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歴史好きのみなさん 教えて下さい。
みなさんが日本史上好きな人物は誰ですか?(複数可)
その理由も教えて下さい。
ちなみに私は児玉源太郎です。理由は三つあります。一つは日露戦争を勝利に導いた軍事的才能、二つ目は台湾の統治政策にも見られる政治手腕、三つ目は後藤新平など人を見る目…といった所です。

A 回答 (9件)

葛飾北斎です。

多少、性格が変人だったようですが
(引越し魔、画号変え魔、かたづけられない症候群)
北斎という画号も長続きせず、変えてたらしいですが。
やはり、のこした、後世に残った絵が半端じゃなく
多い。また現代人の自分が見ても彼の絵は
インスピレーションを刺激させてくれます。
北斎漫画で出てくるパンク兄ちゃん&お姉ちゃん
みたいなシュールな髪型の数々、剣術の絵も多いです
北斎の描いた剣士の絵は、たぶん剣士が
素振りか乱取り稽古ちゅうのをスケッチして
絵にしたんだと思うが、普通、人間を
画家がモデルにして描く場合は静止したものを
描く、モデルに動いてはいかん!と言って描く
わけだが、北斎が描いた剣士や武人たちの
一瞬のアクションを一枚の絵に抽出して
北斎漫画に、その数々が載っているが
これらの絵の躍動感たるや静止画でも
北斎の表現の切れ味を感じさせます。
北斎の絵は時代も国境も超えて見る人を
ひきつけます、かのビンセント・ヴァン
ゴッホは北斎の東海道53次の富士と
海の大波の絵を見て
日記に北斎は「波の手」を描いた天才と
評したそうです。
波の手とは、たぶん北斎の海の波しぶきの
表現が人間の手のように躍動感に
満ちていてゴッホが、そう比喩した
らしいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。なるほど。西欧の芸術界にも影響を与えたなんて痛快ですね。勉強になりました。またいろいろ教えて下さい。回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/21 19:30

同じく日露戦争における児玉源太郎、賛否両論あるかもしれないですが乃木希典でしょうか。



児玉源太郎は、日露戦争全体の戦略の立案、満州での実際の戦闘指揮、戦費の調達、アメリカへの講和依頼といったあらゆる局面で活躍した人物です。
当時のロシア日本の約15倍の戦力を持ち、国家予算規模では日本の約8倍という当時世界一の超大国であり、日本側にとって圧倒的不利な状況でした。
それを覆して日本を勝利に導いたのは(ロシア国内が不安定だったにせよ)評価に値すると思います。
旅順攻略戦において二百三高地奪取ができなかったならば、あの日本海海戦もどうなっていたことか…。(東郷平八郎司令長官の優れた戦術、秋山真之、佐藤鉄太郎両参謀による見事な作戦があったとしても)


乃木希典は一部で「愚将」との評価もあるようですが…。また「殉死」についても多々意見があると思います。
かの有名なステッセルとの「水師営の会見」においては、その紳士的で寡黙な雰囲気が、諸外国の記者が持つ日本人観に大きな影響を与えたといいます(どこかの大臣にも見習っていただきたいw)。
確かに多数の兵を犠牲にしたことで、軍事的な才能には疑問もつくのでしょうが、その人格的功績や「武士道」といった面は、日本人が最も忘れている面であるのではないかと思います。

現在の北方領土のことを鑑みて、もし日露戦争に敗退し、ロシアが南下していたとしたら、現在はどうなっているのでしょうね(ーー;)

ということで、日露戦争におけるお二方をあげさせて頂きました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。マッカーサーやペリーといった敵国の軍人の名前は言えるが、 日本の軍人の名前は言えない人が少なくない中、児玉源太郎を同じように評価する人がいることを知り、嬉しく思います。乃木も最近になってようやく指揮、統率、戦術といった軍人としての評価が 見直されつつありますね。おっしゃる通り人各は素晴らしいですね。同時代のどこの国でも通用したと思いますし、後に神として奉られる理由がわかります。陸軍大演習で明治天皇と共に九州入りし、その待機所である水天宮での事。板間で正座する乃木に、宮司はしきりに座布団と楽な姿勢を薦めるが、乃木はここは今は亡き真木(和泉)先生のお宅です。乃木などが座布団を敷かれるところではございません、と脚を崩すことなく不動の姿勢を貫く乃木を見て、宮司は深い感銘を受けた…という話は、乃木の高潔さを物語るものとして、私の一番好きなエピソードです。回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/24 17:47

好きなのかどうかは別として、感心できる人は武田信玄です。


特にあの有名な言葉
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」はしみじみとしたいい言葉だと思います。この言葉どおりに信玄の存命中は自分の居館はやかたであり、城は作らなかったようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。武田信玄には優れた家臣も多いですね。人を重視する信玄と優秀な家臣団が結束したら、とんでもない戦闘力になります。回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/20 07:49

織田信長が好きですが、あくまで歴史上で、側にいくと怖いでしょうね。


 やはり、中世から近世を切り出し、政治から宗教を分離したところはすごいですね。
 安土城の組み立てモデルが発売されて人気があるようですが、築城でも天才的ですね。また茶器を一国一城と同じ価値まで高めた美意識には感嘆します。
 歴史にもしはないとはいえ、もし信長暗殺がなかったら日本はどうなったかと考えたくなります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。q1241xさんのおっしゃる通り、社会は信長以前と以降で劇的に変化してますから、やはり信長は天才ですね。個人的に上司にはしたくないですけどね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 21:14

西郷隆盛


 結局、人の為に最後は逝ってしまった。
 敬天愛人でしたっけ。
 
上杉謙信
 信念の人だった。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。西郷さん、いいですねぇ。あの兄弟、親戚は素晴らしい。「敬天愛人」なんて仏のこと境地ですよ。
上杉謙信も魅力的ですよね。 この人の軍団とは戦いたくないです。
私は西郷さんを上司に、謙信を友達に持ちたいです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 18:44

額田王です。


皇太弟の妻であり、天皇の寵を受けた才女、私の地元(近江)ではどこへいってもその足跡があり、どんな女性なのかぜひ実物を見たいと思います、郷土びいきもありますけど。
元亭主の大海皇子への「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」呼びかけなど、実に堂々とした態度と考えます。
応じた大海皇子も実に立派。

この時代ですと、弘文天皇も悲劇的な生涯を思うと、そのはかなさや哀れさが好きです。
自身は優れた資質を持ち、天智天皇の皇子として生まれながら、母親の身分が低いために皇太子になり得ず、最後は叔父の大海皇子に滅ぼされてしまう、少し前の時代ですと、有馬皇子次の時代ですと大津皇子など、悲劇の主人公は多いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど額田王ですか。渋いですね。確かに彼女の歌を見ても悲哀に満ちた歌が多いですよね。
そういえば、何年か前に名古屋での宝塚公演で、確か月組だったと思いますが
(記憶があやふやなので間違ってるかもしれません)、額田王にまつわる舞台を見ました。
Kindon98さんのご実家は近江ですか。綺麗ないいところですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 17:33

山岡鉄舟(鉄太郎)



幕末の江戸城無血開城に関して、西郷隆盛に江戸城開城の基本条件の合意と、勝海舟との会談の約束を取り付けた人。その際に駿府に駐留していた官軍の中を単身「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大声で告げながら堂々と歩いてみたり、明治維新後、明治天皇に仕えていた際に、酒に相撲をとろうとかかっていった明治天皇をかわし、怪我をさせたにもかかわらず、処罰されるどころか逆に当分の禁酒を約束させたりと、いろいろと漫画みたいな人でもある。
こんな人が本当にいたというのだから世の中分からない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
山岡鉄舟は豪傑と呼ぶに相応しい人物ですよね。
明治天皇も彼から強い影響をお受けになったことでしょう。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 12:43

平将門:裸一貫から身をおこし自らの手で土地を開墾した。

当時として    極めて珍しい庶民に愛された武士。温厚な性格ではあるがいざ    戦となればその天才ぶりを発揮。死んだのちも多くの伝説に語    られる武士のヒーロー。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
平将門ですか。確かにスケールの大きいな人物で魅力的ですよね。
一緒にお酒を飲んでみたい人物の一人です。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 12:36

>みなさんが日本史上好きな人物は誰ですか?(複数可)




A:
◇楠正成(大楠公)・正行(小楠公)の父子
逆境にも屈せずに、南朝に忠義を尽くした忠臣。
「桜井の別れ」「湊川の戦い」「四条畷の戦い」には→決死の思い、忠孝の葛藤、死生観に、何度、訪ねても読んでも涙止まらず。
信じる道を、毀誉褒貶無く、突き進む、哀しくも美しき生き方、死に方に感謝感動を覚える。
翻って、今日のリーダー並びにマスコミの浅薄な言動、忠孝・責務の軽視に、身勝手な処世に、嘆き憂いを強く感じる・・・国&国民の行く末に。

◇山中鹿之助
尼子家再興にかける、情熱・苦難・屈辱の繰り返しにも、挫折、曲がる事無く、初心を忘れず貫いた悲運悲劇の武将、もののふの心。
彼の作と言われてる
「憂き事のなほ此の上に積もれかし限りある身の力ためさん」
は、私の座右の銘にさせて頂き、ピンチや難局にも屈することなく、試練・修練・必ず超えられる障壁だと信じ、チャレンジして来ました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も楠公父子の桜井の駅は好きなエピソードの一つです。
また山中鹿之助の忠義や不屈の精神も見事ですよね。
確かに、彼等はこの平成の御世の社会が、なかなか持ち合わせていない何か高貴なものを持っているような気がします。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 12:30

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