アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「動機付け」や「モチベーション」という言葉を聞くと多くの人々がマズロー理論を思い浮かべると思います。

大学の心理学や経営学それから教育学の講義では必ず紹介される学説だし、ビジネス書でも盛んに紹介されています。
また2003年にはセンター試験の現代社会でもマズロー理論が出題されたことからも、高校生の間でも知られている非常に認知度が高い学説だと思われます。

今更説明する必要はないと思うけど、人間の欲求には5段階があり、上位の欲求を求める者にとっては下位の欲求は当たり前すぎて動機付けにならない。また優秀な人間ほど早く欲求の階段を駆け上がるのが早いと紹介しています。
下から順に並べると
1.生理的欲求(衣食住を満たす)
2.安全の欲求(安全に生活する)
3.親和の欲求(仲間を得る、仲間と楽しい時間を過ごす))
4.自我の欲求(他人から尊敬されたい、感謝されたい)
5.自己実現の欲求(自分らしく行きたい)

5の自己実現の欲求は、金銭欲や名誉欲などの欲望を超越した究極の欲求としています。

僕は大学1年生の心理学の講義で初めてマズロー理論を知って感銘を受けました。その後、経営学の講義でも習ったし、大学卒業後もビジネス講習などで繰り返しマズロー理論に接してきました。
日本の企業はマズロー理論を経営に活かしてきたと思っています。
給料を支払うこと(生理的欲求)は勿論、福利厚生(安全の欲求)、クラブ活動や社員旅行・忘年会(親和の欲求)、昇進制度や改善活動(自我の欲求)を利用して、従業員の永続勤務(のための動機付け)を図ってきたと思います。
私が経営する会社でも、上記のことを実践してこようとしました。
30人くらいしかいない会社なので大企業並みに行うのは無理ですが、それでも大体上手くいってきました。
ところが、時々「自分らしさ(自己実現の欲求)」を主張する従業員がいて困っています。
特に短期雇用のアルバイトに、「自分らしさ」を主張する傾向があります。

僕・社長「お客様には笑顔で接してくださいね」
従業員「私は笑顔が苦手なんです。笑顔の私は私らしくないので嫌です」
僕・社長「黒髪の方が好感度が高いから茶髪は禁止ですよ」
従業員「それなら仕事辞めます」
僕・社長「もう夏なんだから黒い服をやめて、明るく涼しげな服を着てください」
従業員「明るい服は私に似合いません。強制されるのなら仕事を辞めます」

一昔前だったら「収入に多少不満があっても人間関係が良ければ簡単には辞めない」と言われていたのに、現在は本当に簡単に辞められてしまいます。

本来自己実現欲求というのは、金銭欲や名誉欲を十分に満たした者が主張することなのに、日々の収入さえ不安定な人が自己実現欲求を求めるのが不思議です。
もっとも世の中には、自分らしい髪型やファッションのためにフリーターを続ける人もいます。
そこで最近は、自分が信じていたマズロー理論が間違っているのではないかと思い始めました。

経営者としては、会社存続のためにも、従業員に給料を払うためにも売上を大きくしたいし、費用を圧縮したい。
そのために従業員の質も高めたいし、ある程度長く努めて欲しい。
研修中もお金を支払わなくてはならないのだから、すぐに辞められたら困る。
そのために従業員にとっても魅力的な会社づくりをしたい。
1~4の欲求に対しては対策を立てられます。ところが5の自己実現の欲求に対しては対策の建てようがない。
すべて従業員の自由では組織とは言えないと思う。
僕の感覚だと、自分らしさなんてどうでもいいから、たくさんの収入があって、仲間から祝福された方が幸せだと思う。

そこで質問です。
1.広く普及してるけど、マズロー理論は正しいのか?
2.収入や仲間や社会的なステータスに関心を持たず、ひたすら「自分らしさ」を求める人の心理を教えてください。

A 回答 (11件中11~11件)

5の自己実現の欲求の解釈ですが、



<自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求>

とすれば

「私は笑顔が苦手なんです。笑顔の私は私らしくないので嫌です。」は、スーパーエゴとは逆。

スーパーエゴとは、今の自分を超越してもっと高次の立場から、自分をコントロールすること。


子供の頃、自分にとって楽しいというものに自分の主体を置く。

目の前に食べ物がある。
食べたい。
でも、それはお店のもので、代金を払って自分のものにならないと食べれない。

お店の人が見ていないから、取っても怒られない。

でも、盗みはいけないことだ。
大人たちは盗みをしない自分を愛してくれる。
じゃあ 盗むのはやめよう。


子供のうちはI(自我)なのですが、経験を積んでいくと、他人からみた自分というもの存在の大切さを学んでいく。
他人から見た自分 他人が期待する自分→me。

で、おかあさんが「テレビばっかり見てないで、宿題しなさい」を無視していると、おかあさんから自分への評価が下がり、おかあさんから愛されないmeになっちゃう。

それだと他人から、社会で良い評価され気持ちがいい立場で生きることが困難になる。
でも 今一番面白いところ テレビも見たいし お母さんからも良く思われる自分でいたい。


どうするか。

「おかさん、あと15分で終わるから、そうしたらちゃんと宿題します」

すると好きな番組を見て、かつ おかあさんが望む自分にもなれちゃう。

テレビを楽しむIが、テレビも勉強もやるIに変化するわけです。
meがIになる。
社会に融和してなおかつ自分を失っていないので、自己実現。


で、例えばおかあさんが「宿題を早くしなさい」と言って子供が「いやだ」と強情に反抗すると、おかあさんは言うのも無駄だと思って言わなくなる。

おかあさんは子供に愛情をもてなくなる。
子供が何をやっても無視。 興味が無いから。

子供は、おかあさんに干渉されないので、Iをやり続ける。

「俺は茶髪が好きだから、茶髪じゃない俺は俺じゃない」

「俺は黒い服が好きだから、黒以外は俺じゃない」

これでは集団の中で孤立してしまう。
茶髪でなければ自己を失うわけない。
黒い服でなければ、自分らしさを失うわけじゃない。

そんな安易なもので自分がコロコロ変わるはずない。
ホメオスタシスがあるから、本来のものは、服などで変わらない。

他人に与える印象は服装で変えることは可能。
じゃあ 自分の本質は変わらないが、人は自分の服装で、印象をガラっと変えて、愛してくれたり、思いやりをもってくれたり、とにかく敵対視しないのなら、いい印象を持ってもらい 生きやすくなるように、服装を変えちゃおう となるのが普通。

集団に融合する道を普通は選ぶ。
何故なら人は集団の中で生かされると本能的に知っているから。


ところが、放っておかれた子供は、自分が所属する集団と融合する手段を獲得できない。

勝手気ままにふるまっても、誰もとがめなかった子供は、自己主張をすれば、他人は黙ってくれると思って、自己主張をすることに長けてくる。
時には暴力で、社会に融合させようとする人を排除する。
もしくは、自分が集団から出て行くことを安易に選ぶ。
それしか道が無いから。
何故なら、融合するという思考が育たなかったから。

集団への融合の仕方がわからない。
わからなければ、出て行くしかない。
孤立の道を選ぶしかない。

孤立すれば、誰もとがめないので、早々に孤立の道を選ぶ。

でも、集団で生きる人間が孤立をすると生きずらい。
また、仕事を探しに出て収入を得ようとする。
でも、融合の仕方、他人から見た自分のありかたを考えないので、異質だと指摘され、融合を望まれても、どうしていいのかわからない。
で、自己主張をして、他人が自分に合わせるように望むか、自分が出て行く。


というわけで、発達段階で失敗していますね、その人たち。

でも完璧な人はいない、成人してからも、失敗を何度もしながら、学んでいき成長していく。
失敗が多い人ほど、他人に対して面倒見がよかったりする。
かつて自分が社会に融合するやり方を知らなかったために失敗してきた数々の経験が活きるわけです。

「ああ 俺も若い頃 こうやって反発したな。どうして反発したかとうと どうしたら融合できるかわからなかったからな。」とか。


「ああ 俺も失敗ばかりしていた。俺の人生は失敗づくしだったが、よくまあ ここまでこれたもんだな。」
これが自己実現。
失敗すら自分の人生として受容している。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!