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軍幹部や閣僚、枢密院の事実上の強制である「助言」に逆らえなかったのはなぜなのでしょうか?
天皇は、軍部を最終的に指揮・統括する統帥権を持っていたのですよね。
様々な事由で軍や政治家の意見を聞き入れなければならない状況もあったと思います。しかしミッドウェー以後の戦況を正確に知っていたなら、最早戦況は絶望的で、このまま戦いを続けたなら軍人のみならず、多くの国民の命が失われることは火を見るより明らかであったことは知っていたはずです。
軍・政治家の「助言」は飽くまで助言であり、例えそれに反したものであっても、最終の決断を下す権限を当時の天皇は持っていたのですよね。そしてそれは、何人たりとも妨げることはできなかったのですよね?
にもかわらず「本当の」統帥権を発動できなかったのは一体なぜなのでしょうか?

A 回答 (15件中11~15件)

>しかしミッドウェー以後の戦況を正確に知っていたなら、最早戦況は


>絶望的で、このまま戦いを続けたなら軍人のみならず、多くの国民の
>命が失われることは火を見るより明らかであったことは知っていた
>はずです。

例えばバブル期に「土地神話なんかあり得ない。このままバブルが続けば必ず崩壊し、空前の不況が訪れる」と警告して国民の大多数が聞き入れたでしょうか?
後世の視点で見れば火を見るより明らかな事でも、当事者はそう言うワケにはいかないのです。
実のところ戦時中の日本でも米国の軍需生産量の膨大さや戦況の不利から「早く講和した方がいい」と言う主張自体は決して珍しいものでは無かったようです。
(参考文献:日米もし戦わば―戦前戦中の「戦争論」を読む)
しかしガダルカナル戦後でも日本は開戦直後に占領した広大な地域の大半を確保し続けている状況であり、ここで連合国が受け入れる可能性のある講和条件(中国、及び南方の占領地の殆どからの撤退)を軍部や議会は勿論の事、日本の国民世論が受け入れる事はまず考えられません。
逆に言えばもし連合国との講和が可能であるならば、そもそも日中戦争が泥沼になる前に講和出来た筈であり、当時の日本はいわばバブル期に土地神話に狂奔したのと同様に、国家全体が踊っていたのです。
つまり「政府も軍部も国民も皆、暴走していた」のであり、独裁者でもない昭和天皇がどうする事も出来ない状況だったと言うことです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
一度得たもの(土地・資源)を手放すことは世論が許さない。
確かにそうでしょうね。
それを持ったまま死んでしまっては元も子もないと言っても
誰も聞き入れない状況だったことも否定できない事実でしょうね。

お礼日時:2008/08/12 03:31

陛下はかなり後まで戦争に勝っていると思っておられたらしいです


海軍の侍従武官だった城英一郎中将の日記があります
陛下に毎日の報告をするのですが職務上大本営発表の偽造した誇大戦果しか報告することを許されなかったそうです
もちろん陸軍侍従も総理大臣も同じ捏造報告を陛下に報告しました
ですから陛下はよほど戦局が悪化するまで作戦は順調と思われていたのでしょう
敵を日本近海に引き付けて大打撃を与えて有利に講和する計画だと誰もが口裏を合わせて陛下を騙したのです
敵の軍艦二隻に爆弾を落としただけで空母11隻を轟沈させてアメリカ太平洋艦隊を壊滅させたと発表した台湾沖海戦に陛下が勅語を賜ったのも武官からの報告でした(私は子供でしたが皆がこれで勝ったと喜んだのを覚えています)
後に城中将は陛下を誤まらせたことに責任を感じて辞任し前線に志願して戦死しました
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
当時のことを記憶されている方からの回答とは驚きました!
軍と言うものはいつの時代、どこの国でも自己保身、面子を保つためならどんなことでもするのですね・・・。
「軍とは暴走するものだ」ということを念頭に置いた、確実な制御方法
を構築しなければ悲劇は繰り返される。
これが先の大戦が残した一つの教訓なのでしょうか。

お礼日時:2008/08/12 03:16

帝国憲法上の天皇は、統帥権も含め全ての決定権を持つ強権者でしたが、実際には、内閣・国会の決定を尊重してほとんど承認していたようです。

(露骨に言えばメクラ判ともいえなくも無いですが)
当時、内閣・国会とも牛耳っていたのは軍部ですから、結果的に軍部の方針を承認していたことになります。軍部も国民に対するのと同様に、天皇に対して体の良い報告をしていたと考えられます。天皇もそれを信じていたわけです。
しかし、度重なる空襲や事実上の敗退、そして遂にはポツダム宣言の通告となり、それへの対応を決める御前会議で、「自分はどうなっても良いから降伏して戦争を終結する」という決断をし、これで戦争が終結したわけですね。ですから最後の最後に統帥権を発動したと言えるのでは無いでしょうか。遅い、という批判は残るにせよ・・・。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
確かにあまりにも遅すぎましたね
空しさだけが残ります

お礼日時:2008/08/12 02:50

昭和天皇こそ「天皇機関説」の信奉者であった。


満州某重大事件の際に田中首相にきつく言ったがため田中内閣を崩壊させ、やってはいけないことをやったと反省された。

戦況を知らなかった
陸軍はミッドウェーの実態を知らなかった事は確実で、海軍が天皇に正確な報告をしていたかどうかも怪しい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE% …
台湾沖開戦では、アメリカ機動部隊は全滅に近い損害を受けたことになっていた。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
なんともやるせないですね

お礼日時:2008/08/12 02:49

二・二六事件でもう呆れて嫌になっちゃった


というのがよくある説です。
天皇は二・二六事件で武力鎮圧命令を西園寺公望に諌言されてひっこめてから、ほとんど軍事的な決断はしなくなりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
諫言:いさめること。また、その言葉。
   「主君に―する」
と、goo辞書にありました

お礼日時:2008/08/12 02:30

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