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彼は浄土宗で、親戚が浄土宗のお寺をしています。
私は日蓮宗で、寺院の娘です。
結婚を視野に入れ、最近いろいろ話すのですが、価値観の違いで、このまま私たちは結婚してもいいものか考えています。
それは以下のようなことです。

(1)姓名判断について
日蓮宗すべてがそうかはわかりませんが、画数で名前を決めます。
父によると、私は彼の名字になるとあまり良くない画数になるそうです。
しかし、彼の名字は旧字を使っており、新字だとまだいいとのこと。
そこで彼に、戸籍は当然旧字ですが、私のみ日常生活で新字の方を使いたいと言いました。
しかし彼は姓名判断など毛頭信じておらず、「意味わからないことをするな」と怒鳴られました。
「姓名判断なんて普通はしない」と。「お前の親はおかしい。」「迷信ばっかりで、お前はそのうち新興宗教にはまり、手かざしとかするようになるに決まっている」とまで言われました。
きっと子供の名前でも揉めるでしょう。私としては、彼が候補をいくつか出した中から、父に画数を判断してもらいたいと思っていますが、彼は私や私の親の意見は聞かないでしょう。

(2)暦法
日蓮宗では、六曜ではなく二十八宿を取り入れます。
今まで何かの節にはそれで日取りを決めました。
彼はそういった占い・風水の類は全く信じません。例えば今後、結納や結婚式や引越し、結婚後の様々なことで私は二十八宿に則り(無理をしない程度で)日を決めたいと思っていますが、その度に彼は文句を言ってくるでしょう。
私たち家族を気味悪がっています。

(3)改宗について
「結婚したら浄土宗に改宗しろ」と言われています。
私はどちらの教えもわかった上で、日蓮宗のままでいたいと思います。
彼の親は怒るかもしれません。しかし、私はこれまで自分の宗派の教えで生きてきましたし、生かされてきました。
改宗することは、親も先祖も自分の生き方も否定することになると思います。
寺院を営んでて他宗派同士で結婚された方を何組も知っていますが、奥様は改宗されておりません。しかし嫁ぎ先のお寺のことはきちんとしているとのこと。
私もそのような感覚で、彼側の墓も葬式も法事も浄土宗で、自分のことだけは日蓮宗でと思っていますが、間違いでしょうか?
彼は「子供は絶対浄土宗にさせる」と言っています。私も子供は彼の姓の家を守るものですから、それに関しては子供本人が納得するなら賛成です。

以上のことで、彼とは価値観が違います。
・宗派によるものなのか?個人の考えの違いなのか?
・浄土宗の人は、迷信や統計学の類は否定するのでしょうか?
・私の考えは一般的に言って間違っているのか?
おしえてください。

A 回答 (11件中1~10件)

回答No.9です。

お礼文ありがとうございました。

まず名前の件にて私のほうで本文の捉え違いがありました。それに立っての回答でしたので、不愉快な思いをさせたことは、訂正と謝罪を申し上げます。
確かに日常生活上で旧字体が不便であるなどの理由で、新字体で表記されている方は多く見られます。この点に関して非常識であるとは申しませんし、それは理解しております。占いによる改名、名づけについても改名は当人の自由意志ですし、親に良運の画数での孫の名前を選んでもらうのも、よくあることですからそれも構わないとは思います。
ただ相手が絡むということは非常に難しいことです。そのようにすること自体にも猛反発される方も見られるのは事実です。名前でのトラブルは読み方ひとつ違えただけでも大騒ぎになることがあり、下手をすれば人間関係を壊してしまう実例もみてきました。正直なところ、親までこんなことをしてるのかと大変心配に感じた次第でした。このことは私の誤解であり訂正いたします。補足においてご指摘いただきありがとうございました。

上記を書いていて、一つ思ったことです。追加回答いたします。
もし彼氏が私と同じように誤解しやすく、頑固なタイプであったら、かなり不満が積み重なっていることはないでしょうか。たとえご自身が誤解であると言っても、それは聞いてもらえないのが現状であるとするのなら、ひとつひとつ根気よく説明する必要があると思います。ご家族のことについて、かなりひどいことを言われてしまっている(人のことは言えませんが;;)・・・くやしいですよね。でもこれは本来、よほどのことがない限り出ないものです。たとえご自身が悪くなくても、相手をそのように思わせてしまったことについては考えてみることはできないかなと思います。

今回は仏教宗派の考え方のお話しもからんでのことで余計にややこしく感じるし、彼氏側より強圧的に「浄土宗への改宗」をいわれてしまっているのは、不自然なことのように思います。宗派の違いというよりは、そんなすれちがいがたまって、考え方が硬くなっているのではないかと思います。
むろん貴方様の宗教観・価値観を本心から全部否定しているわけではないと思います。貴方様も全部捨てる必要はまったくありません。
「客観的に見ること」ご自身がそのようにしていると彼氏に通じることができれば、本当はもっと前進できるのではないかと思います。そうなるといいですね。がんばってください。
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仏教の日蓮系の宗派の1つ、日蓮正宗の信徒の者です。



宗教の問題ではなく、個人の人間性の問題だと私は思います。
宗教の問題は、つまるところ、人間性の問題です。

人はそれぞれ、常識や文化、偏見、習慣があると思います。
人と付き合う時に、常識や文化、偏見、習慣を最も尊重するという生き方は、どうかと思います。

人と人が付き合う時って、それが一番大事でしょうか?

それを大事にしたい心理は、「自分が正しいと思う事を貫きたいだけ」という我がままではないでしょうか。

人は、賢くあるべきなのは、現実の上で知識や習慣を作ることだと思います。つまり、理・利に叶っていることから。

自分が、正しいと思うことは、相手に理解してくれるように努めるべきだと思いますし、逆に指摘をされれば、それを考える必要があると思います。絶対だと思い込み、他を拒絶するという姿勢は、「他人を大切にするということ」ではないと思います。

自分が正しいと思うなら、どうして正しいか、相手に解るように説明を試みるべきだし、それを理解して貰うように努めるべきだと思います。

自分が間違っている事も、相手が正しいと思う事も、相手が間違っていることもです。

相手と理解し合わずに、命令・追従の関係を続けるのが、一生の伴侶とする人との付き合い方の1部ですか?

自分自身を大切にする故に相手を犠牲にするなら、それは愛と言えるのでしょうか?

宗教的なことに対して、正しい、間違っていると言っても、それを証明することは困難です。
科学的に証明できないことが宗教ですから、それに対し、何を持って正しいと言えるかは人それぞれでしょう。その「何」が相手と同じとは限りないこともあります。

>私はこれまで自分の宗派の教えで生きてきましたし、生かされてきました。
改宗することは、親も先祖も自分の生き方も否定することになると思います

人は、自分自身や自分の親を否定できずして、成長できると思いますか?
あなたの先祖は、完璧な人間だったのですか?

人は完璧であったら、辛いことや苦しい事があっても迷うことや考えることはないでしょう。

日蓮大聖人が書いた立正安国論という本を読んだことがありますか?
法華経の内容を読んだことがありますか?

仏教は、成仏を目指すもので、自己の成長を図る(仏様に近づく)ものです。故に、成長するなら、自己の欠点や生き方を否定し、より良いと思う生き方に変えるものです。
人は「自尊心、プライド、誇り」というものを持っています。それらは、正しい正しくないの前に、傷つけられると怒り、憎しみ、あるいは痛みとなります。また、それらがあるが故に、調和や互いを大切にすることができません。

特定の宗派でありたいといいながら、世間を捨て、常識を捨て、人を捨て、仏法をとらないのは、仏法そのものを否定していることだと思います。

仏様は、道理を作った訳ではありません。ただ、道理を述べてたもの、人々の人間性、仏性の開花度合いレベルにおいて。


>・宗派によるものなのか?個人の考えの違いなのか?
・浄土宗の人は、迷信や統計学の類は否定するのでしょうか?
・私の考えは一般的に言って間違っているのか?

質問者さんの考えがしっかりとあると思います。その考えをどういう理由であっても曲げられないのであれば、彼との結婚生活はいつ破綻してもおかしくないと思います。

お互いに自己都合の良い考え方、理由もなく安心する自己都合の考えをどう互いに理解し、取捨を決めていけれなければ、のちのち問題になると思います。
譲れないことがある、それが離婚や破滅の原因になりませんか?さらには、憎しみや怒りの原因にも。

宗教は戦争をしません。宗教を信仰する人が戦争をします。故に宗教を信仰する人間性の問題です。他と戦争をしてもどうも思わない人間性なら、その宗教を信仰するでしょう。
宗教の違いという言い方で、本質を隠した言い方は良くないと個人的に思います。
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拝見させていただきました。


まず、貴方様は何を基準に「結婚」ということを考えていらっしゃるのかをお尋ねしたいと思います。
(1)
これまで日蓮宗さんにおかれまして、ご両親さまとともに仏飯を頂きこれまで暮らしてこられたわけです。また、彼氏は浄土宗さんを信仰されることでもって、これまで暮らしてこられたわけです。
結婚というものは、互いに別々に暮らしてきたものが、共に暮らしていくものです。価値観の相違点はどなたにでも山ほどあるものです。これは生活環境によって形成されるものであって、何も宗教だけが影響しているわけではありません。あくまでも個人の考え方のものです。

(2)
一般的に浄土宗さんの信者であってもなくても、迷信・統計学を無視する方もそうでない方もいらっしゃいます。これも一個人の考え方であると考えます。

(3)
まず、なぜ結婚なさるのに彼氏の苗字をつかうと「良くない」と仰るのでしょうか。日蓮宗さん側からの見方だけですよね。
苗字はそのほとんどが意味を持ってついているものです。
画数で運気が下がるから、新字体を苗字の戸籍に用いるというのは、その人本人だけにとどまらず、その人の親、ご先祖さままでに対して、たいへん非礼なふるまいではありませんでしょうか。ご住職であるお父様もその点はおわかりになりませんか?これは大変疑問なことです。

日蓮宗さんではそうかも知れませんが、このことは宗旨宗派をこえて、一般論として申し上げたいと思います。もし貴方様が相手と同じように言われてしまったら、どのように思うでしょうか。σ(o^_^o)なら押し付けにすぎないというでしょう。相手の立場というものをもう少し理解されることが必要かと思われます。

改宗につきましては貴方様の仰るとおりだと思います。無理に改宗なさらなくても良いと思いますし、相手の宗派に対して攻撃的なことさえしなければ問題はないと思います。
ただし、ご自分の実家の意見を必要以上に取り上げて、相手の意向を全く無視するようであれば、それだけで結婚生活はできないでしょう。「夫婦は両輪」です。それは彼氏側にもいえることです。

かつては開祖日蓮上人さまも、法然上人さまも、同じ天台宗である比叡山延暦寺におかれて修行された同門です。その後のそれぞれの歩み方で対立するようになってしまった事実は消せません。

しかしながら、みほとけさまの世界に通じる法門というものは、すべての人に開かれており、どこの門から入ろうとそれは結果的にはおなじことであり、宗派対立は本来あってはならないものというのが、σ(o^_^o)の個人的な考え方です。

もしお互いのことが好きで結婚なさりたいというなら、お互いがもっと譲歩できるところは譲歩すべきですし、実家の考え方ではなく、自分たちの考え方をしっかり共有していくべきかと考えます。

この回答への補足

>(3)
まず、なぜ結婚なさるのに彼氏の苗字をつかうと「良くない」と仰るのでしょうか。日蓮宗さん側からの見方だけですよね。
姓名判断は日蓮宗では決まってないので、統計学から見た画数による姓名判断です。
彼の名字+私の下の名前だと画数的に良くないらしいです。

>画数で運気が下がるから、新字体を苗字の戸籍に用いるというのは、
戸籍の名字はもちろんもとからの旧字のままですよ!
父は僧侶になるにあたり戸籍の下の名前を変えましたが、たしか裁判所に行くとか、手続きが大変なようでした。
私が結婚後名字を名乗る時に新字にするのは、通り名(?)というのでしょうか、名刺とか名札とかメールとか、日常生活で人の目に触れ活きてくるような箇所にだけ使う、という意味です。
法律に関することはきちんと彼の家に遵います。
現在の私の名字は戸籍上は新字(例えば渡辺)ですが、父がその新字の名字自体の画数が良くないからと、子供達(私の兄弟)だけは旧字(例えば渡邊)を使っております。
(※実際私はワタナベではないので、画数の良し悪しはわかりません。)
父は、母と結婚するにあたり、母にアドバイスはしたが強制はしませんでした。母は面倒くさいので新字(渡辺)のままでしたが、父はそれを尊重しました。
その程度のものです。新字か旧字がで画数が変わり、運勢が変わるかもしれないのなら、良いとされる字を日常生活の範囲で使ったっていいじゃない、偽名を使うわけではないのだから、ということを彼に話すと「お前達家族は頭がおかしい」と言われました。
知り合いで(日蓮宗ではありません)、結婚にあたり下の名前の漢字を変えた女性が3人います。ある男性は私と同じように自分の名字の表記を変えました。
義母から提案された人、自分から占い師に聞きに行った人、それぞれですが、私はそれが非常識だとは思わない考えです。
でも、peri1005様や私の彼にとっては非常識なのですね。
それも価値観の違いですので、どちらが正しいとかはないのでしょうね。

補足日時:2009/08/02 22:43
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この回答へのお礼

↑すみません、補足が大変長くなってしまいました。
彼の名前はそのままですよ。あくまで私の名前表記だけです。

ご回答ありがとうございました。
結局宗派というよりは、個人の考えによるものが大きいのですよね。(某団体のような絶大な力を持つ教義に洗脳されている場合は別ですが)
>ただし、ご自分の実家の意見を必要以上に取り上げて、相手の意向を全く無視するようであれば、それだけで結婚生活はできないでしょう。「夫婦は両輪」です。それは彼氏側にもいえることです。
私も、自分の親がおかしなことを言ったら彼を守るつもりですし、逆のことがあれば彼に守ってほしいと思います。
幸い双方ともおかしなことをする親ではないのでいいのですが、「自分の親だから正しい」ということはないので、客観的に判断するつもりでいます。
(私の質問内容からしたら「客観的じゃなく親の言うなりじゃないか!」と思われるかもしれませんが、私なりに考えております。こんなに宗派の違いを問題視するのは彼が初めてでしたので、質問させていただきました。)
それよりも当人同士の意思疎通ができない状態が問題ですよね。
>譲歩
これが私達の課題ですね、痛感いたしました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/02 23:35

私は信仰には肯定的ですが、宗教は嫌いです。

しかし人の信仰を否定したりその人の信仰している宗教を否定したりはしません。
 
相談者の方が捉えている結婚に関して、彼との間にある課題は宗派以前の事です。
貴女が仰っているように、彼と貴女の価値観は違います。本来たとえ夫婦であっても価値観は違いますし、性格も違って当たり前なのです。

大切なのはお互いの違う価値観を持っているのですから、共有できる価値観は共有して、共有できない物は認め合う事が必要です。
お釈迦様の教えにある慈悲の心とはなんでしょう?
宗派の違い、主義主張の違い、価値観の違いなどが有っても、お互いが慈しみ合い、寛容と思いやりをもって、受け入れあう事ではないでしょうか?

貴女方お二人が、たとえ同じ宗派であったとしても、お互いが今のままでは、けっして幸せな家庭を築けるとは私には思えません。

考えてみてください。お互いが相手を尊重して受け入れ合っていれば、
相手の宗派を否定したり、ご両親を罵倒したり、また改宗しろしないなどとは成らないでしょう。
お二人課題は、宗派の違い以前に、生き方、在り方に課題が有るのです。
その課題をクリアしない限り、たとえ結婚相手を変えたとしても、常に形を代え出てくることでしょう。

>以上のことで、彼とは価値観が違います。

はいその通りです。そして皆価値観は、誰しも同じ物も在れば、違うものも在ります。

>・宗派によるものなのか?個人の考えの違いなのか?

宗派はまったく関係ありません。人の持つ生き方、在り方、価値観、もっと言うと観念の違いです。

>・浄土宗の人は、迷信や統計学の類は否定するのでしょうか?

我が家の菩提寺は浄土宗ですが、迷信は信じませんが、先人の教えや統計学の類は受け入れています。
私は個人的には、日蓮上人の生き方を尊敬しています。

>・私の考えは一般的に言って間違っているのか?

人それぞれ、考え方、価値観は違うものです。間違っているとか正しいとかはありません。
ただそれを握り締めていて、他の考え方や価値観を受け入れないとしたら、夫婦、家族、社会などの、人間関係は巧く行かない事が多いです。

もう一度お二人で宗教は横において、分かち合ってみてください。
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この回答へのお礼

>大切なのはお互いの違う価値観を持っているのですから、共有できる価値観は共有して、共有できない物は認め合う事が必要です。
お釈迦様の教えにある慈悲の心とはなんでしょう?
宗派の違い、主義主張の違い、価値観の違いなどが有っても、お互いが慈しみ合い、寛容と思いやりをもって、受け入れあう事ではないでしょうか?
私たちに足りないものは、慈悲の心ですね。わかってはいたけど、お互いに接していると、つい忘れています。
そんな私達が宗教・宗派をとやかく言う資格はありませんよね…。

>もう一度お二人で宗教は横において、分かち合ってみてください。
そうします。私は、彼をその土俵に誘うことからまず努力してみます。
彼が私と話し合いをしてくれないのも、私にも原因があると思いますので、そこから始めます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/03 00:13

返事ありがとうございます。



結婚を反対する意見もありますが、全てを覚悟しておられるのですから貴方の選択に私は共感を得ています。

人との巡り会いには偶然は無く、すべてに意味がありそれを縁と表現しても差し支えないでしょうね。極論を言えば足元にある石につまずいても必然による現象と言えます。

絶対的な彼⇔柔軟な貴方。お互い学びは大きいようですね!カルマの法則も恐らく知っていると思いますので、どうかめげずに頑張ってください。苦楽は一方だけでは成り立ちませんし、一生かかるテーマかも知れませんが貴方が彼を包み込める器があれば大丈夫でしょう。

そしていずれお互いの宗教観の垣根が無くなり、彼が貴方に”ありがとう”と言う日が来ることを願っています。その日に初めて新しい宗教に対する疑念が生まれると思います・・・。
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この回答へのお礼

>そしていずれお互いの宗教観の垣根が無くなり、彼が貴方に”ありがとう”と言う日が来ることを願っています。その日に初めて新しい宗教に対する疑念が生まれると思います・・・。
宗教観の垣根が個人間で無くなるのは、私達にとっては理想です。そういう日が来ることを信じ、努力したいです。
人類にとって宗教の垣根が無くなること、これこそが宗教が目指すことであると思っています。
宗教が必要ない世界はきっと素晴らしいと思います。
幸せで、不安が無く、平和な世界に宗教は生まれる余地はありませんから。
老・病・死についての不安はあるかもしれないけど、それも不安にならないような世界。
でも感謝の気持ちは持ち「ありがとう」が「有り」「難し」ではなく、当たり前にあふれる世界。
↑理想だけは簡単に言えますが…
話が逸れて申し訳ありません。
gigamax2様の回答を読んでいますと、なんとちっぽけなことで悩んでいるんだと思ってしまいました。
今の私は器が小さすぎて、それをどう乗り越えるのかで精一杯です。
再び御回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/02 23:50

全く間違っていません。



彼は世の中のことを分かっていません。

価値観は多様だということを知らない世間知らずなのです。

こういうことは哲学上の大問題でもあります。

中学生からの「超」哲学入門
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94 …

「比較不能な価値の迷路」
http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%94%E8%BC%83%E4%B8 …

「憲法とは何か」
http://www.amazon.co.jp/%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81 …

はっきり言って、彼と結婚すると不幸になります。

結婚は止めることをお勧めします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>価値観は多様だということを知らない世間知らずなのです。
私たちは残念なことにお互いが自分の価値観を主張していますが、
彼は特に自分の価値観を絶対視しているきらいがありますので、本当にこのことを分かって欲しいです。

>はっきり言って、彼と結婚すると不幸になります。
結婚は止めることをお勧めします。
はい、そうします。と言えたら楽なのですが、そうはできないです。
「きっと離婚するよ」と周りの人に反対されても、彼が彼である限り、また明らかに周りの人を不幸にする結婚でない限り、私なりに努力して成長したいです。

お礼日時:2009/08/03 00:06

お互いの環境に類似点がありますが、貴方はそれをどう捕らえているのでしょうか?



内容から察するに、恐らく彼と共に歩んでいく上では相当な障害になるでしょうね。しかしそれこそがあなた方が生きていく中で大事なプロセスであり、学びとして共にに歩む事を潜在的に選択し今生に生まれてきているのです。

宗派の違いによるトラブルは良く聞く事ですが、そもそも宗教とは何の為にあると思いですか?マクロで見れば戦争までに発展する問題でもありますが、育った環境を踏まえて考えてみるべきです。

どう生きるかを決め、その責任を取るのは自分自身でしかないのです。そうしなければならないと思ってしまう事自体が他力本願であり、創造と言う個人のパワーを曇らせてしまいます。決して画数や日取りの決め方などは生きていく上での優先事項ではありません。

もう一つ付け加えるならば宗教は元一つです・・・。

この回答への補足

>しかしそれこそがあなた方が生きていく中で大事なプロセスであり、学びとして共にに歩む事を潜在的に選択し今生に生まれてきているのです。
本当にその通りだと思います。

>どう生きるかを決め、その責任を取るのは自分自身でしかないのです。そうしなければならないと思ってしまう事自体が他力本願であり、創造と言う個人のパワーを曇らせてしまいます。
きっと彼もそう思っていると思います。
それはわかります。
でも、それに「古来より信じられてきたことを取り入れる」という選択も自分でしているのです。決して迷信のせいにせず、責任は自分で取る覚悟です。

補足日時:2009/08/02 17:09
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>そもそも宗教とは何の為にあると思いですか?
私はこの世は「縁」で成り立っていると考えていますので、「より良い縁にするため」にあると思っています。
その縁は、対人間だけではなく、自分を含むすべての事象に対してです。
それが平和であったり、幸せであったり、自己実現であったりに繋がると思っています。
だから宗教は「絶対」「best」ではなく、「better」のもとに信仰すべきだと思うのです。
>決して画数や日取りの決め方などは生きていく上での優先事項ではありません。
姓名判断や暦を気にするのも、それを最優先に考えているわけではありません。
bestだからではなく、どうせ決めるならたとえ迷信でもbetterだからと思って取り入れているのです。
もちろん彼の意見を聞きつつ、日常生活の仕事やその他諸々の事情を考慮した上で考えたいというのが本心です。(彼は自分の意見=決定です。)
信仰も、日蓮宗が絶対なのではなく、他の宗教教理を知った上で少なくとも自分にとっては浄土宗よりbetterだと思っているからです。さらに言うなら、私にとっては浄土宗より禅宗の方がbetterです。

この回答を拝見しまして、私達は「宗教」「宗派」の問題を通して、自分達の人格の問題であるのだと感じております。すなわち
●彼 
自分の意見が絶対であり、自分の意見にそぐわない意見(私の意見)はすべて間違っていると思い、聞き入れようとしない。
自分の信じないもの(この場合は日蓮宗)を批判し、私の親まで罵倒する。
●私
自分の意見=迷信であり、それを信じる弱い人間である。
自分の信じるものは、曲げたくない頑固者。(改宗等に関して)

客観的に見るとこういう構図かと思います。
私としては臨機応変にしたいと思うのですが、彼はそのどっちつかずが嫌みたいで、自分の信念・浄土宗を押し付けます。
でも彼も私のすることを押し付けだと思っているのでしょうね。
宗教の問題を離れて、宗教の本来あるべき姿とは逆の方にいっている私達。
このままでいいわけはありません。彼との御縁を大事にするためにも、もっと話し合いが必要だと思いました。
これを乗り越えないと、たとえ宗教の問題がクリアしたとしても、結婚は問題山積でしょうから。
彼は話し合いは応じてくれませんが…。彼は自分が一番正しいのですから。(すみません、愚痴になってしまいました。)

お礼日時:2009/08/02 17:05

難しい恋をされていますね。


井桁と葵ですか...

>寺院を営んでて他宗派同士で結婚された方を何組も知っていますが、奥様は改宗されておりません。しかし嫁ぎ先のお寺のことはきちんとしているとのこと。

寺院によると思いますね。厳しいお寺ならまず無理でしょう。特に一般の人々の宗徒が減ってきているでしょうし、その動きに合わせて逆にキリスト教のルターやカルヴァン等と同じようにその宗教の元へ帰ろうという動きもある中ですから、余計に難しさを感じます。
各宗派によって伝えられてきた物事がありますから、迷信や統計学の類も内容は違って当たり前でしょう。

宗派の違いはそのまま個人の考えの違いになって表れます。なぜなら宗教は人の心を安らげるものだからです。人の心に影響するものですから当然それは個人の考えになって表れます。またあなた方も年齢的にも成人と思いますので、その生きてきた時間(少なくとも20年以上は生きているということです)を考えれば習慣・環境すべて違って当たり前とも思います。それを乗り越える覚悟があって初めて「他宗派同士で結婚された方」となる気はしますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>宗派の違いはそのまま個人の考えの違いになって表れます。なぜなら宗教は人の心を安らげるものだからです。人の心に影響するものですから当然それは個人の考えになって表れます。またあなた方も年齢的にも成人と思いますので、その生きてきた時間(少なくとも20年以上は生きているということです)を考えれば習慣・環境すべて違って当たり前とも思います。それを乗り越える覚悟があって初めて「他宗派同士で結婚された方」となる気はしますね。

本当にその通りだと思います。
これについては、宗派などという問題ではなく、もっと根本的な「対人間」として相手と向き合わなければならない問題ですね。
別の場所で生まれ育った二人の人間が伴侶となることって、そう簡単ではないですね。
乗り越えたいです。

お礼日時:2009/08/02 17:30

仏教に全然詳しくないですがイッチョカミさせてくださいね。



素朴な疑問なんですがホトケさん拝むのに多少はやり方の違いはあっても元を辿れば同じじゃないでしょうか。
質問者さんが「仏教」と言っているならば原点回帰だと思うんですがねぇ。
宗旨宗派が単なる派閥抗争の構図だったらさみしいです。
全然わからなくてゴメンネ。
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この回答へのお礼

いえいえ、回答大変有難いです。
>多少はやり方の違いはあっても元を辿れば同じじゃないでしょうか。
本当にこの通りなんです。
でもここでちょっと仏教の説明させてください。
仏様がいる場所は浄土と言われます(それぞれの仏様が守っているテリトリーにより違い、「○○浄土」と言います。)
日蓮宗の教えを平たく言うと、「みんな仏の心を持とうよ、そうすればこの世は浄土になるよ」というものです。それが「霊山浄土」であり、法華経信者はこれを目指します。
浄土宗は、死後=あの世で阿弥陀様が救ってくれるのを願います。
阿弥陀様がおられるのは「西方浄土」ですから、そこに行けることは極楽往生です。
私はこの世をよりよく生きたいと思っている者です。この世の人がみんな仏の心を持つなんて、争いごとや憎しみなんてない素晴らしい世界だと思うんです。
単純に仏様(お釈迦様の場合やご先祖様の場合)を拝んでいれば、hasiru750のおっしゃるとおり同じです。
ただどういう考えを持って拝むかということで宗旨宗派によって変わえり、ややこしくなるのですね。
中には派閥抗争の流派もありますが、それも解釈の違いからきているの
で、どれが正しいってことはないんですよね。
仏教は一つであるが、研究会がたくさんあるって感じでしょうか。幽霊部員もたくさんいるし、無所属もたくさんいらっしゃる。(創価学会のような、仏教の研究会とは言えないチームもいる。)
私は「こちらの研究会に入れ」と言われているのですが、考え方が合わないので入れません。とつまりこういうわけです。

お礼日時:2009/08/02 17:59

30代後半、無宗教論者の男性です。



別に宗教に、こだわらなくても良いんじゃないですか?
周りに合わせて上手くやれば。
あなたは、宗教と結婚する訳ではないでしょう?

よく、日常生活を考えて下さい。
1月は、正月、2月は、バレンタイン...8月は、お盆...12月は、クリスマス、とバラバラの宗教行事してませんか?

その時だけ、○○宗だから、○○出来ないとか言いますが、
そっちの方が、矛盾してますよね?

だから、私は、周りに合わせて、うま~くのり切ってます。

深く、考えずに、彼との幸せな未来の事、考えた方がいいですよ!
未来が見えなきゃ、結婚しない方がいいよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
無宗教論者の方は、お強いと思います。

自分の信仰する宗教で禁じられていることはしたくはないですが、
いわゆる「日本人」的なことは私自身もしていると思います。
学校はカトリックでしたが、キリスト教の事を知ることができて大変勉強になりました。クリスマスは福祉施設で奉仕活動をしていました。
初詣も自分のお寺の他に、神社にも行きます。
>深く、考えずに、彼との幸せな未来の事、考えた方がいいですよ!
未来が見えなきゃ、結婚しない方がいいよ。
そうですね、結婚は家同士のことが絡むので幸せな未来の前に考えなくてはならないことがけっこうありますが、お互いの宗教のことなんか考えなくていいような、心で繋がっている関係になりたかったです。

お礼日時:2009/08/02 21:19

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