2008/06/19 20:56

そうですね。

犯人は責任能力のあるいい大人であるにも係わらず、親まで晒し者にするやり口などは、全く悪趣味極まります。また以前の凶悪事件の時と同じような内容の繰り返しで、全く箸にも棒にも引っかからない報道ばかりですが、これはマスコミの所謂ビジネスモデルとして定着してしまっているのではないでしょうか。楽に数字の取れる恰好のネタをどれだけしゃぶれるか、そんな所でしょう。真面目に考察するのでは無く数字を稼ぐのが目的ですから、時間が経過すればするほど、より刺激の強い憶測などの二次情報が混入し、情報価値が低くなるのがこの手の凶悪事件報道の定型になっているようです。こうした無駄なインフォメーションの羅列から無駄な部分を排除して、情報の本質部分だけを取り出す訓練を各人が心掛ける他ないでしょう。そもそも道徳心を機軸にしていない者にそれを期待しても無駄です。
因みに、こういった事件が発生した場合、発生してしまった後に身を守る確実な方法はありません。秋葉原の歩行者天国は、最近別の理由で警察のパトロールが強化されていましたが、それでも7人が死亡しました。なぜこうなってしまったかと言うと、警官は通り魔事件の発生を警戒していた訳では無いからです。予め想定していないアクシデントに対する反応は、たとえ訓練された人間でも遅れるものです。犯人の行動は簡単に言うと「奇襲」です。奇襲を防ぐ方法は、事前に奇襲の意図を読み取る以外にありません。今回の事件で阻止の可能性があったとするならば、犯人のネット書き込みを偶然発見する事だけでしょうが、それは砂漠の真ん中で一本の針を探すようなものです。更に、そんな書き込みすらしない犯人であったならば、阻止の可能性はゼロとなります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、今回のような事件は確実に身を防ぐ方法はありませんね。まさに奇襲です。やはりどうにもならなかったのでしょうか・・

お礼日時:2008/06/19 20:43

飯が不味くならない事件だから。


一撃必殺は単純で分かりやすい。

お台場の殺人犯は飯が食えない報道になるのでしないだけです。

ここまで言えばわかるでしょう?
CMを流してもCMにまで不快にならない事件が良いのですよ。
そうですね、事故報道の後に保険のCMするとどうなりますか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私には少し解釈が難しいです・・

お礼日時:2008/06/19 20:39

マスコミ、特にテレビの影響は非常に大きいものがあるので、報道の仕方にある程度方向性を持たせないと、予備軍のような人たちを勇気付けてしまうでしょう。


反社会的事件の報道には、事実だけでなく、なぜそれが悪いことなのかを強調して、社会的制裁を強調すべきでしょう。
もう一つのテレビの弊害は、話題が集中する場所の報道をすると人が集まるということです。今回もそんな場所が狙われた。
また、もう一つのテレビの弊害は、頭が良くて美男美女で口がうまくないと世の中生きていけないのではないかという錯覚を抱かせることです。
人間関係が希薄になっている現在、更にテレビの有り様が問われます。

それと、事件を起こす人の教育の問題でしょう。知識でなく人間関係(human relation)の教育が必要でしょう。小学校からでなく保育園から義務化して、人との付き合い方の教育をした方が良いでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。報道の仕方にも方向性を持たせないといけませんね。「報道の自由」「マスコミ=商売」などと割り切ってばかりはいられないと思います。人付き合いの教育というのも大事ですね。でも実際問題としては難しいでしょうね。

お礼日時:2008/06/19 20:37

今の秋葉原事件は、ニュース番組でなくワイドショー番組が中心になっています。


面白可笑しく番組を作成するのは、仕方が無いでしよう。
テレビは「視聴率=売上」です。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、神戸酒鬼薔薇事件、大阪付属小学児童殺害事件なども、全てが同じ内容・構成での番組でした。

また、某TV番組のように「キャスターを名乗るタレントが、自由な個人的意見をあたかも正当性があるように生放送で述べる」弊害が起きています。
(政治問題での偏見意見を述べた事でも、「今まで通り番組を担当します」「これが、私の責任の取り方です」と何ら反省していません)
視聴率を確保する為には、事件は格好の原作なんでしようね。

あくまで「事実を報道する」のがニュース番組です。
年末恒例の24時間警察番組。富士山新年暴走、広島新年会など毎年同じ暴走行為が映ります。
モザイクでも全国放送に映った人は、ビデオに保存して自慢しているとか。

最近は、ニュース番組と称する娯楽番組が事件を煽っていますね。
ガス自殺も、結局は全国に「自殺方法」を広げてしまいました。
本当のニュース番組が、日本で育たない原因です。
そろそろ、日本にもニュース・報道番組が誕生しても良いのですが・・・。

余談ですが、この犯人にも(子供の頃の家庭環境及び派遣環境から)同情すべき点が多々存在すると主張する弁護士が現れました。
これだけ有名な事件になると、山口光市事件のように無報酬で多数の弁護団が集まるのでしようね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り報道番組の弊害もたくさんありますよね。
この犯人にもちゃんと弁護する弁護士がつくのですよね・・
それを考えるとやるせない気持ちになります。

お礼日時:2008/06/19 20:33

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