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「生きることは苦しいこと」とお釈迦様が言ったそうですが
なぜなのでしょう?
自分の思い通りに行かないから?
病気をして苦しいこともあるから?
でしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

宗教的でも哲学的でもありませんが、私の見解で。

。。

この世に生まれて来るときに、自分で何一つ選べない、生まれて来るか・来ないかさえも選べない、そんな存在だからでは、ないでしょうか。
生まれ出でて、産声を上げたからには、誰もが全てを受け入れて生きていかなくてはならない、そこが始まりだからなのだと思います。
生まれることや環境・境遇を自分が選ばなかったから、辛かったり、苦しかったりすると、自分のせいではないとか自分が不幸だなどと思う…それを他人や物事、運命のせいにできてしまう。
そんな思いや矛盾、運命に立ち向かっていかなくてはならないから、辛く・苦しいことが多いのだと思います。
「生きることは苦しいこと」
時には、全てを受け入れ、あるがままの自分や人生と対話する、そんなことの重要性を言葉の裏で説いているのだと思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/30 22:23

この世のどこかでは、誰かが悲しみ、くるしんでいるから。


ではないかと思う。
友達が病気であるのに、へらへらと楽しそうにしている仲間を見かけたらどう思うか。仲間に対して失望するのではないだろうか。
そしてさらに、その仲間の目に何か寂しい光が宿っているのを見たらどう思うか。
一方的に、仲間に対し失望した自分自身に失望しないだろうか。
世の人々に、苦しみを知るこころありて、他者の苦しみをさしおいて楽しめる人など実に一人もいないと見たとき、如何に自分がまことを知らずに生きてきたのか、と、思うと思う。
つまり、他をあからさまに思いやれぬ苦しさこそ、人と世の苦しみであって、人が実は優しいからこそ、この苦しみを相授していることが、この人の世の真実なのではないかと私は思う。
世のどこをどのように取り出し見ても、そこに人々の思いやりの相しか見出せず、それゆえに自らたちの苦しみを隠し通しす人々の有様を知って、諸々の如来は、生きること(=生存)は苦しいのだと、はっきりと物申したのだと思う。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/30 22:32

生きるためにはいろいろなものが必要になります。


古代から現代まで必要なものはお金で手に入れることになっています。
このお金は貧乏人には回ってきません。なぜならばお金持ちがお金を独占しているから。
昔から人口の中でお金持ちはごく一部の人で、それ以外の人は貧乏人です。
だから苦しいのですよ。
お金持ちは生きていくのに苦しいことはありません。

>自分の思い通りに行かないから?
お金持ちは何でも思い通りになりますから苦しくないですね。貧乏人は思い通りにならないから苦しいのです。

>病気をして苦しいこともあるから?
お金持ちは病気してもお金で直せますから苦痛はすぐに治まりますね。貧乏人は医者にかかれないから苦痛の末に死にます。

ここだけのスペースではとてもとても書ききれないので短く書くと上記のようになります。まあ、これだけ読むと
「金=幸せ、とはなんと俗物的な・・・」
とお怒りになるでしょうが、これが真理です。
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この回答へのお礼

お金があると苦しみは軽減しますね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/30 22:31

人間の心は常に移り変わります、心は現実と理想が離れるように出来ています。

ですから苦しいのです。現実を理想が一つになることも有りますがまた離れます。心とはそういうものだからです。


人の心も縁により常に変わりますが外の事も常に変わります、諸行無常です、何故如何出来ているのかと問うても、出来ているから出来ているとしか有りません。
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この回答へのお礼

人は変化する生き物ですね。どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/30 22:22

仏教的生死観ということですが、字面だけ読むと、生は『苦』でもあり「楽」でもあります。

生老病死どれについてもそれはいえることですが…仏教は、あるいみ「苦のダイナミズム」を「苦の予防学」的発想から、万人の為に説いたので「方便(手懸り)」として「生きることは苦しい」という側面がややもすると強調されているのです(文脈が大事です)。

ギャング世代という言葉をご存知ですか。現代風に団塊・団塊ジュニアに犯罪率が高い・高齢者離婚率・自殺率が高いという社会現象にご注目ください。

終戦直後出生世代・団塊世代老人男性の雛形を例にとって考えると。

生の局面
幼年期若年期の無法状態・他人を蹴落とす・あら捜しをすること・権力の重視・行使で利己主義的に地位を築くことで生活。強いものには迎合し・弱いものにはただ威張り散らす。脱落者は自分は脱落していないと必死に自分に言い聞かせるだけ。青田刈りにもかからない・この段階で教員にもなれなかった人は地獄です。

老の局面
自分の分け前は誰にもやらない・地位は誰にも譲らない・特権は絶対手放さない・なんでも独り占めにする・他人の内面までも支配しようとする。とにかく何をするにも自分の意見を聞かせようとする。他人を動かし稼がせ自分だけがその恩恵にあずかろうとする。

保険・年金制度もそうですが・・・
国産航空機開発事業を見てください。高給取りが更に高額の給料を(国から)もらうためだけの新手の「天下りシステム」です。

死の局面
死が怖くて仕方がない・誰も自分の意見を聞いてくれない。自分のことが自分で出来ないことにさえ気づかない。一人ぼっちでどうしようもない。(人生を通して対話が成り立ったことがないので)話し相手さえいない。

介護の人・離婚妻は、「またへりくつぅ…テレビに向かって一人で叫んでろよ」と思いながら二度と来たくない・二度と会いたくないと心に決めているのが本音。

実際、お金をもらっても「こんなおじいさんの介護はイヤ」という状況になっていますよ。探しても見つかりませんよ。大腸がんになって自分のものの始末も出来なくなりますよ・・・

終戦直後出生世代+団塊世代の落とし穴
生・老・病までは、この人たちにとって「ゆとりってXXだなあ」「だから俺たち楽勝なんだよな」といったかんじで「楽」なのかもしれません。でも「死」を人生の最終成果として考えると「楽しい生・老・病」は死の絶望を準備する罠です。そういう意味から、「生」は、「不幸のプラットフォーム」である=「『生』は、ある意味『苦』の根源的原因である」ということを説明する必要性があるのです。

「自分が基本」「こんなの楽勝」「こんなのぉあたりまえだろ!」のこころ、「ああなるこうなるアアなるほど でどうヨ オレ様が聞き手になってあげるょ」の自問自答=加齢臭い老人の心を断ち切り、向上心・求道心を持って最期の準備に励んでください。今からでも遅くありません。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/30 22:22

そんな訳ないじゃん。


おいらは楽しくてしょうがないけどね。

>「生きることは苦しいこと」とお釈迦様が言ったそうですが
なぜなのでしょう?

あんたが共感するからじゃないの。なら、自分に聞けば。
共感してないナイなら、苦しくなんかないってことじゃん。
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この回答へのお礼 お礼日時:2009/08/24 01:10

人は、自我意識があるから、苦しいのです。

人は自我に、振り回されています。脳の発達していない赤ちゃんや動物は、自我がありません。無我だから、迷い苦しみがありません。逆に人は、動物のペットや赤ちゃんに、心を癒されています。人の心は、不調和世界の脳の自我と、調和世界の大自然の心である、神の無我が、合体して出来ています。人は、脳の自我が、自分だと錯覚していますが、本当の自分は、神の無我です。だから宗教では、人は神の子と教えます。だからブツダは、心のチャンネルを、脳の自我から神の無我に、切り替えたら人は救われると言っています。方法は、脳の思考を休むと、人の心と自然の情緒、神が、交流して、心が癒されます。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。だから昔の日本人は、生活に、間や情緒を入れて、脳を休める工夫をしていました。幸い日本には、脳を休める方法が、たくさんあります。仏教では、座禅があります。また日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを、目的にしています。雅楽、演歌、民謡、詩吟、能、文楽、歌舞伎、落語、日舞、茶道、華道、日本画、浮世絵、和歌、俳句、など、その他、太極拳、編み物、職人芸など
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/30 22:14

基本的には生老病死の四苦をいうのではないでしょうか。


1)生まれる時の産道を出て息をし始めるまでの非常な苦しみ(ここでかなりの人間が死ぬ-今はそれほどでもない?)。質問者様の「人生は思うとおりにいかない」という解釈も優れたものだと思います。
2)老いの苦しみ。昔は年金もないし、やっかいもので、長く生きているのは地獄いがいではなかったと思われます。いずれは握り飯人つも足されて山へ捨てられたのでしょう。
3)病いは今も大きな苦し身のひとつです。
4)死は誰にでもあり、それは苦しいものだと考えられます。
お釈迦様はそれらの苦しみをどう克服するかで悩まれました。
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この回答へのお礼

老後の楽しみがある現代は幸せなのですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/28 23:36

幸せなことがあれば必ずそれを失う苦しみがあります。


苦しいことがあれば必ずそれから脱する幸せがあります。

これは自論ですが、幸せと苦しみは表裏一体なのではないでしょうか。
お釈迦様は生きる幸せを悟ったからこそ、苦しみも悟ったのかもしれません。

ただ、自分自身これだと±0になってしまうと思います。
これをどうやって+にするか、人生の難しくて面白いところですね。
なんとか+にできるよう日々精進したいものです。
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この回答へのお礼

幸せと苦しみは表裏一体なのですか。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/28 23:20

生きるには衣食住がないといけません。

衣食住は、狩りで得るなり、稼いで得るなりしないといけません。狩りや稼ぐことは、時として楽しいことばかりではありません。

また、人間に限って言えば、人には孤独という感情があります。ずっと一人ぼっちだと苦しいです。それで人とかかわろうとするわけですが、すべての人が自分と相性の合う楽しい相手だとは限らないので、そこでも苦しみがあります。

さらには、人間は悩みます。悩むことは苦しいです。

しかし、生きることは苦しいことばかりではありません。狩りや仕事で成功すれば、それだけ報酬があるし、いい仲間にめぐり合えば一生の宝になるし、悩みを克服した先には明るい未来があります。「生きることは苦しいこと」、そう思って覚悟しておくと、ちょうどいい具合に生き抜くことができて、楽しみに対してありがたみを感じられるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

狩りは大変そうですね。孤独も苦しいです。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/23 21:55

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