プロが教えるわが家の防犯対策術!

お世話になります。

表題の件、不正合格教員の去就が注目されてますが、そもそも不正合格した教員は教壇に立つ資格は無いわけで、
そんな人が指導した授業というのは履修していないのと同じ事になるんじゃないでしょうか?
 資格がない人が黒板の前にたって、 This is a pen. とか 雨ニモ負ケズ とか 勤労・納税・教育は国民の義務 とか
教えていても意味無いんじゃないの?

「あれは、ただのおじさん、おばさんの話を聞いて授業ごっこをしていただけでした。
だって教室の前に立っていた人は先生じゃないんだから。
文部省はあの授業を正規の授業とは認めません。
よって、不正合格教員が担当した授業は全て未履修とし、該当の授業は全てやり直しです。
いまからやり直しするので、生徒・児童は全員留年です。小学校だろうが中学校だろうが留年していただきます。
すでに卒業してしまった生徒・児童は卒業取り消しです。もう一度戻ってもらいます。
非情なようですが、法治国家である以上、法律に従っていただきます。
もちろん、これに対する損害補償、慰謝料は汚職に関わった人に個別に請求してください。
ただし、それと授業の無効とは関係ありません。授業はやり直しする事に変わりはありません。
生徒・児童諸君は学校の授業以上の貴重な経験をしましたね。
じゃ、頑張って!」

こういうことになるはずじゃないのでしょうか? 
だって数年前の進学率の高い高校の未履修問題のとき、上へ下への大騒ぎになったじゃないですか?
(いやー、月9ドラマ見ていて、あの問題と教員汚職事件が結びついたんだけどね。)

「不正合格教員が授業は有効」なのでしょうか?
 それとも「不正合格教員の授業は無効」としてしまうとパンドラの箱を開けてしまうので
恐ろしくて誰も知らん振りしているのでしょうか?

法律がよくお分かりになる方、よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

教員免許がある以上、別に問題無いんじゃない?



就職において不正を行なったとしても
その成果(授業)は関係無いし・・・・

この回答への補足

早速のご回答ありがとうございます。
>採用試験が不合格なだけで、教員免許はありますから授業は有効です。

いえ、ですからね、その二つがそろって初めて教壇に立てるのでは?
というのが疑問点なのですがね。
 教員免許さえもってれば、誰がやっても授業になるの? ってことですよ。

補足日時:2008/09/15 22:29
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/16 08:21

採用試験が不合格なだけで、教員免許はありますから授業は有効です。

この回答への補足

早速のご回答ありがとうございます。
>採用試験が不合格なだけで、教員免許はありますから授業は有効です。

いえ、ですからね、その二つがそろって初めて教壇に立てるのでは?
というのが疑問点なのですがね。
 教員免許さえもってれば、誰がやっても授業になるの? ってことですよ。

補足日時:2008/09/15 22:25
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/16 08:23

教員免許をもっていればだいじょぶなんじゃないでしょうか。



正採用でなくても講師といったカタチで授業されている人はたくさんいますし。

正規採用としては不正があったので問題だと思いますが、それは個人の雇用形態の問題で、実際の授業には関係ないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/16 08:27

>>そもそも不正合格した教員は教壇に立つ資格は無いわけで、<<



不正合格というのは、教壇に立つ「資格」の問題ではありません。資格はあくまで教員免許です。
教員免許を不正に取得したのならば「資格はない」と断言でき、彼らが行った授業の単位は、それを理由として無効としうることになります。しかし今回の大分の不正合格事件は、会社で言うなれば入社試験の合否ということであって、あくまで被雇用者(教員)と事業主(県教委)の間の問題ですから、サービスの受益者である生徒には何の関係もありません(言い方を変えると、県教委なり文部科学省は、教育の質の保証を「教員採用試験の合否」に求めているのではなく、「教員免許の有無」に求めているということになります。教育職員免許法1条、2条1項、3条を参照)。
なお、競争試験による合否は教育関係法規ではなく地方公務員法(15条および17条参照)の問題であることからも、法律的には「教育」というより「人事」の分野の問題であることが分かります。不正に採用された役場の課長が行った契約は、法令に反しない限り有効(課長は本来採用されるはずでなかったから無効、とはならない)のと同じことですね。

要するに、法が求める品質を満たしており(=教員免許保持)、かつ、学習指導要領に従い校長・教頭・主幹教諭の指導の下に作成した指導計画に基づき指導している限り、教育上の問題は何もありません。従って、誰もそんなことを考えたり言い出したりしないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
法律がそうなってるんじゃ仕方ないですね。
自論を引っ込めますわ。

でもなんか釈然としないなあ。
「安心安全、JAS合格の国産黒毛和牛です。美味しいですよ!」といわれて喜んで食べた牛肉が、後になってから
「実は米国産の輸入牛肉でした。でもJASには合格してるし、美味しかったでしょ。美味しいならそれでいいじゃないですか? 文句あるの?」
って言われてるみたいで。
不正合格教員の今後の身の振り方に注目ですな。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/16 08:32

> それとも「不正合格教員の授業は無効」としてしまうとパンドラの箱を開けてしまうので



生徒側からそちらを主張して、知っていれば授業を受けなかった、詐欺だって形で、再履修を請求するのはアリかと。
誰もしないと思いますが。


「そうめん」を貰ったので食べた、非常に美味しかった。
実は「そうめん」でなくて「ひやむぎ」だったって事を知っても、食べた側が十分に満足していて問題にしないのなら、外野がとやかく言っても仕方ないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

まあ、実際問題、生徒・児童側も今から再履修を要求したら本当に留年せざるを得ないことになりますから、要求はしないでしょうな。

お礼日時:2008/09/16 08:35

>そもそも不正合格した教員は教壇に立つ資格は無いわけで


そのとおりですね。大分県(他の県も)は教員免許を持っている人の中から一定の成績以上の人に対して大分県の教師として教壇に立つ資格を与えています。一定の成績以下の人には教師としての資格を与えません。
生徒側から見れば、教員免許を持っている人の中の成績優秀者に教育を受けることができるわけです。これをしてもらえなかったのですから、損害は受けています。
一方、行政実例、昭和41年3月31日の例だと
ア、その間のその者の行った行為は、事実上の公務員の理論により有効(瑠庇ある行政行為の解釈)
というのがあります。

つまり、「履修は有効、しかし上記のようにレベルの低い教員の授業だったので何とかせよ」と言うことはできるかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
メタミドホス入りの汚染米を原料にした商品はメーカー側の手によって次々と自主回収が進められています。この対処については国民の誰もが納得し、「少しぐらい毒が入っていても良いじゃないか。じたばたするな。」などと言った人は誰もいません。(あ、一人いますね。農水大臣が、「人体に問題ない。我々はじたばたしてない。」てTVで言ってました)

これに対し、教員採用試験を不正合格した教師による授業・学級運営について多くの保護者は
「急に担任教師が交代すると困る。」
「生徒・児童にも慕われていて良い先生だった。このまま続けて欲しい。」
と擁護する意見が多いようです。(あくまでもマスコミを通じてのみの情報受信ですが)

ここでもし私が事件の当事者の保護者だったとして、積極的に担任交代を叫ぶと「モンスターペアレント」といわれるんでしょうね。
面白い世の中ですね。

お礼日時:2008/09/16 08:44

NO.4回答者さんが回答していることがすべてではないでしょうか?


質問者さんが大きな誤解をしているところがあります。
そもそも、今回の問題は教員採用試験に不正があったと言う事です。
教員試験自体に不正があったわけではありませんよ?問題の内容を一度ご自身で見つめ直してください。
今回の問題は大いなる問題です。しかし、教師になった方々も自分の知らないところで起きている事件(本人も知っていた可能性もあるが)
であり、またこれに伴い教員に採用されなかった方も、もそれぞれが被害者です。事の本質を見誤ってはいけません。責められるべきは教育委員会そのものであり、教師そのものではないのですよ。
今回の事と、未履修の問題とは比較の対象が違います。
未履修の問題は文部科学省が履修科目としているところを教育の現場が行っていなかった事が問題なのです。
我々が今、目を向けなければならないのは、当事者になってしまった教師の功罪を考えるのではなく、都市部と地方の教師採用の格差がなぜ生まれているのか?教育格差がなぜ生まれているのか?都市部と地方での教育現場の環境がなぜ違うのか?
ドクターの数は多いのにドクターが不足している地方がある事と同じ状況ではないのかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
教員採用試験というのは、教員免許を持っている人が受験するのは至極当たり前の事であって、その上で、熱意とか人格とかを判断する試験ですよね。その採用試験で点数が低い人は当然教師になってもらっちゃ困るわけです。違いますか?
 特に今回は合格ライン以下の人間が金品で”合格を買った”訳ですからなおさらそんな人は教壇に立つ資格は無いでしょう。(ここで言う資格とは、「資格試験に合格してライセンスを持ってます」という意味ではなく、人間としての”資質”という意味で。)
 小中学校というのは受験テクニックを教える予備校や余暇に通うカルチャーセンターではなく、人間形成の場なのですから? 違いますか?


>我々が今、目を向けなければならないのは、(略)同じ状況ではないのかと思います。

問題すりかえですね。

お礼日時:2008/09/16 08:54

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