
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
詳しい人ではありませんが、知っている範囲でお答えします。
エジプト、メソポタミアとも農業耕作のため、暦がつくられました。
月日の移り変わりを知るには月の満ち欠けが、判りやすくこれで一ヶ月を決めましたが、太陽との運行とはずれがあり、農耕にあうよう3年に一度閏月(当時は連大月という)を作り大体あわせました。
太陰太陽暦(今は俗に太陰暦という)といいます。
真の太陰暦は閏月を置かず、そんままで大幅な狂いが生じますが、それを使った国もあるとか。 農業の必要がない国なので。
エジプトも始はメソポタミア同様太陰太陽暦に近い暦法でした。
ナイル川の洪水を予測するため、太陽の代わりにシリウス(ギリシャ語でソティス)星を使うので、太陰ソティス暦といいます。
王朝が出来た頃からこれを廃し、太陽暦に近いものを採用したといいます。
理由は明確ではありませんが、王の治世や在位年月を記録するようになり、より正確なものを求めたとも考えられます。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
おすすめ情報