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台湾の蒋介石政権というのはもともと軍事政権で、民主的とはほどとおい政権だったと思います。これがどうして過去20年ほどで、日本と変わらないほど民主的な国家になったのでしょうか?国民党はそのまま開発独裁のような道もとれたのにあえて野党を認め民主国家になったという理由を教えて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

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独裁者蒋介石の息子蒋経国が民主化の道筋を作り、後継者の本省人・李登輝が民主化の道をまい進したから民主国家があるのです。


李登輝総統がいなかったら台湾の民主化はまだ出来なかったでしょう。

参考URL:http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ogasawara/resu …
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>これがどうして過去20年ほどで、日本と変わらないほど民主的な国家になったのでしょうか?



先ず、台湾の歴史を考えた方が良いです。
中国共産党国定教科書では「有史以来、中国の領土」と記述しています。
が、西欧列強の支配を受けたり、台湾原住民が独自に政治を行なったりしています。
琉球漁民が遭難。台湾原住民に虐殺された事件後。抗議した明治政府に大して清朝末期には「台湾は、清国政府の影響が及ばない地域」との正式回答が明治政府に届いています。日本は台湾統治を目指します。
この時点で、台湾は「(日本式教育批判の声もありますが)近代化の道」を進みます。
台湾の教育制度は、想像以上に進んでいきます。
日本の大学にも、多くの台湾人が留学しています。
この時点で、民主化の基盤が完成したのでしよう。

国共内戦で、国民党が大挙して台湾を侵略。蒋介石は独裁体制をしきます。
中国本土からの移民者と、従来からの台湾人との間には「色々な差別」があったようです。
余談ですが、国民党軍部は「旧日本陸軍よりも残虐」だったようですね。
中国の抗日資料館にある「日本軍に日本刀で首を切られた中国人」の写真では「ナチスドイツの支援を受けた、国民党軍服を着た将校」です。
(日独同盟下でも、中国内ではナチスは国民党に軍事・資金援助を行なっています。)

戦後、既に台湾の教育水準は高かったのです。
ですから、独裁に反対する人達も(党員を問わず)多かったのです。
ニクソン訪中まで、台湾を本拠とする中華民国が「中国」でした。
蒋介石は「アメリカの軍事を必要」とし、アメリカは「民主化を要求」しています。海峡を挟んで、戦時体制のままでしたから・・・。
米中国交樹立・日中国交樹立で、中華人民共和国が中国になり、中華民国は台湾になります。(十数カ国を除き、台湾を国家と認めていない)
世界的視野を持った蒋経国が方針転換で民主化の種を蒔き、李登輝が花を咲かせたのですね。

現在は、中国江沢民の影響を強く受けた馬英九が統治していますね。
(馬英九は、李登輝を徹底的に批判?しています)
中華思想・反日主義で共通認識を持っています。
(馬英九の留学時の論文は、尖閣・琉球諸島の日本からの奪還方法です)
が、自由主義で教育水準が高い住民ですから、馬英九の政策にも注意を持って見ているでしよう。
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地理的条件が一番大きいと思います。


北朝鮮という共産国家に加え、東アジア地域にキューバ同様の
軍事独裁国家では火薬庫になってしまいます。
台湾も中国の影響力を排除するにはアメリカに擦り寄るしかなく、
アメリカの影響が相当大きいです。

民主化をしなければ生き残る事ができなかったのです。
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 小さい国ほど、多様性が少ないので国民の意識統一ができやすく、投資効率も良いので、国民所得の上昇が速くなります。



 国民の意識統一が高く、所得も多くなれば、民主主義に移行しても政治的混乱は少なくなります。

 ただ、あまりにも経済規模が小さいと、経済が独立して運営できないので、民主化に時間がかかり、他国からの支援も必要です。

 人口・国土の広さから言って、シンガポールが自主的政策で成功した最少国家かもしれません。(ただし、シンガポールは、中継貿易によって経済を支えており、自国の生産だけでは成り立ちません。)
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