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鋭い人の場合外界情報に対しての反応の精神が機能している状態だと推測します、鈍い人の場合、外界ではなく内界へ向かっているか、エゴティズム的なシステムをとっている人ではないかと思います。
これが大まかな指標です。
この前のhttp://okwave.jp/qa4108947.htmlの続きになるかもしれませんが、いつのまにか迎合性になってしまったというのは感受性の流れが迎合性になったというところにあるのではないかと思います、もちろんそればっかりの人だけではなく状況によっては自由選択が可能な場所の場合(組織とか社会心理学的束縛度の低い場合)迎合的にならなかった人も居るわけで、そいう意味では心理的変化によって感受性も変化するという事もいえるかもしれません。なので元々感受性が迎合性に走りやすい人というのは感情の喜怒哀楽に対して結構粗雑なのではないかと僕は思うんです、つまり迎合性のパターン変化に対して縦横無尽に変化させる事が出来る人というのは元々精神が砕かれているのではないかと思うんですよ、その砕かれた精神を迎合性のパズルに組み合わせるために変形させるという事なんだと思うんですよ、つまり砂鉄みたいなものです、あるメイン(後ほど説明します)を除いて精神が砂鉄のように砕かれているので迎合性が常に変化しても常に順応しているのではないかと思うんですよ、この心理的変化は幼少期~思春期入る前までの心理状態なんですよ、このころって常に従順的だったと思うんですよ
特に幼少期の頃かな、その頃が特に従順的だったのだろうと思うんですがいわばその頃への(形式的)退行なんですよ、若者が(僕もまだ若いですが)「自分が自分で分からない」「ノリで・・」という感じの発言をよく言っていましたがこの自分で自分をどうしていいかわからない状態というのは結局精神性を常に砂鉄状態にしておかなければ不安だということなんですよ、なぜそうなるのかといえばその様な外界の変化の上で幸福を作ってきたからなんですよ、だから迎合的な変化に順応するために常に精神を砂鉄状態にスタンバっておかなくてはいけなくなった、それはなぜかといえば外界からの変化と本能を適合するためということなんですよ、つまり迎合的に本能を満たしてきたから結局迎合的状況に対応しなければいけなくなったんで精神を常に破壊状態に置いていなければいけなくなったんですよ、http://okwave.jp/qa4108947.htmlこれで言う自然の変化ではいけなくなったんですよ、つまり自然の変化を受け入れる形の迎合性ではなくなったということんですよ、人間は元々自然なんですから、自然の変化を当然と感じるのが当然の感受性だろうと個人的には思うのですが、そうしなくなったつまり区分的な感受性へ移行し始めたということなんですよ、そのメインとなる核は恐怖からの逸脱なんですよ、幼少期は良しも悪しも本能からの命令を満たさなければいけない存在なので外界が自然を受け入れない迎合性を主体としていればそれに順じてもおかしくないです、なので要は社会や周りの人たちがいつの間にか自然を否定する形の迎合性ができあがってしまっている事に気が付かないもしくはそれを善としているため、自然の流れを否定する迎合性に従順でなければ不安でありそれを維持するために精神が常に粗雑化状態でなければいけなくなったんですよ、じゃあ自然の流れを否定するとはどういうことなのかという話になりますが、これもまた表現が難しいのですが例えば「せめて70点はとってこいよみっともないぞ」と親が子供に言ったとしましょう、そうすると子供は「テストでは大体70点位とるのがまとも」と感じてしまうわけです、しかしテストというのは毎回同じ問題がでるわけではないのだから点数が子供の心理的状態によって変動するのが自然なんですですがその自然を無視もしくは否定するようなある種一般性でなければならないとう外界暗示的な雰囲気もしくはその様な外界システムをもはや作ってしまっているので、それに従順でなければ不安だという現象が発生するというメカニズムです、特にその暗示のシステムの代表はバラエティー番組などだと感じます、なぜかというバラエティーは自然な迎合性を演出していますので自然で従順な人間が入り込みやすいというのと観客エキストラとアドリブを織り交ぜて演出させているという事で暗示に掛かりやすいシステムをとっているのでバラエティーは一理ありだと感じます、また周りの正常性というのもある種一般性や正常性化させる暗示効果の材料抜群だと感じます、そのような土台システムと組み合わされれば否応無しに自然の変化を否定するような迎合性へ傾くと考えられます。
詳しい解説ありがとうございます。
今回のお話、大変納得しました。迎合性というのは、実は精神の可塑性が非常にある状態と言い換えてもいいのかもしれませんね。それによって、自身の心的能力あるいはエネルギーが0に近い状態になっている。喜怒哀楽っていうのはなんといっても心的な「抵抗」ですから。その一種の苦痛である「抵抗」をやめて、それこそ安全に丸め込んでしまうという道です。それが、まだ心的能力の低い幼児期への退行となぞらえることもできますね。
結局「社会」と「個人の心的エネルギー」あるいは「自然感覚状態」との兼ね合いあるいは相克の問題であるといえるかもしれません。後考えると「社会」っていうのは人間を殺す面が大きいものです。「殺し」て「生かす」なんとも矛盾形態をとっているものです。
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