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イギリス帝国(大英帝国)18世紀以降、急速に強くなり、近隣諸国(フランス、スペイン)を圧倒し「太陽の沈まない国」になりましたが、どのような歴史的背景が関係しているのでしょうか?
当時のイギリス独自の科学技術や軍事力があったのでしょうか?
非凡な才能の軍師がいたのでしょうか?
世界ではじめて産業革命を経験したのは18世紀末のイギリスですが、それまでに世界を圧倒できたのは別の要因が考えられますか?

A 回答 (6件)

>世界ではじめて産業革命を経験したのは18世紀末のイギリスですが、それまでに世界を圧倒できたのは別の要因が考えられますか?



ということですが、産業革命以前は英・仏の力関係は拮抗、もしくは若干仏が優勢だったようです。よって、18世紀中盤以降の産業革命の進展により英国は覇権国家にようです。ではなぜ産業革命が英で起こったか?大真面目に「偶然」だったとする学者もいるようです。他の回答者さんたちが上げられていることも一理あるとおもいます。すなわち、一つの理由が挙げられない・・・

では、他があげていない理由としては、
・中間層(ミドルクラス)の力の伸長と国民の貿易に関する理解
これは、中間層は国内で土地所有や爵位保持のチャンスはほぼ皆無でしたが、貿易により貴族から土地や爵位の売買するだけのお金を手に入れたり、または貧乏貴族との政略結婚で上へ行くチャンスができるため、まずは貿易でお金を手に入れようとしました。
商人たちは、ただ私欲のためにお金を使うだけでなく、貧民救済のための資金投与も行われたため(慈善活動ではなく偽善活動が大半だったようですが)国民も中間層の貿易商人を支持しました。これは他国にはない現象です。この貿易活動は国にも莫大な利益をもたらすため、法整備も進みました。

・国民の統合
イングランドはスコットランドを、大合同後はブリテンはフランスを敵とみなすことで国民の団結を図りました。これも常に外部の敵だけでなく内にいる敵と戦う必要のあった他国とは違います。

・その他
農業生産力の向上、船舶建設の技術、船舶建設のための原料供給地、海軍に対する畏敬、動力革命に必要だった石炭の供給、階級の垣根を越えた知識・情報の交換の場(コーヒーハウス)の存在

まぁ色々あります。これらを一つ一つ考えてでた結論が“偶然”なのだから本当に良くわからないのでしょう。
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この回答へのお礼

スペイン人,オランダ人,フランス人との200年以上に渡る戦争の末,1763年(パリ条約)で、英国が世界一の貿易収支および植民地大国と認められた訳ですが、何ともそれまで二流の国がのし上がったのが不思議です。

>大真面目に「偶然」だったとする学者もいるようです。
分かるような気がしますね。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:30

 他の回答者さんが、言及していない重要な事柄。



 17世紀、世界の強国・富裕な国と言えば、インドのムガール帝国と中国の清朝。人口もイギリスの10倍以上。
 有名なインドのタージ・マハール廟に使われている白い大理石はイタリア産だとか。膨大な量を輸入するコストはどれほどだったか。

 イギリスは、中国などからお茶・陶磁器・絹織物など、インドから綿織物・香辛料を輸入しましたが(中継貿易で他のヨーロッパ諸国にも輸出し手数料を稼いでいた。)、ヨーロッパからアジアに輸出する物は大したものがない。そのため、ヨーロッパの銀が大量にインドや中国に流れていって、インド・中国が富裕になったのです。

 この富裕なインドを100年以上かかって植民地化することで、イギリスは、世界の大国にのし上がりました。その過程でインドは綿布の輸出国から、綿花の輸出国に転落し、インドの綿花を使って機械で大量生産された綿布を買うようになり、インドの富はイギリスへ流出するようになりました。

 しかし、清朝とヨーロッパとの貿易は依然として、ヨーロッパ側の大幅な輸入超過が続いていました。(中国は基本的に朝貢貿易ですから、貿易的には鎖国にちかいのです。例外的に広東だけが外国に開かれていました。そのため、中国のようにお茶・陶磁器・絹のような少量でも単価が高い交易物がないヨーロッパ側から中国に、銀が常に流れ込む状況でした。)

 そこで、イギリスから中国への輸出品の切り札として、18世紀末に「アヘン」が登場したのです。
 アヘンをインドで生産し、それを中国に密輸出して、お茶を筆頭とする中国物産を輸入することで、中国との貿易不均衡は解消し、それどころか中国が大幅な輸入超過に陥るようになります。中国からその代金として大量の銀が流出し、銀を主軸通貨とする中国では、物価が急上昇して庶民の生活を直撃、麻薬中毒患者の急増と相まって、社会が乱れ始め、国力は急激に低下していきます。

 19世紀にイギリスはインド・中国という富裕な地域を食い物にして蓄積した資本を使って、産業革命を急速に進めました。 

 ハーグで1912年、万国アヘン条約によって禁止されるまで、イギリスは中国にアヘンを輸出することで、莫大な利益を上げたのです。
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この回答へのお礼

三角貿易の時には、すでに英国の独り勝ちの時代だと思います。
パワーバランスは完全に英国に傾いていました。
それよりも100年前にヨーロッパ、中東で英国が抜きんでることが出来たのはなぜでしょうかね。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:31

民主化の理念はフランスが先行していましたし、


法学・哲学などではやはりドイツの理論が先んじていたように思えます。
にもかかわらず、他でもないイギリスが何故世界帝国となったのか。
軍事や科学技術、そして国家の発展に最も必要なものを
世界でいち早く整備した結果です。




それは何か。やはりお金です。






正確にはお金を稼ぐための論理、システムを徹底的に整備しました。
まず自由主義の確立です。大航海時代はヨーロッパ全体を発展させましたが、
一方で現代にも通ずる問題が生じました。一国の単位で見た場合、
強い他国産業に自国の産業の弱い部分が負けてしまう、といった事態が
発生したのです。

各国はその対策を「関税を高くして自国産業を保護し、他国の資本を締め出す」
といった形に求めました。「保護主義」の始まりです。当然、大航海時代の効果
そのものを否定するこの行為は、かつてない不景気を呼び込んだのです。
そして、イギリスはこの不景気から最初に脱出します。アダム・スミスら
により提示された発想である自由(放任)主義を採用したのです。
これは、「人間は相手に利得をもたらす為に働く」という発想から、
数々の規制を撤廃していきました。





規制が無くなれば、後は正しく投資を行えばそれ以上の儲けが発生します。
これを簡単に行うことが出来るのは、やはり株式です。
投資はある程度の金額のプールが必要ですが、株式はそれを分割して
庶民にも行えるようにしたのです。イギリスはこの制度にもいち早く着目しました。
1801年の時点でロンドンに証券取引所が建設されています。
この株式取引により、イギリスは大規模な投資を簡単に行えるようになったのです。

ですが、株式にも問題はあります。実際に営業を行っていない会社であっても
株の売買上は高値を付けることが可能なのです。やはり現代にも通じる問題である
バブル経済です。1720年、イギリスは「サウス・シー・バブル」事件を経験します。
およそ270年ほど日本の先を行っていたわけです。






さて、ここからがイギリス、そして同様の考え方を採用した
アメリカが以後の世界を支配した最大の理由です。

イタリアで生まれ、フランスやドイツで成熟した"会計"つまりお金の管理の発想は
「法律上の権利者(債権者)の保護」を謳っていました。権利・法律の概念が発展した
大陸ならではの発想で、これは「大陸式会計(フランコ=ジャーマン)」と呼ばれます。
一方でイギリスはサウス・シー・バブル後の改善案としてかつてない
画期的なアイデアが採用されます。「英米式会計(アングロ=サクソン)」
別名「時価会計」です。


そもそもバブル崩壊は、正確に権利の価値が
測定できないことに端を発します。大陸式会計では計算上の利便性を優先し、
取得時の価格を重視しますが、これだと今現在の価値が仮の数字になってしまいます。
一方、時価会計によれば、より新しいデータにより会社の情報を更新し続けるため
より正しい会社の姿を映し出せるのです。

さらにバブル崩壊の調査委員が出した結論も画期的です。
それまでは悪い商品(あるいは株式)を買っても、それは買う人間が情報を集めなかった
せいだ、という発想でした。そこでこれを、「売方注意」とすべきとしたのです。
つまり、売るときに悪い商品であると説明しなかったほうが悪い、という発想です。
後にここから「消費者保護」の発想も生まれることになります。



これらがどういった効果をもたらすか。現在の会計の大前提である「投資家保護」の
発想を生んだのです。言い換えれば投資家により多くの情報が伝わることで
安心感が生まれるわけです。
買うことに対して安全性が確保されていれば、あとはためらう必要はありません。
イギリス人の投資はバブル前以上に一気に拡大したのです。
お金さえ確保されていれば、後は軍事的に優位に立てるのも自明です。



物を買うことが罪ではない、むしろ幸福を増大させるという自由主義が生まれたこと。
これにより消費者や投資家に正しい情報を伝えたこと。結果として物を買いやすい
社会を作り上げたこと。この幸福追求のための経済理論こそが、イギリスとアメリカの
特殊性であったと考えます。
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この回答へのお礼

>それは何か。やはりお金です。

まさにその通りですね。圧倒的な海外からの、特にライバルの国家からの大量の資金の流入が必要だったと思いますね。
しかしバブルはイギリスだけでなく、オランダ、スペインにもあったのでなんとも分からないですね。

英国はもっと汚い手を使って世界帝国になった気がします。
海賊船や私掠船は政府公認の民間武装船でしたからね。そこからの資金流入が気になります。
参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:38

大本には、民主主義の成熟があると思います。


一つには「野党があってもいいじゃん」という考え方、受け止め方。
最初の首相と言われるウォルポールが首相だったのが1721 - 1742。選挙で負けたら、首相を辞めちゃいました。選挙で勝てば、野党だったものが政権を握れると言うことを示しました。これによって、野党の人間は、現状に我慢できるようになります。次の選挙で勝てばいい!ということで。
一種のガス抜きです。これがないと、暴力に訴えて現政権を倒さないとなりません、あるいは、海外勢力と結びつく。
ガス抜きができないで、革命まで突き進んじゃったのが18世紀のフランスです。
民主主義のもう一つの側面が、政府から個人の権利が守られていると言うこと。あるいは、財産が守られていると言うこと。イギリスから独立したアメリカのテーゼが「代表なくんば、課税なし」ってやつです。1776年がアメリカ独立ですから、当時のイギリス人の考え方そのままなんです。これが、信用創造に結びつき、資本主義を育みました。フランスは今でも一人あたり「純金保有」が多い国です。いざというときに「投資」しないで、タンス貯金しちゃうので、投資が行われにくい。また、個人の財産として特許法が整備されました。技術に投資して、ちゃんと回収できる(他人に特許を使われない、あるいは他人に売れる)ということになったので、技術開発にインセンティブがつきました。
三つ目が、税金は少ない方がいいという選挙民の意向が働きました。これはなにかというと、イギリスには常備軍が育たなかった事に結びつきます。常備軍が貧弱なので、外交で「欧州大陸国家同士を争わせる」というのが基本になりました。

科学技術で言えば、18世紀で考えると、微積分はイギリスのニュートンも独のライプニッツも発見しているし、18世紀のフランスの科学もすごいものがある・・・それが技術という金になるものに変化できたのがイギリスで、変化できなかったのがフランスと言うことになります。
軍事力では、大陸の諸国の方が圧倒的。
非凡な軍師というより、凡人の力が上手い具合に集積できたのがイギリスなんじゃないかと。
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この回答へのお礼

内政の成熟は成長の大きなカギですね。
世界強国としての英国の研究はいろいろな事を教えてくれますね。
しかし、英国による世界支配はもっと大きな影響力が働いていたとしか考えにくいです。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:48

ヨーロッパの小さな島国であった英国が大英帝国として


世界に君臨したのはさまざまな歴史の積み重ねの結果で

1 16世紀 ヘンリー7世による貿易振興 新大陸の経営
  海軍の増強という考えが出てきた
2 ヘンリー8世の新教旧教でない英国国教会設立が結果として以降の  自由貿易にあっていた
3 エリザベス1世の時代 スペインの無敵艦隊を破り
  世界の制海権を握った
4 産業革命により世界の工場となり蒸気船の製造を行い自由貿易を振  興
5 「統治すれど支配せず」という植民地側が受け入れやすい自由貿易  帝国主義のもと
  インド 中国 南アメリカ地区の植民地化を進めた
6 鉄製蒸気船による電信をベースにした海運ネットワークを作る
  (情報を有利に展開)
7 ビクトリア女王のときピークを迎える

結論としてこれらの相乗効果により大英帝国はつくられました
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この回答へのお礼

世界強国としての英国の研究はいろいろな事を教えてくれますね。

参考となる意見に感謝します。

お礼日時:2009/04/04 13:51

大学の教授から聞いた話です。



19世紀イギリスの原動力となったのは自助自立の精神だそうです。

1858年にサミュエル・スマイルズが書いた自助論という本が、イギリス国民に影響を与えたとされています。
ちなみに、その本は明治維新後に日本でも翻訳されて出版され、日本の近代化にも貢献しているそうです・・
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この回答へのお礼

参考となる意見に感謝します。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/04 13:50

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