これから50名の部下を率いて、リーダーとして仕事を行います。


ここでお聞きします。
過去の日本軍の評価の低い指揮官とその理由についてお教え下さいませ。最近、戦争物のドラマや映画を見るにつけ、どうして泥沼状態を回避出来なかったのか不思議なのです。

A 回答 (9件)

旧日本軍の抱えていた問題は、実は現代の日本の企業にも共通する問題なのです。

その共通項は「上部組織に行けば行くほど仕事しない」ということです。もっとシンプルにいえば「司令官が決断しない」ということです。上位の指揮官になればなるほど瑣末な業務からは開放されますが、その決断の結果は大きくでます。司令官の決断次第で結果は大きく変わります。残念ながら、日本人はこの「プレッシャーのかかる決断」ができない民族性を持っています。ですから、上部組織になればなるほど本来の仕事をしなくなるんです。
そのいい例が、まず空母機動部隊の司令官であった南雲中将。彼は水雷出身で航空機については全くの素人でした。もちろん、アメリカの提督とて航空機には素人はいたのですが、南雲中将はもうからっきし「俺は飛行機のことはわからん」という感じでした。その本質について自分なりに勉強した痕跡はなく、とにかく部下まかせで部下がなにをいっても「よかろ」としかいわなかったそうです。
また悪名高いインパール作戦は「あの」牟田口中将によって立案されましたが、作戦半ば敗色が濃厚になってくるとさすがの牟田口中将も「こりゃ無理だ」と思い始めるようになります。しかし自分から「もうダメです」とは言い出せず、後に「(もう作戦を辞めようって思っていることは)表情から察して欲しかった」と実に日本人らしいコメントを残しています。インパール作戦は始めてみると「計画通りになんぞいかずムチャクチャ」というのがほどなく判明しますが、「一度始めた以上今さら辞めるってわけにはいかない」と強引に進めることとなります。またインパールの占領予定日は天長節(天皇誕生日)に合わせるように「事前に決められ」、前線には「天長節までに占領するように」とプレッシャーがかけられました。

さて、こういった事情から見てふと思うのはバブル崩壊後のあの「失われた10年」です。バブルが崩壊し不況が深刻化する状況の中、政界も財界も「まさかこんなにひどくなるとは思わなかった」の一言でなにもしませんでした。時の首相宮沢喜一氏は「ハードランディングなら誰でもできる」と言い放ち結局彼が選択したのは「何もしない」ということでした。経営者は「自分たちの前の経営者がやったこと」とドラスチックな改革は何ひとつできず、あの日産でさえ倒産寸前になり、その日産に改革を起こし救ったのは外国人のカルロス・ゴーンという有様です。

また、他の回答者さんも書かれている田中頼三提督の処遇についてですが、ルンガ海戦のとき、田中提督は艦隊の中央の位置で指揮しました。その理由は「夜戦だから中央にいたほうが先頭と最後尾の両方が確認しやすい」という極めて合理的な理由でしたが、日本海軍には「指揮官先頭」という「決まり」があり、それを無視したことが激しい批判の対象となりました。その批判の激しさは、何と同じ艦隊にいた別の艦船の戦友からも「戦後になっても」激しく批判されたほどです。
なにか「決まり」があると例え合理的な理由があろうとそれを破ることはタブーとなる、現代の日本企業でもよくある話です。

一方、欧米の指揮官というかまあチャーチルやルーズベルトについてですが、英米軍は北海を通じてソ連(当時)に支援物資を積んだ船団を送り続けました。これは世界でも最も苛酷な海のひとつである北海の厳しさとドイツ軍の激しい攻撃によって「世界中のどの戦場より大きな損害」があったにも関わらず英米軍は沈められても沈められても船団を送りました。
また、ドイツ国内に爆撃機で爆撃をしました。これが大変な損害を出し、その是非については現代でも議論になっているほどです。世界軍事史上唯一の「負傷者より戦死者が多い戦場(爆撃機は墜落すると10名一気に戦死するから)」となり、その戦死者は2万人にも及びます。あの悪名高い特攻の戦死者が約2千名といえばそのすさまじさがわかるでしょう。
英米軍は「勝つため」なら、若者を殺しても殺しても戦場に送り続けました。その「勝ちたい執念」は我々日本人には到底及びません。
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 御質問の内容は、誰にとっての評価か?の視点によって変わります。


上層部にとって好ましいことと、部下の兵士にとって好ましいことが一致しないこともあります。
 また、過去の日本軍をケーススタディとして捉えるなら時間軸も加わります。戦中と戦後で評価が変わる場合もあります。
 他の回答者の方が例示されているように、戦果ををあげても評価されない場合もあれば、インパール作戦のように失敗しても高級幹部への責任追及が実質的に無い場合もあります。

 次も他の回答者の方が言及されていますが、戦争が政治の延長線上にあることを考えれば当時の戦争の泥沼状態は政治が起こしたものと言えるでしょう。

 そういった部分をふまえて、個人的に思い浮かぶのは、作戦遂行能力が劣っている上に部下や民間人を見捨てて敵前逃亡した、牟田口中将、富永中将、木村大将あたりです。
 「敵前逃亡」=与えられたミッションの放棄
 「部下を見捨てる」=チームメンバーを見捨てる
 「民間人を見捨てる」=隣のチームや組織を見捨てる
といった印象が理由です。
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日本軍の具体例ではなくより一般論に近いものですが


ドイツ陸軍のハンス・フォン・ゼークトの言葉に指揮官と部下の関係を
表した有名な言があります。

軍人は4つに分類される。
有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
理由は主に二通りあり、1つは、怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。


有能な働き者。これは参謀に向いている。
理由は勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方が良いからである。また、あらゆる下準備を施すためでもある。


無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
理由は自ら考え動こうとしないので、参謀や上官の命令どおりに動くためである。


無能な働き者。これは処刑するしかない。
理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、更なる間違いを引き起こすため。
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前述された方がいらっしゃいますが、政府が「無責任な体系」だったと思います。



よく、日本はアメリカの工業力、科学技術力に負けたと言われますが、軍事力・外交力が両輪にならなければ戦争は戦えません。


>どうして泥沼状態を回避出来なかったのか不思議なのです。

泥沼状態を回避できるのは、一指揮官では無理です。
その責務は「政府」にあります。

また、回避できなかったのではなく、回避する気が無かったということです。
会戦前には回避に向けた努力がありますが、会戦した後は「なるべく有利な条件でいつ終結させるか?」という観点が薄かったように思います。

よく言われることですが、サイパンが陥落してから日本の制空権はアメリカに奪われました。
ゆえに、日本中が大空襲を受けたのです。
「制空権を握った側が勝利する」、21世紀にもつながるこの定理は日本が作った(マレー会戦)にも関わらず、戦争を終結させられなかった。

ソ連に仲介を求めるなどした経緯はありますが、この点で政府の外交努力がもっとあれば、東京大空襲も、広島・長崎の原爆投下も回避できたかも知れません。

しかし、国体護持が最大の優先課題だった当事の現実だったこと、大陸での利権を得ていたことを考えると、これを書いてる私も含め後知恵です。

もちろん、過去の失敗に学ぶことは非常に重要なことに変わりないのですが。
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御質問とは逆の例をあげましょう。


御質問の意図には沿っていると判断します。

昭和17年11月末、ガダルカナル島への輸送任務(輸送船の護衛ではありません)についていた、田中頼三少将率いる駆逐艦8隻は、優勢な米艦隊(重巡4軽巡1駆逐艦6)のレーダーに探知され、待ち伏せ攻撃を受けました。
このルンガ沖夜戦の結果は、日:駆逐艦1沈没、米:重巡1沈没・重巡3大破
帝国海軍最後の圧勝となりました。
戦中戦後を通して、この戦いにおける田中少将の指揮は米側から絶賛されていますが、この戦いの後、田中少将は陸上勤務となり、二度と最前線へ出ることはありませんでした。「卑怯者」という誹謗中傷のせいだとか、上層部へ意見具申して煙たがられた等の話はありますが、明確な理由は不明です。

教訓を読み取るとすれば、信賞必罰が公明正大に行なわれない組織は滅びる、ということでしょうか。人には妬みがありますので、上の方には曇りのない目を心がけていただきたいものです。
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皆さん負けたときの反省についてご指摘ですので、別の観点から。



どうやら日本人は、勝っている時の「勝っている理由の分析」「勝っている裏で発生している危険の徴候に関する分析」が極めて不得意のようです。たとえば、得意ならば、そもそもバブルの途中で気が付いて足抜けしていた企業が多かったと思います。あれだけ多くの専門家が警鐘を鳴らしていたのですから。

さらに、スタッフ時代になぜ勝っていたかの分析をしないために、上司になってからも「優秀なスタッフとしての成功体験の後進への押し付け(自分が成功した方法以外での取り組みの否定)」、「自分が理解できない新たな技術や理論に対する生理的な拒否感」などが多く見られるようです。組織が大きければ、上司としての資質に欠ける方は「管理職待遇でスタッフの仕事をさせる」などの逃げ道がありますが、組織が小さいと、代替がききません。

戦争との関連では、そもそもミッドウェイにしても、インド洋での兵装転換に関わる問題(勝ったからうやむやになった)が活かされなかったことも原因の一つだと思います。ちなみに、ミッドウェイ後は対応していたじゃないか、というご意見もあるでしょうが、その後は、それ以前のような質・量的優位を回復したことはありませんので比較ができません。

ちなみに海軍でも、栗田・細萱など悪名高き指揮官はたくさんいますが、彼らは必ずしも失敗から学ばなかったわけではなく、また、軍官僚としては極めて優秀だったようですね。成功学・失敗学だけでなく、人事部門で、どのような部門にはどのような人材が必要かをきちんとデータをとって管理できれば、問題は減るでしょう。

突き詰めていえば、どの人がどのランクに向いているか。同じランクであっても、マネジメント型なのか、率先垂範型なのか、学者型なのか、焚き付け型なのか等々、本人のタイプによって、過去から何をどのように学ぶべきかが変わると思います。
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これから部下を率いて仕事を行うことと、日本軍の評価の低い指揮官の理由を知りたいということの関連性がイマイチよくわからないのですが。



とりあえずこれだけ。
>※戦いで負けたとき、あるいは、たまたま勝ったにしても、想定以上の損害が出たとき、その原因を研究しない、反省しない。
つまり、戦訓所見などというものは存在してないし、あったとしても取り入れるわけが無い、そうおっしゃっているのでしょうか?

>ときには、ノモンハンでの敗北のように、闇に葬る。敗北・失敗から学ばない、失敗を隠していたということです。
一例として、
「ノモンハン」事件より得たる航空部隊編制装備上の意見の件
「ノモンハン」事件より得たる地上部隊の編制装備に関する意見提出の件
というようなものがネットでさえ見れたりするんですが。
そんなもんは存在していないし、あったとしてもそんなもの日本軍のことだし反映されるわけないってことでしょうか?

>でも、それまでの空母による戦いで、「戦闘時の空母上空の守りの弱さ」
大鳳の開発建造の時期はいつだったのでしょうか?
また、MI作戦の第一航空艦隊はミッドウェーに進出予定の第六航空隊の零戦を搭載し、戦闘機を増加させています。
その後の空母の戦闘機の比率も増加しているように見えますが。

戦訓を学ぼうとしない日本軍、よく言われることですが本当なんですかね?
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理由は、大西巨人の言葉を借りて一言で言い表すと、


「累々たる無責任の体系」ということに尽きますね。
これが日本軍の体質のすべてを言い表してる。

具体的な人物例をあげるならば、
牟田口廉也、富永恭次、木村兵太郎、河辺正三、辻政信などなどが
日本の無能指揮官の代表としてよく上げられます。
彼らに共通することは、全員が、東条英機(つまりトップ)の腰ぎんちゃくで
個人的な縁故関係でその地位についていたということと、
同様の理由で数々の失敗にもかかわらず責任を追及されること無く、
無責任でのうのうとしていたということです。
部下には厳しく、上にはへつらう、そんなタイプばかり。

簡単な教訓としては、組織が公明正大ではなく、責任の所在も明らかでなければ、
どんなこともうまくいかず、最終的な破滅を招くということでしょう。
下には責任を押し付け、上には責任が上がっていかないようなシステムでは、
成功しないことは当然です。
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>>過去の日本軍の評価の低い指揮官とその理由についてお教え下さいませ。

最近、戦争物のドラマや映画を見るにつけ、どうして泥沼状態を回避出来なかったのか不思議なのです。

第2次大戦の日本軍(陸軍・海軍)について書籍を読んだり、映画をみたりすると、負けるのはしかたないにしても、どうしてあんな負け方をするのか?って不思議に思えてきますが、その原因は現代社会にも引き継がれています。

原因は、

※戦いで負けたとき、あるいは、たまたま勝ったにしても、想定以上の損害が出たとき、その原因を研究しない、反省しない。ときには、ノモンハンでの敗北のように、闇に葬る。敗北・失敗から学ばない、失敗を隠していたということです。

もし、戦いが敗北に終わったとき、その原因を追及すれば、上官の作戦計画を批判することになります。現代風に言うなら、上司批判、OB批判ということになるわけです。上官の考えが柔軟で、部下からの進言をどんどん採用するような方であれば、そんな批判を受けると、次回の作戦立案を改善するはずですが、そうでなければ、「貴様!上官を侮辱するのか!歯をくいしばれ、ボコ!ボコ!ボコ!」っていうことになります。それを見た周りの兵士たちは、心では、「こんなバカな作戦計画を作って・・」と思いながらも、何も言わなくなり、「飛んで火にいる夏の虫」状態で死んでいったわけです。

例えば、有名なミッドウエー海戦では、日本は主力航空母艦4隻とその全艦載機を喪失しました。でも、それまでの空母による戦いで、「戦闘時の空母上空の守りの弱さ」「地上攻撃と船舶攻撃の兵器切り替え時(爆弾か魚雷か?)の混乱」は指摘されていました。でも改善されることはありませんでした。

アメリカの軍事史の研究家は、「日本軍は失敗から学ぶことは、一切無かった」と言い切っていたのが印象的でした。逆に米軍は、敗北の理由を研究し、さらに新兵器を何年もかけて開発したり、「これはまずい」となれば、柔軟に作戦を変更していましたね。(もちろん、米軍にも官僚主義があって、「うちの魚雷に欠陥は無い!」って根拠なく主張する上官の影響で、命中しても爆発しない欠陥魚雷を長く使い続けるってこともありました。で、日本軍は「米軍の魚雷は怖くない」って、なめていたようです。もちろん、改良後は、ボコボコ日本の船舶が沈められましたが。)
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