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17~20世紀初頭まで、列強はアフリカ、アジア、アメリカを植民地にしまくりました。特に大植民地帝国であった大英帝国が世界をリードする金と、そのおかげで力を得たと言われています。私の疑問は、そんなに世界各国に植民地をつくって、本当に儲かるのかということです。

例えば、イギリス。インドを植民地にして、そこで採った綿花で衣服や靴下を作って、中国人やヨーロッパ人に買わせ、儲けたと言います。お茶もそう聞きます。しかし、今みたいに流通が発達していない時代で、そんなに売れますかね?

中国人なんて、洋服や靴下を着用する習慣あったんですか?庶民が買わなきゃ利益なんてたかが知れてますよね?お茶も自分の国で採れますし。まして、奥地(たとえば四川とか)まで売りに行くのはコストばかりかかって、儲からない気がします。盗賊も横行してそうだし。どうなんでしょう?

大英帝国はその後、第一次世界大戦の4年間?で、それまで数百年蓄えた資産をすべて使い切り、その十倍近い借金が残ったと聞きます。数百年でその貯えなら、本当は儲かってなかったんじゃないですか?

続いて、日本に対する疑問。大日本帝国は、満州など中国大陸に進出しました。その目的は、地下資源であったり、農業であったり、市場囲い込みであったり、ソ連からの防衛であったりと言われています。ソ連からの防衛はともかく、地下資源があるなら、第二次世界大戦で、他の国と揉めること(石油売ってくれとか、鉄鋼売ってくれなど)もないような気がするのですが。戦争中、満州の地下資源て本当に役立ってたんですか?農業も寒くて稲が育たなそうだし、どうせなら台湾でやればいいじゃないですか?市場にしても、そんなに貧しい国民が物を買うんですか?

よく聞くのは、中独が戦前まで同盟していて、ナチスが日本と結んで、中国と連携を破棄した時、ドイツ商人が、満州よりも中国(長城以南)の資源の方がよっぽどおいしいと言って残念がったらしいです。

そんなに中国って資源があるんですか?アフリカとか中東の方がいっぱいありそうじゃありませんか?どうなんでしょう?帝国主義時代の最後の方の列強の植民地への注目って、もはやアフリカより中国だったのですか?

補足質問:何で列強は今まで散々ひどい手を使って植民地を拡げてきたのに、日本の満州は認めなかったのですか?利権がらみ?それとも単純にもうそうゆう手を使っていい時代ではなかった?

以上、長々とすみませんが、よろしくご鞭撻ください。

A 回答 (5件)

漫談です。



満州国、おっしゃられる通りです。で、満鉄が中心になって必死で油田をさがしました。大慶もさがしました。が、地質分析をミスって、記録には「微油地」と書いてしまいました。戦後、共産中国が大油田を発見したところです。

満州国、イギリスは「認めてもいいかなあ」位には思っていたんです。自分たちも同じことしていましたから。インドに対するソ連の影響力を分散してくれるからです。しかし、日本側の外交政策と軍部がとっちらかって、ダメになったのは史実の通りです。

軍事的に、植民地を緩衝地帯にすることが時々あります。また、海外植民地に軍事基地を置いて、自国の対外政策をやりやすくする、という目的もあります(ジブラルタルをみてください)。満州国ならロシア・ソ連の南下を防ぎ、共産主義拡張を封じ込める意味もあります(逆に、イワン4世(雷帝)が発見したシベリアは、中国方面の防衛ラインとなりました)。

ウハウハな時もあります。フェリペ2世のスペインは、新大陸から金銀もってきて大いに栄えました。つまり、あったものをぶんどって、さらにそのまま現地人を使って掘ってもってくるだけ、という「簒奪」をすれば、もうかる時もあります。ただ、資源が尽きたら、もうそれこそ意地でもっている状態になって、植民地も本国も混乱する事態になりやすいのが欠点です。

その彼の無敵艦隊がイギリス攻撃した時、敗北した遠因のひとつに、給料(つまり金銀財宝)を積んだ、サンサルバドル号が、失火をおこして艦隊を離脱して、一気に兵士(傭兵)のやる気がなくなったことがありました。

あと、元にある文明を尊重してあたかも同盟国のようにあつかい(実際は弁務官がいるのですが)、本国が資本を落とし開発して通商し、儲けることもあります。地中海によくあった事例です。
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ご質問者はよい点にお気づきになったと思います。

植民地経営って、実は赤字の場合が多いそうです。「経済史」という学問分野を少しかじれば常識です。私は素人に過ぎませんが、大学の教養課程(理系学部でも文系の、文系学部でも理系の概論的科目を選択できる)で知りました。あのイギリスでさえ赤字に悩まされました。「植民地経営は儲かります」なんて言い切るのは、……いや、悪口はやめときましょう。

既出質問で回答しました(No.2回答)。
薩英戦争の結果に対する英国側の評価
http://okwave.jp/qa4364463.html

それでは、赤字にもかかわらず、なぜ列強は飽くなき植民地獲得競争に猛進したのでしょうか? 前述の講義は門外漢の学生向けで、そこまで詳しく踏み込まずに終わりました。私は出来の悪い学生でしたが、自分なりにちょっと調べました。それをおぼろげに思い出しながら、以下に書いてみます。

(1) ソロバンよりも大英帝国のメンツである。赤字でも、やるっきゃないのだ。他の(列強)国にさらわれてしまうのは我慢できない。

(2) 高度成長期などの、膨張主義的な巨大企業のことを思い出してみよう。次から次へと土地を買い入れたり、会社を吸収合併したりしていた。すぐに転売して利ざやを稼ぐわけでもないのに。抱え込んでも赤字で、すぐには黒字化しにくいのに。
彼らの考え方は、「黒字を計上しても、ごっそり税金で持ってかれてしまう。その金を使って買っとけば、我が社の規模はどんどん大きくなる」といったものだったろう。その考え方が、「右肩上がり」の時代には成功を収めたりした。
同様にと言うか、植民地経営そのものは赤字でも、大英帝国全体ではどんどん大きくなって、お金も回っていったのであった。

(3) 前出の質問のNo.3回答の「まあ植民地というのは50年から百年かけて投資して、その後利益をあげるものですよ。」は慧眼だと思う。この人は専門的な勉強をした人かも知れない。
百年経つ前に植民地が独立したケースもあろう。また、イギリスは今なお旧植民地に有する利権や債権から利益を得ているともいう。つまり、「A国がB国を植民地にしていた何十年間の、AB間の収支」はA国の赤字になっているが、もっと広い範囲で考えると、話はより複雑でもあろう。

(4) 赤字に悩まされてるのに、なぜ植民地獲得競争は止まないのか。この謎を、レーニンは『帝国主義論』(1917年)で解明しようとした。かつては、共産主義が大嫌いな知識人でも、『帝国主義論』だけは必読の書に挙げたりしていたものである。今ではあまり読まれてないだろうけど。私もあらすじを聞いただけで、読んでません……。
次に、「補足質問」に対しては、次の拙文をご覧いただけると幸いです。

支那事変は日本の侵略戦争だったのでしょうか?
http://okwave.jp/qa4393878.html
No.11回答 (1) 当時でも侵略は違法だった

アインシュタインの言葉
http://okwave.jp/qa4416504.html
No.2回答 (b) 第1次大戦の惨禍が身にしみた後は「違法戦争観」
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オランダが香辛料を独占してしまうので


やむを得ずイギリスはインド経営に専念するのですが、
紅茶以下、硝石や藍などで富を得ようとします。

直接重さ=銀と言う商いは難しかったようです。
この当時は対欧州輸出で利益があり、
イランへの輸出などで銀を得ています。

紅茶は中国のお茶の輸入ですね。
また、西洋では白磁が出来ないので重宝がられました。
西洋白磁は牛骨を練りこんだ物です。

その為、大きな貿易赤字をこさえてしまいアヘンを売りつけたのです。
(国内の銀が流出した。)国内でも、こんな恥さらしな戦争は無いと称しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%98% …

貿易は、売らなければ利益になりません。
維新の日本はイギリスやアメリカの良いお得意様とも言えます。
特に軍艦購入などは国内景気に大きく影響します。(銀、金の獲得)

売るには、他に出来ない高い技術を持つか、特産品を持つ。
または、植民地化し材料費を最低限に抑えねばなりません。

>日本の満州は認めなかったのですか?
戦国時代、徳川家の家臣になった真田昌幸は
「北条との同盟の証に沼田の土地を渡したい。」
こう言われました。

「沼田の土地は武力で勝ち得た物。既に主君でも何でもない。この土地欲しけば武力で勝ち取るがよい。」
と、きっぱり離縁状を叩きつけます。

2千騎足らずでほぼ10倍の徳川軍を上田城で撃退します。
一時退却する徳川軍に、武装した百姓2千人が襲い掛かり敗走を余儀なくされます。

如何に領民に愛されていたかがうかがえます。(含む俗説)
「筋」や何かが違ったのではないでしょうか?
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まず、ここまで質問が長いなら、2つに分けて質問したほうがいいでしょう。

回答者はちょっと圧倒されるので・・・

まずイギリスですが、植民地経営は儲かります。まず、インドのように、全く流通を考えず、奥地から資源を徴収するためだけの鉄道網をひき、資源を奪います。そして、イギリスの市場として安価な機械製綿製品を売りつけます。そして、第一次大戦に人員を動員するなど、文字通り、資源から命まですべて奪えるので、儲かる、といってもいいでしょう。(インドがなければWWIなんてドイツに負けています。)

中国に関してはあなたの指摘通り、売る物がなかったので、阿片の密売というカードを出すことで、貿易赤字を解消し、茶やチャイナ(陶磁器)を持ち帰ることができました。

そもそも売れるのか?という点においては、イギリスの綿製品は圧倒的に安い価格であった、ということと、アメリカが門戸開放宣言を出して警戒した、植民地がもつ排他的経済圏ということによって売ることができます。流通面も義和団のあとに八カ国がすぐに北京に集結したように、電信の開発やロイター通信社などによる情報伝達の仕組みの向上により流通はかなりしていたと思います。

で第一次大戦ですが、あれはこれまでの戦争とは訳が違い、総力戦です。従来のフロントラインで決着が付く戦争ではなく、銃後で決まる戦争だったので、膨大な資金が必要でありました。(ようするにスタミナ勝負だったのです)

ああ長い・・・

で日本についてですが、満州は日本の生命線ということば通り、資源の少ない日本にとっては欠かせない土地でした。しかし、そこまで石油資源には恵まれなかったでしょう。(石炭、鉄はともかく)台湾でももちろん資源を奪うなどしていたと思いますが、そんな量ではないでしょう。市場という面では多少の効果はありましたが、あまり歴史において強調されることはないように思います。

帝国主義時代の最後には、植民地化されていなかったのが、中国だけだったという話です。まあ南アフリカ戦争にみられるよに、新たに資源(このトランスヴァールやオレンジ自由国の場合はダイアモンドとかプラチナ)が発見されると、列強に狙われましたが、中国は、当時世界に残された、最後で最大の植民地予定地だったわけです。

日本の満州国については論ずべきことは多くありますが、国際連盟において認められなかったことは事実です。もちろん、列強の植民地も認められるべき物ではないですが。時代、というよりも日本の勢力が強くなることへの警戒の意味もあったでしょう。

長いので、それに比例して間違いもあろうかと思いますが、こんな感じでは?
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植民地にしなければ交易になりますよね。


シルクロードが典型ですが、交通手段が未発達の時代の外国間交易は充分の利益が出るもので、日本でも平安時代から江戸時代まで延々とその利益が勢力の消長に影響してきました。
ですから危険を犯して新航路が求められ、米大陸が発見されて欧州の経済飛躍が始まり、南米大陸において略奪と植民地化を学んで、力関係が変わったその他の地域でも植民地化が進んだ訳です。
植民地経済は相手に強制力を持つという利点があり、自分達が欲しいものを得るために、相手がそれまで必要と考えなかったモノ(例えば阿片、酒)を売りつけ、自分の希望する交換比率で持ち帰れば高値で売れるものを手に入れられます。
現在の国際間貿易も収益の基本は「情報」であり、情報を手に入れたり相手の「法」を変えられる事は、絶対的な利益を保証するものです。
欧州にとってはアフリカにはもともとあまり欲しい産物が無かったので、先ず奴隷という形で人を収奪し、その後自分達が欲しいものを作る経済構造まで作ってしまいました。欲しい資源が豊富な現南アフリカについては、ダイヤモンド鉱山の権利はまだ手放していません。
その様に大変身勝手なやり方が植民地政策ですが、第一次大戦の惨禍により国際社会はその配分闘争を取りやめようという気運が生まれ、「侵略」と言う事はタブーになって来ました。
第一次大戦を上手く遣り過ごした日本は、その空気が読めずKYになってしまったため、外交的に最悪な選択をしてしまいました。
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