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私はとある書の会に所属しています。
まだまだ経歴は浅いのですが、展覧会出品の際、
たとえばいくら私の作品が優れていても、
実際のところ、経歴の長い人が優先的に推薦されたり、
立派な賞を授与されやすいのでしょうか?

また、たとえば違う会の展覧会に出品することは
できますか?
仮にできたとして、やはり他の
会ということで、純粋に書の良しあしというよりも、
審査員の方々は自分のお弟子さんを推薦する
傾向があるのでしょうか?

A 回答 (4件)

はじめまして。


私の結論を述べますと、展覧会に出品するならば、その展覧会の系列の団体に属しているのが有利です。
もしここで本当に優れた作品を書いたとします。

(1)個人や展覧会系列とは関係ない少人数での出品の場合
×審査員の好み、展覧会の傾向が分からない。
×他団体で少数の為、その作品の審査選考が少し雑になる。
このような欠点はあると思います。

(2)展覧会系列の団体を通して出品の場合
○展覧会に送る前に、その系列の団体の中で審査され上位に位置付けられた後、審査員のもとに送られる。
○審査員はその順序を参考にし、上位何人には入賞等の判断を決定する。
○審査員が自分の団体の場合は、まれにアピールしてくれる。
このような長所はあると思います。

展覧会ならばこういった長短はあると思います。ただし、本当に良い作品は必ず入賞します。弟子が下手なら入賞は絶対ありえません。
下手な人が入賞するのは三流の展覧会です。

展覧会に向けて本当に良い書作品を一人で書き上げるならば、その展覧会系列団体の練成会などに参加し、
審査員の審査ポイントを知るということもすべき事だと思います。

そのポイントを知らず、自分の書作品は素晴らしいのに!
…などという自己満足はやめてくださいね。
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私は書道を始めて十年になります。

現在も教室に通って楷書、行書、草書、隷書を勉強しております。ここ五年間は無欠席です。ここ数年は、市展、県展、新聞社主催の公募展などに出品して現在の実力を確認しています。その際は、少なくとも、二ヶ月前より毎日二時間以上反復練習をします。日曜は終日練習です。確かに、審査委員の好みの書風や弟子への配慮はあるとは聞いています。入選、入賞するに越したことはありませんが、私は、それより自分のレベルアップが目標です。人に感動を与える作品が出来れば入選、入賞は出来ます。私は実証済みです。あなたは、賞を取る為に日々精進しているのですか?あなたの書に対する取り組みが曖昧な様に思えます。私は、違う展覧会に出品しないのが常識とは思いませんし、そんなことで先生に嫌われるなら、先生を選び直せばいいと思います。決して汚い世界だとも思っていませし、ウラの世界云々を考える暇があれば、筆をとって練習しなさいといいたいです。そうすれば自ずと色々なことも見えてくるとおもいます。
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Qまだまだ経歴は浅いのですが、展覧会出品の際、たとえばいくら私の作品が優れていても、実際のところ、経歴の長い人が優先的に推薦されたり、立派な賞を授与されやすいのでしょうか?


Aその通りです。

Qたとえば違う会の展覧会に出品することはできますか?
A違う展覧会に出品しないのが書道界の常識です。出した場合先生から嫌われます。 たまに頭が柔らかく、他の展覧会に出すのも大丈夫と言う人もいますので確認するのがいいと思います。また仮に出品出来たとしても自分の展覧会の書風に合わないため審査せずはじかれることがあります。

Q他の会ということで、純粋に書の良しあしというよりも、審査員方々は自分のお弟子さんを推薦する傾向があるのでしょうか?
A他の会という以前にどこでも行われている現象です。メジャーな書道展覧会の場合、審査員の弟子、審査員にワイロを渡して賞を受賞した人が合わせて全体の9割いますので純粋に勝負しても賞は取ることができません。取れた場合、実力では勝っていますが、地位では劣っています。ワイロを貰っているので、誤字はいけないのに、見たときに面白ければいいのだという本末転倒な審査員がいてワイロの金額により賞をあげています。こんな審査員はいらないですよね。この審査員も無名時代はワイロを渡して賞を受賞を重ねてきたのでこんなことが平気で出来るのです。

このように汚いのが書道界なのです。 中には出来レースを行わない展覧会もありますがほとんど無いと言えるでしょう。

この回答への補足

補足ですが、、ただ芸術の世界はオリンピックと違って、書の世界は記録がはっきりとでないので、審査をする基準が非常に微妙で難しいのも事実です。それが上記のような縦の癒着が生まれる原因の一つかと思います。いろいろ意見を言わせていただきましたが、このような書の世界ですので、自分自身だけの目標を作って、そして頑張っていくことが大切ですね。ありがとうございました。

補足日時:2009/04/11 08:58
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。このようなことがあるってことを、薄々感じておりましたが、やはり歪んだ師匠と生徒の癒着があることは否めないようですね。もちろん、そのようなところばかりではないと思いますが、書を学んでいく上で、展覧会などが一つの目標になればと考えておりましたので、ちょっと残念ですね。たとえば、オリンピックのような競技はそのような癒着はきっとないですね。そしてこの世界的権威のあるメダルを一つの目標に掲げて、アスリートは自分の種目に没頭でき、精進できるのと同じように、書の世界もこうであってほしいものでしたが。仮にもしオリンピックで最高の記録を出した選手に、メダルを授与する仕組みでなく、純粋にお互いの記録を褒めたたえるだけのものだとしたら、そこまで選手を奮い立たせることもなく、記録もそんなに伸びることもない、実に味気ないオリンピックと言えるでしょう。書の世界も私は同じようなことが言えると思います。もちろん、皆さんがおっしゃられるように、純粋に書に没頭し、楽しむ。それでもいいでしょう。しかし、人は目標を掲げた時、自分の能力を200%絞り出す力も兼ね備えているのです。

お礼日時:2009/04/11 08:56

僻んだ気持ちで展覧会を考えているならどこへも出品しない方がよい。

例えばあなたの子供が運動会でかけっこうしたとき自分の子供が勝てばいいと応援していませんか?皆一等になれと応援していますか?
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