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人の生きる意味が実際にあるかないかは一応置いといて、
神さまが現れまして、あなたに、人類の生きる意味を与えるよう命ぜられました。
さて、どのようなものでもいいのですが、とにかく意味を与えないといけません。放棄はできません。
というのが質問です。

どのような意味を付与するかということと、そのことを付与する理由もお願いします。

ここでいう人生の意味とは、個々人が決める種類のことではなく、人類がそもそもなぜ存在しているのかというようなレベルでの意味です。

A 回答 (31件中1~10件)

万人共通の人生の目的ということですね。



下記の図を参考にしてみて下さい。

参考URL:http://www.mahoutukai.biz/zu.html
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物質に「目的」はありません。


しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする方向性に変わりはありません)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
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再び失礼します。


一つ目の理由は、言葉が足りませんでした。
人類が自分のためだけに生きればいいのなら、ほんの一握りの数で充分なはずです。
ウジャウジャいる人全てが、自分のことだけ考えて生きていたら、とっくの昔に死滅してると思います。
自給自足の生活も個として作業するなら、大した進歩もありません。
数と多様性あってこそ、ここまで発展してきたと言えます。
己の欲求のためだけでなく、他の人のために何かをすることが互いを必要不可欠な存在にしていくと思うのです。
溢れるほどに多くの人類が地球上に存在しても、無駄な人などいないと言いたいからでもあります。

質問を読んで、ふと思い出しまして、何で読んだのか聞いたのかすら忘れてしまったのですが、この世界は先にあるべき姿があって、その姿になるべく大きな流れで動いていくのだそうです。
あるべき姿なんて、わたしには思いも浮かびません。
壮大な質問なので、あるべき姿というものがあるのなら、そこに繋がる答えも含んでいそうで、あれこれと拙い考えを書いてしまいました。
こういう話をしていると、つくづく自分が小さな存在に感じます。
睡魔という欲求にも勝てそうに無いので、おやすみなさい。
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面白い質問ですね。


人類がなぜ存在してるか。
人類の数の多さはポイントですね。
大抵の人は強い欲求に支配されて生きています。
つい己の欲求を満たすことしか考えません。
己の欲求のためでなく、他の大勢のためになることをする、これが一つ目。

本当なら一人一人キチンと目的が決まっていれば楽なのに、なんのヒントも無い。
なぜ生きているか常に模索し、その時々に於いて最善を尽くす、これが二つ目。

ここまでは蟻の生活にも当てはまってしまうので、心についても付け加えなくてはなりません。
いろんな人と出会い、様々な感情を経験する、これが三つ目。

なぜ存在…。
人類って記録することが好きですよね。
記録するために文字があり、生きてきた歴史を残しています。
文化遺産のようなものから、個人の日記まで膨大な量です。
失敗を生かせ、歴史から学べと言われつつ、同じ繰り返しをする無知さもあります。
ネットができて情報の共有、瞬時の意志の疎通の手段を手に入れました。
基本的な資質として、過去の人類も現代の人もあまり変化はありません。
生きている時間だけは飛躍的に伸びています。
突飛な意味は課しにくい。
普遍的な意味で、人の一生なんて、そんなにバリエーションもありません。
深く考え始めたら生活していけないので、あんまり深く考えなくていいから普通に生きてちょうだい、これが四つ目。
なんだかんだと言いながら、人類の目的って古代から現代まであんまり変わらないので、外見や国や宗教や年齢や性差や考え方で差別ぜすに、仲良く手をとりあって、平和でいて欲しい、これが五つ目。

質問は面白いのに、なんだかつまらない無い書き込みで、すいません。

この回答への補足

素朴に返答してみます。
一つ目
 なぜ己の欲求を満たすことしか考えていないことから、他の大勢のためになることをすることに結びつくのだろうか、という疑問

二つ目
たしかに目的があると楽な部分はありますね。
そしてヒントらしきものがないというのもうなずけます。
その時々において最善をつくすというもののはっきりした意味はわからないものの、なんとなく好きです。

三つ目
いろんな人と出会い様々な感情を経験する。
これも好きです。質問と矛盾してますが無理由であるところが好きです。

四つ目
あまり深く考えず普通に生きる。
これも世界観としては好きです。

五つ目
差別のない社会、仲良く平和に、
このへんはまあ普通だなあといえば普通ですが、その普通さが本当はものすごい重みを持っているんだろうなーみたいな感想です。

こちらもつまらない返答ですみません。

補足日時:2008/07/28 16:59
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他の方の回答を読んでいないので、すごい独断に満ちた回答かもしれませんが。


神様がいるとしたら、まず、地球という星を作り上げて、あまりにもできばえが良かったから、神様の仕事の合間の骨休めの鑑賞用に、この地球を永遠に眺めていたいと思った。
より美しく進化するように。
そのためにいろいろな生物を送り込んで、その変化を楽しんでいる?
人類もその中の一つのモデルなのでしょう。
知恵を授けられたのは、たまたま、こいつは見込みがある、なにかやってくれんじゃないかいな…。少しは期待してもいいかも。
だめなら、ばっさり切るまでよ。
神様は何しろ忙しく、気まぐれでもあるから。

といったところでしょうか。

いずれ地球も死の星となるのでしょうが、
遠い未来に
それを救えるのが人類であったらいいですね。

この回答への補足

熱帯魚買っている感覚ですかね。
変化のおもしろさを求められているのなら、平和はまずいということになりそうですね。
美しく進化というのはいいなあと思いましたが、その美の基準も知りたいところです。

補足日時:2008/07/28 16:39
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人類の意味って面白い発想ですね。


ちょっと考えてみました。
人類の意味はリセットかな。
恐竜のいた頃は隕石がリセットの効果を、今は人間がリセットの効果をと考えてみた。
人間によって環境が変えられ、そこから新たな種が生まれる。
人間が勝手に動物の絶滅を防ごうとしているけど、種は絶滅すべく絶滅するのだ。それが例え人間のせいであったとしても。人間もまた生態系の一部なのだから、責任があるわけではない。
次の種として何が繁栄するのか。
人間が絶滅する頃には、人間より大きい生物は間違いなく生存していないだろう。
そうなると、バクテリアとか昆虫類とかネズミとか人間よりもっと小さな生物が繁栄しそうですね。

この回答への補足

なるほど、創造者としての人類ではなく、破壊者としての役割を与えられた。
たしかに人類の他生物に対する破壊能力は、恐竜の比ではなく、むしろ隕石に匹敵するといえるかも、
もしくは恐竜も隕石も含め破壊の連鎖と見るべきか。

しかしそのリセットすることで、どんな効果が生まれるのか。
自分の人生をリセットしてしまいたいという感情は一時的にせよ、多くの人にあると思うのですが、実は深ーい起源を持つのかもしれないと思ってしまいました。

補足日時:2008/07/28 16:38
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ふと思いました。

不謹慎な発言と感じたらご容赦ください。

本当に地球って困ってます?
俗に言われる”環境破壊”で。

人間が発生したのは自然な流れ。
同時に環境を変えてるのも自然な流れ。
”環境破壊”の意味は”人間が住める環境を破壊してる”ということでしょ?

地球は地球です。
何も代わりません。”環境破壊”という言葉自体が人間の奢った物の見方かもしれません。
なぜなら過去地球に生存する最大の俗に言う”環境破壊”をしたのは”植物”です。
それまで窒素、二酸化炭素が充満した世界が植物の誕生によって酸素が発生しました。
それまで窒素、二酸化炭素だけの世界で生存していた細菌、微生物はすべて淘汰されたことでしょう。

これって”環境破壊”?
自然な流れでしょ。

それと同じで人間が環境を変えてるのは”自然な流れ”。
地球は困って無いですよ。

”環境に優しい”は”人間に優しい”が本当の意味で、人間は都合の良いように悪玉菌やばい菌を殺すのは有りで”環境破壊はダメ!”って叫ぶ。笑。
なんだか自分で書いていて屁理屈をこねたクソがきレベルの発言になってしまったのでごめんなさい。そろそろ失礼します。

つまり、結論として”環境破壊”は地球は困って無いですよ。
困ってるのは人間と環境の変化に対応できない動植物です。
でも逆に変化することでさらに豊かになる動植物もあるでしょう。
ただそれだけです。

さて、一番の問題は自分勝手な都合の良い人間にとっていかに生活できる環境を持続するかです。
それが本音でしょ?


駄文、失礼しました。

この回答への補足

おっしゃりたいことよくわかります。
いやそりゃ身勝手ですよ。はっきりいって。
さらにつきつめて言えば身勝手ではないこと、おごりにならないことを人間が行動することは不可能だと思います。
つまり何をしようとエゴ以外のことをすることはできない。
(ということは身勝手だということも逆にできなくなる)
しかしそうなってしまうと、それは人間のエゴだという単なる説明はできても、エゴだという批難はできなくなってしまう。
人が自分の行動を不正直に何らかの公共的な正当性に結び付けたとしても、それ自体自然な行為のひとつとなってしまうからです。
ここでは正直さという倫理観を提示しているというふうにも読み取れるわけです。
環境破壊という言葉の是非というより、
環境破壊はよくないという倫理に対して、
倫理に不正直さが含まれてはいけないという倫理が提示されたというふうに感じるわけです。

ちょっと思いついたことを理屈っぽく返信してみました。(^^;

補足日時:2008/07/22 20:36
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NO23です。


補足、ありがとうございました。

「地球が困る」=「環境破壊」という意味です。

私は、ペットとして「インコ」を飼っています。
一度、危篤状態になった時、病院の先生の説明の中に・・・
生き物の体には、「良い働きをする常駐菌」と「悪さをする菌」がいるから、「良い常駐菌と、上手く付き合える」体になれるように・・
というのがありました。

地球にとって、私たち人間は「どっちにもなりえる存在」のような気がします。

「地球防衛軍」・・・地球にとっての「良い常駐菌」であれば、それなりの「存在価値」は、あると思いますが・・・

それ以外の、「人類の存在意義・生きる意味」は・・・
正直、わかりません。

この回答への補足

腸内細菌で言うと地球は悪玉菌優勢になりつつある。
コレステロールで言うと悪玉コレステロールが多い、、
宿主は人間であり地球である、、となると、、
実際の腸内細菌バランスはその人が食生活を変えたりすることで、よくなったりもするけど、
我々自体が悪玉菌、善玉菌である場合、どうしたものなんでしょうね。
もはや人間の意志ではどうにもならないようなところまで来ているようにも思えます。
地球が意志を持っていたら、とっくに間引かれていたかもしれません。

補足日時:2008/07/22 19:47
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「無い」としか言いようが無い。



たとえ神様の命令でも。

「答えられないなら、死ね」と言われれば、従うしかない。

別に、人類がいなくても、地球は困らないんじゃないか・・・。

人類が生存できる環境が整っちゃったから、勝手に増殖しただけで。

存在しなければ、それはそれでいんじゃないか・・・。

逆に、人類なんていうものが増えたせいで、地球が迷惑しているかもしれないし・・・。

どうしても。意味があるとは思えない・・・。

この回答への補足

「無い」としか言いようが無い。
たとえ神様の命令でも。
>「答えられないなら、死ね」と言われれば、従うしかない。

死ぬぐらいなら、ぼくは適当な理由をあたえてしまいそうです。(^^;
しかし人間に生きる意味は無いんだぞといっても、その意味を理解するのならそれも生きる直接の意味にはなりえないにしても、何かの意味にはならざるをえないんじゃないかなと、、回答を読んでてふと思いました。


>別に、人類がいなくても、地球は困らないんじゃないか・・・。
人類が生存できる環境が整っちゃったから、勝手に増殖しただけで。
存在しなければ、それはそれでいんじゃないか・・・。
逆に、人類なんていうものが増えたせいで、地球が迷惑しているかもしれないし・・・。
どうしても。意味があるとは思えない・・・。

地球が困るというのは、やっぱり他の生物や環境とかが絶滅するからとかそういう話でしょうか。
それとも霊魂的な何かが地球自体にあってという?

補足日時:2008/07/19 23:27
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死んでいる瞬間とは別の瞬間を体験するためでしょうか。


人間の生という概念も死という概念もあくまで人間の尺度による主観によります。
ある意味質問者さんのような質問自体が生きる意味という感じの意見です。

この回答への補足

>死んでいる瞬間とは別の瞬間を体験するためでしょうか。
意味というか趣旨がよくわかりませんでした。

>人間の生という概念も死という概念もあくまで人間の尺度による主観によります。
生きる意味がなんであるかをという事実をたずねているわけではなく、決めるならばの話しです。

>ある意味質問者さんのような質問自体が生きる意味という感じの意見です。
それぞれが意味を見出していくこと自体が、意味を持つものだという意見なのだと思いますが、それはなぜなのかという理由もぜひお願いします。

補足日時:2008/07/19 23:12
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