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私の方は、浄土宗で 親戚付き合いも 本家、分家共に 良く 普通の家柄です。

旦那と結婚する時に、家柄は創価学会だけど、本人は違うと 関係ないと言う言葉を信じて一緒になりました。親戚もいなく、付き合いないので楽チンだなぁぐらいでした。

でも最近、旦那の家族に不幸があり 学会というもの=家柄がよくわかりました。
私は自分が死んだとき、やっぱり浄土宗スタイルでしてほしいと。

学会スタイルは 合理的過ぎて 悲しくなる位 無情にうつりました。

毎日拝んでるから 49日も初盆も何にもしないと言います。

あまりにも、家柄が違い 悩んでいます。

結婚したので合わせていくしか仕方ないんでしょうか?
生き方が違うということが とても大きな溝な気がして仕方ありません。

A 回答 (12件中1~10件)

前に回答した者です。


皆さん、色んな話が出てきているので補足を。
この中で学会員と思われる方の回答も見られますが、まー構わんでしょう。
私の場合、元妻が学会っ子で家族全員が学会員でした。
結論から言うと学会で離婚したようなものです。
結婚式も学会式か人前式でないとだめだとクレームが入りました
(じゃあ費用を持つもかと言えば赤字の親類どもでした)
その為籍を入れてから4年も式を挙げられませんでした。(揉めた為)

政教分離と法の原則があろうが宗教と政治に深く関与し、選挙では学会員をウグイス嬢や警備、はたまた観客と言う応援に使い私には義理親が公明党に入れろと恫喝まがいをしてきました。
話は前後しますが、また若い頃、私がやけどで入院していた時、同級生が学会員でその怪我の話を聞き嫌とは言えない間柄の先輩を連れて来てその上役の学会員が「やけどなんかするのは学会に入信してないから」知り合いが見舞いに持ってきたお守りを罵倒したり、散々な目に逢いました。
それを教義だとのたまうのは勝手ですが、人の病室でまして関係ない見舞客の心からのプレゼント(お守り)を罵倒とは言語道断、非常識だと後で同級生を呼びつけて締めてやりました。
仏様をどう言おうが、住職を罵倒しようが、それを教義と言うのならご勝手にですが、私の知ってる限りの学会員たちは、なまじ常識のある連中とは思えませんでした。
そんな連中ばかり見て来たので私も嫌悪以外に感じる事はありません。
私にも両親がおり、その筋で言えばお寺もある訳です。
自分たちだけが正しくて、他の宗教は間違ってる邪宗と決めつけあの手この手で付きまとってきます。
中には純粋な信仰心を持たれているが毒されてしまってる信者もいますが、中々抜け出せないみたいです。
確かに過激な宗教は世界中沢山あります。
キリスト教も十字軍で解る通り(ブッシュの発言に至るまで)、悪魔裁判等々
原理主義的な考えからテロ(何がテロか解らない場合もあるが)を繰り返す集団、大昔、浄土宗は念仏を唱え玉砕するまで戦ったり(その中には鈍ら坊主も多数)
ですので私は特定の宗教に対して嫌悪感を持ってしまいます。
合理的と感じた貴方は素晴らしいと思います。
私は、本山(大石寺)から絶縁された為と理解しているのですがね。
しかし、仮に学会の普通の付き合いをしている方が亡くなれば葬式に参列をし、心から何妙法蓮華経を唱えます。南無阿弥陀仏もアーメンもしかりです。
私の信ずる者は自分です。その常識を持って育って良かったと思います。
ですので、貴方の旦那さんが違うと言っているなら受け入れていればいいと思いますし、貴方の育った環境と違うと思えばその部分に対しては貴方の筋を通して貰えばいいと思います。
その代わり、義理の両親とはうまくいかないかも知れませんがね。
違和感を覚えたとしても他人の教義です、干渉は必要ないと思います。
旦那さんも学会色を出しておられないなら、構わんと思います。
もし、旦那さんの両親が亡くなられた場合、違和感のある学会葬であっても手を合わせてあげればいいと思います。(故人の為に)
心の問題(宗教観)まで合わせる必要性はないと思いますがご自分から溝を作らない気持ちは必要ではないでしょうか。
心穏やかにお過ごし出来る事を説にお祈りしています。
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この回答へのお礼

まず、大変貴重なメッセージを心より深く感謝いたします。ありがとうございました。

私が合理的と言葉を選んだことまで察して頂けたこと、とても嬉しく思います。
主人の学会家族には こうした賢さがありません。なぜなんでしょうね。自分自身のことでいっぱいなんでしょうか??

色々経験をされた上での お言葉は 深く、ありがたいです。

わたしも今まで生きてきて、学会の方何人か出会いましたが、みんな貧乏だったり 生い立ちに難があったり、まともな人がほとんどいなかった為に、主人から告白された時は!!!でしたが、よくよく話しをすると 自分は学会が嫌いで 自分以外は盲目なんだということでした。母親が盲目で主人は2世でした。しかし、幼心から 疑問を抱くようになり 学生時代~社会に出ていろんな方と仲良くなり 成長し、自分には 必要ではないと確信したと。なので結婚しましたが、、、、。やはり 問題は出てきました。(笑)

だけど そんな主人でも たまに、ん?と言う時あります(笑)

学会さんは 常識知らずさんが多いですね。

わたしも もし やり直すことができたら 次は 結婚相手は 自分と似たような家柄の方を選ぶかもしれません。

お礼日時:2009/07/29 17:31

多くの皆さんが書かれているように、宗教観というより<葬儀の仕方>があなたの思っていたやり方と違っていたということだけですね。



それに<家柄>などという言葉を出しているので、なんだろうと思いました。辞典ではそういう使い方はしませんね。

49日とか初盆とか、今の日本のいわゆる仏教行事はそれほどの深い意味がありません。僕自身の浅い知識でもそう断言できますね。

死者を弔うことは宗教の問題以前に習俗・習慣の属する問題です。日本人の特性なのかは分かりませんが、葬儀のやり方や埋葬方法含め死者を忌み嫌う傾向があるようです。
それに仏教の教えや考え方が接ぎ木されたり、乗っかたりしているのが現状だと思います。

追善供養とか聞こえはいいのですが、上記の恐れの裏返しのような感じがします。
7日ごとに死者の行き先が審判され、家庭裁判所見たいな感じで49日があり、100日目に地方裁判所があり、という具合の審判は死者にとっても、遺された遺族にとっても迷惑な作り話です。儲かるのは坊さんとその関係者だけです。

ところで、今のお墓は死者が出ると、納骨を繰り返しますよね。これは以前のお墓事情では、<暴き墓>といって最も忌み嫌われることだったのです。
分かりますか?
結局のところ、宗教とか葬儀とか言って、ちょっとした違いで目くじらを立てる人が(特に親戚と称する人たちは)いますが、いろいろ変わっているのんです。それも肝心の理由なんてすべて後付けです。

まあ、生理的に受け付けないと感じたら、どうしようもないでしょうね。
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この回答へのお礼

貴重なメッセージありがとうございます。

初7日、49日に家庭裁判所のように審判され、、

それはですね、

死んだら終わりでなくて、
天国に行きたいなら 真面目に全うした人生、良き行いをしなさい

悪い事ばかりしてると 地獄に行かされちゃうよー、、、という、昔からの 教えなんですよ。


家柄は、お家柄とか言いません??


会社でいえば 社風みたいなもんですね。。

お礼日時:2009/07/29 17:10

こんにちは!


ああ、同じことで悩まれている方がいるんだ、と少し安心しています。

私も、まさに同内容の質問を立てようかと考えているところでした。

私も質問者さまと同じで、夫一家は創価学会、夫自身は違うらしいのですが、学会に対して好意的です。私自身は、一般的な浄土真宗でしたが、無宗教です。(葬式、法事は浄土真宗、クリスマス、初詣、なんでもあり)

私も、学会の法事に始めて参加して、驚きで声が出ませんでした(笑)
お坊さんがお経を読まないんですよね。親戚の信者さんたちがお経を読んでいました。そのお経というのも、私の今まで知っていたものとは違って、妙に迫力がありました。

正直に言うと、創価学会を嫌悪しています。やれ、選挙だ、新聞だ、いい話が聞けるから遊びに来いだ、、、いちいちうっとおしいです。純粋に宗教(創価学会)を信じているなら、それでいいのでは?と思います。選挙や新聞や集まりなんて、どうでもいいのではないの?と。

私は、夫の実家とは距離を置いています。義両親も気づいていると思います。人柄的にはとても良い方たちなのですが、例えば、家に飾ってある池田なんとかさんの写真や、置かれている宗教雑誌(S○I)・宗教の新聞などに嫌悪感を感じてしまいます。

嫌悪感を感じている自分を責めてしまい、積極的に親しくしようと思うと、また嫌悪感を感じる・・・の繰り返しで、正直もうしんどいです。

私が、夫と離婚をするとしたら、おそらくこの問題だと思います。

質問者さまのような、同じ悩みを抱えている方が近くにはいないので、ついつい、回答ではなく体験を話してしまいました。

長文すいません。
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この回答へのお礼

同じような方がいて 私も心づよいです。メッセージありがとうございました。

宗教にのめり込んでる人たちを見るのは いやですよね、、かわいそうになってくるっていうか。。。

すがる物が必要か 私と主人は無宗教で 自分らしく生きてるので 必要ありません。自分を信じていれるので。

だけど ハマってる方は オウム心理教のかたと同じ事をいきなり言ってきたりして 正直 盲目過ぎて 疲れますよね。

例えば、私達の宗教がいちばんなのよ?!だとか。

宗教してるひとは どこの宗教でも同じこと言います。だから戦争がなくならないのかな、、とか。

私も主人の家族とは もう一線引いています。

離婚は考えてませんが、子供ができて学会の宗教を押しつけてきたら離婚するかもですね。

旦那も私と家族に板挟みで、かわいそうにみえる時も。
だけど 葬式の時 浄土宗のじゅづを持ちました。家族には隠すようですけどね。
子供ができ 七五三など行事は 神社で普通の当たり前のことをさせて上げたいと旦那も 同じ気持ちです。

お礼日時:2009/07/29 17:02

創価学会について、また仏教における葬儀の在り方について、かなり誤解をされているので、意見を述べさせてください。



>学会スタイルは 合理的過ぎて 悲しくなる位 無情にうつりました。

要するに、創価学会の「友人葬(同志葬)」は、葬儀に坊さんを呼ばないから、それがいけないということなのでしょうか?

葬儀において僧侶の存在は、重要なものではないのです。そもそも、仏教の創始者・釈尊(釈迦)は、「出家者は修行に専念し、葬儀は在家に任せよ」と、出家者が葬儀に関わることを、むしろ戒めていたのです。釈尊自身の葬儀も、すべて在家のみで執り行われました。また、我々にとっての御本仏である日蓮大聖人も、その御遺文に、自らが葬儀を行ったという記述は一つもありません。「葬儀には僧侶を呼び、祈ってもらわねば、故人は成仏できない」。これは、ここで詳しくは述べませんが、江戸時代の檀家制度の名残なのです。それ以来、今日まで、僧侶のような特別な存在によって、引導を渡してもらわねばならない。だから葬儀には僧侶などが必要なのだと、慣習化してしまったのです。

>毎日拝んでるから 49日も初盆も何にもしないと言います。

大聖人の仏法では、自分自身が御本尊を信じて仏道修行に励み、成仏する。これが根本です。そうして積んだ功徳を故人に施し与えることが、真の追善供養なのです。これを「回向(えこう)」と言います。ゆえに、毎日信心を実践することが、お盆・お彼岸の供養の実践となるのです(常盆・常彼岸)。そういう意味で「毎日拝んでるから 49日も初盆も何にもしない」と言っておられるのだと思います。

ただ、仏法では、「随方毘尼(ずいほうびに)」といって、仏教の本義に抵触しない限り、各地域の風俗、習慣や、時代の風習は尊重すべきであるとの考えがあり、49日や初盆を否定、禁止するものではありません。事実、創価学会でも、春秋の彼岸を一つの機会として、追善の勤行会を行っています。学会の墓園でも彼岸の日には、学会の儀典部員を導師として法要を行います。

私の以上の記述が、あなたの創価学会に対する理解の一分となることを、期待いたします。
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この回答へのお礼

貴重なメッセージありがとうございました。

『江戸時代からの壇家制度の名残』

始まりは、壇家というのは 今でいうスティタスで、ある程度の裕福な家の証みたいなものから始まり、それを今でも 先代から代々受け継いで(守って)きているという見方はできませんか?? 実際 そうなんですが、、、。

守ってきたと言えば簡単ですが、それは目にみえない努力の積み重ねであります。
生活水準が高ければ高いほど それを『維持』していくことの大変さ、、、。

結局、坊さん呼ばず お金かけず 自分達の考え方で解釈→ らくなやり方に写るんです。

お金はかかりますが、それだけのお金を払える心の余裕があるんです。

学会の方は 出家さんなんでしょうか??

坊さんは 朝から辛い修行を365日死ぬまで精進し 今があります。


あなたも 早く 氣がついて もっと 自分らしく生きて下さい。

親が勧誘されて 子供が強制的に学会員にされたり 宗教は自由なはず、、、。 学会のひとも オウムのひとも 同じ事言うよ。

お礼日時:2009/07/29 16:48

こんにちわ。



家柄の問題でなく生き方、価値観の問題だと思いました。

>学会スタイルは 合理的過ぎて 悲しくなる位 無情にうつりました。

>毎日拝んでるから 49日も初盆も何にもしないと言います。

学会って偏見しかなかったですが、こういうスタイルなんですね。
(ちょっと見直しました)
わたしにすれば、普段は何も偲ばないくせに、49日だとか
法要の時だけ体裁整えて儀式的に何かする方が嫌ですし、
自分の死後も、何も儀式はいらないと感じますね。
よくご先祖を敬わないと祟りとか聞きますが、法要やら墓参りやら
そういう儀式をきちんとしないと子孫に祟りを起こすような先祖って
そのほうがわたしは理解できないし、自分の子孫にも自分を敬って欲しいとか
ありません。それに人って転生繰り返してようですしね。
行事やしきたり重視で、本当の意味で偲ぶ思い、見失う方が怖いです。
学会とか抜きにして、あなたの旦那さんは。本当に自分にとって
大事な人への普段の扱い方ってどうなんでしょう?
奥さんとしてそこは家柄だとか宗教がとかでなくきちんと観てみて下さいよ
って感じです。
ちなみに、疎遠で義理の関係の親戚のことまで普段逐一偲ばなきゃ、ってのも
変な話ですから、あくまで実生活で大事な人のへの扱いをどうしているか、
ってことですけどね。

義理親戚への葬儀スタイルだけで違和感感じられてこれまでの人格も否定されたら
なんだかな~な話ですよね。


ちなみにわたしは無宗教、でも神様的存在は信じています。
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この回答へのお礼

貴重なメッセージありがとうございました。


言われるとおり・・・だと思いました。


旦那は 人に施すのが好きで けっして 無情な冷たいひとではありません。

たいせつなことを教えていただきました。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/07/29 16:25

私は無宗教です。

と言うか、どこの宗教でも一応の理解は示し、浄土宗でも真言宗でもキリスト教でも神社でもその地にあったり、お呼ばれすればそれなりに対応します。
親は真言宗だと言いますが、元々先祖の墓(親も)が真言宗のお寺に埋葬されている位の事で、当然初七日や49日などの法要もあります。
ただ、学会はお寺を持つ宗教とは一線を画していると思っています。
昔、当時結婚していた方の家族が学会で大変嫌な思いをさせられましたので、日蓮正宗に理解は示しながらも教義には疑問を感じる気持ちもあります。
仮に元嫁さんが学会葬でと言われれば学会葬でもいいと思いますが、私はどこの宗派は問わず、普通に葬式をしてくれればいいと思っていました。(と言うより、葬式はいらんと考えるようになりましたが)

家柄というより人柄で考えた方がいいのではないでしょうか。
その部分でのもう一言は宗派の違いですので法要等のやり方が違うのですからその部分は気になさらない、相手の身内の宗派のやり方に合わせればいいでしょう。
貴方のお友達が仮にキリスト教だったらそれに参列した場合、そこのやり方に合わせた礼拝をしませんか?
私の父方の親が86歳で亡くなった時私は子供でしたが、そこの家は最後に小銭を参列者に向かって撒くと言う事があり、その当時違和感を感じましたが、今はそれがその土地のやり方だと理解できました。
貴方が浄土宗で最期を送ってもらいたいなら、そのように遺言で認めておけばいいでしょう。
旦那は学会では無いと言うのなら、貴方の最後はこうしてと話しておけばいいでしょう。
私の中では眉つばですが、学会ではないのなら理解してくれると思いますよ。
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創価学会と言うけど元は日蓮宗派から分かれた宗派です、同じ仏教でけど少し強引な会員求めたりと選挙では必要に投票依頼をするから庶民から嫌われる所は仕方が無いけど、学会委員でも全て駄目とも言うばかりでは無いですけど・・・・(自分は無党派ですので公明党でもないし)



>私は自分が死んだとき、やっぱり浄土宗スタイルでしてほしいと。
 同じ仏教ですし、それを仕切る方に嫌気が来てだけで根本の所は仏教で同じと思い自分から見て行くところは西方浄土と内の親は言って居ましたけど、創価学会は違い表現ですか?
 どんな送られ人でもその親族が誠心誠意で野辺の送りを出してくれるなら、それこそ送られ人には選択視有るのかです。
 海で水難事故で仏さん上がらない方とか行方不明の方が葬儀無しで失踪宣告で死亡扱いはこれは寂しい亡くなり方と思えますけど・・・・・
 送る側に文句はこれは死の段階では残る遺族の課題です。
 葬式出して貰えない方も居るんです、人生最後の買い物は他人が決めるんのよ棺も10万~30万燃やせば全て灰になるのよ・・・・(おくりびとで事務員さんの言葉ですけど)
 嫁いだ先がそうなら郷に入れば郷に従いと言うものではないじゃ有りませんか。
 これが嫌なら離婚でもしますかと話は変わるんですけど・・・・芯からする気有るかです。
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私は無宗教の男性です。


私の父は一応、浄土真宗、母と妹は一応カソリック系のキリスト教の信者です。

>旦那の家柄が合わなくて悩んでいます
>私の方は~普通の家柄です。
あなたが言っているのは「自分の実家は普通で問題なく、旦那さんの実家は普通でない(異常)。」ということですか?
ちなみに「家柄」という言葉は貴賤を意味する言葉だと思いますが、まさか旦那さんの実家は卑しいので悩んでいるのではなく、「家柄」言葉の誤用であるという解釈で書かせてもらいます。

浄土宗であろうが創価学会であろうが何教であろうがどの宗教を信仰するかしないかはその人個人の自由です。
従ってあなたの葬式はあなたが信仰している宗教のスタイルでしてもらうようにすればいいのではないでしょうか。
旦那さんの実家の人が信仰する宗教が何教でも気にすることはありません。

と言うか「創価学会」=悪、という図式が見え隠れしてるように見受けられますがいかがでしょう。

そもそも、あなたやあなたの親戚は敬虔な浄土宗信者ですか?
浄土宗の普通の家、例えば、あなたの実家やあなたご自身はクリスマスはどうお過ごしでしょうか?ご親戚に大相撲ファンの方はいませんか?七五三は?七夕は?

「私は仏教徒です。」といっておきながら、他の宗教の上っ面のおいしいとこだけ戴きます、というのは、悲しくなる位 無情にうつりません?

もし、それほど敬虔な浄土宗信者でないなら「生き方が違う」と大騒ぎするほどのことではないのでは?

>結婚したので合わせていくしか仕方ないんでしょうか?
自分の宗教行事は自分の好きなようにしましょう、誰かに合わせる必要はありません。
夫婦両方に関する宗教儀式のことは旦那さんと相談して決めてください。
それ以外は誰かの実家であろうと友人であろうと、主催する人に合わせてください。
(ご友人のチャペルウェディングに数珠持っていきませんよね?)
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でも最近、旦那の家族に不幸があり 学会というもの=家柄がよくわかりました。


私は自分が死んだとき、やっぱり浄土宗スタイルでしてほしいと。>>不幸が無かったら彼の家柄など気にもしなかったし・・ってことでしょうか?
宗教は法律で定められているように「自由」です
あなたが「浄土宗での葬儀」を望むならそのように常日頃から旦那側の人に話しておけばいいでしょうし、
遺言で言い残しておけばいいですよ
故人の意思を無視はできないでしょうし。


たぶんあなたは「坊さん」に読経あげてもらってないから「悲しくなるほど無常」に感じたのでしょうね
その宗旨によりいろいろやり方があるモノだなあと考えるべきでは?

49日も初盆も何にもしないと言います>>
坊さんを呼んで・・と言うことはしないということです
世話になった方々がお参りしてくださいますよ、学会でも

あまりにも、家柄が違い 悩んでいます>>
これがおかしいですね
家柄じゃないのでは?
宗教観の違いじゃないですか?
なんでも自分の実家と比べるからそう思うのですよ
彼の家はこういうやり方だと割り切るべきでしょう
それが嫌なら離婚して同じ宗旨の人と一緒になるべきですね

親戚もいなく、付き合いないので楽チンだなぁぐらいでした>>
そういう認識で学会の人と結婚したのですから
今回の件も「そういうやりかたなんだなあ」と思えばいかがですか?
もっと深く考える人なら結婚前に「宗教の違い」を考えるはずでしょう
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結婚したからと言ってすべて一緒にすることはないんじゃないでしょうか。


家柄や親戚などはの同じ人間のふりをしていてまったく違う人たちなんです。
宗教は改まったときの型でしかないですから
彼自身のいいところを見て楽に考えた方がいいんではないでしょか?
花嫁修業の一つなんですよ、きっと。
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