プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

このサイトで質問すると批判的な回答も寄せられます。それはそれで仕方がないことなのでしょう。

 しかし目に余るほどに誹謗中傷を含んだ回答を寄越す人のプロフィールを見ると、必ずといっていいほど質問は一度もせずに、回答は数え切れないほどに繰り返しているのです。

 彼らは何を目的に回答するのでしょうか?また彼らのどういう心理がこういう行動に導くのでしょうか?よろしくお教え願います。

A 回答 (33件中1~10件)

質問しない人ってたいてい「自分でしらべればわかるから」って言われるのですが、これってこのサイトを利用する理由にはなってませんよね。



自分で調べて満足してるならべつに回答する必要はありませんし。

私も質問より回答が多い人間なのですが、それは質問者さまとのコミュニケーションを楽しんでいるからです。
ここなら自分の日常では会わないような人ともコミュニケーションがとれますし。

いってみれば匿名掲示板感覚です。
実際の匿名掲示板は怖くて使えませんが、ここならある程度ルールが決まっているから安心です。

批判している人も批判することでコミュニケーションを楽しんでいるのだと思います。

匿名掲示板で批判する人とちかい感覚なのではないでしょうか。

この回答への補足

理屈になっていないから面白いですよね。彼らはなぜ質問するのが恐いと認めたがらないのでしょうか?質問しかしない人はすんなり回答するのが恐いと認めると思います。したいけどできない。これでいいのではありませんか?よろしければお答え願います。

補足日時:2009/04/07 23:58
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この回答へのお礼

質問する必要もなければ、回答する必要もない。質問がなければ回答もできない。当たり前ですね。もちろんどちらか一方でもかまわないのですが、そんなにたくさん回答するほどの知識と好奇心と善意があるなら、一度くらい質問してもバチは当たりません。彼らの言い草は明らかに矛盾と欺瞞に満ちています。おっしゃるようにただ批判したり、そうでなくともおせっかいがやきたいのでしょう。明らかに思考活動としてはバランスを欠いています。ズバリお答えいただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/08 00:05

● 自分も回答専門の参加です。


 もう50代。新しい知識を身につけようとはあまり意欲は有りませんが、これまで身に着けてきた知識が衰えていくのが自分で良くわかる年齢です。
 使わなければ知識というものは消えうせていくのですね。かなりの期間苦労を重ねてようやく理解したことも、時がたつとそのときの感動や驚き、そしてその知識自体も消えうせて行くのです。
 数学の整数論分野への興味からサイト検索をしていて偶然このようなサイトが有ることを知り、はっとして思い出したのはコンピュータのメモリーの仕組みです。クロックにあわせて、回路がONになっていればそこに新たに充電し、OFFであれば充電せずに、同じことを繰り返して、メモリーの揮発を押さえこんでるのです。
 自分の興味や関心を持つことにはまだまだ探求的で知識欲は貪欲ですが、ついつい考察に及ばない分野が出てきます。知識はメモリーに似たところがあって、使わない分野は充電できずに、すぐに忘れていきます。
 このサイトの質問は、質問者の疑問から出発して、全くランダムに行われています。それがいいのです。
 有る意味、知的リハビリとでも言いましょうか・・・自分に負荷をかけて、知識をリフレッシュさせるのです。それが自分という存在の維持には非常に効果的であることを発見した次第です。

● このサイトのポリシーの1つに質問者の自発性の尊重、丸投げ禁止といったことがあると思います。ところがこれが時折『混乱の種』になっているのではないかと思うことがしょっちゅうです。このポリシーは『能動的な学習理論』に基づくものなのでしょうが、人に聞かなければならない状況は、本人自身の力では混乱を整理できない状況が前提ですよね。この混乱から自発的な解決に至るプロセスに対する理解に”何か”が欠けている。それは何なのだろうか?と最近考えています。
 「丸投げは禁止です」といった文章から始まる回答は、傍から見て気持ちの良いものではありませんね。非常に高圧的、威圧的に感じてしまうのですけれど・・・。
● これは、このポリシーが『質問者の疑問を解決する力を育てる』という、質問者側のみの要素のみを考慮に入れていて、”回答者の立場を忘れている”のではないだろうかと思っております。
 『回答者はなぜ回答するのか?』簡単に記憶だけで答えられる場合も有りますが、場合によっては疑問への回答を得るために数時間の調べ直しや不足する情報の収集、そして面倒なサイトへの打ち込みに力を入れて取り組むのです。それはなぜなのか?そこを忘れているとしか思えません。
 石川啄木が自分の句作を『悲しき玩具』に例えたように・・・私なら、
 『悲しき玩具ひとつ 量子論』(ichiro-hot詠)
 質問者の疑問を解決するというだけでなく、回答者の内面世界にとっての価値があると思うのですが。自分の場合、それは他者への優越感とかとは、全く無縁のものです。(あくまでも私自分の場合に限っての話ですよ。)
● 自分はこれまでに構築してきた自分の知的構造を維持し再生産するために回答するようになりました。有る意味、自己確認の手段として回答を行っています。中学生に回答するときには中学時代の自分を、高校生には高校生の自分を、大学生には大学生の自分をリフレッシュするのです。ともに考えることによって、躓いているところを見つけ出せたりすれば、それでいいのです。
● 自分は、例外的な場合を除いて、自分の専門分野=化学・物理・数学・(たまに生物・天文・地質)での回答に限るようにしています。それは正しい解答がはっきりしているからです。ライフ領域とかは、参考になりますが、ほとんど回答することはありません。(自然科学分野以外はこれが3度目?)
 これじゃ丁寧すぎるかなぁ?これじゃ相手を依存的にさせてしまうのではないのかなぁ?そういう心配のほうが大きいようです・・・
● 人生面等、自分で解決できそうにないことがたくさん有り、それはそれなりに深刻です。でもそれを質問しようと思ったことは『まだ』有りません。それは、むしろ重く・深く・解決には長時間がかかり、相談してどうこうなるものでは無いと自分でわかっているからです。解決の糸口が見つかり、テクニックの段階とかでそれをいかに効率的に行うかというような、その段階になれば相談箱で・・ということも有るやも知れません。
 人生のあれこれにまつわるいろいろな問題は、それは山ほど有りますが、確かな『正解』も『誤答』も有りませんね。深刻であればあるほど、自分の中にしっかりとホールドして、問題を暖め、整理し、決断にいたるタイミングを推し量ることも必要かと思っております。
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この回答へのお礼

私も回答の利用はしますから、回答の意義は理解します。
皆さんの多くのご回答に感謝します。この場をお借りして御礼申し上げます。回答者さま、お返事が遅くなり申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/28 10:44

わざわざ人の怒りを煽っては悦ぶ性質の悪い人も確かにいますが、そういう人は「必ずといっていいほど質問は一度もせずに、回答は数え切れないほどに繰り返している」とまで言われてしまうと、さすがに回答のみの自分としては不快になると言わざるを得ないです。



何人かも言っていますが、質問をしないのは「するほどの事でもない」「自力で解決不能なほどの質問がない」と考えるからであって、心が狭いわけでも、質問者のあげ足を取って悔しがらせたいとか、まして「ありがとうポイント」が欲しくてなんて情けない理由じゃありませんよ。(そもそも嫌な回答をして感謝されるわけがないですから)

ムカつく気持ちも分からないでもないですが、自分の価値観を全て正として、望む回答が得られない腹いせに、質問をしない人を罵る同士を求める質問じゃない質問を多く執拗に投稿していると更に反感を買い、削除等されて悔しさが増す結果になりかねませんよ?
現に某さんがそうですし、判定が微妙ですが、意見表明(意見募集)や議論などを目的とした投稿は削除対象ですから。
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この回答へのお礼

私は質問、回答、お礼のいずれもします。この点ではバランスしており、何ら責めを負いません。もちろん皆が、私のようにしなければならないと言うつもりはありません。あなたはまだたくさんの回答をしたわけではありませんから批判は慎みますが、回答専門家とは『教え魔』なのです。質問が存在する以上は回答するもしないも自由ですが、質問がなければ回答もできず、このサイトは必要もありません。「自分で調べればわかる」この手のお答えは何回も聞きました。自分で調べてわからないから質問するとはかぎりません。あなたも日常生活では質問も回答もお礼もしているはずです。例えば人には尋ねづらいことを打ち明けたり、いろんな利用法が考えられるのがこのサイトです。お返事が遅くなり申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/28 10:26

回答ばかりの人にも、きっといろんなタイプの人がいるのでしょうが、受け止め方なのではないのでしょうか?とりようによっては、pokoperopoさん自身が回答ばかりする人に批判的だとも取れますし、そういう私もpokoperopoさんを批判してることになるのかもしれません。


人は自分がこうありたい。と思うと同時に、人はこうあるべきという理想をいだくのではないのでしょうか?その範囲を大きく逸れたとき、人は他人を批判し、嫌悪感を抱くのではないのでしょうか。ですがその範囲の基準は自分ですから、自分と相手との相対的な関係になります。ですから、人が人を批判するのは、回答ばかりする人の『こうあるべきと思う基準』がずれているか、その許容範囲がすごく小さいか、もしくは質問者が批判されるべきほどにずれているかのどれかだと思います。はたまた回答者が正当な批判をし、それを質問者が謙虚に受け止めていても、それを読んでいる、他の読者がずれていたり、許容範囲が狭かったりする場合もあると思います。もしくは、ただ単に語彙力・読解力不足により、真意が正しく伝わってないということも考えられるかもしれません。ですから、目的は何かというのは、みなさんそれぞれでしょうし、批判的な人も、そうでない人も目的に差はないのではないのでしょうか?3者間(質問者・回答者・読者)の『ひととなり』の違いだと思います。テレビで曹洞宗のお坊さんが話していたのですが、人がこうあるべきという基準や考え・行いは、本能には備わっておらず、学びからしか得られないのだそうです。ですから、こういう質問や回答は自分を見直す良い機会なのだと思います。だから、批判的な人もそれを読む人もそれでよいのだと思います。まともな意見だけがためになるとは限りませんし、『人のふり見て我がふりなおす』ということもありますから、ありがたいことです。なんか、質問から逸れ気味でごめんなさいm(__)m
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この回答へのお礼

人それぞれの利用目的があること、それを尊重するに吝かではありません。しかし回答しかしない人は質問しない理由を、判で押したように「自分で調べればわかる」とうそぶくのです。回答専門家は「教え魔」です。真面目な回答専門家ほどこの傾向が強いのです。質問しかしない人は「教えてさん」です。彼らは経験が浅いです。あなたも私も質問者、回答者、読者の三者を兼ねています。頻度こそ違え、ある程度の謙虚さを持ち合わせればこのスタイルに落ち着きます。なぜならすべての利用者は読者を兼ねており、質問と回答との両輪でこのサイトは成り立つからです。もちろん質問や回答を強制はできません。しかし多くの回答専門家は質問の重要性を認識していません。質問専従者も同じです。彼らの多くはお礼を出しません。皆がそれぞれの役割を尊重すべきだと思います。ご批判は厳粛に受け止めます。お返事が遅くなり申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/27 05:01

スレッドをたまたま発見し、心配になったので書き込みます。



心理学の専門家でなく、また、あえて誹謗中傷を書こうと思ったこともありませんが、回答専門の参加者です。

ここで質問をしない理由は、すでに出ていますが、検索すればたいてい事前に解決するからです。

だからといって、質問される方々を「よほどのバカ」などと思ったことはありません。
人には必ず得手不得手があり、PCがそれほど得意でない方がこのようなQ&Aサイトを利用されるのは当然と思っているからです。

「質問と回答との双方をしたことがある者と、真っ向勝負の「ケンカ」」というとらえ方は、おそらく一般化しない方が良いのではないかと思います。

決して仕事はヒマとは言えませんが、困っている方のお役に立ったという手応えを画面上では感じられることも少なくないので、お手伝いをしています。
また、記憶があいまいな部分は裏をとるように心がけていますので、それが自分自身の勉強にもなり、そういう面でも回答する意味はあるのです。

ただ、善意で回答したつもりでも、説明が悪いせいか、気分を害される質問者の方もいらっしゃるので、PC越しの問答は簡単ではないと感じることもあるのですが。

質問者も回答者も全て善人と言えないのがネット世界の限界ですが、それでも、書き込み自由の掲示板に比べて、まだマシと思い、参加させていただいています。

Q&Aの趣旨から外れた書き込みは削除をお願いするとして、十把一絡げで質問者と回答者が敵対することは不幸なことであるとお考えいただけないでしょうか。
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この回答へのお礼

最初に申し上げておきますが、私はあなたと悪質な回答者とでは雲泥の差があると認識しております。なぜならあなたの文面からは誠意が読み取れるからです。回答者の中にはPCの扱いに長けていて、私のように携帯からの投稿では到底及びのつかない、役に立つ参照を紹介される方もいらっしゃるのは承知しております。お返事が遅くなり申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/27 04:24

こんばんわ。



心理学はキライですが、
まあイヤよイヤよもスキのうち、ということにして
たびたび回答している者です。
面白そうなので参加させてください。


当方も、どちらかというと回答の方が多いです。
ここは、
パジャマにちゃんちゃんこを着たまま、
あぐらをかいて頬杖をついて、酒やお茶を飲みながら
無料で他人の意見を聞くことができる場所で、
たいへんありがたいです。
拝見しているうちに、何か言いたくなることもあり、
そんなときに、同じく無料で意見を言わせてもらえる、
そんな、ありがたい場所です。


人が生きる目的のひとつ、
あるいは生きるための必要不可欠な条件として、
「社会参加」というのがあると思います。
これ、ものすごく、人にとって必要なのでしょうね。
たとえば、国のために武器を持って戦う、とか、
豊かになるために睡眠を削って車やテレビやクーラーを作る、とか、
体が老朽化してきたら近所の子どもと遊んでやる、とか、
こういうのは、
一次関数のグラフみたいに結果が分かりやすく、
また、x軸の需要が∞、y軸の値は、それ相応、という感じで
参加することを求められていたため、
とても参加しやすかったのではないかと思います。

ここは、「もっと!」「参加したい!」「もっと!」
だけど、「もっと!」の「対象」が見つからない!
という人が参加するのには、とてもありがたい場所です。


それなりに責任を持って回答を書いている方もおられますが、
基本的に回答は言いっぱなし・言い逃げOK、
責任は問われません。
回答者にとっては、とてもありがたい娯楽になりえます。

言語や表情や体温や皮膚や粘膜のやりとりの場合、
無責任・誠意がない・うそつき、というのをやっていると、
人が離れていく、という「痛い目」に遭いますが、
電子媒体においては、
害を受けとらずに毒だけを流すことができてしまいます。
回答者にとっては、とてもありがたいマスターベーションになりえます。


しかし真摯に回答しておられる方もおられます。
その人たちは、回答することによって、質問者が喜び、
そのことで自分が喜ぶために回答している、
つまり自分の仕合せの種を質問から拾わせてもらっている、
つまり自分が質問者に甘えている、
ということを知っているのではないかと思います。
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この回答へのお礼

宙ぶらりんさんのご意見はとても参考になります。このサイトはQ&Aの体裁を繕ってはいるものの、所詮はエンターテイメントにすぎません。要は利用者個人の興味度に応じて楽しめばいいのです。しかし「回答専門家」には楽しませようというサービス精神が見られません。自分が質問したらどんな回答が寄せられるか想像したら楽しいではありませんか。回答する側のマスターベーションとは頷けます。私も回答するときに「オレはこの程度の質問なら答えられるぞ」と悦に入っているからです。回答だけならやり逃げもありですしね。しかしですね、ぽこぺろぽというニックネームにおいて質問するのは、批判に曝されるとかなり堪えるのです。私の頭の中身がある程度は知れてしまうからです。しかも無知なふりを装わなければ、警戒されて回答が寄せられません。少なくとも質問を発する段階においては、愚鈍のおかしみがないと構ってもらえないのです。バカなりにプライドを捨て切れない私にしてみれば、ちょっと理不尽に感じます。しかし質問者には回答者を採点するという、伝家の宝刀がありますからやめられません。私も自信を持って答えた回答に良回答が認められないと、卓袱台をひっくり返したくなります。もしかしたら皆さんもそうかなと考えると吹き出してしまいます。なつかしのジュリアナ東京に例えると、質問とはお立ち台で踊ること、回答とはフロアで踊ることです。せっかくお立ち台に立ってもさっさと帰ってしまえばシラけます。またフロアからお立ち台で踊る女性のパンツを、オチ〇チンを追っ立てながら批評しているだけの者は変態です。「ブス、退場」と罵声を浴びせる、空気を読めない者は出入り禁止にすべきです。時にはお立ち台に立ちフロアを見下ろし、フロアからもお立ち台を見上げながら踊るから楽しいのです。それがディスコなのですから。♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン!宙ぶらりんさんほどの名ダンサーは、時にはお立ち台でパンツを見せなければ宝の持ち腐れです。これほど多くの回答をお寄せいただいたことは、僭越ながら私のダンスを少しは楽しんでいただけたからだと考えております。お返事が遅れて申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/27 03:10

誹謗中傷はしませんが回答専門の者です。



私が質問をしない理由は「物を調べるのが好きだから」。
このサイトで質問せずにネットを徘徊して調べます。
あと、文章を書ける時と書けない時が極端に違っていて、
「質問する時には書けても お礼文は書けない」などと失礼な事をしてしまうのが予想される為に質問はしません。

回答をするのは「貧乏性だから」。
自分の中にある知識を、自分の中だけで留めておくのがもったいないからです。
出して減る知識ではないので、私の回答で役に立つならどうぞ!ってトコです。
かつ、私は障害関係の回答が多いのですが、この障害の当事者以外には感覚的に理解し難いらしいので、その人の理解の手伝いをし、かつ 障害の本質を少しでも多くの人にわかってもらい為に回答しています。
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この回答へのお礼

もし質問者は純粋に疑問を解決したいと思われるなら大間違いです。潜在的な質問の目的は意識調査を含むコミュニケーションです。もちろん質問と回答という体裁は整えなければなりませんが。質問者は直接な反応がほしいのです。必ずしも正解を募るとはかぎりません。もしあなたがそれを意識されないなら、体のいい回答マシンにすぎません。回答しかされない方は自分が問われると自己防衛的になる共通性を持ちます。質問と回答の片方しかしない人はどこか認識が甘いと思います。もちろんあなたが善良な利用者であることは疑う余地もありません。またあなたの博才はどこかで役に立っていることでしょう。お返事が遅くなり申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/26 04:29

> 結局あなたは私に何を理解させたいのですか?


?はどれくらい客観視のある人か知るために聞いただけです。

お伝えしたかったことは、
最後の「不器用でも、人間は気持ちを伝えることが肝心ですから、
回答者はあなたの気持ちを掬い取れず、あなたは回答者の気持ちを
汲み取れないということなのではないでしょうか?」という部分ですよ。

回答者の何某さんはあなたの底の深い部分を理解しなかったし、
あなたは何某さんの底の深い部分を理解しなかった。
それだけではないですかということです。

回答者に澄んだバカだと思われたあなたは、どっこい海千山千の濁った賢者であり、
あなたに濁ったバカだと思われた回答者は、どっこい海千山千の澄んだ賢者であり、

濁った賢者はバカを見るなり濁ったバカであると決め、
澄んだ賢者はバカを見るなり澄んだバカであると決める。
そういう方向性の違いでしょう。
おたがい、日本語も伝わらないし、ハートのあったかさも伝わらない仲なんでしょう。
右翼と左翼みたいなもんじゃないですか。全体としては両方いませんとね。

政治と同じでここも見世物なんですから。
公に見るひとが、快不快を決め、要不要を決め、見て楽しいかどうか判断するという要素は大きいでしょう。
そういう意識のあるなしも、態度にかかわってくるのかもしれません。

蛇足ながら、質問は回答がつかないと抹消を促され、実際に抹消する方も多いので、
質問数ゼロが、ゼロを意図しているとは一概には言えません。
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この回答へのお礼

どっこいどっこいなのは率直に認めます。しかし私は自ら質問を発信する点においてやましさはないことだけは申し上げます。私の「人となり」のご判断は私の投稿を読まれた利用者の皆さんに委ねます。私も質問に回答が寄せられずやむなく削除したことはあります。しかし改めて質問をすればすむことなので、失礼ながらこの例示は詭弁ですね。お返事が遅くなり申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/26 04:13

>そういうあなたはしつこい回答者に絡まれ続けるつもりだったのですか?


:これは「絡まれ方次第」でしょうね。
しつこさの中身にもよる、ということです。
どの程度で「>目に余る」と感じるのか、ということになってくるのかもしれませんね。
 
 
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この回答へのお礼

例の彼の場合は、十分目に余るから十件もの削除に及んだと思われますが。さきにあった暴力団と紳士ヅラの例えですが、その内容によるでしょうね。暴力団は恐喝自体を目的にしているからわかりやすい。紳士ヅラは慇懃無礼と面従腹背を伴うからうすら寒い。相違点はそれだけです。わかりやすいから少しは善いことにはなりません。どうもあなたは弱者保護を錯綜されているようです。アプリオリな弱者は保護すべきですが、行為が稚拙ゆえの弱者に過度に同情すべきではありません。その区別をすることを恥じてはなりません。ただしいかなる存在に対しても愛は必要です。お返事が遅くなり申し訳ありません。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/26 04:00

#22です。



>私はただ回答ばかりして質問しない人はその論理も矛盾していると「指摘」しているだけです。
:矛盾しているという論理がよく理解できません。
質問しないで回答だけすることのどこがそんなに問題なのでしょうか。

「目に余るほどに誹謗中傷を含んだ回答を寄越す」
こと【だけ】が問題なのでは?

ところで、ご質問の本題にお答えしていませんで失礼しました。
> 彼らは何を目的に回答するのでしょうか?また彼らのどういう心理がこういう行動に導くのでしょうか?
:結局、他者を踏みつけることでしか自分の足場の安定を維持できないわけですから、自我の脆弱性が露呈しているということになるでしょう。
自らが存在感を得るために、どうしても他者を貶める必要性があるほど脆弱である、ということなのだと思います。

こういった人は、
「質問はせずに回答ばかりする人」の中にもいるでしょうが、そうでない人、たとえば
「質問も回答もする人」
「質問だけする人」
の中にもいるわけです。

ところが、
「>質問はせずに回答ばかりする人」
というタイトルや、
「> しかし目に余るほどに誹謗中傷を含んだ回答を寄越す人のプロフィールを見ると、必ずといっていいほど質問は一度もせずに、回答は数え切れないほどに繰り返しているのです。」
という部分は、こういったことから目を逸らすことになってしまうのではないかと感じたのです。
 
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この回答へのお礼

確かに質問専門、回答専門、双方をする利用者が混在するために、このサイトはうまくバランスされています。よってバランスという観点から回答専門家を咎めるわけにはいきません。目に余るほどの誹謗中傷を含む回答をする者とは運ぶるさんもご存じですね。私が利用する以前から彼の悪事は行われていました。私に寄生しましたが質問を締め切ったため、彼の矛先は主にあなたに向けられました。私が彼を追跡回答と通報により撃退したのです。あなたの質問での十件もの回答の削除が彼の悪質さを物語っています。おっしゃるとおり他者を貶める必要が生じるほどに彼の自我は脆弱なのです。もちろん彼と単なる回答専門家は違います。彼のような悪意や攻撃性は持っていません。しかし多くの回答専門家は質問の重要性を欺瞞をもって誤認しているのです。なぜ質問しないのかと尋ねられると、質問する必要がないと答えるわけです。ならば回答する必要もないはずと、他の回答者さんも指摘されているように矛盾しています。この錯誤をもって回答活動に臨むわけですから、彼らの回答には明確な悪意こそ感じないものの、質問者への共感に欠けており、自分の無知を棚上げした指摘が目立ちます。実は彼らは質問するのが恐いのです。なぜならいい意味でのあなたのような鈍感力を持ち合わせていないからです。私は彼らが論理的矛盾を衝かれると狼狽するのがよくわかります。なぜなら自分がいかに下調べをして回答しているかを強調するからです。それほど誠実でマメなら質問を作成するなど造作もないはずです。なぜか正当化に努めるばかりで今後は質問もするとは言わないのです。それは個人の自由ですが、質問の権利を行使せずに回答ばかりする片チンバは滑稽に映ります。質問しかしない人は社会および学識の不足が主な原因と思われます。何しろ回答をしないゆえに理由を尋ねられないので不問に付しているだけです。バナナサンドさんの初めの回答が最も的を得た指摘です。確かに彼らの存在は問題ではありませんが、いかに誠実な回答を送ろうともその姿勢が誠実ではないことを利用者は気づくべきだと言っているのです。あなたは悠長すぎると思われていることが、あなたのご質問への他の回答からもわかります。ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/04/26 03:36
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