この人頭いいなと思ったエピソード

真珠湾攻撃について、海軍では一秒前でも最後通告が間に合えば合法だと考えていました(福留繁『史観・真珠湾攻撃』)。じっさい海軍は、外務省に対し日米交渉打ち切りの通告を攻撃ぎりぎり30分前まで遅らせるよう要請しています。しかしそんなことが許されるのでしょうか。背後から殴りかかる前に、ポンと肩を叩いたのだから合法である――こんな理屈がまかり通るのでしょうか。だとしたら、30分前に予告すれば原爆投下だってして良いことになる。こんなもの、たまたま手違いで最後通告が間に合わなかった云々の問題ではないでしょう。特に海軍ファンにお伺いしたい。真珠湾作戦は、アメリカ人から卑怯な騙まし討ちと批難~猛反撃されることを、開明派の海軍は想像できなかったのでしょうか。念のため、作戦は軍令部の専権事項です。奇襲を命じたのは天皇でもなければ東條でもありません。

A 回答 (16件中1~10件)

昭和天皇は東郷外相に対し、「最後通牒を発する以前に真珠湾攻撃をやってはいけない」と繰り返し念を押したそうですが、日米交渉打ち切りの通告となる覚書は、「これが形式的には宣戦の通告とは異なるものは明らか」(東郷外相)という内容で、読んだ野村駐米大使でも、日米開戦を意味するとは考えなかったそうです。


つまりは、覚書が間に合っていたとしても、ハーグ条約違反になっていた可能性は大です。
東郷自身は、アメリカへ最後通牒を出さないように海軍から圧力を受けたと発言していますが、全責任が海軍にあったかどうかは、個人的に疑問を感じます。国際法違反にならぬよう命じた天皇の意思を無視したのは、当時の日本政府の総意というか、共犯関係に起因するような。
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須藤眞志『真珠湾<奇襲>論争』(講談社選書メチエ)の第七章が、『ハル・ノートは最後通告か』となっており、詳しく調べたい方には御一読をおすすめします。


ハル・ノートがなかったとしても、真珠湾攻撃が予定通り行なわれていたと、納得できるでしょう。
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14番さんも指摘していますが、ハルノートという事実上履行不可能な要求書は国際法上「最後通牒」と看做されます。


そういった意味では米国が先に宣戦布告してきたともいえますが、米国は真珠湾攻撃を対日戦の開始ひいては欧州参戦の口実にした為に全く問題にされていません。
「背後から殴りかかる前に、ポンと肩を叩いたのだから合法である」
何の問題もありません、いきなり殴っても問題ありません、最終的に勝てばよいのです。
連合軍の無差別爆撃や原爆が問題にされないのは戦争に勝ったからですよ。
しかしながら海軍の誤算は最後通牒の遅れなどといった時系列ではなく、太平洋艦隊を一掃すれば米軍は早期講和に応じるだろうという『希望的観測』に一縷の望みを賭けて勝てるはずの無い相手に喧嘩を売ってしまった事です。
最後通牒が間に合い、真珠湾で米国太平洋艦隊が全滅したとしても米国は早期講和などせず、米国はありとあらゆる方法で日本の行動を非難~猛反撃し、戦争は長引いただけで同じ結果になったでしょう。

戦争は経済です、太平洋と中国大陸という巨大マーケットの前には国民が多少犠牲になっても米国は絶対に諦めなかったであろうことは想像に難くありません。
日本にしても同じです、海軍がいかに対米戦を回避しようとしても、ハルノートという『日本は中国の利権から一切の手を引け』という一方的な要求は、日本国として認めるわけにはいかなかったというのが実情でしょう。
例え勝ち目が無いにしろ日本の意地を見せておかなければという心理が働いたのではないでしょうか、戦後におけるGHQの洗脳と言っても過言ではない数々の政策がそれを如実に物語っているように思えます。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C% …
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宣戦布告以前の攻撃は卑怯だとの御主張ですが、国際法や当時の世界情勢等から鑑みるに、「ハルノート」という最後通牒を突きつけた時点で、アメリカは、日本に対して戦争開始の意思を示したものと理解できます。


相手に対し、最後通牒を突きつけておいて、宣戦布告前の攻撃を卑怯と言うのは、散々相手を罵倒した挙句、相手が殴りかかってきたら「暴力反対」と言うのと一緒です。
アメリカは、既に日本の海外資産の凍結、戦略物資の輸出禁止等の、現在、世界が北朝鮮やイランに行っている経済制裁以上の行為を行ったのです。
そこまでやって、「不意打ちだ。卑怯だ」と主張するのは筋が通りません。
また、アメリカという国は、例えばパナマ侵攻作戦の際、宣戦布告をしたでしょうか?
パナマは国連加盟の独立国です。
実際問題として、アメリカという国自体、宣戦布告をして、戦争に突入したということは、アメリカの戦争・紛争行為の中では圧倒的に少数です。
「世界の警察官なのだから、懲罰行為に宣戦布告は必要無い」とでも思っているのでしょうか?
日米戦末期、アメリカ軍機は日本本土攻撃の際、明らかに民間施設・民間人、それも子供にまで、面白ずくで銃撃を加えた記録が残っています。
真珠湾作戦は、一見大成功のように見えますが、目的のひとつであった空母を打ち洩らし、港湾・軍事施設の破壊もしない、大失敗の作戦でした。
戦略目的、国家戦略を立てられない、日本の負の面を如実に示した作戦と言えるでしょう。
しかし、アメリカの早期反攻を防ぎ、大東亜共栄圏を確立するという目的には合致するものです。
おかげで早期のフィリピン・グアム救援を防ぐことが出来たのですから。
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戦争とはノールールの国家対国家のバトルです。


ズルイ方、卑怯な方、力のある方、残虐な方、抗戦意欲のある方が勝ちです。

相手が卑怯だとか、原爆は残虐だとかハーグ協定違反だとか言っていると肝心の戦争に負けてしまいます。

今の若い人は殴り合いの喧嘩の経験がありません。
ですから、すぐどっちが悪いの何のといって理屈をこねます。
そんなもの、相手を殴り倒したものが勝ちなんです。
「まだ文句あっか!」・・・これで終わりでしょう。
戦争もそうです。

ごちゃごちゃ理屈を言っている間に負けてしまいます。
今の日本人は弱虫の平和ボケの集まりです。先が思いやられます。
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湾岸戦争前のいわゆる湾岸危機が発生したとき、この中東の紛争にアメリカが介入するべきかどうかアメリカの世論も揺れていました。

特に当時は「ベトナム戦争後遺症」というのが国民の間にトラウマとして残っており、「ヨソの国同士の揉め事にヘタに首を突っ込んだらヤブヘビになる」という恐れが根強くあったのです。

そんなとき、ひとりの「クウェートから命からがら逃げてきた少女」がアメリカの国会に姿を現し、アメリカの助けを涙ながらに訴えました。彼女曰く、イラクの兵士たちは目の前で自分の兄弟をまるでねぶるように殺したというのです。
いたいけな少女の涙に全米の世論は一変します。悪の帝国フセインイラクを倒せ、クウェートの善良な市民や子供たちを救え!の大合唱が起きたのです。

しかし、実はこの涙ながらに訴えた少女は在米クウェート大使の娘で、湾岸危機が発生したときにはアメリカに住んでいたことが判明します。ところがそれが判明した頃はもうアメリカ市民は戦争へと向う大統領を全面的に支持する世論となっていました。
アメリカ人というのは、一度戦争と決まったら、大統領を全面的に支持するのです。戦争という「国家の一大事」の際にリーダーの足を引っ張っては戦争に負けてしまうというわけです。実際に結構な規模の戦争が始まると大統領支持率というのは90%前後の異常な数値まで跳ね上がるのです。

「真珠湾の卑怯な攻撃」というのは、アメリカ政府が作った国民向けのプロバガンダです。まだそういうことに無垢だったアメリカ国民はその宣伝を信じて(今でも信じて)政府と大統領を支持したのです。
戦後、GHQは日本国民を懐柔するために、様々な宣伝をしました。曰く、あなた方は悪い指導者に騙されていた被害者なのだ。悪い指導者たちは我々を騙し卑怯な騙し討ちをし、あなた方国民を塗炭の苦しみに追いやった。そういう人たちは東京裁判で裁かれて処刑されたのだ、と。
これまたプロパガンダに無垢な日本人はまんまとそれに乗せられてしまったというわけです。
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実際の第一撃米国駆逐艦によりの特殊潜航艇攻撃でなかったでしょうか違いましたかね


最後通告が遅れて狼狽したけど戦果大きく無視されたのでないでしょうか
*通告を攻撃ぎりぎり30分前まで遅らせるよう要請しています。しかしそんなことが許されるのでしょうか
よほど奇襲攻撃成功させたかったのでないでしょうか
反撃体制とられた為第二次攻撃隊は被害が大きくなってますね
奇襲攻撃
山本さん発案  計画立案
黒島参謀ですねこの人は戦後何も話さずなくなったとか。
奇襲攻撃これしなければ短気決戦早期講和の計画なくなるのでないでしょうか?
山本さん曰く半年や一年暴れて見せますの話もないでしょう
時系列系でどちらが先かは定かでないです
実際にはアメリカ国民対するプロパガンダに利用されたのでないですかジャプスネークアタック
9.11テロと同じ構図ように見えます、アフガンイラク攻撃
思いつくまま書いてしまいました。
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福留以外の文献を読んでください。

福留は海軍乙事件の人ですから、何かと自己保身の記述が多いです。
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追記。


真珠湾より陸軍のコタバル上陸の方が早いので、卑怯である、ない、をいうならこのことも考える必要があるでしょう。
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今となっては、の話でもありますが、アメリカの歴史家は


「当時あれだけの数の正規空母を艦隊ふくめて探知されずに攻撃位置まで航海させ、一方的にアメリカ側をやることができたのは、卑怯とかの問題ではなく、大したものだ」
という認識です。
よく真珠湾に似ていると言われるタラント空襲、ジャジメント作戦も、天下の英国海軍が3隻空母用意したのに、1隻は火災、1隻は故障、で、結局タラント湾を攻撃したのは1隻だけ、というザマでしたから。
また、これによりアメリカは怒った(リメンバー・パールハーバー)と同時に、知らない敵が実は強かった、という事実に愕然とし、西海岸に日本軍がくる、とか、ロッキー山脈で防衛戦をおこなう、とか、シカゴを最終司令部にする、とかあわてています。有名な「真珠湾は攻撃された。これは演習ではない」という電文も、実は第一報、つづりをまちがえています。レキシントンがこれを受信したとき「あわてているから、本当だ」と言ったそうです。

民間人に爆弾を落としていないことはアメリカも承知しています(大半はアメリカが発射した高射砲の弾が落ちてきて、被害にあった)。また、レーダーがキチンと探知していたのに無視した、などという手落ちもあったので、あまりいうと国内から、必ずこの手のことを調べろ、という声がでます。だから、いまでも「不意打ちだがあれはすごかった」というのが、一般的見解でしょう。知っていた、知らなかった、の陰謀論の話は、ここではしません。
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