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『律令制度』について勉強しています。大宝律令の『令』では四等管制・官位相当制・蔭位の制などが定められ、より強い中央集権国家を目指しています。しかしなぜ、日本は中央集権国家体制をとろうとしているんですか?中央集権国家体制ではないと国は治められないのですか?

私は、遣唐使が関係していると考えています。もしそうであるなら、唐のどのような制度や政治の成功例を見て真似をしようとしていたのですか?教えてください。

A 回答 (3件)

質問者さんは多分「船頭多くして船山に登る」という言葉をご存知だと思います。

指導者が一杯いると、誰が主導権を握るかで必ず喧嘩が起こるのです。この場合の一番簡単な解決方法は、その国に圧倒的な権力者が現れて、他の連中を力で叩き潰すことです。これが中央集権制度です。ですから、中央集権制度は何も特別な理由が無くても、力関係の圧倒的に違う場合にはどこにでも自然に現れてくる制度です。従って、人類の歴史を振り返ると、圧倒的に多くの地域で中央集権制度が採用されています。

ところが互いの力関係が拮抗しているような、極端に例外的な状態も人類の歴史の中にはありました。古くは2500年程前の中国の戦国時代です。この時は、どの国が覇権を握るのかはっきりしない状態でしたので、中央集権制度とは完全に違った制度を中国人は見つけて来ました。それが封建制度です。封建制度とは、各豪族や大名等にその土地の所有権を認めて、その全体を納めるために、皆の合意のもとで王の王としての皇帝や将軍の存在を認める制度です。ですが、秦の始皇帝が圧倒的な力で他の国を叩き潰してからは、中国は王の王ではなく、いきなり国民を王の所有物とする中央集権制度に移行しました。

その後人類の歴史では,ほとんどすべてが中央集権制度を採用していたのですが、例外的に二カ所だけがこの制度を取らず、上にも触れた封建制度を採用せざるを得なかった地域があります。それは、中世の西欧と、日本の鎌倉時代から江戸時代です。何故この二カ所だけが人類史の中で例外中の例外に属する封建制度を採用したかと言うと、この地域だけが各豪族や大名達の力が拮抗しており、その中の誰も、自分は国王だと名乗って他を叩き潰すことができなかったからです。例えば、徳川将軍家と言えども高々八百万石ですから、他の外様大名が束になれば、徳川家よりも石高が高くなってしまいます。そのような状況では、各豪族や大名達の合意のもとに、国王と王と言う形式的な王を用意して国を治める他には方法がありません。そのように、国民をいきなり国王に支配させると言う中央集権制度を採用するわけにはいかず、一先ず国民を各大名に支配させ、その大名を皆の合意の下で支配する特別な地位として、日本の将軍や、西欧の皇帝という制度を採用したのが封建制度です。所謂、地方分権制度です。

従って、中央集権制度は特別に外国から教わらなくても、どこの国で自然に発生する常識的な制度で在り、何故そのような制度が採用されたのかを、ことさら説明する必要がありません。それに対して、日本や西欧が何故封建制度を採用し、中央集権制度を採用しなかったかの方が、遥かに興味ある問題です。

面白いことに、人類の目覚ましい進歩は圧倒的に封建体制の中で成されており、中央集権体制の中で成されておりません。中国の歴史を見ても,技術的にも思想史的にもほとんどの進歩は2500年前の戦国時代に成されております。また、西欧の近代技術は世界を圧倒しました。さらに、アジアで唯一中央集権制度ではなくて封建制度を採用していた日本だけが、近代産業革命をあっという間に達成して、西洋をしのぐ工業国にのし上がりました。封建制度下では力が拮抗しているために、互いにドングリの背比べとなり、生き残りのための緊張感があり、工夫をしざるを得ないのです。ところが、中央集権制度下では、権力の生き残りのための緊張感が無く、従って、安定はしていますが、生き残りのための新しいアイデアを生み出す必要がないのです。そのことが理由で、日本と西欧とかつての中国を除くと全てが中央集権制度で在ったために,社会の近代化に大変な遅れをとってしまったのです。

このように、人類の歴史の中で例外中の例外に属する封建制度を独自に生み出した地域だけが、近代国家として成功して来たというのが、人類の歴史なのです。

私は個人的な意見では,日本がかつて封建制度から中央集権制度に移行してしまい、従って、我々の経験して来た近代産業革命が、もしかしたらスムーズに出来なかった可能性があった時期が在ったのではないかと思っております。それは信長の出現です。もし彼が光秀に暗殺されていなかったら、彼は天皇家を潰して、自分が皇帝にのし上がり、それまでの天皇を形式的に頂いた封建制度をぶち壊して、中央集権制度に移行してしまったのではないか。もしそうなっていたら、他の全ての非西洋国家のように、日本も近代産業革命の移行に大変な戸惑いをしていたのではないかと、あらぬ想像をして居ります。
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中央集権国家では、国民の権利と義務を平均化あるいは一定化できるシステムで、天候、風土などによる国家収益のばらつきを平均化し、計画的予算が立てやすくなります。


 戦争であれば、兵隊と兵器を含めた軍備を準備できます。徴兵に地域格差が生じれば不満が生じます。軍備も地方で準備するより、全国規模で集金して、徴兵すれば、兵隊を大規模にでき装備も均一化して作戦が立てやすくなります。
 一方、食糧危機、災害などがあっても中央集権であれば、救援しやすくなります。
 あまり大きな領土が大きすぎると、地域の特殊性を生かせず、不満がおこりやすくなります。また統治者が不公平な政治を行えなければ、不満が高じて反乱につながります。
 豊かな、平和な、温暖な地方であれば、中央集権化されるのを嫌うかもしれません。しかし、その地域が欲しくなって攻めて国が出てくることもありえます。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/白村江の戦い
これに負けて、次は唐・新羅連合軍が日本に攻めてくると思われので。
中央集権国家とは効率的に戦争をすることができる国家です。
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